もうちょっと沼の上まで赤いといいのにな

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.24)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着いたらすでに先客が一人、「もうちょっと沼の上まで赤いといいのにな」と呟く。200124.jpg

どんどん厚い雲が張り出す日の出方向の地平線。日の出は見られないかと思ったら、小さな雲の隙間に重なった日の出。200124a.jpg

瞬時の日の出が消えて、再び太陽は厚い雲の中へ。上空に広がった青空に漂う白い雲。200124b.jpg


『「顔中マスクだね」と言うと鏡を見て笑い出す』 (2020.1.24)
出発が遅れたので3時のおやつが終わる頃を目指して妻に面会に行った昨日。面会票を書いていると「風邪が流行っているからマスクを着用して下さい」とマスクを頂いた。妻は共用フロアのテーブルでおやつをもらって食べ終わり、皆さんと談笑していた。係の人に私が来たと告げられ、私を見付け「来てくれたの」と言いながら近寄って来た声は鼻声だった。自室に入って鼻をかませたがやっぱり鼻声、「風邪を引いたかな」と言うと「そんな感じ、全然ない」と笑顔で応えた。Oさんが来て、「昨日から鼻水が出ているようだったが、今日の健康チェックでもひどくなる気配はなかった。風邪を引いて診察を受けた人もいた」と妻の様子を聞いた。自宅にいたときも風邪の前兆は鼻声になり葛根湯を服用していたことを話すと、ホームでの薬服用は医師の管理下にあって医師の許可なく薬を服用せせることはできないと説明された。部屋の中が乾燥しているからマスクを着用すると喉が痛くならないと妻にもマスクを頂いた。いつも小さめのマスクをつける妻が頂いたマスクをつけると顔半分がマスクになった。風邪がはやり出すと入居者が風邪を引くのが一巡して収束することが多いと。様子を見て必要なら医師の薬を取り寄せてくれるとのことだった。入居者にマスクをつけさせても直ぐ外してしまうのが悩みのようだ。Oさんが退室してから、「顔中マスクだね」と言うと鏡を見て笑い出した妻。
面会にに来たとき話したことの要点を書き残しているノートを読んだ妻、昨年9月に膵炎で入院したときのことを読んで、「直ぐ近くの病院に入院してたんだ。憶えていないけど大変だったね。読むとこんなことがあったんだと思っても、頭の中に入らずに直ぐ消えちゃう」と言って何ページかをめくって読んだ。今日もノートに鼻声だったことを書き、『手を洗うこと、うがいをすること、水を飲むこと、マスクをかけること。また明日も来るね』と書いてから帰宅。200124c.jpg

見ているだけでいいじゃん

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.23)
(アルツハイマー)

何の変哲もない曇天の朝、こんな朝「撮るものがない」とぼやけば、「見ているだけでいいじゃん。その内に何か撮りたいものが見えてくる」と言っていた在りし日のMさんを思い出す。19年前、ここを起点に1000日以上一緒に手賀沼を撮り、手賀沼のことを教えてくれたMさん。今も私の横にアルミ製の大きな三脚が立っているような気がする日々。200123.jpg

Mさんが急逝した直前、最後に一緒にここで撮った昨年10月29日、1月になったら「ネコの木が色んな表情になる」と言ったのでそれにこだわった毎朝撮っているが、彼がどんな風に撮ろうとしていたのか私には分からない。200123a.jpg


『直ぐ忘れちゃうからまた分からなくなる』 (2020.1.23)
いつもの時間に妻に面会に行った昨日午後、グループホーム居住の人たちも通いサービスの人たちと一緒に、ボランティアの人たちのリードで子ども時代に流行っていた演歌を何曲も歌っていた。妻を自室に連れてこようかと言われたが、歌うことが好きな妻だからそのままにしてもらい、後ろから様子を眺めていた。歌っていた人たちも妻も楽しそうな表情をしていた。続いて頭の体操、動作に合わせて同時に左右の手別々のグー・チョキ・パーをつくる体操を私も一緒にやってみたが、私には参加者の皆さんのように上手にはできない。妻を見ると、左右の動作が向かい合ったリーダーと同じ方向で、一人だけみんなとは逆の動きをしていた。職員が直してくれるが次の動作に移るとまた同じミス。ボランティアの方たちが引き上げたら、時間が来るまで懐メロをメドレーで合唱して終了。私を見付けた妻はびっくりした顔で「夫が来ていた」と言って私を指さした。
自室に戻ると入居者の皆さんが共通スペースでもらっていたおやつとお茶を運んで来てくれた。お菓子を半分に割って私にも食べさせ嬉しそうにほほえんだ。「いつになったら私は解放されるの?」と立て続けの質問が始まった。「家に帰るってこと?」「そう」「娘たちが来たとき外出届を出し、自宅に戻って一緒に過ごし、夕方になったらここに戻ってくることはできるよ」「どうして家に泊まっちゃダメなの?」「家には私しか住んでいなくって、もしも救急車を呼ぶようなことがあっても障害のある私じゃ助けられなくなってきたし、家に泊まると環境が変わって睡眠障害が心配だからね」「ああ、そうだったね。あんたには一人暮らしさせててごめんね。ここは私が申し込んだところだよね?」「そうだよ」「分かった。家は直ぐ近くだったし、よかったね。なんでここにいるかが分かったけど、直ぐ忘れちゃうからまた分からなくなるんだ」と、前日と同じような話になった。
直ぐ忘れるから言ったことを書いておいてほしいと言われて用意したノートに妻からのメモが書いてあった。『1月23日 午後13:10分  時間の観念?がすっぽりとどこかへ飛んで行ってしまった様だ。いま何時?と何回も聞いても、すぐ忘れる今日であるぞよ。この先、どういうことになるのか見当が付かない。まあ、なる様にしかならないから、あせらないでいこう。とは言っても抜け落ちた部分がどういう形で回復していくのか当面の問題だな。これはだれのことかどこかへ飛んで行ってしまうのか、落ち着けば元にもどるかがやっぱり一番の関心事だ。あせらないで、できるだけ他の人と会話をして、かくれている頭の中を目ざめさせる以外にない。』200123b.jpg200123c.jpg

地上の灯りに照らされて黄色に染まった雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.22)
(アルツハイマー)

