細く長い雲の隙間はほのかな赤

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.14)
(アルツハイマー)

曇天の裾に横たわる細く長い雲の隙間はほのかな赤、段々広がって濃くなってきた赤橙色。200114.jpg

いつの間にか上空に広がり始めたの雲の隙間、雲が流れて見え始めた月。200114a.jpg

雲から出て直ぐに雲に隠れた一瞬の日の出。200114b.jpg


『嘘八百を並べて言っても私には分からない』 (2020.1.14)
昨日午後、グループホーム寿に面会に行くとトイレから戻ってきた妻。私の顔を見ると泣き顔になって「私はどこにいるの? なんでここにいるの? いつ帰れるの?」と矢継ぎ早の質問。ベッドに腰掛けさせ、「ここはグループホーム寿だよ」「市役所の前の道を上って交差点の手前でひだりにはいったところだよね」「そうだよ」「私はどこにいるの?」「昨日入居してグループホーム寿にいるよ」「私が?」「そう」「あなたが嘘八百を並べて言っても私には分からない。嘘じゃないだろうけど、嘘だったらみんなが陰で笑うでしょ。そんあのいやだ」と信じようとしない。また、昨自宅から出てきてここに入居したことを説明、何度か繰り返す内に、「そんなことがあったような気がする」と言った。
しばらく考えている様子、「一度家に帰って、ここへ来ればはっきり分かると思う」とぽつりと言った。昨日長女がた自宅前と入居後の部屋で撮った写真をカメラのモニターに再生させて見せたら、「撮ったのを思い出した」と言った。
3時のおやつの時間になり、ほかの人たちが部屋から出てきて共通スペースに集まり始めたから、「また明日来るよ」と言って帰ろうとすると、「だいたい分かったけど、まだ胸の中にすとんと落ちた分かり方じゃない」と言って、Sさんに伴われて玄関まで見送りに来た。立ち止まるとまた引き戻されそうな気がして、振り返らず駐車場へ急いだ。200114c.jpg

厚い雲の隙間が赤く染まり始めた手賀沼の夜明け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.13)
(アルツハイマー)

曇天の裾の、厚い雲の隙間が赤く染まり始めた手賀沼の夜明け。200113.jpg

雲の隙間が広がり、地平線の空の色を映して赤い沼。向こうを向いて寝ているようなネコの木、お腹の辺りには子猫の目。200113a.jpg

広がった雲の隙間に眩しい日の出。岡発戸新田の突端の向こうに写った太陽が、突端を越えてこちら側まで伸いて来た。200113b.jpg



『私を誘って一緒に腰掛けた妻』 (2020.1.13)
昨日朝の目覚めたばかりの妻、リバスタッチパッチの血中濃度が下がったからか、立ち上がると多少のふらつきは残っていたがめまいにはならない。起きてきて、梅がゆと野菜サラダとスープの朝食を食べたが吐き気は起きなかった。食後、ソファに腰掛け「夫が転勤して我孫子に来たから一緒に家を建てて子どもたちを育てた。ボランティアもやったしお茶や華も習ったし、いろいろな活動もした。今まではいいい人生だったよ。あなたを一人だけ残して私が出て行くと思うと悲しいの」と涙声になっていた妻。出発の直前になったら、「ちょっと待って、トイレに行ってくる」と出発を待たせるのはいつも通り。
長女と一緒に妻を連れてグループホーム寿へ約束の10時30分に到着。前日長女と次女が荷物を搬入し整えておいた部屋へSさんに案内されて入った妻、「私の鏡台がある」と今まで自分が使っていたものがあって安心した表情。早速一緒に生活する皆さんに紹介してもらい、挨拶していた妻の声が共通スペースの方から聞こえ、妻のグループホーム入居の第一歩が始まった。長女と私は不足しているものを購入しに出掛け、自宅で昼食。
面会時間になって、グループホーム寿への最初の面会に出掛け、面会表を記入して係の方に渡し、廊下で手を洗って妻の部屋へ。妻はもう知り合いになったらしき人と一緒に共通スペースから戻って来た。第一声は「私はここにいつまでいるの?」「ずっと」「我孫子へ帰らなきゃならないの」「今どこにいるの」「京都に旅行に来ている。さっきの人と京都に行っていた」「ここは我孫子だよ。今朝からグループホーム寿に入居しているよ」「えっ! 市役所の前の道を登ってきたところ? 356からだと消防署の交差点を渡って最初の道を左に曲がったところ?」「そうだよ、そこに来ているよ」「段々分かってきた」と言って、空想の世界から徐々に戻って来た。ベッドに来て「あなたも腰掛けて」と私を誘って一緒に腰掛けた妻。長女が記念に妻と一緒の写真を撮ってくれた。帰ろうとする私と長女に「また来てね」と言ってSさんに付き付き添われ玄関まで見送りに来た。「二週間後にまた来るからね」と長女、「近いから明日も来るよ」と私。これからはここで平穏に過ごして欲しいと願いつつ、入居一日目の妻を託してグループホームを後にした。200113c.jpg

高台に着くとすでに始まっていた朝焼け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.12)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着くとすでに始まっていた朝焼け。もっと広がるかと思ったら間もなくスーッと色褪せた。200112.jpg

雲間を通過した太陽、水面に映った光の帯が対岸へ伸びてゆく。200112a.jpg

再び太陽が雲に隠れたら、水面に映った光の帯が対岸へ巻き上げられ短くなってゆく。200112b.jpg


『救急車が来て取手の入院していた病院に搬送』 (2020.1.12)
退院以来ベッドから起き上がろうとすると目眩がして吐き気がすると妻は訴えていたが、昨日朝の目覚めたときは治ったようだと言ったので梅がゆを用意した。食べようと起き上がるとめまいがして、地球が回ると叫びながらうつ伏せにかがみ込み、吐き気がすると胸を押さえた。そして嘔吐。ベッドに寝かせたら手指の震えが止まらなくなり、突然足が硬直し動かせなくなり、体を触ると筋肉が硬くなって突っ張っていた。硬直が快方に向かったら寒さを訴えてガタガタ震えた。入院中に8日に貼ったリバスタッチパッチをはがさずに9日のものを貼っていて、10日にそれを発見して二枚ともはがし、新たに10日のものを貼った結果、血中の薬の濃度が上がったままのところへ新たに10日のものを貼ったので、濃度が下がらないままでいたのではないかと思った。入院していた病院に電話すると病棟の看護師につながり、重複してリバスタッチタッチを貼ってあったことを告げ、どう対応すべきか訊ねた。医師に相談すると一旦電話を切りコールバックしてきた。直ぐ病院に来るように言われても私だけでは妻を動かせないと訴えたら、病院側は受け入れ体制を取っておくから救急車で来るようにと言われた。
救急車が来て取手の入院していた病院に搬送、膵炎再発で入院していたこと、入院最終日にリバスタッチパッチが二日分重複して貼られていたことを告げ、車中で血圧測定などが行われ、退院後食べたものの聴取があった。病院に到着し妻は処置室に運ばれ、私は待合室で待った。
しばらくして医師に面談、9日の退院時から11日朝の急変までの、上記に書いたことを伝えた。採血し膵炎再発も調べると言われたので、膵炎入院時の腹痛ではなく、12月15日に受診し18mgのリバスタッチパッチパッチの副作用であろうと言われ一時貼るのを中断するよう指示されたときと同じ症状だと訴えた。一週間後から13.5mgに減量して再開したが、二枚重複して貼ってあれば18mgのもの以上の血中濃度になったはずだから副作用があってもおかしくないと私には思えた。1時間以上経ってから呼び出しがあり、妻には点滴中だった。医師からは血液検査の結果アミラーゼ値は高くなく膵炎再発ではないと告げられた。リバスタッチパッチの副作用とは言わなかったが、私がリバスタッチパッチ使用について問うと、中止した方がいいと答えた。三日ほど入院してもいいしそのまま帰ってグループホームに入居してもいいとのことで、タクシーで帰宅した。
帰宅しても、起き上がると目眩がして飲んだ水まで吐いた。夜になり、急速に回復し梅がゆを食べさせたが吐くことはなかった。私には、リバスタッチパッチを貼るのをやめて薬の血中濃度が下がったからではないかと思えた。200112c.jpg

