何となく朝焼けになりそうな雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.15)
(アルツハイマー)

日の出の方向の地平線には雲が多いが、何となく朝焼けになりそうな雲。191215.jpg

地平線の雲がパッと色づき朝焼けになった日の出前。191215a.jpg

今朝もハス群生地にオオハクチョウ、なにか動く黒っぽい点はおびただしいカモらしき群。191215b.jpg


『手ぶらで妻は「はーい」といい返事で階段へ』 (2019.12.15)
昨日朝の撮影から戻ると、「お父さんは私の何なの?」「えっ!」「お父さんは私のお父さんじゃないよね?」「子どもたちが私のことをお父さんと呼ぶからあんたもお父さんと言うこともあったが、あんたのお父さんは岩滑の中島幹さんだよ。私はあんたの夫」「私はあんたと結婚してたの?」「そうだよ。だからここに二人で暮らしてるでしょう」と言ったがまだけげん顔。私が夫であることが分からなくなったのは今回が二度目。お父さんと呼ぶと関係が分からなくなり、あんたとかあなたと呼ぶときは分かっているようだ。ちょっとびっくりした瞬間。
朝食後出掛ける仕度を始めたが化粧に手間取る妻。Rからの迎えの予告電話が来て急いで着替えすると、迎車が着いて玄関のチャイムが鳴る。手ぶらで妻は「はーい」といい返事で階段へ、「あっ、髪がもじゃもじゃ」と洗面所の鏡の前へ飛び込んだ妻、後ろから手提げ袋や玄関の鍵とお便り帳と昼の薬を入れた通い袋を持って追い掛けた私。玄関の外に待っていた迎えの人に「済みません、お待たせしました」と荷物を渡す。元気になって迎車に乗り込んだ妻。グループホームKに入るまでもうそんなに多くない朝の送り出し、せめて気持ちよく出掛けて欲しい。
午後ケアマネージャのMさん来宅。妻のここ一週間の状況や、来年になってグループホームKに入った後のことなどについて話した。妻の病状が徐々に進むにつれ出来なくなることが徐々に増え、私が代替してやることが徐々に増えた。私が一人で暮らすようになったときの家事や生活の仕方はその間に徐々に身につき、一人で生活するようになっても大丈夫と思うようになったと話したら、一人になっても写真撮影などの趣味はやめないで続けるようにアドバイスがあった。また、グループホームKに入って妻が外出で自宅に帰ってくるのはかまわないが、自宅に泊まるのは環境の変化で睡眠障害になることもあるから避けた方がよいとのこと。その他生活面での私の疑問にアドバイスして貰っていると妻が帰宅した。妻は、「今までお世話になったRやWの方に、最後の日にご挨拶したい」と悩んでいたことを話し、「職員の方にご挨拶するのはいいが、利用者のお仲間にはお話ししないほうがいい」とアドバイスされて納得。以後はそれが自分の意見でもあるかのように言うようになった妻。グループホームKに入った後のことについて妻は、「初めてのところだから、ホームのしきたりや規則、一緒に暮らすことになる人たちと早く慣れるようにしたい。自宅からも近いし、いい時期に入れたのは嬉しい。主人がちゃんと暮らしているか時々覗きにも来たい」と言っていた。
夜、早く寝るように急かせても、気分がハイになっているのか、たまった新聞を古紙に出すのに、日付順に積み上げ、干してあった洗濯物をたたんでいて、なかなか寝ようとしなくて私を困らせた。191215c.jpg

上空の薄雲の向こうは青空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.14)
(アルツハイマー)

上空の薄雲の向こうは青空。地平線の雲か霞みは高くまで上がって、日の出は遅くなりそう。191214.jpg

地平線の雲の上に日の出。出た途端眩しい太陽が水面に映る。191214a.jpg

撮影の帰り道、けたたましく鳴いたヒヨドリ。鳴き声を頼りに見回せば隣のお宅のアンテナに。191214b.jpg


『大笑いして「きょうはもう出たよ」』 (2019.12.14)
昨日朝、食事の支度が出来て妻を呼んだら二階から降りて、「長い夢を見ていたようだ。生まれてからずっといろんなことをしてきた。それをずっと思い出していた。私は今どこにいるの? ドラマの中か夢の中にいるみたい」「いつのこと?」「いつだろう、あんたが中国にいて私が先に引き上げたが、あんたはいつまでも帰ってこなかった」「私が天津に単身赴任したとき手伝いに来て、二ヶ月くらいいて帰った時のこと?、それとも、もっと前の天安門事件の時? 初めて天津に出張した時に事件が起こって、帰国できなくなって心配したときのこと?」「そうじゃないみたい。逃げて来たんだもの」「どこへ帰ってきたの?」「横浜なじゃなくて東京かな」「引き上げてきたのはあんたのおばさんと家族のことだろう。子どもを連れておばさんが満州から引き上げ、シベリアに抑留されてたおじさんが帰ってきて公安庁に入って、巣鴨辺りの引き揚げ者住宅に住んでたからだろう」「おばさんに聞いた話とあんたが中国から帰れなくなったことがごちゃ混ぜになっいて思い出せない」「あんたは今どこにいるの」「上野を出て柏を通ったら我孫子、私は我孫子にいるんだ」とやっと妄想か夢の中から我孫子に戻ってきた妻。最近、妄想の世界にいることが多くなった。
取手の病院で膵炎の検査をしてくれたG先生がY内科に来て検査二ヶ月後の診察。便秘で吐いたことは大腸スコープ検査をするほどでもない。検査結果から膵炎も今のところ大丈夫。Y先生が処方した薬を飲み続けるようにと指示されて一安心。
昼食後、近所に住む妻の親友Aさんから電話。「Aさんから電話だよ」と言って電話機の子機を渡すと、「Aさんって誰?」と私に言ってから「もしもし」。誰か分からないのを弁解するように「お久しぶりね。私体調がよくなくて足元がふらふらしてるの」と訴える。数日前に紅葉を見せに連れて行って貰ったことは忘れているようだ。Aさんがうまく対応してくれたのだろう、「あなたの家は坂を下って右に曲がったところ?」と訊ね、やっと親友のAさんだと分かったらしく楽しそうに話していた。電話が終わって10分もしてから、「さっき電話したの、誰だった?」「Aさんだったでしょう」「そうか」と言ったが何を話したかは憶えていないだろう。楽しかったという感情だけは残っていて明るい表情になった。
午前中に私が洗濯した物を妻が干すと言って私から取り上げたが、午後になっても籠に入ったまま。やっと干そうとしたら新聞が目にとまり、「まだ読んでない新聞があった」と座り込む。小一時間ほど経って「まだ全部字を読めるよ。忘れちゃいない」と言って立ち上がり「洗濯物、干してなかった。なんでも直ぐ忘れちゃってダメね」と言って、Rセンターで書いてきた習字を見せた。『温故』は中国語では記憶という意味だそうな。私がふざけて「うんこ」と読むと大笑いして「きょうはもう出たよ」と言って洗濯物を干し始めた。191214c.jpg191214d.jpg

天気予報は晴れだったのに上空は曇天

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.13)
(アルツハイマー)

