早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.9)
(アルツハイマー)

5時30分になってやっと東の空が微かに色づき始め、まだ星が幾つか見える。早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面。191209.jpg

コブハクチョウの子どもが二羽飛来したら、岸辺の葦の陰から出てきた親子六羽。岸近くに見え隠れしながら岡発戸新田の釣堀の方に消えた。191209a.jpg
やがて雲の上に日の出、出たら眩しいが直ぐ上にはまた雲。191209b.jpg


『私の字だから私が書いたに違いないけど』 (2019.12.9)
早朝の撮影から戻るとベッドに腰掛けてノートを広げていた妻、テレビで雪かきの場面が映し出されたら画面を指さし「おお寒い」と言ってベッドに上がり足に毛布を掛けた。「これ、私の字だから私が書いたに違いないけど、私は病院に入っていたの?」、9月2日の日付を見て「入院していたよ」「どうして?」「8月29日夜にお腹が痛くなって救急車で運ばれそのまま入院したよ」「入院してたことは憶えてないけど、救急車に乗って市役所の角を曲がったこと、誰かが入院って言ったのをきいたような気がする」「何度も話しているけど、入院したことは直ぐ忘れちゃうね。退院して帰った日にも、夜になったらどこから帰ってきたか忘れて、病院にいたことを思い出せなかったよ」「全然憶えていない」と不思議そうな顔をする。つらく、いやなことだったので消し去ってしまったのだろうか。信じられないというように首を横に振りながらノートのページををめくっていた。
二度寝してしまったと言ってパソコン作業をしていた私の前に来た。「あなたの姓は何だった?」「今村だよ」「私は子どものころ中島さんって呼ばれていたのに、なんで今村さんって呼ばれるようになっちゃったの?」「私と結婚したから」「そうだよね。なんで子どもの頃中島さんで今は今村さんか考えていたら分からなくなっちゃた」と言って、暫く経ったら「子どもはいたの?」「娘が二人いるじゃない」「えっ、二人も?」「Aが長女で、Lが次女」「どこにいるの?」「八王子と横浜」「場所を聞いたら段々分かってきた。今、八王子の道にいるからもう直ぐAの家、道は思い出したけど子どもの顔を思い出せない」と独り言。「あっ、思い出した。嬉しいね、こどもがいるのは」と、段々目が覚めてきたようだ。それにしても私が夫であることが分からなくなっていたとはびっくりだ。最近、二度寝すると夢を見ているようなことを言うようになった。
朝食後に始動しておいた洗濯機が止まったら洗ったものを干してくれと頼んだが、案の定忘れてテレビを見ていた妻。「洗濯機が止まったから干して」と頼んでしばらくしたら半泣きの顔で戻って来た。「洗濯物を干すのにベランダの手摺りを拭いていたら埃で雑巾が真っ黒になった。私が何にもしなくなったから、こんなに汚れた家にあんた一人を残して行くと思ったら悲しくなって泣けてきちゃった」と言って雑巾を見せた。「大丈夫だよ。この前洗濯したときも拭いてくれたけど、風の日があって畑の泥が飛んできて、その後雨も降った。心配しなくていいよ」と言ったがなかなか泣き止まない。グループホームに行くことになって、自分が行くことは受け入れたが、私が一人残っていて困らないかあれこれ考えているようだ。191209c.jpg






オレンジ色に染まった東の空と沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.8)
(アルツハイマー)

未だ暗い桃山公園の高台に立って数分も経ったろうか、オレンジ色に染まった東の空と沼。191208.jpg

岸近くを泳いで行った三羽のコブハクチョウの子、岡発戸新田の釣堀近くに来ていた親子5羽に合流。191208a.jpg

やがて輝きだした地平線の雲の縁、雲から登れば眩しい日の出。191208b.jpg


『私はいつからここに来たの?』 (2019.12.8)
昨日朝、撮影から戻って妻の様子を見に行くと、ベッドに腰掛けテレビを見ていたが雪景色が映し出されると、「おお、寒い。雪が降ってる」と言って布団に潜り込んだ。「今日は月曜日?」「土曜日だよ」「火木土の土曜日か、Rに行く日だよね」「そうだよ」「じゃぁ、起きなきゃ」と言ってやっと布団から出た。
朝食を食べながら「私はいつからここに来たの?」「ここってこの家のこと?」「そう」「もう38年くらい前、横浜から引っ越してきたよ」「そんなに前じゃない、最近来たよ」「それじゃ、入院したりWにお泊まりに行ったときのこと?」「えっ、入院してたの?」「8月29日に救急車でT病院に運ばれて、9月13日まで入院してたよ」「全然憶えてない。WはRの近くで1号室に泊まってたけど、どのくらい泊まってたたの?」「10月に5泊6日、11月にも5泊6日」「また泊まりに行くの?」「12月も16日から5泊6日、1月になったらグループホームKに行くことになってる」「Kってどこだった?」「消防署の先、一緒に見学に行って、いいところだから入居の申し込んできたよね。空きが出たから入れてくれることになったの」「分かった、ずっと泊まるところね」「そう、そこに入ったら、ここから近いから、私が散歩の途中に寄って会うことも出来るし、外出して一緒に食事に行くことだって出来るよ」「私は大丈夫だけど、あんたが一人になったらここに住むんでしょ。ちゃんと掃除して、洗濯もやって、ご飯もちゃんと食べなきゃダメよ」と、この話になると毎回一人で暮らすことになる私のことを心配してくれる妻。
「もう8時20分だよ、9時には迎えに来るから仕度しなくちゃ」と言うと着替えとお化粧をしに二階へ上がっていった。Rとの間の通い袋に昼食後に飲む薬を入れ、玄関の鍵と一緒にテーブルの上に置く。テレビを見ていたら睡魔に襲われ居眠り、遠くで鳴る電話呼び出し音に応答しようとしたら妻が二階で先に応答。「10分後に来るって」と言って降りてきた妻の手荷物をチェックして、鍵と通い袋を手渡す。元気よく迎車に乗り込み、発車したら手を振っていた。4時30分頃戻ってくるまでの間が、自分のことと家の中の雑用。妻が心配する一人で生活する最低限の術はこの時間の中で一通り出来るようになったと思うが甘いかな。191208c.jpg

のっぺりと空一面を覆う雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.7)
(アルツハイマー)

暗い曇天の朝、桃山公園の高台に着いたのは6時だったが、いつまでも暗い沼には鳥もいないし撮りたい景色も見つからない。のっぺりと空一面を覆う雲、所々地上の灯りに照らされたて僅かに黄色。191207.jpg