ニュータウンのビルの向こうがちょっぴり色づく

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.11)
(アルツハイマー)

日の出の方向よりずいぶん南側の丘の上、ニュータウンのビルの向こうがちょっぴり色づく。200111.jpg

日の出の辺りの雲が色づき、丘の上の僅かな雲の隙間の向こうを通り過ぎた太陽。200111a.jpg

雲の隙間を太陽が通り過ぎれば、曇天の下はいつまでも暗い沼。200111b.jpg


『リバスタッチパッチの副作用かとの不安』 (2020.1.11)
一昨日午後、妻は取手の病院を退院。トイレに行こうとベッドから起きた妻はめまいを訴えた。退院の支払いをして病室に戻ったらめまいも治り、トイレに行ってきていた。タクシーで帰宅するとめまいと吐き気を訴えたが、水が不足しているときの症状かと思い水を飲ませた。
昨日朝、目覚めたときは頭も痛くなく吐き気もなかったので、おかゆを用意して持って行き、妻が起き上がろうとしたら目眩がした。しばらく治るのを待っておかゆを食べたら生唾がでてきて食べるのを中止、暫くたって吐いた。
夕食後、妻のリバスタッチパッチを貼り変えようとしたら、いつも背中に貼るのに胸の乳房の上に9日のリバスタッチパッチ。それを剥がして10日のものを背中に貼ろうとしたら背中に貼ったまま残っていた8日のリバスタッチパッチ。9日までの入院期間中に看護師さんが貼り替えるとき前日のものを剥がすことを忘れたと思われる。忙しい中、親切に面倒を見てくれていた看護師さん、ミスがあったとしても責める気持ちはないが、残念なハプニング。
12月15日に吐き気とめまいがあったとき、リバスタッチパッチ18mgを貼っていて、薬効が強すぎて副作用が出たのだろうと貼るのを一時中止するように救急外来の診察をして下さった先生から指示があった。1週間貼るのを休んでから、13.5mgに減量して再開していた。同時に二枚貼ってあったということは27mg相当を貼っていたことになる。18mgでも副作用で吐き気とめまいが出ていたのなら当然副作用が出てもおかしくない。リバスタッチパッチの説明書にも『一度に2枚以上を貼らないように、まず前回貼ったパッチをはがしてから、新しいパッチを貼って下さい』との注意書きがある。8日と9日の二枚をはがし、10日のパッチを背中に貼った。
夕食に梅がゆを与え、しばらくテレビを見てからベッドに向かった妻、まためまいが起き食べたものを吐いてしまった。この日の吐き気とめまいの症状が15日の症状と酷似していたので、もしやリバスタッチパッチの副作用かとの不安が頭をよぎった。200111b.jpg

日の出は絶望的だと早々に帰ったカメラマン

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.10)
(アルツハイマー)

だんだん地平線に雲が多くなり、日の出は絶望的だと早々に帰ったカメラマン。200110.jpg

雲間からこぼれ落ちる朝の光に釣堀前の小舟、桟橋の周りに羽に頭を埋めて眠るコブハクチョウ数羽。200110a.jpg

通勤の車が増え始めた下の道、山裾の遙か彼方に見えたスカイツリーの灯り。200110b.jpg


『目を開けるとぐるぐる回ってる』 (2020.1.10)
昨日は妻の退院日。もう仕度が出来ているかと病室を覗けば、レンタルのパジャマの上にダウンのコートを着て寝ていた妻。看護師さんが、「下着も上着も見つからない」と困惑した顔。セーターはポリ袋に丸めて入っていたが、下着がない。仕方なく下着なしでセーターを着せ、ダウンコートを羽織った姿で帰ることにした。下着は長女が来たとき持ち帰って洗濯したが、私に着替えを届けるように言い忘れていたと後で判明。それにしても私が前日にチェックしておくべきだった。立ち上がろうとした妻は目が回るとベッドに座り込んだ。回復を待つ間に看護師から請求書と退院後の注意事項のメモ、薬剤師から退院後の薬を受領、会計を済ませて病室に戻るとめまいは治っていた。
首に鞄を提げ、左手に大きな買い物袋、右手で妻の手を引いてタクシー乗り場にしょぼしょぼ向かった老夫婦、目に付きやすかったのだろう守衛が走り寄り、返却し忘れた面会バッチを外してくれ、タクシーを呼び寄せてくれた。「懐かしい景色」と言いながら利根川を渡る風景を見ていた妻が急に無口になった。自宅に着くと、「車酔いかしら、目が回る」と言って電気カーペットの上にへたり込む。頭を抱え、「耳が遠くで聞こえる、目を開けるとぐるぐる回ってる」という。過去にこんな症状の時は水不足、病院で点滴が終わってから薬を飲むとき以外水を飲んでいなかったようだ。
リンゴ黒酢で微かに味付けをした水を飲ませると気分も収まり、二階のベッドに寝かせた。
その間にパソコンに向かってしばらくして妻の様子を見に行ったら、「吐いたようだ」と言ってベッドに寝ていた。起き上がらせようとすると手足も震え、気分が悪いと訴える。私が見ていないとき台所に行き、台所の片付けをしていて何か袋に入った物をつまみ食いしたら、ぱさぱさして味がしないので口からから吐き出したのか、あるいは吐いたのか記憶していなかった。また水を飲ませ、気分が落ち着いたところで梅がゆを用意して与えると完食。病院で処方された薬を与えベッドに寝かせた。200110c.jpg

じゃれ合うように休強風の中で追いかけっこ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.9)
(アルツハイマー)