昨夜見た天気予報は晴れだったのに上空は曇天。対岸の街灯が水面に映り、地上の灯りが上空の雲を染めた。191213.jpg

街灯が映る水面の向こう、丘の向こうを成田着便が数機旋回、一機ずつ成田に向かって下降して行く。191213a.jpg

日の出は見られず帰り仕度を始めたら雲間から落ち始めた光芒。191213b.jpg


『間違えてしまった初動対応』 (2019.12.13)
昨日朝5時、妻が脱水症状になっても困るから、水を飲んだらまた吐くのではないかと恐る恐るお湯割りのポカリスエットをコップ半分飲ませた。5時40分に吐き気がないことを確認し体温を計測すると37℃。6時50分に撮影から戻ると着替え中だった妻、吐き気はなく昨日より頭はすっきりしていると言う。だが、前日救急車で取手の病院に搬送されたことや、帰宅してホットカーペットの上に吐いたのも憶えていない。またお湯割りのポカリスエットを飲ませる。体温は36.8℃。いつもより体温が高めなのが気になる。
9時15分、Y内科に電話して救急搬送後のことや今朝の状態をを報告、水分不足になると体温も上がると看護師さんから聞く。Y先生は便秘以外にも脱水症状や膵炎再発を心配してだろう診察して下さるとのこと。10時過ぎにもお湯割りのポカリスエットを飲ませY内科へ行く。体温は36.9℃、Y先生の喉、胸部、腹部の入念な診察のあと採血、その結果膵炎再発の心配はなく、水をよく飲んで食事もきちっとするように指示される。土曜日に受診し、書いて貰う予定だったグループホーム契約時に提出する健康診断書も書いて下さり、土曜日の受診は無くなった。
帰路、久々に妻を連れての買い物。家電量販店でホットカーペットを購入、フードスクエアで食料品や昼食の鮨を購入、帰宅して遅い昼食。私が雑用でしばらく目を離した間に物置に入り込み、空きスペースを作るために棚の物を移動、床に置いた物を無秩序に出来た空きスペースに詰め込んでいた。「やめて」とつい大きな声で制止したら、「ここは長年私が整理してきたところ、ろくにやったことも無いあんたは知らないだけ、言われる筋合いはない」と物の移動をやめない。つい自制心を失い「やめて、やめて」を連呼。「私になにもやるなと言うのは、私は不要な人間になって、邪魔なんでしょう。私を追い出したくなったんでしょう。何にもするなと言うのは人権侵害だ。私は本気で怒った」と大荒れになる。やって欲しくないことを制止するのに初動対応を誤ってしまった。いつも、初動対応を誤ると手がつけられない状態になり、収まるまでしばらく時間がかかる。何に怒ったか忘れても、怒った感情だけは長く尾を曳く。
夕方になって、「今日、どこへ行ってきた?」「Y内科とKデンキとフードスクエア」「何しにY内科に行ったの?」「Y先生に診察と検査をしてもらい、水をよく飲んで食事もするように言われた。グループホームKに出す健康診断書も書いて貰った」「そんなこと聞いていなかったから知らない」と。健康診断書と契約に必要な物のリストを眺めていたが、「見ても分からない」と追求をやめた。近くにあった新聞が目に入ると熱心に新聞を読み始めた。
夕食後はご機嫌も治り穏やかな妻に戻っていた。風呂に入ったがなかなか出てこないので様子を見に行ったら、「温度を上げても暖かくならない」と言った。見ると給湯の温度を上げ、追い炊きの温度を下げてあった。日々出来なくなることが増えて行く。本人も気になっているのだろう「なんでこんなに出来ないことが増えるんだ」とぽつりと言った。191213c.jpg

霧の向こうの地平線にはいつもより高くまで雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.12)
(アルツハイマー)

濃い霧で明るくなるまではなにも見えない沼。岡発戸新田の突端と鷲野谷新田の自転車道が見えだし、霧の向こうの地平線にはいつもより高くまで雲があるようだ。191212.jpg

霧の中から沼を渡ってきたカワウ6羽、前を通り過ぎて岡発戸新田方向の霧の中に消える。191212a.jpg

霧の向こうの雲間から日の出、霧の中の日の出を撮ろうと近所の友が来る。191212b.jpg


『「我々はこれで戻ります」と帰った救急車』 (2019.12.12)
昨日朝5時、早朝の手賀沼撮影に出掛けようとすると玄関まで見送りに来た妻、「二階の雨戸を開けて手を振るからね」「寒いからそんなことしなくていいよ」「見送ることが出来る日が段々少なくなるからやりたいの」と階段へ急ぐ。自宅南側の葱畑の先に差し掛かるとベランダに出て手を振っていた妻。わたしも手を振って応えた。
撮影から帰ると二度寝していて目が覚めた妻、「横浜にいた頃の夢を見て、私はまだ横浜にいるの。ここはどこ?」「我孫子だよ」「あぁ、やっと戻れたよ。我孫子市高野山だよね」と、夢か空想の世界から戻って来た妻。
朝食の支度をして妻が来るのを待ったがなかなか来ない、やっと来たら、「風邪のように気持ちが悪い、吐きそうでトイレでちょっと吐いた」と言ってくる。検温したら36.4℃、インフルエンザではなさそう。とりあえず葛根湯を飲ませる。Y内科へ行こうと妻に着替えをさせようとしたが、ベッドにうつぶせになり「吐きそうだ」とトイレへ。少し吐き、戻ったらベッドの脇のゴミ箱に吐く。Y内科に電話し状況を話すと、「吐き気にはいろんな原因があり、膵炎の再発もあり得る。取手の連携病院に電話連絡しておく。紹介状もFAXしておくから救急車を呼んで行くように」と指示があり救急車を呼ぶ。
10事50分頃だったろうか、妻は寝間着のまま救急隊員に運び出され、救急車へ。隊員の指示で保険証、診察券、薬手帳を用意、ショートステイ用に常備してあった衣類の鞄と現金を持って私も救急車に同乗。自宅では何度か吐いてパニックになり、手足が震えていた妻は上がっていた血圧も下がり落ち着いてくる。病院に着くと病院に運び込まれ、残った隊員から、「受付窓口に案内しますから保険証と診察券を用意してちょっとここで待って」と言われ救急車の後ろで待つ。受付窓口で手続をしていると、「我々はこれで戻ります」と帰った救急車。待合室で一人ぽつんと待っていると次々と家族に付き添われた患者が受け付け窓口に来て忙しそうだ。1時頃、「これからX線撮影をします」と言って看護師が妻の履き物を持って行った。2時頃になって検査室の廊下に呼び出され、医師より「たいした問題はありませんでした。原因は便秘でした。下剤を3日分処方します。それでも症状が残るようなら内科を受診して下さい」と言われ、金曜日に内科のG先生がY内科に来られて膵炎の診察予約がしてあると伝えると、「そのとき一緒に見て貰って下さい」と言って忙しそうに検査室に消えた。それから1時間ほど待って、車いすに乗せられた妻が戻ってきた。会計に向かう途中、妻に「たいした問題はなさそうだ。原因は便秘だった」と言うと、急にトイレに行きたいと言い出し、個室のトイレへ。かなりの量の排便。帰宅のタクシーの中で吐きそうなり、帰宅しておかゆを少しと薬を飲むと、しばらくしてホットカーペットの上で吐く。使い古したホットカーペットは買い換えることにした。191212c.jpg

雲の隙間が広がって朝の光が沼に落ちてくる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.11)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台から沼を見ていたら、小さな雲の隙間が広がって朝の光が沼に落ちてくる。191211.jpg

コブハクチョウの子ども6羽が揃って岡発戸新田の釣堀の方へ泳いで行く。釣堀の前にはまだ親らしき姿は見えない。191211a.jpg

日の出は雲の隙間の薄雲の中。今朝もくっきりと見えたネコの木。191211b.jpg


『迎車が近づいてきたら深々とお辞儀』 (2019.12.11)
昨日早朝、手賀沼撮影から戻って妻の様子を見に行けば、「今日は月曜日?」「火曜日だよ」「だったらRに行く日だ、もう起きなきゃ」「どうしていつも月曜日だと思うの?」「月曜日はどこへも行かないからゆっくり寝ていられるでしょう。月曜日だといいなと思うじゃない」「Rに行くのがいやなの?」「いやじゃないけど段々面倒になってきた」「グループホームKに行くとRにもWにも行かなくてよくなるよ」「出掛けることを心配しなくてもよくなるものね。それは嬉しいよ」と言う。
朝食までの時間の合間にパソコン作業をしていたら、「確認して欲しいんだけど、私たちに子どもが二人いたよね。どこに住んでいるの?」「八王子と横浜」「上が八王子、下が横浜、思い出したよ」「今日はすっと思い出したね」「私たちどちらかの娘の子どもを預かっていない?」「預かっていないよ」「さっきまで夢を見て、預かった子どもが何処かに行っちゃって困っていた。子の神大黒天の近くの丘の上の保育園に預けていたような気がした」「そこってグループホームKの辺りだよね。そこへ入るのはあんただよ」「夢の中では子どもを預かっていて、いなくなっちゃって困っていた」「保育園に預けるような子どもはいないから心配ないよ。孫たちはもう大学生と高校生と中学生だもの」「なんでそんな夢を見たんだろう?」「この間、横浜に引っ越した頃にA(長女)を預けるのに苦労したことを思い出していたから、また子どもを預ける夢を見たのかな」「わたしを預かって貰うところは何人で住むの?」「定員は9人」「一人出る人がいてあんたに順番が回ってきた」「近いところでよかったね。いつから入るの?」「まだ決まっていないけど1月の上旬かな」といった会話が続き、話しはいつもグループホームKに行くことになってしまう。妻もグループホームに入ることを気にしていていろいろ空想し、その内に現実のことと区別が付かなくなるようだ。
Rから迎えの予告電話がきたら待ちきれなくなった妻。玄関前の道路脇で迎車が近づいてきたら深々とお辞儀する。191211c.jpg