土曜日でも下の沼沿いの道は車が多い。山裾に遠くで点滅する灯り。191207a.jpg

望遠で撮ったら点滅していた灯りはスカイツリー、東京はもう雨か霞んでいる。191207b.jpg


『懐かしいね、手作りのお料理』 (2019.12.7)
いつもは宅配弁当だけの夕食がいつになく豪華だった昨日の夕食。夕方、写真友だちからいただいた里芋、人参、鶏の手羽などの煮物と白菜の漬け物。食卓に並べたら、「懐かしいね、手作りのお料理」と妻。「ガスコンロが壊れちゃってからお料理が出来なくなっちゃったものね、うちじゃぁ出来ないね」と言いながら小皿に取った。里芋を一口食べて「おいしい」と。
料理をしていることを途中で忘れ何個かの鍋を焦げ付かせ、近くにおいた鍋つかみ用のグローブを焦がしたり失敗も増えて来て、あるとき衣類の袖を焦がしてからガスコンロを使うのを止めた。私が見ていないときについ使ってしまうので娘とも相談して点火用の電池を抜き元栓を閉めた。妻にはガスコンロが故障したからと説明してから久しい。時たま「ガス会社に頼んで直して貰おうか」と言われると、妻から料理することを奪い、嘘をつき続けていることが後ろめたくなる。最近は自分の物忘れ対策でガスコンロを使えなくしてあるとうすうす気付いているらしい。グループホームに入ることになってからの生活について話し合っていたときに、「ガスコンロは直さなくていいよ、私がいなくなって使い慣れないあんただけになったら消し忘れたりして危ないから」と言ったことがあった。私が電子レンジで出来る料理は単身赴任時代に憶えた冷凍食品の解凍がほとんどだったが、最近は半熟の玉子や焼き芋だってできるようになった。そんな私を見ている妻は、「スーパーに行ったら出来たてのお総菜もいっぱい売ってるし、冷凍食品のまとめ買いじゃなくてちょっとずつ足繁く買いに行った方がいいよ。一人になって手抜きばかりしちゃダメよ」と私のことを心配している。
私が気にしすぎているかもしれないが、妻が水の飲み方が少なくなったときは喉が渇いていないと言うし、ぼんやりと空想の世界に入り込むことが多い。ここ二日ばかりは水をよく飲んだからか、「頭がすっきりしてきた」と言って行動も積極的にななった。医学的には常識になっていないかもしれないが、一関単身赴任時代にお世話になった友のコメントも参考にして、水にこだわっている。
『認知症入居者が多くいる施設経営者が一日1500リットル飲んでいると確実に症状が改善すると言っていて、介護業界では常識化しているようすでした。他方、知り合いの精神科医からはそんなの常識になっていないとの指摘もうけました。たしかに認知症の患者も扱う精神科医が知らないのであれば、まだ、「常識」にはなっていない様子。逆に無理やり飲ませたら誤嚥のリスクが高いという指摘も受けました。しかし、多くの方を接している施設が採用しているようなので、理論はどうあれ、実践的に改善するのであれば、やってみるにこしたことはないだろうとは思います。施設では無理に飲ませるのではなく、ジュースとかお茶とか普段の生活で水分を多くとるようなライフスタイルにしているとのこと。(2019.11.2 渡辺清文さんより)』191207c.jpg

街灯の光が漏れる高台風景

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.6)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着くと沼を撮るにはまだ暗すぎ、街灯の光が漏れる高台風景を撮る。先月亡くなった森かずおさんに連れられて18年前、初めてここから沼を撮影した。当時は松林の枯れススキを掻き分けて杉林に入り、林床に落ちた枯れ枝を踏みながら林を抜けると眼前に広がっていた沼に感動したことを思い出す。今では公園になって誰でも簡単に撮影に通えるようになった。191206.jpg

ようやくカメラのピントが合い始めて撮った曇天の下の沼。成田着便の灯りが何機も旋回し、一機ずつ空港に向かって下降。191206a.jpg

遠くハス群生地にいつもより少ないオオハクチョウ。191206b.jpg



『雨戸を開けて手を振っていた妻』 (2019.12.6)
昨日朝、着替えていて気がついた。洗濯が終わったものを分類もせず積み上げ、着る時に引き抜いていたのが四つに分類してきれいに積んであった。妻が雨戸を閉めに私の寝室に入ったときやってくれたようだ。妻の様子を見に行き、「私の衣類を整理しくれてありがとう」と言ったら、「憶えてないけどやってあったのならそういうことに気がつくようになったんだ。風邪が治ったような気分で頭がすっきりしてる。いろんなことに気がついてやろうとする気になった」と、二日続けて夜の水をよく飲んだ効果だろう。だが、「今日はどこへ行くんだった?」「Rに行く日だ」「Rってどこだった? いつから行ってる?」といつもの問答。「目が覚めたら思い出すよ」と言って早朝の撮影に出発。玄関まで見送りに来て、「二階の雨戸を開けて手を振るからこっちを向いてね」と言って階段へ急いだ妻。自宅南側にある葱畑の先を歩いていたら、雨戸を開けて手を振っていた妻。手を振って応えると寒かったのだろう間もなくガラス窓を閉めた。
帰宅すると、家中の雨戸を開けてから、Rへ行く持ち物の仕度をしていた妻。「Rってどこ?」とからかったら、目を閉じて地図をなぞるように宙を指さし自宅からRまでの道を説明した。Rから迎えの予告電話が来ると待ちきれず自宅の前に出て待ち、元気に出発した。
Rから帰宅してしばらく新聞を読んだ後、「いつから新しいところに行くことになった?」「まだ契約が済んでいないから決まっていないけど1月上旬だと思う」「いつ契約するの?」「9日にY内科で健康診断書用の検査をして、19日にA(長女)が来て私と一緒に契約に行く」「近くに入れることになってよかったよ。私は他人とはうまくやれるから心配ない。他人と一緒に暮らすのは学生の頃の寮生活や職場で経験してるから」と、自分に言い聞かせるように話す妻。「いつ家に戻れるの?」「子どもたちが泊まりに来たり正月などは外泊届けを出して家に戻れるよ。私と一緒に外出して、家に寄ることだって出来るよ」「そうだね、その方があんたも私も楽になるね。たまには家に見に来ないとあんたがどんな生活をしてるか心配になるものね」と、もうグループホームに入った後のことを話す。昔から、私よりも気持ちの切り替えが早く、一旦決めたら前向きに走り出す妻の性格は全く変わっていなかった。191206c.jpg

早起きのコブハクチョウたち

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.5)
(アルツハイマー)

地平線の空がオレンジ色に染まり始め、沼に映ってオレンジ色の水面。早起きのコブハクチョウたちが岸沿いに泳ぎ通り道を譲ったコガモたち。191205.jpg

刻々と色濃く染まる地平線の空と沼、風が沼を渡り通り道はブルー。191205a.jpg

眩しい日の出、南に斜めに向かいながら昇る太陽が鉄塔の天辺に乗った。191205b.jpg


『十数年前を思い出して語り始めた』 (2019.12.5)
昨日早朝、手賀沼撮影に出掛ける前に妻の様子を覗きに行ったら、目は覚めてテレビを見ていたが寒いから起きるのはいやだと布団を顔まで引っ張り上げた。「朝食が済んだら桃山公園に散歩に行くから7時になったら起きてね」と声を掛けたら、「はーい」と手だけ布団から出して振っていた。
撮影を終わって友と歩いて戻る自宅近くの道、「奥さんが手を振っている」と教えてくれた友。葱畑の向こうて2階の雨戸を開けながら手を振っていた妻。庭のオカメザクラの木にヒヨドリ三羽が来て止まり、撮っていたら、私に教えようとして指さしながらベランダに出てきた妻、撮っていたヒヨドリには逃げられてしまった。
朝食後、妻を誘って桃山公園に連れ出すと、沼を眺め「藤棚の下を通って遊歩道に出て、滝下広場を通ってどんどん行って、終点の橋でラジオ体操をして帰ってきたんだ」と十数年前を思い出して語り始めた。公園の広場を一回り、近所のコンビニに寄って昼食のそば、朝食用のパンやサラダを買って帰宅。
昼食のあと、近所の妻の友人が紅葉を見に行こうと妻を誘ってくれ、助手席に乗せてもらって紅葉を見たり、曙調整水門から沼を見てきたと。帰り道スーパーで買い物をした友だちに借金し、パン、おでん、羊羹、クッキー、煮豆の総菜を買ってきた。うかつにも「今朝散歩の帰りコンビニでパンを買ったよね」と言ってしまった。笑いながら妻が「忘れちゃった、このごろはみんな忘れちゃうんだな」と言ったら、「冷凍にして置けば賞味期限が過ぎても大丈夫」と横から助け船を出してくれた妻の友だち。「羊羹は娘が来たときのお土産、おでんはそのとき食べるの」と言っていたが、食パンをいつも置く場所に持って行ったら買ったばかりのパンがある。パンは買ったばかりだったと私が言ったことで失敗を指摘されたという思いが残っていたのだろう、「私って馬鹿ね、また同じもの買って来ちゃって怒ってるんでしょ。悲しいよ、こんなに直ぐ忘れるようになっちゃって」と言って泣き出す。いつまでも泣いているので、リンゴ黒酢を水で薄めバウムクーヘンを一切れ添えて渡したら、一口飲んで「おいしい」と笑顔になって泣き止んだ。
夕食前に食パンが二袋あるのを見て、「どうしてこんなにたくさん買っちゃったの?」と私を問い詰めるような口調。もう泣かせないようにしようと思って、「ごまの入ったパンがおいしそうだったからね」と答え、朝買ったパンを冷凍庫に入れた。「今日は散歩で桃山公園から手賀沼を見たし、Aさんに連れて行ってもらってまた沼を見て、よく沼を見た日だね」と言ったら、「えっ、誰と行ったの? 憶えていないよ」「私と散歩に行ったし、Aさんの車に乗せてもらってまた行ったよね」と言ったらしばらく考えて、「Aさんが来たような気がする」と言ったが手賀沼を見に行ったことは思い出せなかった。191205c.jpg