日の出の時刻が近くなったら高台の斜面林を越えて沼へ飛ぶハシブトガラス。仲よしの二羽か沼へ急下降し、じゃれ合うように休強風の中で追いかけっこ。200109.jpg

遠くの丘の上に日の出。カラスだろうか丘から飛び立った十数羽、下降し丘の陰影の中に消える。200109a.jpg

昇る太陽の上を下降しながら横切る成田着便。200109b.jpg


『宙を指さしながら自宅付近の道を語る』 (2020.1.9)
面会時間開始と同時に妻の病室を訪れた昨日午後。目を瞑っていたが気配で分かったのか目を開けて、「ずーっと待っていたよ。来てくれて嬉しい」と泣き顔になった。「なんで泣くのよ?」と言ったら、「ここはどこ? どうして私はここにいるの?」と昨日と同じやりとり。「いつまでここにいなきゃならないの?」「明日午後に退院して帰れることになった」「どこへ帰るの? 我孫子じゃないよね」「我孫子だよ」「356を走って、セブンイレブンのところを沼の方に曲がって、まっすぐじゃないけどそのまま行ったら家に着く。そのままどんどんいったら神社、途中から坂を下ったらAさんの家、通り過ぎたら鳥の博物館」と、宙を指さしながら自宅付近の道を語る。指先は頭の中の地図をなぞっているのだろうか。「いろんなことを忘れちゃったが、まだ道は分かる」と言ったがだいぶ怪しい道案内。
トイレに行きたいとベッドから降りようとしたがセンサーのひもが短くて外れそう。看護師さんが来てクリップを外してくれて一人でトイレに行く。看護師さんから「予定通り明日退院していいと先生から伝言があった。会計の書類交付や薬の説明は病棟で行う」と伝えられた。
1時間ほどの面会の後に帰ろうとしたら泣き顔になって私に抱きつき、「私の方が若いからあんたが病気になったら私が面倒見るつもりだったのに、逆になって私が面倒見て貰うようになった。不本意で悲しい」と昨日と同じことを言った。ベッドに座って、「また来てね」と言うから、「明日は迎えに来るよ」と言ったらやっと笑顔になって手を振った。
帰宅してメールを開くと、学生時代同じ下宿で過ごした同級生からメール。『マダムの退院が9日午後、ホームKへの荷物搬入が11日、入居が12日で変り無ければ,ほんの2日間の自宅ステイ! 大変だけど、頑張れカップル!!』と。そうか、たった三泊しか残っていなかった妻の自宅泊。出来るだけ楽しく過ごせるようにしてやりたい。200109c.jpg

明るくなり霧が出始めた曇天の沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.8)
(アルツハイマー)

明るくなり霧が出始めた曇天の沼、刻々と薄らいで行く対岸の灯り。200108.jpg

霧が濃くなり始め遠くから消えてくる対岸風景。200108a.jpg

まだちょっと早いが、もう広場に集まり始めたラジオ体操の人たち。200108b.jpg


『お見送りには行けないけどここでご挨拶』 (2020.1.8)
昨日妻に面会に行くと眠っているようだった。そっと椅子に座るとうっすら目を開け、泣きそうな顔になって「来てくれて嬉しい」と言ってからしばらくじっと私を見ていた。「私はどうしてここにいるの?」「また膵炎が再発してお腹が痛くなり、取手の病院に入院したんだ。昨日手紙を書いておいたけど見た?」「見たけどはっきりとは思い出せない。Aさんと一緒に来たって書いてあったけど、Kさんも来たような気がするが、Kさんが来たとは書いてなかった」「手紙を書いた後でKさんが来てくれたよ」「利根川を渡ってきたの?」「そう」「窓から利根川が見える?」、そのとき来た看護師さんが「ここからじゃ見えませんよ」と言いながら血圧測定や血流チェックのセンサーを指に取付け、点滴のチェックをしてくれた。「昨夜も二度ほど点滴を自分で外してしまった」と看護師さんから聞く。パジャマの袖に少し血痕が付着していた。
帰ろうとすると、「お見送りには行けないけど、ここでご挨拶する」とベッドに座った妻、「寝ていてずっと考えていたの。あなたの方が年上、病気になったら私が面倒見るつもりでいたがこんなことになっちゃって。あなたには心身ともに負担を掛けてしまい申し訳ないと思っている。物理的にも精神的にも助けてもらって感謝してます」と言って深々とお辞儀をする。認知症でうまく働かなくなった頭でそんなことを考えていたのかと思うと悲しくなる。「さあ、早く寝て。寝てくれたらもう帰るから」と言って寝かそうとすると、点滴の管とセンサーのひもが体に巻き付いていて、それを治し病室のカーテンを閉めた。隙間からちらっと見えた妻はまだじっとこっちを見ていた。200108c.jpg

青空に散らばった雲の間からはいくつもの星

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.7)
(アルツハイマー)

青空に散らばった雲の間からはいくつもの星、地平線が色づき始め朝焼けを期待させる空模様。200107.jpg

背中から吹き付ける北からの風は冷たく、上空に張り出してきた低く黒い雲。波立つ水面の向こうにはニュータウンのビルの灯り。200107a.jpg

釣堀前の岸近くに繋がれた小舟、網を干す棚に並んだサギらしき鳥のシルエット。200107b.jpg


『自分で点滴の針を押さえる絆創膏を剥がし出血』 (2020.1.7)
前日に続き妻の友だちAさんの車に乗せてもらって妻に面会に行った昨日午後、病室を覗いたら妻の姿はなくベッドの上には体を固定したらしく幅の広いベルト。Aさんが病棟の廊下を戻ってくる妻を見付ける。パジャマの袖が出血で染まり赤くなっていた。点滴を一時中断した隙に、自分で点滴の針を押さえる絆創膏を剥がし出血したのだろう。ナースステーションに呼び込まれパジャマを着替えさせてもらっていた妻。「脱走されてどなたかが連れ戻してくれた」というような声がステーションの中から聞こえた。ベッドに連れ戻すとき、「昨夜は興奮して三度も点滴を外してしまい、やむを得ず体を固定した」と聞く。体調が回復してきて、どうして自分はここに来ているのかが分からなくなって興奮したものと思われる。あらかじめ予測し承諾していたことで拘束されたことに問題はないが、担当の看護師さんには迷惑を掛けてしまった。興奮しやすくなっていて長時間の面会は控えてとアドバイスされ、帰ろうとした頃に妻の友人Kさんにおいでいただいたが、早々に引き上げなくてはならず申し訳なかったと恐縮。担当の看護師さんに頼まれ、妻への手紙に「膵炎再発で入院したこと、順調に回復していること、明日も面会に来ること」などを書いた。また夜間興奮したときはこの手紙を見せたら落ち着くだろうと期待して。
出発直前に病院のN医師より電話、「血液検査の結果も回復、CTでも炎症は消えていて、夕食から食事を再開して様子を見る。ソーシャルワーカーが関係先と連絡を取っていて、グループホームの医療連携先の病院への手紙は退院時に渡す」と説明があった。
帰宅後にはソーシャルワーカーのOさんから電話、「順調に回復し、夕食から重湯再開、順次普通食に切り替える。グループホームは予定通り入居させてくれることを確認した。退院日は9~11日から都合のいい日を選んで決める」と伝えられ、9日の午後に決定した。グループホームKのOさん、ケアマネージャのMさんに電話で退院が決定したことを報告した。200107c.jpg