雨は止み朝の光が差し込む明るい雲間

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.10)
(アルツハイマー)

雨なので止んだら出掛けようと外を眺めたら、雨は止み朝の光が差し込む明るい雲間。急いで桃山公園の高台に行って曇天の沼を撮る。191210.jpg

明るい雲間が閉じて間もなくまた降り出した沼の向こうの雨。対岸の丘が白く雨に消え始め、こっちを向いて浮き上がって見えるネコの木。191210a.jpg

沼を渡って高台にも降り出した雨。雨に濡れた公園出口のドウダンツツジが鮮やか。191210b.jpg


『私には私流があるのよ』 (2019.12.10)
昨日午前中、Y内科に出掛けようとしたとき、「どこへ行くの?」「Y内科」「何のために?」「薬がなくなるから診察を受けて、グループホームKに入れて貰うための健康診断書を書いて貰いに」「Y内科ってどこだった?」「天王台駅近く」「駅の向こう側?」「こっち側」「家を出て359に右折して、信号を左折して郵便局の前を通ってまっすぐ行ったら天王台駅。どっちに曲がるの?」「右」「分かった、いつも行く病院だ」「どうして目を瞑って指さしながら道の実況中継をするの?」「実況中継じゃないわよ。家を出て頭の中の地図の上を歩いているのよ。そうすると行き先のことを思い出せるのよ。いきなりY内科って言われたって思い出せないじゃないの」と。今まで不可解だったことが何となく分かった気がした。以前、空想の世界から引き戻そうとしたとき、「今、岩滑(妻実家の場所)の前の道を歩いている。急に我孫子のことを言われたって戻ってこれないじゃないの」とか、「横浜の片倉台団地に入ったばかりの時の事を考えていた。今、神大寺から六角橋商店街まで来たところ」と言ったのは、頭の中の地図に従って思い出そうとした場所まで移動しないと思い出せないと言うことか。Kセンターのことを思い出すのに、自宅からの道を頭の中の地図に沿って辿ると思い出し、W園のことはKまで行ってそこからWへの道を辿ると分かるのも、記憶に辿り着くための妻なりの方法なのかもしれない。
夕食前の時間の隙を見付けてパソコンの前、少し遅れたかと台所へ行けば食卓に並べてあった宅配弁当やデザートのブドウ、夕食には食べる予定になかった冷凍食品や朝食用のサラダなどこれ以上並べられないほど並んでいた。すまし顔でテーブルの前に座っていた妻の前で、「これは朝食用のサラダ、これはお昼の冷凍食品、これは別の日のデザート。冷蔵庫に戻そうね」と言いながら冷蔵庫に運んだら絶句。冷蔵庫の中のレイアウトが様変わり。空きスペースを見付けて詰め込んでいるから頻繁に使うものが奧にあったり、すっかり変わった入れ場所に買い物に出掛ける前の残量確認もしにくくなり、急ぐ朝食の準備でも探すのに戸惑うこと必至。またやってくれたか思って私の表情が変わるのを読み取ったのか、「あんたはこのごろ買ってくるだけの人、私は長年台所仕事をやってきた人。私には私流があるのよ」と先制攻撃。参った参った。認知症発症以前は空きスペースにものを次々詰め込んで置き場所が変わっても憶えていた。物忘れが始まっても長年の習性は変わらず、目まぐるしく変わる置き場所に自分でもついて行けず、あちこちから同じものが出て来るようになった。私が買い物に同行するようになり、やがて私一人で買い物をするようになっても物の収納を妻流に変更するので、物探しが私の仕事のかなりの部分を占めるようになった。191210c.jpg

早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.9)
(アルツハイマー)

5時30分になってやっと東の空が微かに色づき始め、まだ星が幾つか見える。早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面。191209.jpg

コブハクチョウの子どもが二羽飛来したら、岸辺の葦の陰から出てきた親子六羽。岸近くに見え隠れしながら岡発戸新田の釣堀の方に消えた。191209a.jpg
やがて雲の上に日の出、出たら眩しいが直ぐ上にはまた雲。191209b.jpg


『私の字だから私が書いたに違いないけど』 (2019.12.9)
早朝の撮影から戻るとベッドに腰掛けてノートを広げていた妻、テレビで雪かきの場面が映し出されたら画面を指さし「おお寒い」と言ってベッドに上がり足に毛布を掛けた。「これ、私の字だから私が書いたに違いないけど、私は病院に入っていたの?」、9月2日の日付を見て「入院していたよ」「どうして?」「8月29日夜にお腹が痛くなって救急車で運ばれそのまま入院したよ」「入院してたことは憶えてないけど、救急車に乗って市役所の角を曲がったこと、誰かが入院って言ったのをきいたような気がする」「何度も話しているけど、入院したことは直ぐ忘れちゃうね。退院して帰った日にも、夜になったらどこから帰ってきたか忘れて、病院にいたことを思い出せなかったよ」「全然憶えていない」と不思議そうな顔をする。つらく、いやなことだったので消し去ってしまったのだろうか。信じられないというように首を横に振りながらノートのページををめくっていた。
二度寝してしまったと言ってパソコン作業をしていた私の前に来た。「あなたの姓は何だった?」「今村だよ」「私は子どものころ中島さんって呼ばれていたのに、なんで今村さんって呼ばれるようになっちゃったの?」「私と結婚したから」「そうだよね。なんで子どもの頃中島さんで今は今村さんか考えていたら分からなくなっちゃた」と言って、暫く経ったら「子どもはいたの?」「娘が二人いるじゃない」「えっ、二人も?」「Aが長女で、Lが次女」「どこにいるの?」「八王子と横浜」「場所を聞いたら段々分かってきた。今、八王子の道にいるからもう直ぐAの家、道は思い出したけど子どもの顔を思い出せない」と独り言。「あっ、思い出した。嬉しいね、こどもがいるのは」と、段々目が覚めてきたようだ。それにしても私が夫であることが分からなくなっていたとはびっくりだ。最近、二度寝すると夢を見ているようなことを言うようになった。
朝食後に始動しておいた洗濯機が止まったら洗ったものを干してくれと頼んだが、案の定忘れてテレビを見ていた妻。「洗濯機が止まったから干して」と頼んでしばらくしたら半泣きの顔で戻って来た。「洗濯物を干すのにベランダの手摺りを拭いていたら埃で雑巾が真っ黒になった。私が何にもしなくなったから、こんなに汚れた家にあんた一人を残して行くと思ったら悲しくなって泣けてきちゃった」と言って雑巾を見せた。「大丈夫だよ。この前洗濯したときも拭いてくれたけど、風の日があって畑の泥が飛んできて、その後雨も降った。心配しなくていいよ」と言ったがなかなか泣き止まない。グループホームに行くことになって、自分が行くことは受け入れたが、私が一人残っていて困らないかあれこれ考えているようだ。191209c.jpg






オレンジ色に染まった東の空と沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.8)
(アルツハイマー)