上空には青空も見えていたが、桃山公園の高台に立つと地上の灯りに照らされて黄色に染まった雲。200122.jpg

日の出はなさそうだと早々に帰った人もいたが、雲の隙間に瞬時の日の出。200122a.jpg

帰り仕度を始めていたら、雲の隙間からあふれ出た光芒。200122b.jpg


『物忘れのことばかり言う日だ』 (2020.1.22)
妻に面会に行った昨日午後、面会票に記入し共通スペースにいた職員さんに提出、手を洗いうがいをして妻の部屋に入ったらベッドに潜り込んでいた妻。私を見付けベッドに寝たまま手を振っていた。「どうしたの?」「どうもしてないけど眠くなっただけ」と言って起き上がると、「トイレに行ってくる。さっきから我慢してたんだ」と言って部屋から出て行った。昨日転んだのでどんな歩き方をしているか見ていたが、歩くのに支障はなさそうだ。
「足は痛くない?」「足は痛くないけどこっち(左上腕部)が痛い。どうしたんだろう?」「昨日転んだからだろう」「転んだ? 憶えてないな」「昨日トイレに行くとき転んでパニックになったよ。OさんやSさんを困らせちゃった」「憶えていないけど、悪い子だったね。都合の悪いことは忘れちゃうんだ」とあっけらかん。両手を挙げさせると左手は水平になったとき痛むが我慢すれば上まで上がる。
独り言のように「こうやって一人で部屋の中にいると色んなことを考える。考えても片っ端から忘れちゃう。つらいことがあったり、つらいことを考えても直ぐに忘れちゃうからあまりつらくはない」と言って私の方を見て、「昨日は来てくれた?」「来たよ」「忘れてもいいように今日も来たって書いとくよ」とカレンダーを引き寄せ記入した。「昨日も一昨日も、ずっと来てくれてたんだね。なんで?って書いてあるんだろう」「私の名前の漢字を間違えて書いて、後で直しながら?って書いていたよ」「私って馬鹿になっちゃったね」と言って枕元にあったノートを開いた。妻に質問され、答えたことを書いておくノートだ。「私の子どもは二人、AとL、八王子と横浜に住んでる。今日はちゃんと憶えていたでしょう」と、開いていてのは子ども二人のことを忘れて思い出せなかったときのページ。
入居日に持って来た12日の新聞を見て、「直ぐ忘れても、何度も読めば世の中のことが分かってくる。分かっても直ぐ忘れちゃうけど。字は読めるよ。字を読むのは忘れないよ」と、物忘れのことばかり言う日だ。200122c.jpg

北西の風が強く波立って暗い沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.21)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に立てば東の地平線はオレンジ色に染まり始めたが、北西の風が強く波立って暗い沼。200121.jpg

波立ってまだ薄暗い沼、風を避けて岸沿いに泳いできたコブハクチョウの母さんと子ども6羽。200121a.jpg

快晴の空の裾、出れば眩しい強風の朝の日の出。200121b.jpg


『転んでパニックになった妻』 (2020.1.21)
昨日午後、グループホーム寿のOさんから電話を頂いた。妻がトイレに行くとき転んで、足をひねったようだと言ってパニックになっている。面会に来られたときにびっくりしないように電話したとのこと。泣いたりパニックになったとき効き目のあるリンゴ黒酢で淡い味付けした水を飲ませるように頼んだ。私が魔法の水と呼んでいるほど、泣き止ませたりパニックを治めさるのに効くから。
面会に行くとベッドに寝かされた妻の右足をチェックしていたOさんとSさん、妻を自力でベッドに腰掛けさせ足を動かさせたり足の指を動かせて細かいチェック。動かし方によって「痛い」と言うが骨折はなさそう。病院行きの車をスタンバイしていたがキャンセル、痛みに効く湿布薬を貼ってくれた。転んだときに打ったのだろう右肩から肩に掛けて痛いと言うが、自分で手を上げ下げさせても異常はない。足の痛みには異常なほど敏感に反応する妻、徐々に足が弱ってきて歩けなくなることへの恐怖心があり、骨折して寝たきりになるのではないかと思ってパニックになったらしい。
忘れさせようと話題を変え、「あなたの子どもは何人?」と訊ねたら「女は二人、男は分からない」と言った。長女と次女は名前と住んでいるところを思い出し、男の子どもがいたかどうかしばらく考えていた。いなかったと気づき、「私は男の子は産んでいない、もしいたらあなたが何処かで作っていた子どもだよ」と言ってやっと笑った。
帰路、市役所から貸与されていた徘徊探知システムのGPS端末を返却に行った。昨年末までは一人で近くの公園まで散歩に出掛けていたが、探知システムは無料の範囲で私が試験的に居場所を探知しただけだった。一ヶ月500円の使用料は私の安心のコストだった。
夕方になって、我孫子中央歯科室と名乗る女性からの電話があり、巡回診療で妻の診察を行ったと伝えられ、医師に代わって歯石があり虫歯も二本あると説明され、治療の希望はあるかと聞かれあると回答。事務的な話しは女性に代わって、最初は月4回の治療、次第に間隔が広がって月一回になること、支払いは郵便局の払込用紙を送付するから住所を確認したいと、あまりにも簡潔な手際のいい説明。手際がよすぎて、ふと騙されているのではと思い、「私の住所をご存じないのですか」と問えばしばらく無言、「こちらからホームに問い合わせてもいいですか?」と言われ「はい」。介護保険、健康保険を使い、個人負担1割で、継続的な口腔ケアは最大で2500円/月、虫歯は1000円/本と聞いた。
直後にOさんに電話し、訪問診療があったことを確認した。我孫子中央歯科室からの電話が、あまりも簡潔かつ手際がよすぎてこちらが口を挟む余地が見つからない程だったので、つい疑って失礼な応対をしてしまった。Oさんから連絡して下さるようお願いした。200121c.jpg

桃山公園の高台に立てば上空の青空に月

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.20)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に立てば上空の青空に月。地平線の空がオレンジ色に染まって沼もオレンジ色。200120.jpg