住宅の隙間からニュータウンのビルの灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.6)
(アルツハイマー)

1982年3月末に引っ越してきた頃は二階のベランダから手賀沼が見えたが、年々住宅が建ち沼は僅かな住宅の隙間からしか見えなくなった。自宅南側の畑の中の道を桃山公園に向かって歩けば住宅の隙間からニュータウンのビルの灯りが見える。200106.jpg

雲一つない快晴の空にはまだ残っていた星。刻々と色鮮やかになる地平線のオレンジ色。200106a.jpg

対岸の丘の上に陽が昇り始めれば空も沼も赤橙に染まる。200106b.jpg


『「記念写真撮って」と言ってAさんとのツーショット』 (2020.1.6)
朝の撮影に出掛ける前に妻の様子を確認するのが習慣だったが、入院してその必要がなくなったら何か忘れ物をしたような気分で家を出た昨日朝。
午後になったら徒歩で天王台駅に出て、常磐線で取手へ、バスに乗って病院へ行く積もりだった。近所に住む妻の友人Aさんが私のブログを見て電話をくれた。午後見舞いに行ってくれるので車に同乗させてもらえることになった。
妻の病室を覗くと、「やぁ」と言うような表情で点滴をしていない方の手を上げた。 後ろにいたAさんを見付けると訴えるように話し始めた。病院のスタッフ用に書かれた妻の状況、扱い方を書いた張り紙を指さし、「質問しても私に分かるように説明してくれず、専門用語が入った病院言葉で理解できない。不親切だ」とおかんむり。妻への説明目的ではなく病院のスタッフへ周知するための張り紙だろうと言っても、見えるところに貼ってある以上分かりやすく書くべきだし分かりやすく説明すべきだとAさんに訴える。自宅でも「水を飲もう」と張り紙したら「何のために飲まなくてはならないか書いてない」と同じことを何度も繰り返し質問し困惑したことがあった。たぶん、同じようなことになって看護師さんを困らせたのだろうと思った。Aさんがうまくほかの話題にすり替えてくれて、楽しそうにAさんとおしゃべり。妻は、グループホームに入る直前に入院し、やっと決まった入居か取り消されないかを心配していることも分かった。月曜日になったら検査も始まり先のことも分かってくるだろうが、まだいつ退院できるかも分かっていない。心配しないで待っているようにと言うよりほかに説明のしようがない。
帰るとき、「記念写真撮って」と妻のリクエストでAさんとのツーショット、入院以来一番いい顔をしていた。「明日も来るよ」と言うと、「来てね、待ってるよ」と手を振っていた。いつもの癖で見送りにベッドから降りようとするので、点滴が外れると困るからと押しとどめた。200106c.jpg      

地平線沿いに山脈のように連なる雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.5)
(アルツハイマー)
地平線沿いに山脈のように連なる雲の上、オレンジ色に染まっても波立つ水面はブルー。200105.jpg

雲の縁は明るく染まってもなかなか出てこない太陽。やっと出れば眩しすぎ目もカメラも目潰し。200105a.jpg

雨戸を開ける人がいなければ、近くの引き込み線でスズメたちが日向ぼっこ。200105b.jpg


『二人の手を握り「温かい」と言った妻』 (2020.1.5)
9時になったらタクシーを呼んで、長女と一緒に取手の病院に向かった昨日朝。入退院窓口で入院手続の用紙を貰って記入、保険証を添えて窓口に出したら入院手続完了。番号札を着け面会表に記入して、妻の病室に着いたら清掃中で妻不在。ナースステーションに行ったら看護師から、ソーシャルワーカーのOさんに連絡を取るから休憩室で待つように指示された。しばらく待って現れたソーシャルワーカーのOさんに妻の経過と状況、間近に迫ったグループホームへの入居のこと、日程が変更になったときの調整についての気掛かりなことを話した。妻のケアマネージャのMさんと入居予定のクループホームのOさんにソーシャルワーカーのOさんからコンタクトがあると伝えておいたら二人にコンタクトして調整してくれることになった。来週になって医師の意見を聞いて調整し私に連絡してくれるとのこと。変数が多くて私には解けない方程式のような不安を引き取ってくれて気分的にも楽になった。その場でケアマネージャのMさんと入居予定のクループホームのOさんに電話した。
妻の病室に戻ると、妻はベッドの中。私と長女を見付けると笑顔になって手を差し出す。二人の手を握り「温かい」と言った妻の手は点滴をしているからか冷たかった。前回の入院ではパニックになったり譫妄が起きたりしたが、今回の入院では落ち着いてしっかりしていた。前日に自宅から持参するよう指示されていた薬、薬手帳、ウエットティッシュ等を看護師に渡す。看護師よりアミラーゼの値も下がり、来週になったら医師の診察と検査をして、食事が食べられるようになったら退院できるだろうと聞いた。「明日もまた来るよ」と妻に言ったら「来てね」と言って笑顔で見送ってくれた。
病院から取手駅までのバスの時刻表を調べ、バスで取手駅へ。JRで天王台に戻りタクシーで帰宅。明日からの私の病院通いの下見をした。200105c.jpg

対岸寄りの水面からブルーに染まり始める

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.4)
(アルツハイマー)

昨日は妻が突然の腹痛で入院、あれやこれやで夜も遅くなり、今朝の撮影はいつもより遅い時間から。桃山公園の高台に立った頃は風が吹き始め対岸寄りの水面からブルーに染まり始める。成田着便の灯りが対岸上空を旋回し次々と下って行く。200104.jpg