地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.4)
(アルツハイマー)

いつもより早めに桃山公園の高台に立てば、まだ上空に残っていた幾つもの星。地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星。191204.jpg

オレンジ色に染まった沼を風が渡れば水面はブルー、やがて地平線の雲から眩しい日の出。191204a.jpg

雨戸を開けようとして帰宅する私を見付け手を振る妻。オカメザクラの木に数羽のヒヨドリ、撮ろうとすればベランダに出てきて指さす妻、逃げちゃったじゃないかヒヨドリが。191204b.jpg


『車が来たから行ってくるよ』 (2019.12.4)
昨日朝、妻の様子を見に行こうとすると階段に水差しとコップが置いてあり、昨夜は全く水を飲んでいなかった。とりあえずコップ一杯飲ませる。私が近所の公園に写真撮影に出掛けようとすると、見送りに玄関まできて手を振っていた。
帰宅するとRへ持って行く予備のショーツがないと探していた。まだ失敗はしていないが失敗することを極端に気にし始め、通販で購入しておいた尿漏れ吸水機能のあるショーツも箱に入ったまま見当たらなくなった。二人で探したら、段ボール箱に入れ上に衣類が乗せてあるのが見つかり、安心のため使い始めることにした。
9事20分にRから迎えの予告電話、10分後迎えの車が来るのが見えたら指を差し「車が来たから行ってくるよ」と車に乗り込んだ。スタッフの方が降りてきて、バッグの中に玄関の鍵がないと言ってきた。家中を探したが見つからず、妻が手に持っているのが分かって無事出発。周りの騒ぎを聞き流し鍵を握ったまま座席に座っていた妻。
4時30分、デイケアから戻って来たらよくおしゃべりはするが、何かやろうとしても何をやろうとしていたのか忘れてしまう。夕食の仕度を始めたら積極的に介入しようとするが、頼んだりやって欲しいことはやってくれず、やって欲しくないことに手を出す。夕食は宅配弁当にスープと若干の果物を添えるだけなのに、冷蔵庫から次々食品を取りだして並べる。「これは朝食べようね」「これは昼に食べようね」と言って冷蔵庫に戻す私。以前は「やめて」と言うと「叱られた」と言って泣き出した妻を見て、もう言うまいと決心したがたまには禁句が出てしまい妻を泣かせることもあった。
グループホームKの方が健康診断用紙を届けてくれ、9日のY内科診察日に検査してもらうことにしたと夕食中に妻に話した。一瞬Kのことが分からなかったが場所の説明をしたら思いだして「早く入れることになってよかった。私は大丈夫だが、あんたが一人暮らしになってちゃんと食事や洗濯が出来るか心配だ。ごめんね、私がこんなになっちゃって」と言う。妻が何度か言っているように、「自分の状態と周りのことが分かる内に施設に入った方がいい。分からなくなってからだと自分がどういう行動をするかわからない」と言うのは正解だと思う。10分経つと忘れるが、五分くらいまでだとまともな会話が出来る。191204c.jpg

東の地平線に沿ってちょっとだけ青空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.3)
(アルツハイマー)

天気予報は晴れなのに、桃山公園の高台に立てば上空に黒い雲。東の地平線に沿ってちょっとだけ青空。191203.jpg

青空が見える雲の隙間が大きくなって、上空に迫ってきた黒く低い雲、ポツリポツリと落ちてきた雨。191203a.jpg

地平線の雲の上に日の出、眩しくて辺りの景色は暗転。191203b.jpg



『グループホームに入る決心をした妻』 (2019.12.3)
ブログにアルツハイマーを病む妻のことを書き始めたのは7月14日、ケアマネージャMさんから紹介されたグループホームVとKの二ヵ所を見学して申込書を提出した日だった。昨日午前中Kから電話、「空きが出ましたがいかがいたしますか」と。咄嗟には返事できなくて数日の猶予を頂いて妻に話した。自宅からの地図を書いてやるとおぼろげながら施設を訪問したときのことを思い出した。9月に16日間入院して以来、急に認知機能が低下し始め、物忘れや出来なくなったことが増えたことを自覚している妻は、「何も分からなくなってからよりも、まだ自分のことや周りが分かる内にグループホームに入った方がいい」と言って決心、地図の脇に「よろしくお願いします」と書いてサインした。早速、ケアマネージャのMさん、娘二人に連絡し二人も喜んで同意、Kに電話でお願いすることにしたと連絡した。契約には健康診断書が必要と聞いてY内科に電話して9日の受診時に必要な検査をお願いした。これで先々に対する不安が一つ解決できほっとしたことと、長年一緒に暮らした妻と別々に暮らすようになる寂しさが入り交じった複雑な気分。ブログを書き始めちょうど100回目を書いた日だった。
昨日朝、妻の様子を見に行くともう目覚めてベッドに腰掛けていた。テレビのリモートの使い方が分からなくなったと私にリモートを差し出し、テレビを点けた。桃山公園に撮影に行き、戻って朝食の支度をしていると、二度寝したらしい妻が台所に降りてきて手伝ってくれたが、前日まで出来ていたことが出来なくなり戸惑う妻に、出来そうなインスタント味噌汁に湯を注ぐのを頼む。湯を注ぐ気配がないので振り返ると涙ぐんでポットの前に立っているので、「どうしたの?」と声を掛けたら、「こんな自分じゃなかったのに、悲しいよ」と涙ぐむ。日々認知機能が衰えてゆくのを自分でも分かっているだけにつらい妻、どうしてもやれない私の苛立ち。
夕食時にグループホームKのことを話すともう忘れていた。もう一度最初から話し、二人の娘も安心できると喜んでいたと言うと、「それを聞くと嬉しくて涙が出るよ」と言う。「Kに入っても近いからしょっちゅう私が会いに行けるし、娘たちや孫たちが来るときは外出や外泊で家に来ることだって出来る」と言えば、「私は学生の頃寮にいて一人でいることに慣れているよ。それより男のあんたが一人暮らしする方がよっぽど心配だよ」と笑っていた。191203c.jpg

霧が出てうっすらと見える対岸

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.2)
(アルツハイマー)