未だ暗い桃山公園の高台に立って数分も経ったろうか、オレンジ色に染まった東の空と沼。191208.jpg

岸近くを泳いで行った三羽のコブハクチョウの子、岡発戸新田の釣堀近くに来ていた親子5羽に合流。191208a.jpg

やがて輝きだした地平線の雲の縁、雲から登れば眩しい日の出。191208b.jpg


『私はいつからここに来たの?』 (2019.12.8)
昨日朝、撮影から戻って妻の様子を見に行くと、ベッドに腰掛けテレビを見ていたが雪景色が映し出されると、「おお、寒い。雪が降ってる」と言って布団に潜り込んだ。「今日は月曜日?」「土曜日だよ」「火木土の土曜日か、Rに行く日だよね」「そうだよ」「じゃぁ、起きなきゃ」と言ってやっと布団から出た。
朝食を食べながら「私はいつからここに来たの?」「ここってこの家のこと?」「そう」「もう38年くらい前、横浜から引っ越してきたよ」「そんなに前じゃない、最近来たよ」「それじゃ、入院したりWにお泊まりに行ったときのこと?」「えっ、入院してたの?」「8月29日に救急車でT病院に運ばれて、9月13日まで入院してたよ」「全然憶えてない。WはRの近くで1号室に泊まってたけど、どのくらい泊まってたたの?」「10月に5泊6日、11月にも5泊6日」「また泊まりに行くの?」「12月も16日から5泊6日、1月になったらグループホームKに行くことになってる」「Kってどこだった?」「消防署の先、一緒に見学に行って、いいところだから入居の申し込んできたよね。空きが出たから入れてくれることになったの」「分かった、ずっと泊まるところね」「そう、そこに入ったら、ここから近いから、私が散歩の途中に寄って会うことも出来るし、外出して一緒に食事に行くことだって出来るよ」「私は大丈夫だけど、あんたが一人になったらここに住むんでしょ。ちゃんと掃除して、洗濯もやって、ご飯もちゃんと食べなきゃダメよ」と、この話になると毎回一人で暮らすことになる私のことを心配してくれる妻。
「もう8時20分だよ、9時には迎えに来るから仕度しなくちゃ」と言うと着替えとお化粧をしに二階へ上がっていった。Rとの間の通い袋に昼食後に飲む薬を入れ、玄関の鍵と一緒にテーブルの上に置く。テレビを見ていたら睡魔に襲われ居眠り、遠くで鳴る電話呼び出し音に応答しようとしたら妻が二階で先に応答。「10分後に来るって」と言って降りてきた妻の手荷物をチェックして、鍵と通い袋を手渡す。元気よく迎車に乗り込み、発車したら手を振っていた。4時30分頃戻ってくるまでの間が、自分のことと家の中の雑用。妻が心配する一人で生活する最低限の術はこの時間の中で一通り出来るようになったと思うが甘いかな。191208c.jpg

のっぺりと空一面を覆う雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.7)
(アルツハイマー)

暗い曇天の朝、桃山公園の高台に着いたのは6時だったが、いつまでも暗い沼には鳥もいないし撮りたい景色も見つからない。のっぺりと空一面を覆う雲、所々地上の灯りに照らされたて僅かに黄色。191207.jpg

土曜日でも下の沼沿いの道は車が多い。山裾に遠くで点滅する灯り。191207a.jpg

望遠で撮ったら点滅していた灯りはスカイツリー、東京はもう雨か霞んでいる。191207b.jpg


『懐かしいね、手作りのお料理』 (2019.12.7)
いつもは宅配弁当だけの夕食がいつになく豪華だった昨日の夕食。夕方、写真友だちからいただいた里芋、人参、鶏の手羽などの煮物と白菜の漬け物。食卓に並べたら、「懐かしいね、手作りのお料理」と妻。「ガスコンロが壊れちゃってからお料理が出来なくなっちゃったものね、うちじゃぁ出来ないね」と言いながら小皿に取った。里芋を一口食べて「おいしい」と。
料理をしていることを途中で忘れ何個かの鍋を焦げ付かせ、近くにおいた鍋つかみ用のグローブを焦がしたり失敗も増えて来て、あるとき衣類の袖を焦がしてからガスコンロを使うのを止めた。私が見ていないときについ使ってしまうので娘とも相談して点火用の電池を抜き元栓を閉めた。妻にはガスコンロが故障したからと説明してから久しい。時たま「ガス会社に頼んで直して貰おうか」と言われると、妻から料理することを奪い、嘘をつき続けていることが後ろめたくなる。最近は自分の物忘れ対策でガスコンロを使えなくしてあるとうすうす気付いているらしい。グループホームに入ることになってからの生活について話し合っていたときに、「ガスコンロは直さなくていいよ、私がいなくなって使い慣れないあんただけになったら消し忘れたりして危ないから」と言ったことがあった。私が電子レンジで出来る料理は単身赴任時代に憶えた冷凍食品の解凍がほとんどだったが、最近は半熟の玉子や焼き芋だってできるようになった。そんな私を見ている妻は、「スーパーに行ったら出来たてのお総菜もいっぱい売ってるし、冷凍食品のまとめ買いじゃなくてちょっとずつ足繁く買いに行った方がいいよ。一人になって手抜きばかりしちゃダメよ」と私のことを心配している。
私が気にしすぎているかもしれないが、妻が水の飲み方が少なくなったときは喉が渇いていないと言うし、ぼんやりと空想の世界に入り込むことが多い。ここ二日ばかりは水をよく飲んだからか、「頭がすっきりしてきた」と言って行動も積極的にななった。医学的には常識になっていないかもしれないが、一関単身赴任時代にお世話になった友のコメントも参考にして、水にこだわっている。
『認知症入居者が多くいる施設経営者が一日1500リットル飲んでいると確実に症状が改善すると言っていて、介護業界では常識化しているようすでした。他方、知り合いの精神科医からはそんなの常識になっていないとの指摘もうけました。たしかに認知症の患者も扱う精神科医が知らないのであれば、まだ、「常識」にはなっていない様子。逆に無理やり飲ませたら誤嚥のリスクが高いという指摘も受けました。しかし、多くの方を接している施設が採用しているようなので、理論はどうあれ、実践的に改善するのであれば、やってみるにこしたことはないだろうとは思います。施設では無理に飲ませるのではなく、ジュースとかお茶とか普段の生活で水分を多くとるようなライフスタイルにしているとのこと。(2019.11.2 渡辺清文さんより)』191207c.jpg

街灯の光が漏れる高台風景

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.6)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着くと沼を撮るにはまだ暗すぎ、街灯の光が漏れる高台風景を撮る。先月亡くなった森かずおさんに連れられて18年前、初めてここから沼を撮影した。当時は松林の枯れススキを掻き分けて杉林に入り、林床に落ちた枯れ枝を踏みながら林を抜けると眼前に広がっていた沼に感動したことを思い出す。今では公園になって誰でも簡単に撮影に通えるようになった。191206.jpg

ようやくカメラのピントが合い始めて撮った曇天の下の沼。成田着便の灯りが何機も旋回し、一機ずつ空港に向かって下降。191206a.jpg

遠くハス群生地にいつもより少ないオオハクチョウ。191206b.jpg



『雨戸を開けて手を振っていた妻』 (2019.12.6)
昨日朝、着替えていて気がついた。洗濯が終わったものを分類もせず積み上げ、着る時に引き抜いていたのが四つに分類してきれいに積んであった。妻が雨戸を閉めに私の寝室に入ったときやってくれたようだ。妻の様子を見に行き、「私の衣類を整理しくれてありがとう」と言ったら、「憶えてないけどやってあったのならそういうことに気がつくようになったんだ。風邪が治ったような気分で頭がすっきりしてる。いろんなことに気がついてやろうとする気になった」と、二日続けて夜の水をよく飲んだ効果だろう。だが、「今日はどこへ行くんだった?」「Rに行く日だ」「Rってどこだった? いつから行ってる?」といつもの問答。「目が覚めたら思い出すよ」と言って早朝の撮影に出発。玄関まで見送りに来て、「二階の雨戸を開けて手を振るからこっちを向いてね」と言って階段へ急いだ妻。自宅南側にある葱畑の先を歩いていたら、雨戸を開けて手を振っていた妻。手を振って応えると寒かったのだろう間もなくガラス窓を閉めた。
帰宅すると、家中の雨戸を開けてから、Rへ行く持ち物の仕度をしていた妻。「Rってどこ?」とからかったら、目を閉じて地図をなぞるように宙を指さし自宅からRまでの道を説明した。Rから迎えの予告電話が来ると待ちきれず自宅の前に出て待ち、元気に出発した。
Rから帰宅してしばらく新聞を読んだ後、「いつから新しいところに行くことになった?」「まだ契約が済んでいないから決まっていないけど1月上旬だと思う」「いつ契約するの?」「9日にY内科で健康診断書用の検査をして、19日にA(長女)が来て私と一緒に契約に行く」「近くに入れることになってよかったよ。私は他人とはうまくやれるから心配ない。他人と一緒に暮らすのは学生の頃の寮生活や職場で経験してるから」と、自分に言い聞かせるように話す妻。「いつ家に戻れるの?」「子どもたちが泊まりに来たり正月などは外泊届けを出して家に戻れるよ。私と一緒に外出して、家に寄ることだって出来るよ」「そうだね、その方があんたも私も楽になるね。たまには家に見に来ないとあんたがどんな生活をしてるか心配になるものね」と、もうグループホームに入った後のことを話す。昔から、私よりも気持ちの切り替えが早く、一旦決めたら前向きに走り出す妻の性格は全く変わっていなかった。191206c.jpg