見る見るブルーの水面が広がり、5分後にはこちら岸もブルーに。200104a.jpg

15分もしたら風は止み、瞬く間にブルーの水面は消えてオレンジ色の沼。日の出まで見る時間の余裕はなく早々に家路へ。200104b.jpg


『「もう観念したから大丈夫よ」と手を降った妻』 (2020.1.4)
妻は元気にスタートした昨日朝。朝食後、張り切って洗濯を始めたが、いつの間にか姿が見えなくなった妻、洗濯機の周りには洗濯機から取り出した洗濯物の籠だけ。二階まで探しに行ったらベッドにうつぶせになり腹痛を堪えていた。痛い場所を確認すると胃の周辺から左脇腹。8月末に膵炎で緊急入院したときの状況を思い出し、膵炎の検査や吐き気がして救急搬送された取手の病院に電話し、休日なので救急診療にて対応してくれることになってタクシーで病院に急ぐ。
タクシーの運転手が車いすで妻を待合室まで運んでくれ、救急窓口で受付が済んだらベテランの看護師による診察前の問診、しばらく待って医師より腹部X線撮影と採血の指示があった。X線撮影の後に採血をして、1時間ほど待って医師の診察。X線撮影、血液検査で悪いとことは見つからないと医師が言ったが、過去のカルテと比較して、今回のデータにアミラーゼのデーターが欠落しているから再検査すると言われて、また待合室で待つ。その間にも妻の腹痛は治まってきた。どれほど待ったか、医師が検査データのプリントを持って来て「アミラーゼの値が高くなっているから膵炎の再発と思われるので専門医の意見を聞く」と告げられた。間もなく専門医が来て腹部の診察、点滴を開始しCT検査を指示された。CT撮影が終わり、しばらくして専門医から入院が必要なことを告げられ、内科の病棟へ案内された。
私一人では不安で、電話連絡した長女が八王子から駆けつけ、病室担当の看護師から入院手続を明日午前か月曜日に行うこと、入院に際し必要なもの、パジャマなどのレンタルについて説明を受けた。1月12日にグループホーム入居予定のことなど医師に話してあったので、病院のソーシャルワーカーへの連絡を取って相談できる手はずを整えてくれた。「明日来るよ」と告げると「もう観念したから大丈夫よ」と手を振った妻。タクシーで帰宅すれば、常磐道から溢れた帰省の車で利根川を越え我孫子に入る国道6号線は大渋滞。8時過ぎやっと帰宅。200104c.jpg

風が吹きブルーの水面が広がり始める

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.3)
(アルツハイマー)

オレンジ色に染まった地平線の空が水面に映ってオレンジの沼。風が吹きブルーの水面が広がり始める。200103.jpg

沼の名真ん中を風が駆け抜けてブルーの足跡。刻々と変わるオレンジとブルーの色模様。200103a.jpg

岸近く、オレンジ色の水面を泳ぐコブハクチョウ。200103b.jpg


『窓を開けて私に両手でVサイン』 (2020.1.3)
昨日の昼近くになって、長女の夫が運転する車で長女と一緒に買い物に出掛けた妻。私が買いそびれて、妻が使い切ってしまった化粧品やグループホーム入居の時に必要な物を買いに行くのが嬉しくて、うきうきして出掛けた。発車間際、窓を開けて私に両手でVサインをしていた。人混みの中を歩いて疲れたのか、帰宅したらいつの間にかベットで寝ていた。遅い昼食の用意が出来て、呼びに行って起こしたら自分がどこにいるのか分からない。きょろきょろ見回し、「わたしはどこへ行っていたの?」と言う。買い物に行ってきたことを伝えると、長女夫婦と買い物に行ったことも車に乗せてもらったことも憶えていなかった。
食卓の前に座り何か話そうとしたが、孫の名前も長女の名前も思い出せない。孫娘を指さし「あなた誰?」と訊ね、「孫よ」と応えたら「私の孫?」と聞き返し「そうよ、おばあちゃんの孫だよ」と言われ、「嬉しい」と孫娘を抱きかかえた。「あなた高校生になったの?」と問えば長女が「大学二年生だよ」と答えて一同大笑い。
長女の顔を見ていた妻が、名前を思い出したという身振りで「この人はL?」と、長女Aと次女Lの名前を混同していた。孫娘が長女を指さし、「あの人は私のお母さん、おばあちゃんの娘だよ」と説明して納得した。しかし、長女が私のことを「お父さん」と呼ぶから、不思議そうな顔をして、「あなたは私の何なの?」と、私が夫であることがあやふやになってしまっていた。それからしばらくしてやっと目が覚めて普通の会話が出来るようになった。200103c.jpg

地平線をオレンジ色に染めた快晴の早朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.2)
(アルツハイマー)

地平線をオレンジ色に染めた快晴の早朝。上空にはまだ星がいっぱい。200102.jpg

出たら眩しい快晴の朝の日の出。成田着便が太陽に吸い込まれるように消えた。200102a.jpg

初日の出を撮れなかった人たちのリベンジか、いつもより多い日の出を撮る人たち。200102b.jpg


『私をびっくりしたような眼差しで見詰めた』 (2020.1.2)
大晦日の夜ははいつもと違った生活パターンになり、遅くまで起きていたから睡眠が浅かったらしい。妻の様子を見に行った私をびっくりしたような眼差しで見詰めた。「今日は何月何日?」「1月1日だよ」「もう新年になっていたの?」「そう、元旦の朝だよ」「ここはどこ? 岩滑(妻の実家)じゃないよね。まっすぐこっちに行ったら356、RセンターやW園に行くときは右、左に行ったら小学校。分かってきたよ、我孫子の家だ」「はい、当たり」「全部忘れてしまったわけじゃないよ。思い出せることもあるし、思い出せないこともある。思い出せないとイライラすることもあるし、どうでもいいやと思うこともある」と言って、段々空想の世界から我孫子の自宅に戻ってきた妻。撮影から戻ったら、昨日洗濯して忘れていた洗濯物を洗濯機から取り出していた。長女夫婦が起きてきて朝食の支度。陣頭指揮をしているつもりになって、台所をうろうろ動き回り、ハイになっていた妻。
妻の化粧品を通販で発注するように長女に頼まれていたが、年末の忙しさに発注が遅れてしまった私。妻は化粧品を使い切ってしまい、年末年始で納品が遅れることからつい甲高い声になっ私と長女の会話を聞いて、自分がダメだからと思い込んで泣き出した。「何にも出来なくなって、ただ生きていたってしょうがないよね。みんなに迷惑ばかり掛けて」と泣く妻を「お母さんのせいじゃないから」となだめる長女。なかなか泣き止まず、奥の手は魔法の水。リンゴ黒酢でほのかに味付けをした水を飲ませたら「おいしい」と言って泣き止んだ。
午後、次女が来てみんなで近所のお宮に初詣。鈴がうまく鳴らないと繰り返し、三度目に鳴ったら神妙に手を合わせ何かを祈っていた妻。自宅に寄ってから近所のガストで遅い昼食。娘二人と横浜に住んでいた頃の思い出話に、「一人でいると何も思い出せないが、一緒に話すといろいろ思い出せるね」と楽しかったひととき。200102c.jpg

張り出す雲に日の出を待つ人たちにも諦めムード

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.1)
(アルツハイマー)

刻々と地平線から張り出す雲に日の出を待つ人たちにも諦めムード。200101.jpg

日の出を諦めて早々と帰った人や、もしやの光芒に賭けて待った人。雲間から落ちた光芒にオレンジ色に染まった沼。200101a.jpg

何度も飛ぼうとしては躊躇していたオオハクチョウたち。風を待ってついに飛んだオオハクチョウたち。200101b.jpg


『ずーっと私がやってきたじゃない』 (2020.1.1)