曇天だからいつもより遅く桃山公園の高台に行く。霧が出てうっすらと見える対岸。コントラストの少ない沼風景はピントが合いにくい。191202.jpg

霧は更に濃くなって、ネコの木の上の雲間が赤くなり、またすぐに消えた。191202a.jpg

帰ろうとすると、霧の中から沼を渡って飛んできたカワウ。利根川に向かうのだろうか。191202b.jpg


『ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた』 (2019.12.2)
昨日早朝、妻の様子を見に行ったら前日の新聞を見ながら、「よく眠れたから頭がすっきりしている」と言った。「今どこにいるの?」とからかうと「我孫子の自宅。ちゃんと分かってるでしょう。今朝はどこにも行っていないよ」と言って、ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた。
朝食の支度を始めたら、「また眠っちゃった」と言いながら台所に来て、「あとは私がやる」と割り込んできたので後ろに下がって見ていた。サラダを盛りつける器が小さすぎると食器棚に行って持ち帰ったのはもっと小さな器だった。入れるものの量を見てから食器を選ぶまでに、入れるものの量を忘れてしまうのだろうか。冷蔵庫から食品を取り出すときも、食べる量にふさわしくないほどいろんなものを運び出して並べる。「そんなに食べられないでしょう」と言ったら、「分からない。考えてから支度することなんかできなくなった」と言い訳。言い訳じゃなくて今の妻は本当にそうだろうなと思った。食事が終わるとテレビの前に座り込み、今日は洗濯と掃除をすると言っていたことは忘れてしまったようだ。
昼食の近くになったら、パソコン作業中の私のところに冷凍のスパゲティも持って「お昼、これでいい?」と聞きに来た。一昨日の昼食と同じものなので、「友だちにもらったばかりの餅があるからそれにしようか」と言ったら一旦戻り、「さっき何を食べると言われたか忘れちゃった。これだった?」と言って冷凍のチャーハンを持って来た。一緒に台所に降り、単身赴任時代に憶えたメニュー、どんぶりに餅と薄めためんつゆを入れ電子レンジで加熱し、若干の具を入れる方法を説明しながらやってもらった。「ガスコンロがあればもっと楽なのに、今度ガス会社に直してもらってね」と言った妻、何度か危ないことがあって点火用の電池を抜いて、妻には故障したと言ってあった。うすうす私の嘘を見抜いていたのか、「一緒にいるときだけ使うようにしたら危なくないよね」と呟いた。
宅配便が届き、直後に宅配弁当が届き受け取った請求書を私のところに持って来て、戻ると回覧を見ていた。気がつくと私の妹から来た冷凍食品のお歳暮を開けたまま放置して回覧を読んでいた。早く気がついたので冷凍食品が解凍されてしまうことはなかった。
9月の入院以来認知症が一気に進んで、やって欲しいことは忘れ、やって欲しくないことは繰り返してやる。私が後始末を始めると、「忘れることが増えて、できなくなったことばかり。頭が馬鹿になっちゃったのが悲しい」と涙ぐむ。自分でも急速に進む認知機能低下を自覚して、悲しみ苦しんでいるようだ。191202c.jpg

空一面を埋め尽くした雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.1)
(アルツハイマー)

空一面を埋め尽くした雲。地上の灯りが雲を染め、沼に映って明るい水面。191201.jpg

地平線の雲間から覗いた瞬時の日の出、対岸から伸びてきた光の架け橋。191201a.jpg

雲の向こうを太陽が昇り、雲間から吹き出した光芒。191201b.jpg

『遠いところからよく来て下さいました』 (2019.12.1)
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドの上にむっくり起き上がり、「何を着せてやったらいい?」「誰に?」「小さい子が来ているでしょ」「小さい子って?」「孫が来ているでしょ、何を着せて送り出せばいい?」「孫なんか来ていないよ。家には私とあんただけ。孫はみんな大きくなって大学生と高校生と中学生だ」「そんなに大きくなったなんて知らない、このごろ見てなかったから」「心配しなくたっていいよ」「娘たちが大変だろうから手伝いに行っていたの」「昔はね。今はこっちが手伝いに来てもらってるよ」「孫をRに連れてってやらなきゃ」「Rに行くのはあんただよ」「孫じゃなくて私かね。Rって保育園じゃなかった?」「利根川沿いに下ったところ・・・」「分かった、私が今日行くところだね」と、やっと現実の世界に戻ってきたようだった。
撮影から帰宅して妻の様子を見に行くと着替え中。サイドテーブルの上になくした老眼鏡が乗っている。早朝にはなかったのに。「老眼鏡、どこのあった?」「知らない」と、どこで見付けたか憶えていない。たたんでベッドの脇に積んであった衣類の間にでもあったのか。
Rから迎えの車が来て、担当者から「電話したが出なかった」と言われたが、電話の着信には気付かなかった。
妻帰宅の1時間ほど前にケアマネージャのMさん来訪。ブログを見ておおよその状況はご存じなので、今後のショートステイの予約、認知機能が進行した場合のデイケアからデイサービスへの切り替えなどのアドバイスを頂いた。前回のショートステイの二日目、いつまで滞在するかと妻が質問し、Tさんが予定を書いてくれたら滞在が長くなった、留守中に私が倒れたら困ると泣き出したらしい。担当の方が散歩に連れ出し、Mさんが外出から戻ったときは明るい表情になっていたとのこと。出発の朝、妻の予定表が何度も書き直し分かり難いので私が書き直したら、急に予定を変更したと誤解して大むくれ、その感情を引き摺って出掛けたからだろう。Tさんには迷惑を掛けてしまった。妻が帰宅して、Mさんがいたから大喜び、「遠いところからよく来て下さいました」とあいさつ。同じ思い出話しを何度でも聞いてくれるMさんを大歓迎。
FAXを送ろうとしたら電源が入っていない。電源コードを辿って見たら電源コンセントのスイッチが切ってある。電源をONにしてもテレビのリモートは動作しない。電池が切れたかと蓋を開ければ電池の一本が逆向き。推察するところ、リモートを落下させ電池が飛び出して、直そうと電池を装着したが逆向き。テレビの電源を切りたくても電源が入ったままだからコンセントで電源を切ったのだろう。今朝Rに出掛ける直前、「テレビが言うことをきかない」と言っていたのを思い出した。191201c.jpg

風の通り道は波立ってブルー

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.30)
(アルツハイマー)

地平線の空のオレンジ色を映した沼を風が吹き抜けたら、風の通り道は波立ってブルーに。191130.jpg

沼を渡って飛ぶカワウの群。やがて遠ざかり黒い雲に溶け込んで見えなくなる。191130a.jpg

地平線の雲から出はじめたた太陽。雲の上まで登れば眩しすぎてもう撮れない。191130b.jpg



『空想の世界から現実の我孫子での食卓に戻った』 (2019.11.30
昨日早朝、妻の様子を見に行くと頭を抱えてベッドにうずくまり、「頭が狂っちゃった。何をしようとしていたか分からなくなっちゃった」と言う。「大丈夫、目が覚めたら直ぐ治るよ」と声を掛けたら頭を上げ、「私はいつここに来たの?」「いつって、どこから?」「横浜からちょっと前に来たような気がする」「横浜から来たのは40年近く前」「ここは我孫子なの? 団地なの?」「我孫子の自宅だよ」「一戸建て?」「我孫子に来てこの家を立てずっと住んでいるよ」「私の頭は横浜から来たばかり、ずっとここに住んでたなら矛盾してる。私は私の人生を変えちゃってる」と言って着替えを始めた。ブラジャーのつけ方が分からなくなったと言うので、見ると先日通販で買ったもの。止める場所が僅かに違うだけ。今まで使っていたものを手に取ると難なく着用できた。
朝食後のひととき、頭に浮かぶことを実況中継するような妻の独り言。「直ぐ思い出せるのは岩滑(妻の実家付近)の景色、初めて勤めた佐倉小学校から池新田を通って新野から南山に出た道の景色もすっと思い出せるよ」「結婚して武蔵小山に住んで、等々力に引っ越したね」「うん、どっちも憶えてるよ。公団が当たって等々力から横浜の片倉台団地に引っ越して直ぐ、区役所が紹介してくれた東神奈川の保育園に行ったら、保育園の周りに職を探す人がいっぱい集まっていて、あまり大きくない保育園は廊下まで子どもを寝かせていた。ここには預けられないと思った。六角橋の商店街近くの保育園は空きがあったが、商店街が10時から始まるので9時半からしか預かってくれない。困っちゃって等々力にいたとき預けていたなおみ保育園に行ったら、まだそのまま空きが残っていたからまた入れてくれたが、区役所の補助金分は自己負担になった。毎朝尾山台まで遠回りして、預けてから大井町の立会小学校に通ったの」と言って泣きべそをかき始めた。「どうして泣くのと?」と言ったら「あっ、泣いてた?」と言って、記憶を辿る空想の世界から現実の我孫子での食卓に戻った。よほど困って辛かった記憶だろう、横浜に引っ越して長女を預ける保育園探しの記憶は鮮明だ。横浜に住んでいたときのことを思い出すときはいつもこの話から始まるので、最近になって何度か聞かされている。私は海外出張の多い頃で、出張と出張の間に私の職場の皆さんが手伝ってくれて一気に引っ越し、皆さんと昼食を食べていたとき、人類が初めて月面に立った画像がテレビに映っていたのが私の引っ越しの記憶。思い返せば全て妻任せだった。
夕食の頃になるといつもの妻に戻っていた。電子レンジを使おうとして、「動かない」と妻。もう一度やらせたらスタートボタンの代わりに取消ボタンを押していた。「こっちだよ」とスタートボタンを指さしたら、三度目はちゃんと動いた。「私の頭はここにない」というので、「どこに忘れて来たの?」と茶化すと、「頭に訊いても分からないよ」と。妻の混乱ぶりも収まってやっと笑顔が出た。ここ二日間で急に認知症が進んだようだ。191130c.jpg