日の出前に赤くなった空、ネコの木の耳の部分にそれぞれカラスが一羽ずつ。200120a.jpg

片山辺りの丘から目映い日の出。丘の上まで登ればカメラにももう眩しすぎ。200120b.jpg


『邪魔しちゃ悪いと思ったの』 (2020.1.20)
妻に面会に行った昨日午後、面会票を提出に行くと「午前中にお友達が来られて、帰った後で泣いていました」とSさん。ベッドに寝ていた妻は「疲れちゃったの」と言って寝たままで手だけ振っていた。ちょっと落ち込み気味か、「起きないの」と言ったら気が進まない様子でベッドに腰掛けた。「午前中にどなたが来てくれたの?」「誰も来なかったよ」「散歩の途中で寄ってくれたってノートに書いてあるよ」「忘れちゃった」と。「ノートにお名前も書いておいてくれると分かったのにね」と言ったが、その話には関心がなさそうな素振り。入居したとき見つからなかった暖かいズボンとパジャマのズボンを渡すと袋の中を覗き、部屋に来たSさんにクローゼットへ収納してもらった。
Sさんから入居者の家族へのアンケートを頼まれた。千葉県地域密着型サービス外部評価選定要綱第3条に規定された外部評価のためとのこと。その場で記入し始めたら、何か話し掛けたそうにニコニコして私の方を見ていた妻、「どうして今日はしゃべらないの?」と声を掛けたら「私のことで熱心に書き物をしてたから邪魔しちゃ悪いと思ったの」と言ってアンケートを覗き込んだ。
妻が髪を切りたいというのでホームに来る床屋さんの予約をしたら、妻がボランティアをしていた頃に行ったホームでは、床屋さんが短く刈り上げていたのを思い出して床屋さんじゃいやと友だちのAさんに話し、Aさんが美容院に連れて行ってくれると申し出てくれた。そのことでOさん、Sさんに相談すると「床屋さんでも、ここでは長い髪にしている人もいるし、要望に応じてカットしてくれる」との説明があった。妻は「床屋さんが要望を聞いてくれるならここで床屋さんにカットしてもらう」と言い、改めて床屋さんの予約をお願いした。入居前の入院以来、急に歩く姿が危なっかしくなって、外の美容院に連れて行ってもらったとき転んだりしてAさんに迷惑を掛ける心配もなくなった。
3時のおやつの時間が迫ってきて、「みんなと一緒におやつを頂いておいで。明日もまた来るかね」と言って帰り支度、玄関の解錠をしてくれたSさんと一緒に玄関まで見送りに来た妻。200120c.jpg

青空の裾には雲、どんどん遠くへ退く

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.19)
(アルツハイマー)

晴天の天気予報を見て早起き、桃山公園の高台に行けば青空の裾には雲、どんどん遠くへ退くので眩しい日の出になりそうな予感。200119.jpg

もうネコの木の向こうを通り越した日の出の位置、出た途端眩しい太陽と赤い空に赤い沼。200119a.jpg

もう帰ろうと数十歩歩いて振り返れば、高台の木のシルエットの向こうに太陽。200119b.jpg


『あれ、昨日も一昨日も来てくれたのね』 (2020.1.19)
雪が降りそうだから午前中に面会に行った昨日、共通スペースにいた妻が呼び出され廊下に出てきて私を見付けるとまた泣きそうな顔になる。「どうして泣くの?」と言ったら「嬉しいから」と言いながら私の手を握り「外は寒いんだね、冷たい手」と言って自分の部屋に入る。カレンダーに私が来たことを書き込もうとして「あれ、昨日も一昨日も来てくれたのね。書いてあるよ」と言った後、「色んなことを忘れちゃうけど、あなたが夫だってことは忘れていないよ。その内それも忘れちゃうだろうけど、それでも夫で居てくれる?」「もちろんだよ」「嬉しい。もう夫婦じゃないって言わないよね」と言って笑う。「昨日のことも忘れちゃうから、何かを仕舞ってもどこにあるか分からなくなる。だからなんでも見えるところに並べてある。鏡台の前だってきれいに並べてあるでしょう」と鏡台を指さす。
午後長女が予備の上履きを買って持ってくる。一緒に面会に行ったら長女の名前を呼んで抱きつき、両手でほっぺを撫でる。長女と話している内に孫娘の名前も思い出し、長女の住んでいる場所の話をしている間に最初の頃の事は忘れてしまい、長女の名前はやっと思い出したものの孫娘の名前はもう思い出せなかった。
夕方、近所の親友Aさんが面会に行くと髪が伸びたから切る話になった。ホームに来てくれるのは床屋さんだと聞いて、床屋なら短く刈り上げる、ボタンティアで行った施設のお年寄りみたいに刈り上げられたらつらい言い出したと。Aさんが付き添って美容院に行ってくれると言ってくれているが、そういう外出ができるだろうか。
前日どなたか妻の友だちが面会に来て下さったと係の方から聞いて、妻に確認したがどなたが来て下さったか全く記憶はなかった。一昨日は戦争で逃げたり隠れたりする妄想にとりつかれていて、人に会いたがらず共通スペースにも行きたがらないほどだったので、もしかして失礼な対応になったかもしれない。200119c.jpg

水の館の展望台から沼を撮る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.18)
(アルツハイマー)

雨の予報だったからゆっくり起きて、水の館の展望台から沼を撮る。外は雨に雪が交じり始め、いつもは見えるフィッシングセンター、手賀川の水道橋や浅間橋は霞んで見えなかった。200118.jpg

もう噴水の機能を停止したカッパの噴水の周り、五羽のカワウが陣取る中にユリカモメ二羽が来てとまった。200118a.jpg

早朝の撮影に代わって昼近く、帰宅の途中に桃山公園に寄って、高台から雪交じりの雨に霞む沼を見る。200118b.jpg


『なぜ日本は大騒ぎしているの?』 (2020.1.18)
妻の面会に行った昨日午後、ドアを開けたら頭まで毛布を被って寝ていた妻、物音に気付いてそっと毛布を持ち上げて、「うれしい。あなたが捕まらなくてよかったね。なぜ日本は大騒ぎしているの?」「大騒ぎにはなっていないし、静かだよ」「戦争になったから隠れていようと思った。静かに隠れていたら見付けられないだろうと思っていた。あなたが捕まって何処かに連れて行かれるのではないかと心配になって、私が布団に隠れて静かにしていたらあなたも捕まらないような気がしていた」「夢を見たんだ。戦争なんかになっていないよ」「じゃぁ平和なんだ。私が一人で戦争をしていたのか」「大丈夫、平和だよ」「子どもの頃に戦争で逃げ回った人に話をいっぱい聞いたし、ずっとそれが体の中に残っていてこんなことを考えていたのかな」と言ってトイレに立った。戻ってくると目が覚めて、ほぼ現実の世界に戻ってきていた。子どもの頃何度となく聞いたという妻の叔母家族が満州から命からがら逃げ帰った時のこと、私が天安門事件に遭遇し帰国できなくなったことの記憶を断片的に思い出し妄想いたのだろう。
髪が伸びてうるさいと言っていたので係の人に問い合わせると、何人か希望者がまとまったら床屋に来てもらって居るとのこと、次回の時の予約を入れてもらった。部屋に戻って帰り仕度をしていると「もう帰っちゃうの」と言って、座っていた私の頭に妻の頭を押しつけてきた。気持ちをうまく言葉で表現できにくくなってきて、耐えがたいほどの不安の中に居ることを表現しようとしていたのだろう。暗い気持ちを引き摺っているような妻だった。玄関の扉は内側からは暗証番号を打ち込まないと開かないので、係の人に解錠しもらうと妻も一緒に来て玄関まで見送りしてくれた。200118c.jpg

やっと明るくなってきた曇天の手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.17)
(アルツハイマー)