昨日、近所に住む妻の親友Aさんが出来たばかりの紅白なます、栗きんとん、レンコンの煮物、黒豆の煮物などを持って来てくれた。笑って出迎えた妻が心づくしを手料理を見て泣き出した。「私、何にも分からなくなったの。何も出来なくなったの。みんな忘れちゃって」と。妻を抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と言って落ち着かせたAさん。「1月中頃にはグループホームに行くの。私は専門の人に面倒見てもらえるし、直ぐ近くかだから夫も会いに来てくれると言うからいいけど、一人になっちゃう夫のことが心配なの」「ご主人、この頃はなんでも出来るようになったみたいだから心配ないよ」と慰められてやっと泣き止んだ。
朝から頂き物の餅を何度も手で押さえて堅さをチェックしていた妻、昼頃になって「切りごろになった」と言って仕度を始めた。「私が切ろうか」と言うと「ずーっと私がやってきたじゃない、私の仕事を取らないでよ」と言って笑う。「切ったら何に入れるの?」「そうか、去年も使ったはずね」としばらく探しやっと見付け、慣れて手つきで餅を切り始めた。
午後、娘夫婦と孫娘が来た。前年までは一緒に買い物に行ったが、「この頃は通うところが多くなったので家にいたい」と一緒に買い物に行くことを断った。買ってきた物をテーブルに並べ始めた長女を見て、一転張り切りだした。箸を出したり、あれこれ言って自分が指図している積もりらしい。紅白が始まる頃、食卓を囲んだときの妻は長女や孫娘に語りかけ、元旦には次女も来ると聞いて喜ぶ姿はいつになく幸せそうに見えた。200101c.jpg

雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.31)
(アルツハイマー)

雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼。191231.jpg

「コブハクチョウが出てきた」と散歩がてらに出てきた友。「どこに?」と言ったらレンズに手を添えて「こっちこっち」と居場所を教えてくれた。コブハクチョウの子ども6羽が岸沿いに岡発戸新田の方へ向かう。191231a.jpg

今朝もハス群生地に来ていたオオハクチョウの群。二人だけの大晦日でも、やり残したことに急かされて家路へ。191231b.jpg


『一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」』 (2019.12.31)
「私は何をしたらいいの?」「どうしちゃったのよ、急に?」「私は何をしなきゃいけないか、何をしようとしてたのか、私には全然分からなくなった。どうしたらいいの?」「ちょっと、落ち着いてね。今、朝ご飯の仕度をしてるんだ。電子レンジで干し柿をチンしてよ。甘くなるよ」と干し柿をのせた皿を渡したら電子レンジを探してうろうろ。「これ?」と言ってオーブントースターに入れようとする。「電子レンジ・・・、電子レンジだよ」と言えば目の前にある電子レンジが見えていない。「これだよ」と電子レンジの扉を叩いたら、「えー、それに入れるの」と。ふと思った。干し柿は冷凍品でもなく、電子レンジで温めて食べるなんてイメージは湧かなかったのだろう。調理する道具じゃなく、食べるときのイメージで探していたのかも。しばらくして牛乳を温めるのには躊躇せず電子レンジを使っていた。止める間もなく温めた牛乳にインスタントコーヒーを一匙入れてかき混ぜていた妻。「コーヒーじゃなくてココアを入れるんだったでしょう」と言ったら、「今日はこっちの方がいいの。どっちだっていいでしょ、私が入れたい方を入れたって」と、間違えたんじゃなくてこっちがいいと言い始めたらもうダメ、やりたいようにさせておいた。
電子レンジで温めた干し柿を食卓に並べると、一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」と言って朝食前に一個食べてしまった。「切り干し芋だって火鉢の炭火で炙ったら甘くなったね」と言って、子どもの頃を思い出して、子どもの頃の食べ物のことを話し始めた。いつもと味が違うからか、インスタントコーヒーを入れた牛乳は最後まで残っていた。二個ずつ用意した干し柿は、「お昼にも食べる」と別の皿に取り分け、私の分の一個は妻の食後のデザートになってしまった。
貼るのを忘れないように食卓の隅においてあったリバスタッチパッチが姿を消した。「どこへ持って行った?」「知らない」「見つからないと今夜困っちゃうね」と言って一緒に探した。あるべきところに置いてないRセンターとの通い袋、もしかしてと二階に探しに行くと妻の日程表と一緒にあった。そして通い袋の中にリバスタッチパッチも。リバスタッチパッチの袋に日付を書いていたから、その日付とお便り帳の日付、予定表の日付を照合していたらしい。
昼食は冷凍のチャーハンを電子レンジで解凍。「私がやる」と皿に盛ってラップを掛け、電子レンジに入れた。「壊れちゃった」と言うので見に行ったら、レンジではなくオーブンの設定にして動かしていた。妻にとっては電子レンジとの相性が悪くなった日だった。191231c.jpg

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.30)
(アルツハイマー)

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼。桃山公園から眺めた曇天の朝。191230.jpg

ハス群生地にオオハクチョウは来ていたが、あちこちに分散していてまだ飛びそうにない。191230a.jpg

ぼつぼつハス群生地の桟橋前に集まり始めたオオハクチョウ。まだ小さな群があちこちに散らばっていて、飛び立つのを撮るのは諦めて家路へ。191230b.jpg



『笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ』 (2019.12.30)
一昨日夕食後の薬を飲んでから昨日朝まで水を飲んでいなかった妻、目は覚めていたが、直前まで空想の世界をさまよっていたらしい。「私はどこへ戻ってきたの? ここはどこ?」「どこにいるか分からないの?」「Rセンターじゃないし、W園でもないよね」「周りを見てごらん。まだ分からないの?」「我孫子だよね」「我孫子のどこ?」「あっちに大きな池があるよね」と南を指さす。「手賀沼のことかい?」「うん、手賀沼だった。段々分かってきたよ。私の家じゃないの」「はい、はい、お帰りなさい」「あぁ、私、宇宙遊泳してた」「どこへ行ってきたの?」「あっちこっち、どこだかわかんない」「あんたの子どもの名前を覚えてるかい?」「私の子? 二人だよね。AとL。一人は八王子、もう一人は、えーと、えーと、横浜だった」「ちゃんと憶えていたね。合格だよ」、やっと笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ。
桃山公園へ撮影に出掛けようとしたら布団から抜けだして玄関まで見送りに来た。「車で行くの?」「歩いて行くよ」と答えたら急いで二階へ戻っていった。自宅南側の畑の脇に差し掛かると、雨戸を開けベランダに出て両手を振っていた妻。手を振って応え、「寒いから早く中に入って」と言ったが聞こえなかったらしい。上空は晴、やっと東の地平線がオレンジ色に染まり始めた。
日の出まで撮って写真友だちと歩いて帰れば、一階の雨戸を開けていた妻が「見付けたぞ」と言っているのか両手で頭の上に円をつくって笑っていた。二階まで様子を見に行ったら、「寒かった」と言ってベッドに潜り込んでいた。朝食の仕度が出来たら、「あら、やってくれたの。ありがとう」とちょっとふざけながら食卓へ。少しハイになっているようだった妻。
「今日はね、出掛けなくていいからゆっくり新聞を見ていた」と言ってパソコンの前にいる私を覗きに来た。「コーヒーが欲しいね」と言ったら、「嬉しいね。私にだってできることがあった」と言ってコーヒーを持って来てくれた。昼食に写真友だちに頂いた長芋と、冷凍のうどん、シーチキンの缶詰、タマゴを使ってとろろうどんを電子レンジで作ろうとして、ワンステップずつ妻に頼んでやってもらった。出来上がると「久しぶりに料理をした」と大満足。じれったいのを堪えてでも、妻に出来るように仕事を分解してやってもらえば、自分にも出来たという喜びがあるようだ。後片付けだけは注意していないと後で難儀する。このときもナイフをどこに仕舞ったか分からなくなって、夕食前に二人で探した。やっと見付けて、「私って、そのときの気分次第で片付けて、どこにおいたか思い出せなくなっちゃった。頭がおかしくなって困っちゃうね」と言って照れくさそうにしていた。191230c.jpg