オレンジ色に染まった東の地平線の雲の上

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.29)
(アルツハイマー)

上空は雲一つない快晴の夜明け、まだ星が幾つか残る上空。オレンジ色に染まった東の地平線の雲の上。191129.jpg

岸辺から泳ぎ出たコガモやカルガモ。五羽ほどのカルガモが飛来しオレンジに染まった水面に着水。191129a.jpg

やがて雲から出た太陽は眩しく、地平線の空も沼もオレンジ色。191129b.jpg


『私の古い老眼鏡を掛けたらよく見えた』 (2019.11.29)PB282363mt.jpg
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドに腰掛けノートを見ていた。サイドボードから引っ張り出したのだろう、妻が近隣センターに行っていた頃の日記だった。何度も中断し、また書き始めることの繰り返しだったノート。「もう忘れちゃったけど、書いておいたから何をやっていたか分かる。これ、我孫子のことだよね。私、いつここに来た? ちょっと前まで横浜にいたのに、頭の中がごちゃごちゃになって分からなくなった」「横浜から来たのは36年以上前だよ」「困ったな。頭がおかしくなっちゃった」と言ってノートを置き着替え始めた。
横浜にいた頃の夢を見たのか、横浜にいた頃を思い出して空想の世界にいたのか、朝食時には現実の我孫子に戻っていた。朝食後、Rに行く支度をして居間に降りてきて、持って行く手提げ袋に老眼鏡が入っていないと中を探っていた。「眼鏡なら、何処かに置き忘れて一昨日も昨日も探したよね。まだ見つかってないよ」と言ったら前夜言ったことは忘れて、「あなたは自分の眼鏡を探していたのでしょう」と前夜と同じことを言う。私の古い老眼鏡を掛けたらよく見えたと、それを持って出掛けた。昨日辺りから急に物忘れが増えて、妻自身も戸惑っているように見えた。
一緒に夕食の支度をしていたとき、ハイになって口数が多くなり、あれこれ思いつくことを一人でしゃべっていたが、突然真顔になって「私には子どもが二人いたよね、男の子はいなかったけど。今は子どもは出て行って二人家族だよね」「二人とも結婚して出て行ったよ」「結婚してたか」「孫だっているよ」「上は八王子にいるって分かるけど、下は川崎だったか横浜だよね」「横浜だよ」「うん、思い出したよ」「私は何人姉妹だった?」と言って指折り数えたが途中で分からなくなる。「上から名前を言ってごらん」と言ったら、立て続けに七人の名前を言った。今度は名前を言いながら数えて、「七人だ。名前を全部言えた。嬉しいね」「一番上の姉さんは亡くなったけど」「えっ、亡くなった」とびっくりした様子。自分の姉妹や娘たちのことを思い出しにくくなって来て、時たま末の双子の姉妹と自分の娘たちを混同するようにもなってきた。いずれ私も「どちら様でしたか?」と言われる日が来るだろう。

コサギ、ユリカモメ、オオバンに囲まれたカッパ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.28)
(アルツハイマー)

昼食の弁当を買いに水の館の農産物直売所へ、お目当ての弁当はすでに売り切れ。展望台に登ればコサギ、ユリカモメ、オオバンに囲まれたカッパ。191128.jpg

雨がまた強く降り出した沼、遊歩道を傘を差して歩いてくる女性の一団、スコープらしきものを持った人もいるからバードウォッチングの人たちか。191128a.jpg

上沼方向は雨が降っていないのか、手賀大橋の向こうにくっきりと見えた柏の街。191128b.jpg



『手帳と日程表を開いてにらめっこ』 (2019.11.28)
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドの上に座ってノートを読んでいた。読んでいたのは救急搬送されて入院した9月上旬の妻の日記。「これ、私が書いたの? 私の字だものね」「そうだよ、入院してたときにあんたが書いた」「入院したの? 書いてあること、全然思い出せないよ」「お腹が痛くて、救急車に乗って行って、そのまま16日も入院したよ」「救急車に乗ったことはちょっとだけ憶えてる。そうだ、窓の外を見たことがある」と思い出したのはそこまで。入院したときのことは何度も問われて話しているが、何度話してもそのときのことを思い出せない。
昼食後ふらりと二階へ上がったきり戻ってこない妻。覗きに行けば手帳と日程表を開いてにらめっこ。「何をしてるの?」と声を掛けたら日程表を指さし、「今日は18日?」「今日は11月27日だよ、水曜日」「明日はRだから、お茶会の日を決めてみんなに連絡しなくっちゃ」「お茶はもう三年前もからやっていないよ。Rへはデイサービスでリハビリに行くの、お茶のお稽古はしなくていいの」「そうか、もうやっていないんだ。やらなくていいならうれしい」と安心した様子。RやWに行く支度中に、「お茶の支度をする」と言いだしことが何度かあった。やっとその理由が分かったような気がした。古いお茶の日程表に「K、お茶のサービス」と書いてあった。Kとは近所の介護施設、そこにはボランティアで入居者へのお茶の会をしに行く妻を何度か送って行ったことを思い出し、「Kにはお茶で行ったことがあるよね」と言ったらそのことは憶えていた。Kでの記憶が同じような雰囲気のRやWと重なって、RやWでもお茶の会をやったと思い込んでいるのだろう。
夕食後、Rに行く支度をしていて「眼鏡がない」と手提げ袋の中を探っていた妻。「眼鏡なら昨夜も探したが見つからなかったよ」と言ったら、「眼鏡が無いと探していたのはあなたの眼鏡じゃなかったの、私の眼鏡を探してくれていたなんて知らなかった」とまるで他人事。今日も妻の留守中、妻が何か行動を始めそうな場所を探した。トイレ、洗濯機の周り、物置の棚、台所の引出。全て空振りだった。191128c.jpg

ここ数日代わり映えのしない灰色の沼ばかり

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.27)
(アルツハイマー)

曇天だから少し明るくなってから桃山公園の高台に行ったが、ラジオ体操の時間近くになるまで誰も来ない。ここ数日曇天か雨、代わり映えのしない灰色の沼ばかり。191127.jpg

右からも左からも岸から湧いてくるコガモ、刻々と群は膨らみ正面の水面に集結。191127a.jpg

ビオトープの方の岸から数羽ずつ出てきて岡発戸新田の釣堀前に集まったコブハクチョウの親子8羽。全員集まったらこちらに来るかと待ったが、今朝は釣堀前から動かないコブハクチョウ親子。191127b.jpg