早起きのコブハクチョウたち

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.5)
(アルツハイマー)

地平線の空がオレンジ色に染まり始め、沼に映ってオレンジ色の水面。早起きのコブハクチョウたちが岸沿いに泳ぎ通り道を譲ったコガモたち。191205.jpg

刻々と色濃く染まる地平線の空と沼、風が沼を渡り通り道はブルー。191205a.jpg

眩しい日の出、南に斜めに向かいながら昇る太陽が鉄塔の天辺に乗った。191205b.jpg


『十数年前を思い出して語り始めた』 (2019.12.5)
昨日早朝、手賀沼撮影に出掛ける前に妻の様子を覗きに行ったら、目は覚めてテレビを見ていたが寒いから起きるのはいやだと布団を顔まで引っ張り上げた。「朝食が済んだら桃山公園に散歩に行くから7時になったら起きてね」と声を掛けたら、「はーい」と手だけ布団から出して振っていた。
撮影を終わって友と歩いて戻る自宅近くの道、「奥さんが手を振っている」と教えてくれた友。葱畑の向こうて2階の雨戸を開けながら手を振っていた妻。庭のオカメザクラの木にヒヨドリ三羽が来て止まり、撮っていたら、私に教えようとして指さしながらベランダに出てきた妻、撮っていたヒヨドリには逃げられてしまった。
朝食後、妻を誘って桃山公園に連れ出すと、沼を眺め「藤棚の下を通って遊歩道に出て、滝下広場を通ってどんどん行って、終点の橋でラジオ体操をして帰ってきたんだ」と十数年前を思い出して語り始めた。公園の広場を一回り、近所のコンビニに寄って昼食のそば、朝食用のパンやサラダを買って帰宅。
昼食のあと、近所の妻の友人が紅葉を見に行こうと妻を誘ってくれ、助手席に乗せてもらって紅葉を見たり、曙調整水門から沼を見てきたと。帰り道スーパーで買い物をした友だちに借金し、パン、おでん、羊羹、クッキー、煮豆の総菜を買ってきた。うかつにも「今朝散歩の帰りコンビニでパンを買ったよね」と言ってしまった。笑いながら妻が「忘れちゃった、このごろはみんな忘れちゃうんだな」と言ったら、「冷凍にして置けば賞味期限が過ぎても大丈夫」と横から助け船を出してくれた妻の友だち。「羊羹は娘が来たときのお土産、おでんはそのとき食べるの」と言っていたが、食パンをいつも置く場所に持って行ったら買ったばかりのパンがある。パンは買ったばかりだったと私が言ったことで失敗を指摘されたという思いが残っていたのだろう、「私って馬鹿ね、また同じもの買って来ちゃって怒ってるんでしょ。悲しいよ、こんなに直ぐ忘れるようになっちゃって」と言って泣き出す。いつまでも泣いているので、リンゴ黒酢を水で薄めバウムクーヘンを一切れ添えて渡したら、一口飲んで「おいしい」と笑顔になって泣き止んだ。
夕食前に食パンが二袋あるのを見て、「どうしてこんなにたくさん買っちゃったの?」と私を問い詰めるような口調。もう泣かせないようにしようと思って、「ごまの入ったパンがおいしそうだったからね」と答え、朝買ったパンを冷凍庫に入れた。「今日は散歩で桃山公園から手賀沼を見たし、Aさんに連れて行ってもらってまた沼を見て、よく沼を見た日だね」と言ったら、「えっ、誰と行ったの? 憶えていないよ」「私と散歩に行ったし、Aさんの車に乗せてもらってまた行ったよね」と言ったらしばらく考えて、「Aさんが来たような気がする」と言ったが手賀沼を見に行ったことは思い出せなかった。191205c.jpg

地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.4)
(アルツハイマー)

いつもより早めに桃山公園の高台に立てば、まだ上空に残っていた幾つもの星。地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星。191204.jpg

オレンジ色に染まった沼を風が渡れば水面はブルー、やがて地平線の雲から眩しい日の出。191204a.jpg

雨戸を開けようとして帰宅する私を見付け手を振る妻。オカメザクラの木に数羽のヒヨドリ、撮ろうとすればベランダに出てきて指さす妻、逃げちゃったじゃないかヒヨドリが。191204b.jpg


『車が来たから行ってくるよ』 (2019.12.4)
昨日朝、妻の様子を見に行こうとすると階段に水差しとコップが置いてあり、昨夜は全く水を飲んでいなかった。とりあえずコップ一杯飲ませる。私が近所の公園に写真撮影に出掛けようとすると、見送りに玄関まできて手を振っていた。
帰宅するとRへ持って行く予備のショーツがないと探していた。まだ失敗はしていないが失敗することを極端に気にし始め、通販で購入しておいた尿漏れ吸水機能のあるショーツも箱に入ったまま見当たらなくなった。二人で探したら、段ボール箱に入れ上に衣類が乗せてあるのが見つかり、安心のため使い始めることにした。
9事20分にRから迎えの予告電話、10分後迎えの車が来るのが見えたら指を差し「車が来たから行ってくるよ」と車に乗り込んだ。スタッフの方が降りてきて、バッグの中に玄関の鍵がないと言ってきた。家中を探したが見つからず、妻が手に持っているのが分かって無事出発。周りの騒ぎを聞き流し鍵を握ったまま座席に座っていた妻。
4時30分、デイケアから戻って来たらよくおしゃべりはするが、何かやろうとしても何をやろうとしていたのか忘れてしまう。夕食の仕度を始めたら積極的に介入しようとするが、頼んだりやって欲しいことはやってくれず、やって欲しくないことに手を出す。夕食は宅配弁当にスープと若干の果物を添えるだけなのに、冷蔵庫から次々食品を取りだして並べる。「これは朝食べようね」「これは昼に食べようね」と言って冷蔵庫に戻す私。以前は「やめて」と言うと「叱られた」と言って泣き出した妻を見て、もう言うまいと決心したがたまには禁句が出てしまい妻を泣かせることもあった。
グループホームKの方が健康診断用紙を届けてくれ、9日のY内科診察日に検査してもらうことにしたと夕食中に妻に話した。一瞬Kのことが分からなかったが場所の説明をしたら思いだして「早く入れることになってよかった。私は大丈夫だが、あんたが一人暮らしになってちゃんと食事や洗濯が出来るか心配だ。ごめんね、私がこんなになっちゃって」と言う。妻が何度か言っているように、「自分の状態と周りのことが分かる内に施設に入った方がいい。分からなくなってからだと自分がどういう行動をするかわからない」と言うのは正解だと思う。10分経つと忘れるが、五分くらいまでだとまともな会話が出来る。191204c.jpg

東の地平線に沿ってちょっとだけ青空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.3)
(アルツハイマー)