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.29)
(アルツハイマー)

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼。191229.jpg

風が吹いて波立てばブルーになった風の通り道。191229a.jpg

雲間に日の出、お供え餅のようになった太陽。191229b.jpg


『じゃぁ行ってくるからね』 (2019.12.29)
早朝の撮影に出掛ける前のひとときをもう目覚めていた妻と話した昨日朝。頭は痛くないしすっきりしていると言い、夜の水は全部飲んであった。Rセンターに行く日だと伝えると早く起きて仕度をすると言い、自宅からRセンターへの道筋を語り始めた。以前は建物の名称や地名を言っていたのに最近は「あっち」「こっち」と頭の中の地図をなぞるような仕草をするようになった。
撮影から戻ってくると雨戸を開けていた妻、私が手を振って呼んでも気付かない。帰宅すると、「今日Rセンターに行くのを最後にして来年から行くのをやめる」と言う。「行くのがいやになったの?」「いやじゃないけど、来年になったらじきに新しいところに行くからもうやめてもいいかと思う」「ケアマネージャのMさんの計画は来年三回通うことになっているから頑張ってもう三回行こうよ」「そうか、じゃあ行くけど、新しいところが決まってから行くのが面倒になっちゃった」と言う。グループホーム入居が決まって、新しい生活が始まることばかり考えているから今まで頑張っていたことがどうでもよくなってしまったのだろうか。
9時少し前、Rから迎えの車の到着予告の電話があり、玄関前に出て二人で待っていたら迎えの車ら見えた。咄嗟に私の姿を見付けられなかったのか、「来たよ、早くおいでよ、じゃぁ行ってくるからね」と言って元気よく出掛けた。
午後、グループホームKのOさんから電話、1月10日に提携先のH病院へ契約しに行くようにと連絡があった。先週Y内科のY先生に紹介状を頼んであったのでいつもらえるか確認の電話をする。すでに先生は年末の休みに入り、1月6日の妻診察予約日には確認できるとのこと。一つ一つ妻のグループホーム入居の準備が進む。
4時20分頃妻帰宅。元気に戻り、用意しておいたアイスキャンデーを食べながらRセンターのことを話してくれる。「朝一番に入浴、一人ずつ呼ばれてリハビリの体操、待っているときは大勢の中の一人なので名前も知らないし、必要以外のことを親しく話すこともない。グループホームに入ったら少人数なので人との触れ合いがあるのが楽しみ。少人数になるとそれなりの気遣いは必要だろうが、慣れれば大丈夫だと思う。W園に何度も泊まったのはいい訓練になっている。家を離れるのはつまらないと思わず、新しい生活が始まると思うことにする」と、自分に言い聞かせるように語る。「まだ自分のことが分かっているから、私は新しい生活に入ることは大丈夫。私のことであなたの負担が軽くなると思うと気が楽になるが、あなた一人を残して、一人暮らしさせるのは申し訳ないと思う」と言う。グループホームに入ることになってからずっとそんなことを考えていたのだろうか。191229c.jpg

ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.28)
(アルツハイマー)

日の出直前になって、周りにいた人たちが今か今かと日の出の方向にレンズを向けて待っていたとき、ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群。191228.jpg

飛び立って高く上昇したオオハクチョウに朝日が当たって赤く輝く。191228a.jpg

オオハクチョウの群が小さくなって消えたら、岡発戸新田の突端の向こうに日の出。191228b.jpg


『干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声』 (2019.12.28)
昨日早朝、前夜用意しておいた水は全部飲んであり、目が覚めて長女と次女のことを考えたら、名前も住んでいるところも直ぐに思い出せたと妻は言う。二人が横浜から我孫子に転校してきた頃を思い出して語り始めたら、長女の名前が急に出てこなくなり、しばらく考えて孫娘の名前を言った。「それ、孫の名前だよ」と言ったら「せっかくいろいろ思い出したのにまたごちゃごちゃになっちゃう」と頭を叩く。孫の名前を何度か呟き、やっと長女の名前を思い出した。次女の男の子二人については何も思い出せず、「長いこと会っていないから忘れちゃった」と。
朝食の仕度をしていたら手伝いに来たが、ふっといなくなり朝食の仕度が出来ても戻ってこない。探しに行くと洗濯機を始動してから柔軟剤を入れようとしていた。残り少なくなった柔軟剤をボトルのキャップに入れ所定のメモリになるまで水で薄めていた。それではダメだと説明しても、量が足りないから増やしているのだと言い張る。大きな問題ではないからやりたいようにさせておく。一時、洗濯機のボタンの使い方が分からなくなったが、ここ数日また出来るようになった。「動かせるようになったね」と言えば「体が覚えていた」と。
朝食後は電気カーペットの上で新聞を広げて見ていて、洗濯が終わってももう忘れてしまった様子。朝食後の食器洗いも、洗おうとした私を制止して妻がやると言ったのにそれも忘れて新聞とにらめっこ。覗き込むと、「字は全部読めるよ。意味だって分かる」と言っていたが、記事を読み終わって何が書いてあったか内容は覚えていない。字を読めて、意味も分かることを確かめているのだろうか。
午後も新聞を見た後、Rセンターのお便り帳と妻の日程表を見比べていたが、お便り帳を入れてあった通い袋が見当たらない。妻と二人であちこち探したら読み終わって積んだ新聞の間にあった。それを見て「なんで私はこんなことをするんだろう。頭がおかしくなっちゃって何にも分からなくなった」と泣き出した。Rセンターに出掛ける直前に見つからなくて慌てて探したことも何度かあり、置く場所を決めているがそれでも見当たらなくなることが多い。今が何月何日か分からなくなるから、お便り帳の最後の記入日を見て日程表の次回に行く日と照合しているようだ。
ここしばらくRセンターに行き、W園に行き、二ヵ所の病院に行き、年が明ければグループホームに入る予定があり妻は混乱しているようだ。紙に書いてくれと言われ、貰ったばかりの来年のカレンダーにグループホームに入居までの日程を二人で書き込んだ。
夕方になって、朝洗濯した物がそのままあるのを見付け、干そうと二階まで運んだが、雨戸を閉めようとしてまた忘れてしまった。うかつに手出ししたり指摘するとまた失敗したと泣き出すので、苛つく気分を押さえて見て見ぬ振り。やっと気付いて干そうとしたが、ピンチハンガー一個を持ってあちこちうろうろ、「どうしたの」と声を掛けたらもう一個のピンチハンガーを探していた。「さっき二階に持って上がったよ」と言うと、笑ってごまかし二階へ上がった。干し終わって振り返ったら階段においた干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声。191228c.jpg