『老眼鏡が無いと読みにくい』 (2019.11.27)
昨日早朝妻の様子を見に行くと、ベッドに座ってテレビを見ていた妻。一昨夜は、頭がごちゃごちゃしていてとんちんかんなことを言ったり、とんちんかんなことをしそうだからRに行きたくないと、すっかり自信を失って落ち込んでいた妻だったが、一晩経ったらまた元気な妻に戻っていた。「Rに行く日だよ」と声を掛けたら、「分かった。早く起きて支度をしなくちゃ」と、昨夜のことは全く忘れてしまったようだった。出掛ける支度も順調に終わって、Rから迎えの予告電話が来たら玄関で靴を履こうとして、「どっちにしようかな、どっちがいいい?」と二足のシューズを片足ずつ履いてちょっとおふざけ。「どっちもいいから片足ずつ履いていったら」とからかうと、「Rは上履きに履き替えなくてもよくなったの。一日中こんな格好してたらみんなに笑われちゃうじゃないの」と真顔になって色の濃いシューズを選んだ。外は雨、迎車が来ると「鍵、掛けといてね」と言い残して迎えの車に飛び込んだ。元気に出掛けてくれてほっとした。
夕食後、まだこの新聞は見てなかったと一昨日の夕刊を広げた妻。老眼鏡が無いと読みにくいと眼鏡を探しはじめたが見つからず、「Rに忘れてきたのかな」と言ったが、デイサービスから帰った後ずっとたまった新聞を読んでいたからから眼鏡は掛けていたはず。眼鏡ケースも見つからないから、何かしようとして眼鏡を外しケースに入れて持ち歩いたかと、行きそうになところや入れそうなバッグの中を探したが見つからない。試しに私が以前読書用に使った老眼鏡を掛けてみたらよく見えると言うので当座はそれで我慢することになった。二人で探しても見つからず、「明日探そうよ」と言っても気になるらしく、二階へ行ったり居間に戻ってきたりせわしく動く妻。「背中にリバスタッチパッチを貼るから支度をして」と言っても上の空。
何か失敗をしても、元気なときは「またやっちゃった」と明るく振る舞っているが、内心は失敗をずいぶん気にしているようだ。「またやっちゃった」と自分で言ってもその直後に必ずと言っていいほど弁解をする。それが重なると自信を失って落ち込むから、失敗したことををやり直すにしても「大丈夫、大丈夫」と声を掛けたり、見て見ぬ振りをする。だが、こちらも余裕が無くなってきたとき、つい過ちを指摘したり強い言葉でやめさせることがある。びっくりしたよう顔をして、それが落ち込みの引き金になる。今までに何度反省したか、それでもやってしまう自分に私までも落ち込む。一昨日も思い当たることがあった私。191127c.jpg

頬に当たると冷たい霧雨混じりの風

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.26)
(アルツハイマー)

いつまでも暗い曇天、地上の灯りが流れる雲を照らし、頬に当たると冷たい霧雨混じりの風。191126.jpg

少し明るくなって見えてきたハス群生地、今朝も来ていたオオハクチョウ十数羽。191126a.jpg

雨粒が大きくなってきて、埋立地の杭にダイサギとコサギらしきが止まる。191126b.jpg



『コーヒーの入ったカップを持って来てくれた妻』 (2019.11.26)
階段をコツコツと叩くような音、両手でなみなみコーヒーの入ったカップを持って来てくれた妻。コーヒーを溢さないように一段おきに階段において上がってきたのだと。何か話したい様子だったが、モニターのヒヨドリを見て、「霧の中でよく見えないね、他の写真はどんなだった」とモニターを覗き込み、部屋から出て行った昨日の朝。
夜間に水を飲んだ量が少なかったからか、朝から「頭の中がもやもやしていて自分がやってることが分からなくなった」と言っていた。昼食のカレーを電子レンジで温めるのにスタートボタンを押さずに待っていて、「動かない」と言い、やり直したら1分40秒の設定時間を忘れて5分の設定をしてスタートしようとする。牛乳を注ぐと言ってカップを出してきてじっと眺めていた。「どうしたの」と声を掛ければ、「何を入れるんだった?」と牛乳を注ぐことを忘れていた。「テレビを見ようとして、空調のリモートを手に持って、「テレビが点かなくなった」と言ってきた。「頭の中がごちゃごちゃで、何をどうやるか分からなくなった」と言って、午後はずっとテレビの前でぼんやりしていた。どうしちゃったのだろう、ショートステイから帰ってきて昨夜までの活発だった妻とは別人のようになってしまった。
夜寝る前に妻の背中にリバスタッチパッチを貼りながら、「明日はRに行く日だから早く寝ようね」と言ったら、「Rには行きたくない。とんちんかんなことばかりやっていて、行ったらどんなとんちんかんなことを言うか分からないし、何を間違えてやってしまうか分からない。みんなに迷惑を掛けるから行きたくない」と呟く。「大丈夫だよ、明日は治ってるから」としか言いようがなかった私。一夜明けた今朝、一昨日までの妻に戻ってRへデイサービスに行く支度をしていた。何だったのだろう昨日一日は。191126c.jpg

濃霧の中にぼやけた街灯が三つ四つ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.25)
(アルツハイマー)


自宅から桃山公園への道、濃霧の中にぼやけた街灯が三つ四つ。191125.jpg

なにも見えなかった高台の下、明るくなってやっと市民農園跡の畑が見え始め、霧が流れたら見え隠れする対岸。191125a.jpg

微かに霧の中に浮き出てきた岡発戸新田の突端、数枚撮ってネコの木を望遠で撮ろうとしたら、流れてきた霧にまた消えてしまった。191125b.jpg



『久しぶりにおしゃべりできて楽しかった』 (2019.11.25)
たまった洗濯物を洗濯機に入れ始動してから妻の様子を見に行った昨日午前中、テレビを見て一人で笑っていた妻。妻のお茶の友だちから電話があった。お互いの近況を話していたのだろう、妻は宙を指さし地図をなぞるような仕草をしながらW園への道を説明してから、一号室にいたこと、いろんなグループの人が研修に来ていてグループごとに話し合いをしていたと言っていた。ショートステイから帰ってきてからの妻の話も、聞いていると研修会のためにWに泊まっていたような気分で過ごして来たらしい。たぶん職員の方がうまく相づちを打ってその気にさせてくれたのだろう。友だちとの電話の会話では、楽しかった様子を少し話したら、またWへの道順の話しを繰り返す妻。妻の状況を知っている友だちが上手に話を聞いてくれていたのだろう、ちょっとハイになって電話の子機を返しに来た。「何を話していたたの?」と問うと、「いっぱい。もう忘れちゃったけど、久しぶりにおしゃべりできて楽しかった」と言った。
洗濯機から洗い上がったものを取り出していた妻に、「昼食は何がいい?」と訊くと「なんでもいい。暖かい麺がいい」というので近所のガストへ行くことにした。しばらくして様子を見に行くと洗濯物を干すのは途中まで、鏡台の前に座ってお化粧中。横にはまだ干すものが残っていた籠。気がついてまた干し始めた妻を待つ。
近所のガストに行って、前回と同じ『一日分の野菜のベジ塩タンメン』までは直ぐに決まったが、セットだと付いている『具たくさんフルーツヨーグルト』より『お濃い抹茶ババロアと白玉あずきの盛り合わせ』の方がいいかなとメニューとにらめっこ。妻には少し量が多すぎるかと思ったが、おしゃべりをしながら完食。
いつもの日曜日より遅い夕食の支度。手伝おうとする妻に宅配弁当を並べ、インスタント味噌汁に湯を注ぐのを頼み、ちょっと目を離したらその隙に朝食用に買っておいた野菜サラダとハムも盛りつけてあった。「これは明日の朝にしようね」と器にラップ掛けを始めると、余分なことをしたのに気付いたのか「私は食卓を賑やかにしたいだけだったの」と言い訳。冷蔵庫の扉に『野菜サラダは朝食用---夕食には使わないで』と張り紙がしてあり、それを指さしたら「何度も読んだけど、夕食の支度をするときは見えないの」と言う。さて、何か妙案はないものか。191125c.jpg

まだ沼の向こうに対岸の灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.24)
(アルツハイマー)