いつまでも暗かった桃山公園の高台、やっと明るくなってきた曇天の手賀沼。200117.jpg

高台の柵に身を乗り出すように左寄りに動けば、水神山古墳の陰から見えたスカイツリーの灯り。200117a.jpg

撮影から戻って、ふと気がついたら咲いていた我が家の庭の臘梅の花。200117b.jpg



『得意そうに語ってVサイン』 (2020.1.17)
いつもよりちょっと早く妻に面会しに行った昨日午後、面会票を係の人に渡すと共通スペースに居た妻が呼び出され、係の人に連れられて私を出迎えに来て、「これ、私の夫」と係の人に言って嬉しそう。「久しぶりね」と言うので「昨日も来たよ」と応えれば、「あらそうだったの、昨日のことは全部忘れちゃった」と、ちょっとハイになっていた妻。
メモで頼まれていた爪切りと天眼鏡を持って行ったが、個室に刃物を保管してはいけないので許可を得て、妻が自分で爪を切るのを見守り、切り終わったら係の人に預けた。
鏡台の前の椅子に腰掛けると、「ここはね、ずっと前に私も下見に来て自分で申し込んだところだって分かったよ。家の直ぐ近くで、市役所の前の道を上って356の手前を左に入ったところ、やっと私の頭の中の地図と一致して気持ちが楽になった。ずっと建物の中に居て、口でここが入ることになっていたところだって言われても私の地図とは重ならなかった。この辺りの道の景色は知っているから、表の道がちょっとみえたら自分の居るところが分かった」と得意そうに語ってVサイン。
帰る間際、髪が伸びたので切りたいと言った妻。グループホームまで出張してくれる床屋さんがあると申込時に聞いた記憶がある。「明日、係の人に聞いて申し込むからね」と言って帰る。玄関まで見送りに来て「明日も来てね」と手を振っていた妻。200117c.jpg

色づき始めた頭上に広がる雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.16)
(アルツハイマー)

微かだった地平線のオレンジ色が濃くなり、色づき始めた頭上に広がる雲。200116.jpg

日の出直前の赤橙色の空を映した水面、岸辺から沼に出てきたコガモやカルガモ。200116a.jpg

地平線の雲はなく、片山辺りの丘から登る目映い太陽。200116b.jpg



『自分で撮った写真だから思い出せた』 (2020.1.16)
妻に面会に行った昨日午後、ベッドに腰掛けた妻の前にしゃがみ込み、妻の話しに相づちを打っていた介護職員さん。私の顔を見付けた途端に泣き出しそうな顔になった妻、職員の方から「今朝はめまいがあった」と聞く。妻が三人の妹たちとドイツ、スイス、フランスを旅したとき妻が撮ってきたアルバムを持参して渡した。適当に開いたページを見るや「ライン川だ、岸には幾つも城があった」と、次々めくったページで思い出すことを語った。「よく憶えているね」と褒めたら「テレビで見たのは直ぐ忘れるけど、自分の目で見て経験したし、自分で撮った写真だから思い出せた」と言った。
Oさんが部屋に来て「今朝からめまいを訴え、手も震えていた。入居最初の訪問診療で来られたY先生の診察を受け、夕方にはめまいの薬を届けてもらうことになった」との説明があり、中止していたリバスタッチパッチはどうなったか問えば、まずめまいを解決してからリバスタッチパッチについて考えると先生は言っていたとのこと。「リバスタッチパッチをやめるもの選択肢の一つかと思う」とOさんに私の気持ちを伝えたら、「私は医師ではないからやめてもいいかには答えられないが、リバスタッチパッチが合わない人は多いようです」とのことだった。
一昨日、爪が伸びたから爪切りと、文字を見るのに大きな天眼鏡が欲しいと言うので、欲しいものはメモに書いておいてと伝えたら、テーブルの上にメモが置いてあった。『爪切り、天眼鏡、鉛筆削り、歯ブラシ』と欲しいものの下に、『我孫子の家に帰りたい。原点に戻って現在を考えたい。何が何だかわからなくなっちゃったみたい。いったいどうしてこんなに先が見えなくなったのか頭の中がぐちゃぐちゃになっている思いがする。すぐ近くに居て家へ戻れないことの意味付けを今一度考えてみたい。何か先を急ぎすぎて居ないか? ゆったりとお父さんとくらしたい』と書いてあったのを読み胸が痛む思いがした。200116c.jpg

手賀大橋の先は雨に煙っておぼろげ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.15)
(アルツハイマー)

雨だったからゆっくり起きて遅い朝食、水の館の展望台に登ったら手賀大橋の先は雨に煙っておぼろげ。200115.jpg

飛んできてカッパの噴水近くに舞い降りたカワウ、どこに飛び上がろうかと見回して左のカッパの腕の上に。右のカッパの頭にはすでにユリカモメの客。200115a.jpg

エレベーターで下ろうと思えばドアに貼られた『階段を利用しましょう』の文字。「下りだからやめとこう、転んだら大変」と呟きながらエレベーターに乗る。200115b.jpg



『多弁になった妻のおしゃべりが子守歌』 (2020.1.15)
昨日午後2時少し前に妻に面会、出迎えてくれたSさんが「昨夜は二度ほどトイレに起きたが、トイレの場所も分かって自分で行った。よく寝たので今日は調子がいい」と妻の様子を教えてくれた。部屋を覗けば鏡台の前、「来てくれたの。ちょっと待ってて、眉を描いちゃうから。もとが悪いからちょっと直して利発に見えるようにするから」と機嫌がいい。「今日はご機嫌がいいね。ここはどこだか分かった?」と声を掛けたら、「昨日はここが市役所の近くの、前に見に来て申し込んだところだとは思わなかった。説明を聞いてここがそこだとわかったよ。家も近いし私が家に通ってもいいくらいだけど、それはダメだよね」と笑顔で答えた。家を離れてグループホーム寿に行かなければならないと年末からずっと思い続け、私にも入居してからのことを考えて何度も話していたが、ここに入居したことを思い出せなかった上に、京都旅行の空想の世界にも入り込んで、自分がどこにいるか分からない不安に襲われたらしい。昨日、ここがグループホーム寿だと私が言ったとき、一度家に帰って出直してきたら納得できると言った妻の気持ちがよく分かった。安心したせいか、多弁になった妻のおしゃべりが子守歌のように聞こえてつい居眠り。気付いた妻がベッドを指さし「ここに寝たら」と言うので、「ベッドに寝たら帰るのがいやになっちゃう」と答えたら、「それじゃぁダメね」と笑い出す。
妻のおしゃべりはほとんどが道のこと。天王台駅から自宅へ帰れなくなった空想か夢のことが気になっていて、天王台駅から自宅までの景色を実況中継のように呟き、帰ってこれたと嬉しそう。「ちゃんと言えるよ」と言って、天井を見上げて思い出しながら長女と次女の名前や八王子と横浜に住んでいることをたどたどしく語った。
帰宅してカメラを妻の部屋に忘れてきたことを思い出し、グループホーム寿に電話したら妻の友だちAさんが面会に来ていて自宅に届けてくれた。Aさんとも10日に比べたらいろんな会話ができるようになっていたと聞いた。200115c.jpg