天気予報は晴れなのに、桃山公園の高台に立てば上空に黒い雲。東の地平線に沿ってちょっとだけ青空。191203.jpg

青空が見える雲の隙間が大きくなって、上空に迫ってきた黒く低い雲、ポツリポツリと落ちてきた雨。191203a.jpg

地平線の雲の上に日の出、眩しくて辺りの景色は暗転。191203b.jpg



『グループホームに入る決心をした妻』 (2019.12.3)
ブログにアルツハイマーを病む妻のことを書き始めたのは7月14日、ケアマネージャMさんから紹介されたグループホームVとKの二ヵ所を見学して申込書を提出した日だった。昨日午前中Kから電話、「空きが出ましたがいかがいたしますか」と。咄嗟には返事できなくて数日の猶予を頂いて妻に話した。自宅からの地図を書いてやるとおぼろげながら施設を訪問したときのことを思い出した。9月に16日間入院して以来、急に認知機能が低下し始め、物忘れや出来なくなったことが増えたことを自覚している妻は、「何も分からなくなってからよりも、まだ自分のことや周りが分かる内にグループホームに入った方がいい」と言って決心、地図の脇に「よろしくお願いします」と書いてサインした。早速、ケアマネージャのMさん、娘二人に連絡し二人も喜んで同意、Kに電話でお願いすることにしたと連絡した。契約には健康診断書が必要と聞いてY内科に電話して9日の受診時に必要な検査をお願いした。これで先々に対する不安が一つ解決できほっとしたことと、長年一緒に暮らした妻と別々に暮らすようになる寂しさが入り交じった複雑な気分。ブログを書き始めちょうど100回目を書いた日だった。
昨日朝、妻の様子を見に行くともう目覚めてベッドに腰掛けていた。テレビのリモートの使い方が分からなくなったと私にリモートを差し出し、テレビを点けた。桃山公園に撮影に行き、戻って朝食の支度をしていると、二度寝したらしい妻が台所に降りてきて手伝ってくれたが、前日まで出来ていたことが出来なくなり戸惑う妻に、出来そうなインスタント味噌汁に湯を注ぐのを頼む。湯を注ぐ気配がないので振り返ると涙ぐんでポットの前に立っているので、「どうしたの?」と声を掛けたら、「こんな自分じゃなかったのに、悲しいよ」と涙ぐむ。日々認知機能が衰えてゆくのを自分でも分かっているだけにつらい妻、どうしてもやれない私の苛立ち。
夕食時にグループホームKのことを話すともう忘れていた。もう一度最初から話し、二人の娘も安心できると喜んでいたと言うと、「それを聞くと嬉しくて涙が出るよ」と言う。「Kに入っても近いからしょっちゅう私が会いに行けるし、娘たちや孫たちが来るときは外出や外泊で家に来ることだって出来る」と言えば、「私は学生の頃寮にいて一人でいることに慣れているよ。それより男のあんたが一人暮らしする方がよっぽど心配だよ」と笑っていた。191203c.jpg

霧が出てうっすらと見える対岸

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.2)
(アルツハイマー)

曇天だからいつもより遅く桃山公園の高台に行く。霧が出てうっすらと見える対岸。コントラストの少ない沼風景はピントが合いにくい。191202.jpg

霧は更に濃くなって、ネコの木の上の雲間が赤くなり、またすぐに消えた。191202a.jpg

帰ろうとすると、霧の中から沼を渡って飛んできたカワウ。利根川に向かうのだろうか。191202b.jpg


『ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた』 (2019.12.2)
昨日早朝、妻の様子を見に行ったら前日の新聞を見ながら、「よく眠れたから頭がすっきりしている」と言った。「今どこにいるの?」とからかうと「我孫子の自宅。ちゃんと分かってるでしょう。今朝はどこにも行っていないよ」と言って、ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた。
朝食の支度を始めたら、「また眠っちゃった」と言いながら台所に来て、「あとは私がやる」と割り込んできたので後ろに下がって見ていた。サラダを盛りつける器が小さすぎると食器棚に行って持ち帰ったのはもっと小さな器だった。入れるものの量を見てから食器を選ぶまでに、入れるものの量を忘れてしまうのだろうか。冷蔵庫から食品を取り出すときも、食べる量にふさわしくないほどいろんなものを運び出して並べる。「そんなに食べられないでしょう」と言ったら、「分からない。考えてから支度することなんかできなくなった」と言い訳。言い訳じゃなくて今の妻は本当にそうだろうなと思った。食事が終わるとテレビの前に座り込み、今日は洗濯と掃除をすると言っていたことは忘れてしまったようだ。
昼食の近くになったら、パソコン作業中の私のところに冷凍のスパゲティも持って「お昼、これでいい?」と聞きに来た。一昨日の昼食と同じものなので、「友だちにもらったばかりの餅があるからそれにしようか」と言ったら一旦戻り、「さっき何を食べると言われたか忘れちゃった。これだった?」と言って冷凍のチャーハンを持って来た。一緒に台所に降り、単身赴任時代に憶えたメニュー、どんぶりに餅と薄めためんつゆを入れ電子レンジで加熱し、若干の具を入れる方法を説明しながらやってもらった。「ガスコンロがあればもっと楽なのに、今度ガス会社に直してもらってね」と言った妻、何度か危ないことがあって点火用の電池を抜いて、妻には故障したと言ってあった。うすうす私の嘘を見抜いていたのか、「一緒にいるときだけ使うようにしたら危なくないよね」と呟いた。
宅配便が届き、直後に宅配弁当が届き受け取った請求書を私のところに持って来て、戻ると回覧を見ていた。気がつくと私の妹から来た冷凍食品のお歳暮を開けたまま放置して回覧を読んでいた。早く気がついたので冷凍食品が解凍されてしまうことはなかった。
9月の入院以来認知症が一気に進んで、やって欲しいことは忘れ、やって欲しくないことは繰り返してやる。私が後始末を始めると、「忘れることが増えて、できなくなったことばかり。頭が馬鹿になっちゃったのが悲しい」と涙ぐむ。自分でも急速に進む認知機能低下を自覚して、悲しみ苦しんでいるようだ。191202c.jpg

空一面を埋め尽くした雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.1)
(アルツハイマー)

空一面を埋め尽くした雲。地上の灯りが雲を染め、沼に映って明るい水面。191201.jpg

地平線の雲間から覗いた瞬時の日の出、対岸から伸びてきた光の架け橋。191201a.jpg

雲の向こうを太陽が昇り、雲間から吹き出した光芒。191201b.jpg

『遠いところからよく来て下さいました』 (2019.12.1)
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドの上にむっくり起き上がり、「何を着せてやったらいい?」「誰に?」「小さい子が来ているでしょ」「小さい子って?」「孫が来ているでしょ、何を着せて送り出せばいい?」「孫なんか来ていないよ。家には私とあんただけ。孫はみんな大きくなって大学生と高校生と中学生だ」「そんなに大きくなったなんて知らない、このごろ見てなかったから」「心配しなくたっていいよ」「娘たちが大変だろうから手伝いに行っていたの」「昔はね。今はこっちが手伝いに来てもらってるよ」「孫をRに連れてってやらなきゃ」「Rに行くのはあんただよ」「孫じゃなくて私かね。Rって保育園じゃなかった?」「利根川沿いに下ったところ・・・」「分かった、私が今日行くところだね」と、やっと現実の世界に戻ってきたようだった。
撮影から帰宅して妻の様子を見に行くと着替え中。サイドテーブルの上になくした老眼鏡が乗っている。早朝にはなかったのに。「老眼鏡、どこのあった?」「知らない」と、どこで見付けたか憶えていない。たたんでベッドの脇に積んであった衣類の間にでもあったのか。
Rから迎えの車が来て、担当者から「電話したが出なかった」と言われたが、電話の着信には気付かなかった。
妻帰宅の1時間ほど前にケアマネージャのMさん来訪。ブログを見ておおよその状況はご存じなので、今後のショートステイの予約、認知機能が進行した場合のデイケアからデイサービスへの切り替えなどのアドバイスを頂いた。前回のショートステイの二日目、いつまで滞在するかと妻が質問し、Tさんが予定を書いてくれたら滞在が長くなった、留守中に私が倒れたら困ると泣き出したらしい。担当の方が散歩に連れ出し、Mさんが外出から戻ったときは明るい表情になっていたとのこと。出発の朝、妻の予定表が何度も書き直し分かり難いので私が書き直したら、急に予定を変更したと誤解して大むくれ、その感情を引き摺って出掛けたからだろう。Tさんには迷惑を掛けてしまった。妻が帰宅して、Mさんがいたから大喜び、「遠いところからよく来て下さいました」とあいさつ。同じ思い出話しを何度でも聞いてくれるMさんを大歓迎。
FAXを送ろうとしたら電源が入っていない。電源コードを辿って見たら電源コンセントのスイッチが切ってある。電源をONにしてもテレビのリモートは動作しない。電池が切れたかと蓋を開ければ電池の一本が逆向き。推察するところ、リモートを落下させ電池が飛び出して、直そうと電池を装着したが逆向き。テレビの電源を切りたくても電源が入ったままだからコンセントで電源を切ったのだろう。今朝Rに出掛ける直前、「テレビが言うことをきかない」と言っていたのを思い出した。191201c.jpg