雨だから、少し明るくなって桃山公園の高台へ。まだ沼の向こうに対岸の灯り。191124.jpg

雨だってハス群生地にちゃんと戻って来ていたオオハクチョウたち。191124a.jpg

待っても止みそうにない雨、藤棚の下を遊歩道に向かっていたシベリアンハスキーのジャックとお父さん。それ以外に人影は無く早々に帰宅。191124b.jpg



『帰ろうとするTさんと握手』 (2019.11.24)
昨日夕方、玄関から「ただいま」と妻の元気な声。送ってきてくれたTさんが「誕生日だった日の音楽イベントではカラオケで歌って、みんなから上手だと褒められた」と言うと、「憶えてない、忘れちゃった」と妻。「誕生祝にカードももらったね」「忘れた」と言って手提げ袋を探したら出てきた大きな誕生祝いのカード。「帰ってくる前には仲良くなった人とベッドに腰掛けて楽しそうにお話ししていたよ」と言われるとしばらく考えて、「思い出せない。一つ楽しんでも直ぐ忘れちゃい、その次ぎに楽しんでも忘れちゃう。忘れちゃって楽しいのはそのときだけでももいいじゃん」と妻。帰ろうとするTさんと握手をして、玄関の外まで後を追い「またね」と言って見送った。
居間に戻ってくつろぎ、買っておいたアイスキャンデーを食べていた妻に、「W園はどうだった?」と訊ねたら、Wってどこ?」「Rの近く」「Rってどこ?」、自宅からRまでの道を説明し始めると「わかった。そこから山の方に見えるところに行った。1号室にいたよ。私は何日いたの?」「五泊六日」「えっ、そんなに長く。どんどん忘れるから一日だけかと思った。惚けたからかな。その方が気楽でいいよ」と言ってアイスキャンデーを食べ続けた。
帰ってきてご機嫌がいいので私もうれしい。いいショートステイだったと言うことだ。何か気に入らないこと、悲しいことがあるとそれが何だったかは忘れても、いやだったとか悲しかった感情だけはずっと残っていて、帰宅してもその感情を引き摺っていて私を困らせる。
妻の記憶は、自宅からその場所や建物までの道を自分の頭の中の地図に合わせて思い出すとその場所や建物の記憶につながり、そこでの出来事も思い出すようだ。いろんな出来事の断片が記憶されているが、正常なら幾つものインデックスで個々の記憶を読み出せるが、妻の場合は特定の幾つかの階層を辿っての限られたインデックスがないと読み出せないような気がする。たとえばある場所までの行き方で場所を思い出し、場所が分かるとその場所に係わる幾つかの出来事の記憶につながるように、インデックスやインデックスへのパスが極端に少なくなってきているようだ。もう一つは、写真を見せるとイメージとして記憶に辿り着くことがある。Tさんとのツーショットを見せたら送ってもらった車の中で話したことを思い出した。191124c.jpg

カッパの潜水前も今日は誰もいない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.23)
(アルツハイマー)

いつもの時間に目を覚ますと外は雨。5泊6日の妻のショートステイ最終日だから早朝の撮影を休みゆっくり眠る。昼近くになって水の館にある農産物販売所へ買い物に行き、展望台から雨の手賀沼を撮る。いつもか誰かしら人が映り込むカッパの泉水前も今日は誰もいない。191123.jpg

手賀大橋の方向を撮れば、雨に煙って手賀沼公園も大井新田や柏の街は見えない。191123a.jpg

直ぐ下を覗けば何かのイベント中。雨が強くなって見えるのは主催者らしき人の傘ばかり。191123b.jpg


『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(2)』 (2019.11.23)
2017年2月になって、天王台高齢者なんでも相談室のIさんが来て妻が玄関先で対応。緊急連絡先を訊ねられ妻は何かの勧誘と勘違いして「今のところその必要はありません」と答えてお引き取りいただいた。私が気付いて玄関に行ったときはもう帰られた後だったので、市役所に電話して相談室の役割について説明を受け、相談室に電話して長女を緊急連絡先とすることを伝えた。折り返しIさんから電話があり、妻をよく知っている地区社協の方から、最近妻の様子がおかしいし運転も危なっかしくなったようなので、様子を見てきて欲しいと依頼があったからと訪問のいきさつについての説明を受けた。妻はリバスタッチパッチを貼るようになったが、この薬は運転に注意が必要だから運転をやめた方がいいと、医師からのアドバイスがあったことにして運転をやめるよう提案した。今までかたくなに運転をやめることに抵抗していた妻が、医師からのアドバイスならとその日から運転をやめることに同意した。それ以降、妻の送り迎えは全て私が運転することに決めた。Iさんから聞いたことを医師のアドバイスと言い換えて妻に伝えたことは心苦しく思ったが、運転をやめさせることが出来てこれでよかったと思うことにした。車の鍵は常に私が身につけていて妻が運転できないようにもした。
翌朝、S整形外科に行くからと車の鍵を探していた妻、もう運転をやめたことを説明すると、「そうだったか、いよいよ大好きな車の運転ともお別れか」と言って淋しそう。この日以来、Y内科、S整形外科、近隣センターに行く妻の送り迎えが始まった。翌日、歩いて近隣センターに行くと言っていた妻、支度が遅れ車の鍵を探していたが、運転をやめたことを思い出して「自分では大丈夫だと思うけど」と言った。近隣センターへ送って行く途中、助手席から私のブレーキのタイミングが遅いと小言。夕方の買い物も妻を助手席に乗せて行くようになったが、私の運転に注文が多いにのには閉口させられた。
妻の高校の同級生から、私と同級生だった姉と二人で我孫子に来ると妻に電話があった。妻は自分が運転しなくなったことも忘れて手賀沼見物の案内をすると約束していた。また私の仕事が増えた。191123c.jpg

曇天の空を照らす地上の灯

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.22)
(アルツハイマー)

曇天の空を照らす地上の灯り、雲を映して明るい水面。191122.jpg

こんな朝は誰も来ないと思ったが、ベンチを使って柔軟体操をしていた人、立ち止まりじっと沼を眺めていた散歩の人、沼を見下ろす愛宕大権現の前で手を合わせていた人。さすが三脚を持った人は現れなかった。191122a.jpg

対岸の灯りが降り始めた雨を照らし、浮き上がって見えたネコの木。小雨に傘も差さずに小走りに帰る犬の散歩の人。カメラが濡れないように傘を差して家路を急ぐ。191122b.jpg




『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(1)』 (2019.11.22)
2017年1月になってから、妻の物忘れが急に多くなった。出先から出迎えを電話で頼んでも忘れ、頼まれたことはないと言う。買い物に出ても買いたいものを買わずに当面必要ないものを買ってくる。台所用品の同じものばかり在庫が増える。忘れても忘れたことを認めたがらず言い訳を並べる。私も異変には気付いていて、物忘れ外来に行こうと誘うと烈火のごとく怒り出す妻に手を焼いていた。
Y内科へ市の検診を受けに出掛けた妻、自分でも物忘れ増加を気にしていたのだろう、認知症の検査を受けて来る。Y先生にK市民病院でのMRI検査の予約をしてもらい紹介状を持って帰宅する。1月になってから沈み込む日が多かった妻だったが、翌日近隣センターにコーラスの練習に行ってきたら気分が晴れたとハイになっていた。その翌日は妻を連れてK市民病院へ行きMRIの検査を受け、Y内科への手紙とMRI画像の入ったCDを受け取って帰宅した。
午後、妻がY内科へ手紙とCDを届けに行き、CDは自分で持っているように言われて持ち帰る。妻は検査結果について何らかの説明を受けたはずだが憶えていないし、結果をいつ聞けるかも分からない。診察券に2月1日のタグが貼ってあるから次回受診の予約は判明、薬の処方箋は出なかったと言っていた。診療明細書を見たら薬の処方箋が出たはずだなので探したが見つからない。K市民病院の領収書も見つからないから何処かにあるはずだと二人で更に探したら別のバッグの中から出てきた。処方されていたのはリバスタッチパッチ4.5mg14枚。インターネットで検索したら、『通常、アルツハイマー型認知症の症状の進行抑制に用いられ、脳内の神経伝達物質であるアセチルコリンの分解酵素の働きを抑えることにより脳内アセチルコリン量を増加させ、神経の情報伝達を促進することで、記憶障害(物忘れ)、見当識障害(時間や場所の認識の問題)、判断ができにくくなるなどの認知症の症状進行を遅らせる』とあった。妻はこの日一日に何があったか一部分しか思い出せず、MRI検査のことも昨年のHクリニックでの検査の記憶とごちゃ混ぜになっていた。顔をゆがめて泣きそうな妻の顔を見て、「どうしたらいい」と心の内で叫んだが、妻には病名は伝えずに「明日薬局に行って薬をもらってこようね」と言って遅い夕食。500mlの缶ビール一本を飲んでも、これからどうするか、どうなるのかと不安だけが頭をよぎり寝付けず、MRI検査のCDをパソコンで開いて膨大な画像を眺めたが、どこに問題があるのか私に分かるはずもなかった。
翌朝、妻の混乱ぶりは治り、美容院と薬局に行ってリバスタッチパッチを処方してもらってきた。その夜から妻の背中にリバスタッチパッチを貼り替えるのが私の仕事になった。191122c.jpg