細く長い雲の隙間はほのかな赤

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.14)
(アルツハイマー)

曇天の裾に横たわる細く長い雲の隙間はほのかな赤、段々広がって濃くなってきた赤橙色。200114.jpg

いつの間にか上空に広がり始めたの雲の隙間、雲が流れて見え始めた月。200114a.jpg

雲から出て直ぐに雲に隠れた一瞬の日の出。200114b.jpg


『嘘八百を並べて言っても私には分からない』 (2020.1.14)
昨日午後、グループホーム寿に面会に行くとトイレから戻ってきた妻。私の顔を見ると泣き顔になって「私はどこにいるの? なんでここにいるの? いつ帰れるの?」と矢継ぎ早の質問。ベッドに腰掛けさせ、「ここはグループホーム寿だよ」「市役所の前の道を上って交差点の手前でひだりにはいったところだよね」「そうだよ」「私はどこにいるの?」「昨日入居してグループホーム寿にいるよ」「私が?」「そう」「あなたが嘘八百を並べて言っても私には分からない。嘘じゃないだろうけど、嘘だったらみんなが陰で笑うでしょ。そんあのいやだ」と信じようとしない。また、昨自宅から出てきてここに入居したことを説明、何度か繰り返す内に、「そんなことがあったような気がする」と言った。
しばらく考えている様子、「一度家に帰って、ここへ来ればはっきり分かると思う」とぽつりと言った。昨日長女がた自宅前と入居後の部屋で撮った写真をカメラのモニターに再生させて見せたら、「撮ったのを思い出した」と言った。
3時のおやつの時間になり、ほかの人たちが部屋から出てきて共通スペースに集まり始めたから、「また明日来るよ」と言って帰ろうとすると、「だいたい分かったけど、まだ胸の中にすとんと落ちた分かり方じゃない」と言って、Sさんに伴われて玄関まで見送りに来た。立ち止まるとまた引き戻されそうな気がして、振り返らず駐車場へ急いだ。200114c.jpg

厚い雲の隙間が赤く染まり始めた手賀沼の夜明け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.13)
(アルツハイマー)

曇天の裾の、厚い雲の隙間が赤く染まり始めた手賀沼の夜明け。200113.jpg

雲の隙間が広がり、地平線の空の色を映して赤い沼。向こうを向いて寝ているようなネコの木、お腹の辺りには子猫の目。200113a.jpg

広がった雲の隙間に眩しい日の出。岡発戸新田の突端の向こうに写った太陽が、突端を越えてこちら側まで伸いて来た。200113b.jpg



『私を誘って一緒に腰掛けた妻』 (2020.1.13)
昨日朝の目覚めたばかりの妻、リバスタッチパッチの血中濃度が下がったからか、立ち上がると多少のふらつきは残っていたがめまいにはならない。起きてきて、梅がゆと野菜サラダとスープの朝食を食べたが吐き気は起きなかった。食後、ソファに腰掛け「夫が転勤して我孫子に来たから一緒に家を建てて子どもたちを育てた。ボランティアもやったしお茶や華も習ったし、いろいろな活動もした。今まではいいい人生だったよ。あなたを一人だけ残して私が出て行くと思うと悲しいの」と涙声になっていた妻。出発の直前になったら、「ちょっと待って、トイレに行ってくる」と出発を待たせるのはいつも通り。
長女と一緒に妻を連れてグループホーム寿へ約束の10時30分に到着。前日長女と次女が荷物を搬入し整えておいた部屋へSさんに案内されて入った妻、「私の鏡台がある」と今まで自分が使っていたものがあって安心した表情。早速一緒に生活する皆さんに紹介してもらい、挨拶していた妻の声が共通スペースの方から聞こえ、妻のグループホーム入居の第一歩が始まった。長女と私は不足しているものを購入しに出掛け、自宅で昼食。
面会時間になって、グループホーム寿への最初の面会に出掛け、面会表を記入して係の方に渡し、廊下で手を洗って妻の部屋へ。妻はもう知り合いになったらしき人と一緒に共通スペースから戻って来た。第一声は「私はここにいつまでいるの?」「ずっと」「我孫子へ帰らなきゃならないの」「今どこにいるの」「京都に旅行に来ている。さっきの人と京都に行っていた」「ここは我孫子だよ。今朝からグループホーム寿に入居しているよ」「えっ! 市役所の前の道を登ってきたところ? 356からだと消防署の交差点を渡って最初の道を左に曲がったところ?」「そうだよ、そこに来ているよ」「段々分かってきた」と言って、空想の世界から徐々に戻って来た。ベッドに来て「あなたも腰掛けて」と私を誘って一緒に腰掛けた妻。長女が記念に妻と一緒の写真を撮ってくれた。帰ろうとする私と長女に「また来てね」と言ってSさんに付き付き添われ玄関まで見送りに来た。「二週間後にまた来るからね」と長女、「近いから明日も来るよ」と私。これからはここで平穏に過ごして欲しいと願いつつ、入居一日目の妻を託してグループホームを後にした。200113c.jpg

高台に着くとすでに始まっていた朝焼け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.12)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着くとすでに始まっていた朝焼け。もっと広がるかと思ったら間もなくスーッと色褪せた。200112.jpg