風の通り道は波立ってブルー

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.30)
(アルツハイマー)

地平線の空のオレンジ色を映した沼を風が吹き抜けたら、風の通り道は波立ってブルーに。191130.jpg

沼を渡って飛ぶカワウの群。やがて遠ざかり黒い雲に溶け込んで見えなくなる。191130a.jpg

地平線の雲から出はじめたた太陽。雲の上まで登れば眩しすぎてもう撮れない。191130b.jpg



『空想の世界から現実の我孫子での食卓に戻った』 (2019.11.30
昨日早朝、妻の様子を見に行くと頭を抱えてベッドにうずくまり、「頭が狂っちゃった。何をしようとしていたか分からなくなっちゃった」と言う。「大丈夫、目が覚めたら直ぐ治るよ」と声を掛けたら頭を上げ、「私はいつここに来たの?」「いつって、どこから?」「横浜からちょっと前に来たような気がする」「横浜から来たのは40年近く前」「ここは我孫子なの? 団地なの?」「我孫子の自宅だよ」「一戸建て?」「我孫子に来てこの家を立てずっと住んでいるよ」「私の頭は横浜から来たばかり、ずっとここに住んでたなら矛盾してる。私は私の人生を変えちゃってる」と言って着替えを始めた。ブラジャーのつけ方が分からなくなったと言うので、見ると先日通販で買ったもの。止める場所が僅かに違うだけ。今まで使っていたものを手に取ると難なく着用できた。
朝食後のひととき、頭に浮かぶことを実況中継するような妻の独り言。「直ぐ思い出せるのは岩滑(妻の実家付近)の景色、初めて勤めた佐倉小学校から池新田を通って新野から南山に出た道の景色もすっと思い出せるよ」「結婚して武蔵小山に住んで、等々力に引っ越したね」「うん、どっちも憶えてるよ。公団が当たって等々力から横浜の片倉台団地に引っ越して直ぐ、区役所が紹介してくれた東神奈川の保育園に行ったら、保育園の周りに職を探す人がいっぱい集まっていて、あまり大きくない保育園は廊下まで子どもを寝かせていた。ここには預けられないと思った。六角橋の商店街近くの保育園は空きがあったが、商店街が10時から始まるので9時半からしか預かってくれない。困っちゃって等々力にいたとき預けていたなおみ保育園に行ったら、まだそのまま空きが残っていたからまた入れてくれたが、区役所の補助金分は自己負担になった。毎朝尾山台まで遠回りして、預けてから大井町の立会小学校に通ったの」と言って泣きべそをかき始めた。「どうして泣くのと?」と言ったら「あっ、泣いてた?」と言って、記憶を辿る空想の世界から現実の我孫子での食卓に戻った。よほど困って辛かった記憶だろう、横浜に引っ越して長女を預ける保育園探しの記憶は鮮明だ。横浜に住んでいたときのことを思い出すときはいつもこの話から始まるので、最近になって何度か聞かされている。私は海外出張の多い頃で、出張と出張の間に私の職場の皆さんが手伝ってくれて一気に引っ越し、皆さんと昼食を食べていたとき、人類が初めて月面に立った画像がテレビに映っていたのが私の引っ越しの記憶。思い返せば全て妻任せだった。
夕食の頃になるといつもの妻に戻っていた。電子レンジを使おうとして、「動かない」と妻。もう一度やらせたらスタートボタンの代わりに取消ボタンを押していた。「こっちだよ」とスタートボタンを指さしたら、三度目はちゃんと動いた。「私の頭はここにない」というので、「どこに忘れて来たの?」と茶化すと、「頭に訊いても分からないよ」と。妻の混乱ぶりも収まってやっと笑顔が出た。ここ二日間で急に認知症が進んだようだ。191130c.jpg

オレンジ色に染まった東の地平線の雲の上

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.29)
(アルツハイマー)

上空は雲一つない快晴の夜明け、まだ星が幾つか残る上空。オレンジ色に染まった東の地平線の雲の上。191129.jpg

岸辺から泳ぎ出たコガモやカルガモ。五羽ほどのカルガモが飛来しオレンジに染まった水面に着水。191129a.jpg

やがて雲から出た太陽は眩しく、地平線の空も沼もオレンジ色。191129b.jpg


『私の古い老眼鏡を掛けたらよく見えた』 (2019.11.29)PB282363mt.jpg
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドに腰掛けノートを見ていた。サイドボードから引っ張り出したのだろう、妻が近隣センターに行っていた頃の日記だった。何度も中断し、また書き始めることの繰り返しだったノート。「もう忘れちゃったけど、書いておいたから何をやっていたか分かる。これ、我孫子のことだよね。私、いつここに来た? ちょっと前まで横浜にいたのに、頭の中がごちゃごちゃになって分からなくなった」「横浜から来たのは36年以上前だよ」「困ったな。頭がおかしくなっちゃった」と言ってノートを置き着替え始めた。
横浜にいた頃の夢を見たのか、横浜にいた頃を思い出して空想の世界にいたのか、朝食時には現実の我孫子に戻っていた。朝食後、Rに行く支度をして居間に降りてきて、持って行く手提げ袋に老眼鏡が入っていないと中を探っていた。「眼鏡なら、何処かに置き忘れて一昨日も昨日も探したよね。まだ見つかってないよ」と言ったら前夜言ったことは忘れて、「あなたは自分の眼鏡を探していたのでしょう」と前夜と同じことを言う。私の古い老眼鏡を掛けたらよく見えたと、それを持って出掛けた。昨日辺りから急に物忘れが増えて、妻自身も戸惑っているように見えた。
一緒に夕食の支度をしていたとき、ハイになって口数が多くなり、あれこれ思いつくことを一人でしゃべっていたが、突然真顔になって「私には子どもが二人いたよね、男の子はいなかったけど。今は子どもは出て行って二人家族だよね」「二人とも結婚して出て行ったよ」「結婚してたか」「孫だっているよ」「上は八王子にいるって分かるけど、下は川崎だったか横浜だよね」「横浜だよ」「うん、思い出したよ」「私は何人姉妹だった?」と言って指折り数えたが途中で分からなくなる。「上から名前を言ってごらん」と言ったら、立て続けに七人の名前を言った。今度は名前を言いながら数えて、「七人だ。名前を全部言えた。嬉しいね」「一番上の姉さんは亡くなったけど」「えっ、亡くなった」とびっくりした様子。自分の姉妹や娘たちのことを思い出しにくくなって来て、時たま末の双子の姉妹と自分の娘たちを混同するようにもなってきた。いずれ私も「どちら様でしたか?」と言われる日が来るだろう。

コサギ、ユリカモメ、オオバンに囲まれたカッパ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.28)
(アルツハイマー)