赤いテールランプが次々通り過ぎる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.27)
(アルツハイマー)

6時15分を過ぎても桃山公園の高台から見下ろす景色は暗く、下の道を通勤の車の赤いテールランプが次々通り過ぎる。191227.jpg

霧で対岸も見えない沼にまた小雨が落ち始めた。傘を差し数枚撮った雨の手賀沼。誰も来なかった高台。191227a.jpg

未だ暗い林の中の小径を抜ければ、街灯に照らされたマユミの木の紅葉が鮮やか。いつもならラジオ体操をする人たちも来ていない。191227b.jpg


『両手を挙げてバンザイをした妻』 (2019.12.27)
妻の様子を見に行った昨日早朝、夕食後に用意した水は半分以上残っていた。コップ一杯の水を飲ませようと手渡したら、「私には子どもがいるの?」と寝ぼけ顔の妻。「いるよ、二人も」「二人も?」「上がA、下がL。八王子と横浜にいるじゃない」「AとLは私の子?」「そうだよ」「私は子どもを生んだのを憶えていないけど」「そうか、生んだと言うより帝王切開で取り出したからね」「二人は私の子なんだ。嬉しい。子どもがいないと思っていたから悲しかった。AとLはお父さんの子だから手伝いに来てくれて、私に親切だと思っていた。私とあんたの間に生まれた子だよね。いい子がいて嬉しい」と一気に言って泣き出した。目が覚めたばかりだからか、二日続けて夜の水分補給が少なすぎたのか、妻の言葉にびっくりさせられる。やっとAとLが自分の子どもだと思い出し、横浜の片倉台団地の風景も思い出したが、Aを等々力のナオミ保育園に、片倉台団地に住んだ頃に二人を育和幼稚園に通わせたことどころか、二人を育てた記憶すら思い出せなかった。
近所の桃山公園から手賀沼を撮って帰宅し、妻のところに行くとベッドに腰掛けRセンターの新年会のパンフレットを見ていた。私に気づき、「私には二人の子どもがいたよね。一人はAで、もう一人はL、Aは八王子に住んでいて、Lは横浜に住んでいるよね。ずっと考えていて、やっと思い出した。ここまでは正しいよね?」「正しいよ。思い出せたじゃない」「よかった」と言って上半身を起こし、両手を挙げてバンザイをした妻。「でもね、どうしても娘二人の顔が思い出せないの」と言って考え込む。「大丈夫だよ、思い出すさ。後で子どもたちの写真をプリントして貼っておくからね。今日はRセンターに行く日、9時には迎えの車が来るから早く起きて仕度しようね」と言って台所へ向かう。
朝食中もはしゃいだ様子で娘二人のことを一人でしゃべっていた妻。8時30分になったので急かせて二階へ追いやった。9時少し前、Rセンターから10分後に迎えに来ると予告電話。やっと仕度が出来た妻と自宅前に出ると間もなく迎えの車が到着、元気に迎えの車に乗り込み、窓越しに手を振りながらデイケアに出掛けた。Rセンターにデイケアで通うのもあと4回になった。191227c.jpg

水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.26)
(アルツハイマー)

曇天の沼はいつまでも暗く、水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ。191226.jpg

対岸の丘の上に成田着の順番を待つ飛行機の灯り、順番が来ると左に向かってゆっくりと下降。191226a.jpg

ピッポーピッポーと近寄って来る音、下の道を覗けば通り過ぎる救急車の赤いランプ。191226b.jpg


『私の頭の中には今しかないの』 (2019.12.26)
昨日早朝撮影に出掛ける前に妻の様子を見に行ったら、ベッドに腰掛けテレビを見ていた。「頭の具合はどう?」と訊くと、「少しガーンとするけどよくなって、頭はすっきりしている。何か思い出そうとするとガーンとなる」「ガーンとなると痛いとか吐き気がするとかして気持ち悪くなるの?」「痛いとか気持ち悪くなるんじゃなくて、ガーンとして頭の中がごじゃごじゃになる」と。どうやら『頭がガーンとなる』と妻が訴えるのには二種類あるらしいと、数日前から感じ始めた。一つは『風邪を引いたみたいで、頭がガーンとする』ともう一つは『頭の中がごじゃごじゃになってガーンとする』で、前者は頭痛や吐き気とかめまいを伴う身体的なもの、後者は何かを考えたり思い出そうとして訳がわからなくなって狼狽するような気分的なものらしい。
撮影から戻ると雨戸を開けていた妻、「もうすぐ朝食にするよ」と言うと着替えに寝室へ戻ったが、仕度が出来ても戻ってこない。見に行くと、朝食のことは忘れてベッドに潜り込んでいた。
朝食後、睡眠不足の私がテレビの前で居眠りしていると、その間に洗濯をしていた。黙って見ていると居間に戻って新聞を読み、何日分か眺めた新聞をたたんで積み重ねていた。予定表に目が行くと予定表を手に取り新聞の日付と見比べて、「Rセンターにはいつまで行くの? いつからグループホームに行くの?」「Rセンターには1月9日まで行って、グループホームには1月12日に入るよ」と説明したが、しばらくするとまた何度か同じ質問を繰り返す。私が食器洗いをしようとすると、「それ、私の仕事、やらないで」と制止する。立ち上がって食卓の周りを覗き込み置いてあるものを並べ替え始めた。もう食器洗いに立ったことは忘れたらしい。次々といろいろなことが気になるらしく、次々とやりかけのことが増えて行く。いちいち注意すると不機嫌になるから私は黙って見ていた。
体調がよくなってから活発になった妻、私が物置の不要なものを捨てて作った空きスペースに、またいろいろな物を突っ込み始めた。もしかして、私が不要になった物を探し出して捨てるのを、妻が責められているとでも感じているのだろうか。年内に物置を整理するつもりだったが中止、妻をグループホームに送り出した後まで待つことにした。私が整理し終わっていたところまで妻が手を入れようとしたので、「どうして今やるの?」と声を掛けたら、「私の頭の中には今しかないの」と、昨日言った台詞を繰り返した。
夕方、テレビを見入っていた妻を残してパソコンの前にいたら、「コーヒーを持って来たよ」と妻のにこにこ顔。片手にはせんべい二枚とミカン一つ。
午前中、グループホームKのOさんからベッドのリース代は8000円/月と連絡があった。同じ系列のグループホームを見学しに行ったとき3000円/月と聞いていたので代案の検討をお願いしたら、新品ではなく中古品だったら3000円/月の業者を見付けてくれ、それで十分だと説明してくれた。後日リース業者と契約することにした。着々と妻のグループホームKへの準備が進み、妻が自宅にいる日も残り少なくなってきた。191226c.jpg