雲間を通過した太陽、水面に映った光の帯が対岸へ伸びてゆく。200112a.jpg

再び太陽が雲に隠れたら、水面に映った光の帯が対岸へ巻き上げられ短くなってゆく。200112b.jpg


『救急車が来て取手の入院していた病院に搬送』 (2020.1.12)
退院以来ベッドから起き上がろうとすると目眩がして吐き気がすると妻は訴えていたが、昨日朝の目覚めたときは治ったようだと言ったので梅がゆを用意した。食べようと起き上がるとめまいがして、地球が回ると叫びながらうつ伏せにかがみ込み、吐き気がすると胸を押さえた。そして嘔吐。ベッドに寝かせたら手指の震えが止まらなくなり、突然足が硬直し動かせなくなり、体を触ると筋肉が硬くなって突っ張っていた。硬直が快方に向かったら寒さを訴えてガタガタ震えた。入院中に8日に貼ったリバスタッチパッチをはがさずに9日のものを貼っていて、10日にそれを発見して二枚ともはがし、新たに10日のものを貼った結果、血中の薬の濃度が上がったままのところへ新たに10日のものを貼ったので、濃度が下がらないままでいたのではないかと思った。入院していた病院に電話すると病棟の看護師につながり、重複してリバスタッチタッチを貼ってあったことを告げ、どう対応すべきか訊ねた。医師に相談すると一旦電話を切りコールバックしてきた。直ぐ病院に来るように言われても私だけでは妻を動かせないと訴えたら、病院側は受け入れ体制を取っておくから救急車で来るようにと言われた。
救急車が来て取手の入院していた病院に搬送、膵炎再発で入院していたこと、入院最終日にリバスタッチパッチが二日分重複して貼られていたことを告げ、車中で血圧測定などが行われ、退院後食べたものの聴取があった。病院に到着し妻は処置室に運ばれ、私は待合室で待った。
しばらくして医師に面談、9日の退院時から11日朝の急変までの、上記に書いたことを伝えた。採血し膵炎再発も調べると言われたので、膵炎入院時の腹痛ではなく、12月15日に受診し18mgのリバスタッチパッチパッチの副作用であろうと言われ一時貼るのを中断するよう指示されたときと同じ症状だと訴えた。一週間後から13.5mgに減量して再開したが、二枚重複して貼ってあれば18mgのもの以上の血中濃度になったはずだから副作用があってもおかしくないと私には思えた。1時間以上経ってから呼び出しがあり、妻には点滴中だった。医師からは血液検査の結果アミラーゼ値は高くなく膵炎再発ではないと告げられた。リバスタッチパッチの副作用とは言わなかったが、私がリバスタッチパッチ使用について問うと、中止した方がいいと答えた。三日ほど入院してもいいしそのまま帰ってグループホームに入居してもいいとのことで、タクシーで帰宅した。
帰宅しても、起き上がると目眩がして飲んだ水まで吐いた。夜になり、急速に回復し梅がゆを食べさせたが吐くことはなかった。私には、リバスタッチパッチを貼るのをやめて薬の血中濃度が下がったからではないかと思えた。200112c.jpg

ニュータウンのビルの向こうがちょっぴり色づく

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.11)
(アルツハイマー)

日の出の方向よりずいぶん南側の丘の上、ニュータウンのビルの向こうがちょっぴり色づく。200111.jpg

日の出の辺りの雲が色づき、丘の上の僅かな雲の隙間の向こうを通り過ぎた太陽。200111a.jpg

雲の隙間を太陽が通り過ぎれば、曇天の下はいつまでも暗い沼。200111b.jpg


『リバスタッチパッチの副作用かとの不安』 (2020.1.11)
一昨日午後、妻は取手の病院を退院。トイレに行こうとベッドから起きた妻はめまいを訴えた。退院の支払いをして病室に戻ったらめまいも治り、トイレに行ってきていた。タクシーで帰宅するとめまいと吐き気を訴えたが、水が不足しているときの症状かと思い水を飲ませた。
昨日朝、目覚めたときは頭も痛くなく吐き気もなかったので、おかゆを用意して持って行き、妻が起き上がろうとしたら目眩がした。しばらく治るのを待っておかゆを食べたら生唾がでてきて食べるのを中止、暫くたって吐いた。
夕食後、妻のリバスタッチパッチを貼り変えようとしたら、いつも背中に貼るのに胸の乳房の上に9日のリバスタッチパッチ。それを剥がして10日のものを背中に貼ろうとしたら背中に貼ったまま残っていた8日のリバスタッチパッチ。9日までの入院期間中に看護師さんが貼り替えるとき前日のものを剥がすことを忘れたと思われる。忙しい中、親切に面倒を見てくれていた看護師さん、ミスがあったとしても責める気持ちはないが、残念なハプニング。
12月15日に吐き気とめまいがあったとき、リバスタッチパッチ18mgを貼っていて、薬効が強すぎて副作用が出たのだろうと貼るのを一時中止するように救急外来の診察をして下さった先生から指示があった。1週間貼るのを休んでから、13.5mgに減量して再開していた。同時に二枚貼ってあったということは27mg相当を貼っていたことになる。18mgでも副作用で吐き気とめまいが出ていたのなら当然副作用が出てもおかしくない。リバスタッチパッチの説明書にも『一度に2枚以上を貼らないように、まず前回貼ったパッチをはがしてから、新しいパッチを貼って下さい』との注意書きがある。8日と9日の二枚をはがし、10日のパッチを背中に貼った。
夕食に梅がゆを与え、しばらくテレビを見てからベッドに向かった妻、まためまいが起き食べたものを吐いてしまった。この日の吐き気とめまいの症状が15日の症状と酷似していたので、もしやリバスタッチパッチの副作用かとの不安が頭をよぎった。200111b.jpg

日の出は絶望的だと早々に帰ったカメラマン

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.10)
(アルツハイマー)

だんだん地平線に雲が多くなり、日の出は絶望的だと早々に帰ったカメラマン。200110.jpg

雲間からこぼれ落ちる朝の光に釣堀前の小舟、桟橋の周りに羽に頭を埋めて眠るコブハクチョウ数羽。200110a.jpg

通勤の車が増え始めた下の道、山裾の遙か彼方に見えたスカイツリーの灯り。200110b.jpg


『目を開けるとぐるぐる回ってる』 (2020.1.10)
昨日は妻の退院日。もう仕度が出来ているかと病室を覗けば、レンタルのパジャマの上にダウンのコートを着て寝ていた妻。看護師さんが、「下着も上着も見つからない」と困惑した顔。セーターはポリ袋に丸めて入っていたが、下着がない。仕方なく下着なしでセーターを着せ、ダウンコートを羽織った姿で帰ることにした。下着は長女が来たとき持ち帰って洗濯したが、私に着替えを届けるように言い忘れていたと後で判明。それにしても私が前日にチェックしておくべきだった。立ち上がろうとした妻は目が回るとベッドに座り込んだ。回復を待つ間に看護師から請求書と退院後の注意事項のメモ、薬剤師から退院後の薬を受領、会計を済ませて病室に戻るとめまいは治っていた。
首に鞄を提げ、左手に大きな買い物袋、右手で妻の手を引いてタクシー乗り場にしょぼしょぼ向かった老夫婦、目に付きやすかったのだろう守衛が走り寄り、返却し忘れた面会バッチを外してくれ、タクシーを呼び寄せてくれた。「懐かしい景色」と言いながら利根川を渡る風景を見ていた妻が急に無口になった。自宅に着くと、「車酔いかしら、目が回る」と言って電気カーペットの上にへたり込む。頭を抱え、「耳が遠くで聞こえる、目を開けるとぐるぐる回ってる」という。過去にこんな症状の時は水不足、病院で点滴が終わってから薬を飲むとき以外水を飲んでいなかったようだ。
リンゴ黒酢で微かに味付けをした水を飲ませると気分も収まり、二階のベッドに寝かせた。
その間にパソコンに向かってしばらくして妻の様子を見に行ったら、「吐いたようだ」と言ってベッドに寝ていた。起き上がらせようとすると手足も震え、気分が悪いと訴える。私が見ていないとき台所に行き、台所の片付けをしていて何か袋に入った物をつまみ食いしたら、ぱさぱさして味がしないので口からから吐き出したのか、あるいは吐いたのか記憶していなかった。また水を飲ませ、気分が落ち着いたところで梅がゆを用意して与えると完食。病院で処方された薬を与えベッドに寝かせた。200110c.jpg