昼食の弁当を買いに水の館の農産物直売所へ、お目当ての弁当はすでに売り切れ。展望台に登ればコサギ、ユリカモメ、オオバンに囲まれたカッパ。191128.jpg

雨がまた強く降り出した沼、遊歩道を傘を差して歩いてくる女性の一団、スコープらしきものを持った人もいるからバードウォッチングの人たちか。191128a.jpg

上沼方向は雨が降っていないのか、手賀大橋の向こうにくっきりと見えた柏の街。191128b.jpg



『手帳と日程表を開いてにらめっこ』 (2019.11.28)
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドの上に座ってノートを読んでいた。読んでいたのは救急搬送されて入院した9月上旬の妻の日記。「これ、私が書いたの? 私の字だものね」「そうだよ、入院してたときにあんたが書いた」「入院したの? 書いてあること、全然思い出せないよ」「お腹が痛くて、救急車に乗って行って、そのまま16日も入院したよ」「救急車に乗ったことはちょっとだけ憶えてる。そうだ、窓の外を見たことがある」と思い出したのはそこまで。入院したときのことは何度も問われて話しているが、何度話してもそのときのことを思い出せない。
昼食後ふらりと二階へ上がったきり戻ってこない妻。覗きに行けば手帳と日程表を開いてにらめっこ。「何をしてるの?」と声を掛けたら日程表を指さし、「今日は18日?」「今日は11月27日だよ、水曜日」「明日はRだから、お茶会の日を決めてみんなに連絡しなくっちゃ」「お茶はもう三年前もからやっていないよ。Rへはデイサービスでリハビリに行くの、お茶のお稽古はしなくていいの」「そうか、もうやっていないんだ。やらなくていいならうれしい」と安心した様子。RやWに行く支度中に、「お茶の支度をする」と言いだしことが何度かあった。やっとその理由が分かったような気がした。古いお茶の日程表に「K、お茶のサービス」と書いてあった。Kとは近所の介護施設、そこにはボランティアで入居者へのお茶の会をしに行く妻を何度か送って行ったことを思い出し、「Kにはお茶で行ったことがあるよね」と言ったらそのことは憶えていた。Kでの記憶が同じような雰囲気のRやWと重なって、RやWでもお茶の会をやったと思い込んでいるのだろう。
夕食後、Rに行く支度をしていて「眼鏡がない」と手提げ袋の中を探っていた妻。「眼鏡なら昨夜も探したが見つからなかったよ」と言ったら、「眼鏡が無いと探していたのはあなたの眼鏡じゃなかったの、私の眼鏡を探してくれていたなんて知らなかった」とまるで他人事。今日も妻の留守中、妻が何か行動を始めそうな場所を探した。トイレ、洗濯機の周り、物置の棚、台所の引出。全て空振りだった。191128c.jpg

ここ数日代わり映えのしない灰色の沼ばかり

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.27)
(アルツハイマー)

曇天だから少し明るくなってから桃山公園の高台に行ったが、ラジオ体操の時間近くになるまで誰も来ない。ここ数日曇天か雨、代わり映えのしない灰色の沼ばかり。191127.jpg

右からも左からも岸から湧いてくるコガモ、刻々と群は膨らみ正面の水面に集結。191127a.jpg

ビオトープの方の岸から数羽ずつ出てきて岡発戸新田の釣堀前に集まったコブハクチョウの親子8羽。全員集まったらこちらに来るかと待ったが、今朝は釣堀前から動かないコブハクチョウ親子。191127b.jpg



『老眼鏡が無いと読みにくい』 (2019.11.27)
昨日早朝妻の様子を見に行くと、ベッドに座ってテレビを見ていた妻。一昨夜は、頭がごちゃごちゃしていてとんちんかんなことを言ったり、とんちんかんなことをしそうだからRに行きたくないと、すっかり自信を失って落ち込んでいた妻だったが、一晩経ったらまた元気な妻に戻っていた。「Rに行く日だよ」と声を掛けたら、「分かった。早く起きて支度をしなくちゃ」と、昨夜のことは全く忘れてしまったようだった。出掛ける支度も順調に終わって、Rから迎えの予告電話が来たら玄関で靴を履こうとして、「どっちにしようかな、どっちがいいい?」と二足のシューズを片足ずつ履いてちょっとおふざけ。「どっちもいいから片足ずつ履いていったら」とからかうと、「Rは上履きに履き替えなくてもよくなったの。一日中こんな格好してたらみんなに笑われちゃうじゃないの」と真顔になって色の濃いシューズを選んだ。外は雨、迎車が来ると「鍵、掛けといてね」と言い残して迎えの車に飛び込んだ。元気に出掛けてくれてほっとした。
夕食後、まだこの新聞は見てなかったと一昨日の夕刊を広げた妻。老眼鏡が無いと読みにくいと眼鏡を探しはじめたが見つからず、「Rに忘れてきたのかな」と言ったが、デイサービスから帰った後ずっとたまった新聞を読んでいたからから眼鏡は掛けていたはず。眼鏡ケースも見つからないから、何かしようとして眼鏡を外しケースに入れて持ち歩いたかと、行きそうになところや入れそうなバッグの中を探したが見つからない。試しに私が以前読書用に使った老眼鏡を掛けてみたらよく見えると言うので当座はそれで我慢することになった。二人で探しても見つからず、「明日探そうよ」と言っても気になるらしく、二階へ行ったり居間に戻ってきたりせわしく動く妻。「背中にリバスタッチパッチを貼るから支度をして」と言っても上の空。
何か失敗をしても、元気なときは「またやっちゃった」と明るく振る舞っているが、内心は失敗をずいぶん気にしているようだ。「またやっちゃった」と自分で言ってもその直後に必ずと言っていいほど弁解をする。それが重なると自信を失って落ち込むから、失敗したことををやり直すにしても「大丈夫、大丈夫」と声を掛けたり、見て見ぬ振りをする。だが、こちらも余裕が無くなってきたとき、つい過ちを指摘したり強い言葉でやめさせることがある。びっくりしたよう顔をして、それが落ち込みの引き金になる。今までに何度反省したか、それでもやってしまう自分に私までも落ち込む。一昨日も思い当たることがあった私。191127c.jpg

頬に当たると冷たい霧雨混じりの風

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.11.26)
(アルツハイマー)

いつまでも暗い曇天、地上の灯りが流れる雲を照らし、頬に当たると冷たい霧雨混じりの風。191126.jpg

少し明るくなって見えてきたハス群生地、今朝も来ていたオオハクチョウ十数羽。191126a.jpg

雨粒が大きくなってきて、埋立地の杭にダイサギとコサギらしきが止まる。191126b.jpg



『コーヒーの入ったカップを持って来てくれた妻』 (2019.11.26)
階段をコツコツと叩くような音、両手でなみなみコーヒーの入ったカップを持って来てくれた妻。コーヒーを溢さないように一段おきに階段において上がってきたのだと。何か話したい様子だったが、モニターのヒヨドリを見て、「霧の中でよく見えないね、他の写真はどんなだった」とモニターを覗き込み、部屋から出て行った昨日の朝。
夜間に水を飲んだ量が少なかったからか、朝から「頭の中がもやもやしていて自分がやってることが分からなくなった」と言っていた。昼食のカレーを電子レンジで温めるのにスタートボタンを押さずに待っていて、「動かない」と言い、やり直したら1分40秒の設定時間を忘れて5分の設定をしてスタートしようとする。牛乳を注ぐと言ってカップを出してきてじっと眺めていた。「どうしたの」と声を掛ければ、「何を入れるんだった?」と牛乳を注ぐことを忘れていた。「テレビを見ようとして、空調のリモートを手に持って、「テレビが点かなくなった」と言ってきた。「頭の中がごちゃごちゃで、何をどうやるか分からなくなった」と言って、午後はずっとテレビの前でぼんやりしていた。どうしちゃったのだろう、ショートステイから帰ってきて昨夜までの活発だった妻とは別人のようになってしまった。
夜寝る前に妻の背中にリバスタッチパッチを貼りながら、「明日はRに行く日だから早く寝ようね」と言ったら、「Rには行きたくない。とんちんかんなことばかりやっていて、行ったらどんなとんちんかんなことを言うか分からないし、何を間違えてやってしまうか分からない。みんなに迷惑を掛けるから行きたくない」と呟く。「大丈夫だよ、明日は治ってるから」としか言いようがなかった私。一夜明けた今朝、一昨日までの妻に戻ってRへデイサービスに行く支度をしていた。何だったのだろう昨日一日は。191126c.jpg