雲の上に出た途端に眩しい太陽

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.21)
(アルツハイマー)

東の地平線の厚い雲が高く遅い日の出。雲の上に出た途端に眩しい太陽。191121.jpg

ハス群生地にオオハクチョウの群、散らばっていたのが集まってきたので、飛ぶかと待ったが飛び立たない。191121a.jpg

自宅の庭に来たメジロを追い出し、電線に止まって庭を見下ろすヒヨドリ。191121b.jpg



『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(4)』(2019.11.21)
2016年後半になって、家の中で21歳になったネコを抱いてぼんやりすることが目立つようになった。一緒に買い物に行くと、持って行ったメモを見ようとせず、商品棚を指さして歩きメモに書いてない同じものを何度も買い物籠に入れようとしたり、目の前の棚にあるものを見付けられないことも増えた来た。夏も過ぎるころから「何が欲しい?」「何を食べたい?」と私に聞き、自分で買うものを決められなくなった。夕食の献立を決めて買っても食卓に出てきたのは別物と言うことも時々あった。気が変わったと言うよりも、話し合ったことを忘れてしまったようだ。そんなとき、買い物の時の会話のことを言っても思い出せないし、記憶にないという。時には「あなたは造り事を言って自分の言うことを正当づけようとする」とまで言ったこともあった。一人でパンを買いに行ったとき、買ってきたのはネコの餌と酒のつまみにと明太子とさきいかだけを持ち帰ったこともあった。間違えたときの言い訳の中に、「長年やってきたからもう食事のことを考えるのはいやになった。もう卒業したい。買い物だって身が入らない」と、食事の買い物や支度をいやがるようになった。
近隣センターのお茶の会やお話会の前、簡単なメモをパソコンで書いて持って行った。7月頃からWordの使い方が分からないと言ってくることが急に増えた。以前は分からないことがあるとマニュアルを見ていたが、マニュアルを見なくなり、適当に勘でいろんなボタンを押して試していた。ある日何かのボタンを押したら変な画面になったと言うので見に行くと、Windows7からWindows10への変更が始まっていた。更新後、パソコンのスタートの方法、幾つかの操作方法が変わったら操作しにくくなったと文句を言っていた。メールの発着信や私のブログを見たり、二人の娘のFacabookを見ることは出来ていたが、文章を作っても自分で印刷出来なくなって、メール添付で私に送り私がプリントするようになった。
通常の会話ではほとんどおかしいと分からないが、約束と違う行動をすることも出てきた。友だちと出かけるので天王台駅まで送っていって帰宅すると、妻が約束の場所に来ないと友だちから電話があった。妻に電話すると天王台で待っていたが友だちが来ないから柏にいると言う。再度友だちから電話が来て妻の携帯の番号を教えると、友だちと連絡が取れて妻を見付けてくれた。帰宅した妻の手帳を見たら、待ち合わせ場所は柏駅みどりの窓口前と書いてあった。
妻の双子の妹たちと上野に昼食を食べに行くと言っていたが、待ち合わせ場所を確認しようと電話したら、上野は前月に行ったところ、翌々日は掛川の実家に墓参りに行くことになっていた。東京駅発のこだまの時間と何号車かを決め、妹二人は新横浜から乗り込むことにしていた。当日は東京駅で時間があったので土産物屋を見ていたら指定の列車に乗り遅れ、二人には迷惑を掛けてしまった。私が出掛けるときには我孫子駅か天王台駅へ妻の運転で送ってもらっていたが、行き先を間違えそうになったり途中で行き先を訊ねることが多くなり、迎えを頼んだときも駅名を間違えて待っていたり、迎えを頼まれたことを忘れて自宅でテレビを見ていたこともあった。他人との約束はメモしておくよう言ってもなかなか実行しなかった。191121c.jpg

雲間から吹き出し始めた光芒

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.20)
(アルツハイマー)

東の空に雲が多い朝、雲の向こうに陽が昇り雲間から吹き出し始めた光芒。191120.jpg

やがて雲の隙間に太陽が見え雲の上下に光芒。191120a.jpg

ハス群生地を飛び立ったオオハクチョウ六羽が鷲野谷新田から泉新田の方に消えた。白井の池に向かったのだろうか。191120b.jpg


『久々に惰眠を貪っても』 (2019.11.20)
昨夜、長女からFacebookのMessengerに、私と妻のやりとりについて気がついたことを書き込んでくれた。
『今日のFacebook読んだよ。
時々思うんだけど、お母さんがやったけど忘れてしまっていることを伝えるとき、「○○しただろう」と言うのではなくて、「○○していたよ」とか「○○したよ」と言う方がいいのでは。「○○しただろう」は、言われた側は忘れてしまっていることを責められている気持ちになりやすいと思う。「だろう」は相手に確認を求めるニュアンスがあるからね、「そんなことも覚えてないのか?」と言われてる気持ちになりそう。忘れているお母さんに「○○しただろう」と確認しても意味ないし、「○○していたよ」と淡々と事実を伝えるのがいいのではと思う。
とは言っても、伝えたことをお母さんが疑って信じないから困っちゃうんだけどね。私は知らない、聞いていないって言い張るもんね。お父さんのイライラや腹立ち、やっぱり駄目かと言う無力感、いろいろ辛いよね…。今週はやらなくてはならないこと、やりたくないことはやらず、やりたいことだけやって、のんびりしてね。休むということはそういうことだと、精神科医のコメントを最近読んだよ。』
読んだ瞬間、「そうだったのか」と一昨日、あるいはそれ以前に、妻とのやりとりで妻が不機嫌になったときのことを思い返した。一泊のショートステイを五泊六日に変更したとき、妻の了解も得たし、一昨日早朝までは妻も五泊六日で出掛けるつもりになっていたのに、出掛ける間際になって五泊六日に変えたと言い、荷物も支度してないから行きたくないと言い出した。何度説明しても聞き入れず、切羽詰まった私は決めつけるように、「先週月曜日にAが来て一緒に選んで持ち物を用意しただろう」と言った。その途端に妻は不機嫌になった。いつだったか、夕食後に風呂に入ると言い出し風呂に点火しようとしたとき、やめさせようとして「今朝Rで入っただろう」と言ったら、「優しい言葉を使ったって私に怒ってる。忘れたふりしてるんじゃない、私は忘れる病気だから本当に忘れたんだ」と言い返してきたことがあった。長女に指摘されて「これだ」と思った。
妻が分かり難いと言った予定表を、一昨日朝になって見やすいように大きな字で「五泊六日」と書いてやったから、妻は急に変更したと思い込み強硬になったのだと思われる。
『やらなくてはならないこと、やりたくないことはやらず、やりたいことだけやって、のんびりしてね』との娘の言葉通り、昨日は久々に惰眠を貪った。だが昨夜は、冬物の衣類と入れ替えなければならない、年賀状の住所録もまだ整理してなかった、もう何日も掃除をしてないから綿埃がたまった、庭の草撮りをしなくて草ぼうぼうになったと、何も出来なくなって戸惑う夢を見た。土曜日まで休む時間が出来たのに、心の中まではまだ休めていないようだ。191120c.jpg