じゃれ合うように休強風の中で追いかけっこ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.9)
(アルツハイマー)

日の出の時刻が近くなったら高台の斜面林を越えて沼へ飛ぶハシブトガラス。仲よしの二羽か沼へ急下降し、じゃれ合うように休強風の中で追いかけっこ。200109.jpg

遠くの丘の上に日の出。カラスだろうか丘から飛び立った十数羽、下降し丘の陰影の中に消える。200109a.jpg

昇る太陽の上を下降しながら横切る成田着便。200109b.jpg


『宙を指さしながら自宅付近の道を語る』 (2020.1.9)
面会時間開始と同時に妻の病室を訪れた昨日午後。目を瞑っていたが気配で分かったのか目を開けて、「ずーっと待っていたよ。来てくれて嬉しい」と泣き顔になった。「なんで泣くのよ?」と言ったら、「ここはどこ? どうして私はここにいるの?」と昨日と同じやりとり。「いつまでここにいなきゃならないの?」「明日午後に退院して帰れることになった」「どこへ帰るの? 我孫子じゃないよね」「我孫子だよ」「356を走って、セブンイレブンのところを沼の方に曲がって、まっすぐじゃないけどそのまま行ったら家に着く。そのままどんどんいったら神社、途中から坂を下ったらAさんの家、通り過ぎたら鳥の博物館」と、宙を指さしながら自宅付近の道を語る。指先は頭の中の地図をなぞっているのだろうか。「いろんなことを忘れちゃったが、まだ道は分かる」と言ったがだいぶ怪しい道案内。
トイレに行きたいとベッドから降りようとしたがセンサーのひもが短くて外れそう。看護師さんが来てクリップを外してくれて一人でトイレに行く。看護師さんから「予定通り明日退院していいと先生から伝言があった。会計の書類交付や薬の説明は病棟で行う」と伝えられた。
1時間ほどの面会の後に帰ろうとしたら泣き顔になって私に抱きつき、「私の方が若いからあんたが病気になったら私が面倒見るつもりだったのに、逆になって私が面倒見て貰うようになった。不本意で悲しい」と昨日と同じことを言った。ベッドに座って、「また来てね」と言うから、「明日は迎えに来るよ」と言ったらやっと笑顔になって手を振った。
帰宅してメールを開くと、学生時代同じ下宿で過ごした同級生からメール。『マダムの退院が9日午後、ホームKへの荷物搬入が11日、入居が12日で変り無ければ,ほんの2日間の自宅ステイ! 大変だけど、頑張れカップル!!』と。そうか、たった三泊しか残っていなかった妻の自宅泊。出来るだけ楽しく過ごせるようにしてやりたい。200109c.jpg

明るくなり霧が出始めた曇天の沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.8)
(アルツハイマー)

明るくなり霧が出始めた曇天の沼、刻々と薄らいで行く対岸の灯り。200108.jpg

霧が濃くなり始め遠くから消えてくる対岸風景。200108a.jpg

まだちょっと早いが、もう広場に集まり始めたラジオ体操の人たち。200108b.jpg


『お見送りには行けないけどここでご挨拶』 (2020.1.8)
昨日妻に面会に行くと眠っているようだった。そっと椅子に座るとうっすら目を開け、泣きそうな顔になって「来てくれて嬉しい」と言ってからしばらくじっと私を見ていた。「私はどうしてここにいるの?」「また膵炎が再発してお腹が痛くなり、取手の病院に入院したんだ。昨日手紙を書いておいたけど見た?」「見たけどはっきりとは思い出せない。Aさんと一緒に来たって書いてあったけど、Kさんも来たような気がするが、Kさんが来たとは書いてなかった」「手紙を書いた後でKさんが来てくれたよ」「利根川を渡ってきたの?」「そう」「窓から利根川が見える?」、そのとき来た看護師さんが「ここからじゃ見えませんよ」と言いながら血圧測定や血流チェックのセンサーを指に取付け、点滴のチェックをしてくれた。「昨夜も二度ほど点滴を自分で外してしまった」と看護師さんから聞く。パジャマの袖に少し血痕が付着していた。
帰ろうとすると、「お見送りには行けないけど、ここでご挨拶する」とベッドに座った妻、「寝ていてずっと考えていたの。あなたの方が年上、病気になったら私が面倒見るつもりでいたがこんなことになっちゃって。あなたには心身ともに負担を掛けてしまい申し訳ないと思っている。物理的にも精神的にも助けてもらって感謝してます」と言って深々とお辞儀をする。認知症でうまく働かなくなった頭でそんなことを考えていたのかと思うと悲しくなる。「さあ、早く寝て。寝てくれたらもう帰るから」と言って寝かそうとすると、点滴の管とセンサーのひもが体に巻き付いていて、それを治し病室のカーテンを閉めた。隙間からちらっと見えた妻はまだじっとこっちを見ていた。200108c.jpg

青空に散らばった雲の間からはいくつもの星

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.7)
(アルツハイマー)

青空に散らばった雲の間からはいくつもの星、地平線が色づき始め朝焼けを期待させる空模様。200107.jpg

背中から吹き付ける北からの風は冷たく、上空に張り出してきた低く黒い雲。波立つ水面の向こうにはニュータウンのビルの灯り。200107a.jpg

釣堀前の岸近くに繋がれた小舟、網を干す棚に並んだサギらしき鳥のシルエット。200107b.jpg


『自分で点滴の針を押さえる絆創膏を剥がし出血』 (2020.1.7)
前日に続き妻の友だちAさんの車に乗せてもらって妻に面会に行った昨日午後、病室を覗いたら妻の姿はなくベッドの上には体を固定したらしく幅の広いベルト。Aさんが病棟の廊下を戻ってくる妻を見付ける。パジャマの袖が出血で染まり赤くなっていた。点滴を一時中断した隙に、自分で点滴の針を押さえる絆創膏を剥がし出血したのだろう。ナースステーションに呼び込まれパジャマを着替えさせてもらっていた妻。「脱走されてどなたかが連れ戻してくれた」というような声がステーションの中から聞こえた。ベッドに連れ戻すとき、「昨夜は興奮して三度も点滴を外してしまい、やむを得ず体を固定した」と聞く。体調が回復してきて、どうして自分はここに来ているのかが分からなくなって興奮したものと思われる。あらかじめ予測し承諾していたことで拘束されたことに問題はないが、担当の看護師さんには迷惑を掛けてしまった。興奮しやすくなっていて長時間の面会は控えてとアドバイスされ、帰ろうとした頃に妻の友人Kさんにおいでいただいたが、早々に引き上げなくてはならず申し訳なかったと恐縮。担当の看護師さんに頼まれ、妻への手紙に「膵炎再発で入院したこと、順調に回復していること、明日も面会に来ること」などを書いた。また夜間興奮したときはこの手紙を見せたら落ち着くだろうと期待して。
出発直前に病院のN医師より電話、「血液検査の結果も回復、CTでも炎症は消えていて、夕食から食事を再開して様子を見る。ソーシャルワーカーが関係先と連絡を取っていて、グループホームの医療連携先の病院への手紙は退院時に渡す」と説明があった。
帰宅後にはソーシャルワーカーのOさんから電話、「順調に回復し、夕食から重湯再開、順次普通食に切り替える。グループホームは予定通り入居させてくれることを確認した。退院日は9~11日から都合のいい日を選んで決める」と伝えられ、9日の午後に決定した。グループホームKのOさん、ケアマネージャのMさんに電話で退院が決定したことを報告した。200107c.jpg

住宅の隙間からニュータウンのビルの灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.6)
(アルツハイマー)

1982年3月末に引っ越してきた頃は二階のベランダから手賀沼が見えたが、年々住宅が建ち沼は僅かな住宅の隙間からしか見えなくなった。自宅南側の畑の中の道を桃山公園に向かって歩けば住宅の隙間からニュータウンのビルの灯りが見える。200106.jpg

雲一つない快晴の空にはまだ残っていた星。刻々と色鮮やかになる地平線のオレンジ色。200106a.jpg

対岸の丘の上に陽が昇り始めれば空も沼も赤橙に染まる。200106b.jpg


『「記念写真撮って」と言ってAさんとのツーショット』 (2020.1.6)
朝の撮影に出掛ける前に妻の様子を確認するのが習慣だったが、入院してその必要がなくなったら何か忘れ物をしたような気分で家を出た昨日朝。
午後になったら徒歩で天王台駅に出て、常磐線で取手へ、バスに乗って病院へ行く積もりだった。近所に住む妻の友人Aさんが私のブログを見て電話をくれた。午後見舞いに行ってくれるので車に同乗させてもらえることになった。
妻の病室を覗くと、「やぁ」と言うような表情で点滴をしていない方の手を上げた。 後ろにいたAさんを見付けると訴えるように話し始めた。病院のスタッフ用に書かれた妻の状況、扱い方を書いた張り紙を指さし、「質問しても私に分かるように説明してくれず、専門用語が入った病院言葉で理解できない。不親切だ」とおかんむり。妻への説明目的ではなく病院のスタッフへ周知するための張り紙だろうと言っても、見えるところに貼ってある以上分かりやすく書くべきだし分かりやすく説明すべきだとAさんに訴える。自宅でも「水を飲もう」と張り紙したら「何のために飲まなくてはならないか書いてない」と同じことを何度も繰り返し質問し困惑したことがあった。たぶん、同じようなことになって看護師さんを困らせたのだろうと思った。Aさんがうまくほかの話題にすり替えてくれて、楽しそうにAさんとおしゃべり。妻は、グループホームに入る直前に入院し、やっと決まった入居か取り消されないかを心配していることも分かった。月曜日になったら検査も始まり先のことも分かってくるだろうが、まだいつ退院できるかも分かっていない。心配しないで待っているようにと言うよりほかに説明のしようがない。
帰るとき、「記念写真撮って」と妻のリクエストでAさんとのツーショット、入院以来一番いい顔をしていた。「明日も来るよ」と言うと、「来てね、待ってるよ」と手を振っていた。いつもの癖で見送りにベッドから降りようとするので、点滴が外れると困るからと押しとどめた。200106c.jpg      

地平線沿いに山脈のように連なる雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.5)
(アルツハイマー)
地平線沿いに山脈のように連なる雲の上、オレンジ色に染まっても波立つ水面はブルー。200105.jpg

雲の縁は明るく染まってもなかなか出てこない太陽。やっと出れば眩しすぎ目もカメラも目潰し。200105a.jpg

雨戸を開ける人がいなければ、近くの引き込み線でスズメたちが日向ぼっこ。200105b.jpg


『二人の手を握り「温かい」と言った妻』 (2020.1.5)
9時になったらタクシーを呼んで、長女と一緒に取手の病院に向かった昨日朝。入退院窓口で入院手続の用紙を貰って記入、保険証を添えて窓口に出したら入院手続完了。番号札を着け面会表に記入して、妻の病室に着いたら清掃中で妻不在。ナースステーションに行ったら看護師から、ソーシャルワーカーのOさんに連絡を取るから休憩室で待つように指示された。しばらく待って現れたソーシャルワーカーのOさんに妻の経過と状況、間近に迫ったグループホームへの入居のこと、日程が変更になったときの調整についての気掛かりなことを話した。妻のケアマネージャのMさんと入居予定のクループホームのOさんにソーシャルワーカーのOさんからコンタクトがあると伝えておいたら二人にコンタクトして調整してくれることになった。来週になって医師の意見を聞いて調整し私に連絡してくれるとのこと。変数が多くて私には解けない方程式のような不安を引き取ってくれて気分的にも楽になった。その場でケアマネージャのMさんと入居予定のクループホームのOさんに電話した。
妻の病室に戻ると、妻はベッドの中。私と長女を見付けると笑顔になって手を差し出す。二人の手を握り「温かい」と言った妻の手は点滴をしているからか冷たかった。前回の入院ではパニックになったり譫妄が起きたりしたが、今回の入院では落ち着いてしっかりしていた。前日に自宅から持参するよう指示されていた薬、薬手帳、ウエットティッシュ等を看護師に渡す。看護師よりアミラーゼの値も下がり、来週になったら医師の診察と検査をして、食事が食べられるようになったら退院できるだろうと聞いた。「明日もまた来るよ」と妻に言ったら「来てね」と言って笑顔で見送ってくれた。
病院から取手駅までのバスの時刻表を調べ、バスで取手駅へ。JRで天王台に戻りタクシーで帰宅。明日からの私の病院通いの下見をした。200105c.jpg