風が強く沼は波立ってブルー一色

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.23)
(アルツハイマー)

地平線の空が赤くなっても、風が強く沼は波立ってブルー一色。200223.jpg

岡発戸の丘の上を赤く染め、登った途端眩しい日の出。200223a.jpg

春一番で飛んだ二階のベランダにあったサンダル、拾いに庭に出てたら隠れるように咲いていた花。200223b.jpg



『数少なくなった記憶のインデックス』 (2020.2.23)
晴れても風が強く寒かった昨日午後、玄関を入るとSさんが来て妻の部屋を開けて私が来たことを伝えた。私を見付けて「淋しかった」とまた泣き顔。散歩は無理だろうと、長女が1歳から2歳歳の時に等々力に住んでいて横浜の片倉大団地に引っ越した頃のアルバムを持参した。等々力に住んでいたころ、近所で撮った写真を見て「うちの子、Aだよ。かわいいね」と言ったがどこで撮ったか背景を見ても分からない。「等々力に住んでた頃だよ」と言っても「等々力ってどこ?」、ナオミ保育園の運動会の写真を見て「ここにAがいる。これ、私だよね。どこだろう?」、「ナオミ保育園だよ」と言っても怪訝な顔。昨年末には妄想の中で何度も出てきた保育園なのに。三ヶ月ほどの出張から戻って二子玉川園に連れて行った写真を見ると、「長くアメリカに行っていたのに、この子はお父さんを憶えていたよね」と言った。二子玉川園だと分かって、やっと等々力に住んでいた頃の思い出がおぼろげに蘇った。
横浜に引っ越してからの団地での写真写真を見て、「これ、家の前だよ。こっちへ行くとバス停。六角橋を通って東神奈川に出た。保育園を探しに行ったがなくて困って、なおみ保育園に頼んでもう一度入れてもらった」と言ってナオミ保育園を思い出し、等々力に住んで保育園に長女を預け、大井町の立会小学校に通勤していたことも思い出し、横浜に引っ越してからも東横線に乗って神大寺のナオミ保育園経由で大井町に通勤したことも思い出した。写真を見ても思い出せなかった記憶が、子どもを預けるところがなくて困ったときに助けてもらったナオミ保育園が数少なくなった記憶のインデックスになって、連鎖的に当時の記憶に辿り着いたらしい。
アルバムを見終わって、CD再生に合わせて歌った妻。目を瞑って「ふるさと」を歌ったら頭に浮かんだ景色は妻の実家近くだが前日とは違った場所、隣村の大坂に向かって歩く景色だったと。歌うとどうやって景色が出て来るか不思議、「そこで歌ったことがあるからそこの景色が出て来るのだ」と妻は言う。おやつの時間が近づいて退出、玄関の解錠に来てくれた職員さんと一緒に見送りに来た妻、「夕ご飯、ちゃんと食べなきゃダメだよ」と言って手を振っていた。200223c.jpg

ネコの木の向こうは霧の中

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.22)
(アルツハイマー)

細かい雨は止んだがいつまでも暗い曇天。ネコの木の向こうのフィッシングセンターや調整水門の街灯は霧の中。200222.jpg

小さな雲の切れ目が見る見る広がって、その向こうには薄い雲。200222a.jpg

今朝もいた、いつもの場所に仲睦まじいスズメのペア。200222b.jpg



『思い出の風景は静止画か動画か?』 (2020.2.22)
毎年恒例の胃カメラの健診、私の胃入り口にポリープが見つかり組織検査の結果はGroup2、更に免疫染色検査の結果を訊きに行くのでいつもより早く妻に面会に行った昨日昼過ぎ。Oさんが部屋を開けると出てきた妻、私を見付けてまたもや泣き顔。「今日は泣き虫さんだねぇ」とOさん、「今日だけじゃない、昨日も泣き虫だったよ」と私が言えば、「だって、今日は淋しくて泣けてくる」とはにかんだ妻。「午前中はどうでした?」とOさんに訊ねたら「午前中はいろいろやることが多くて泣かなかった」と。
「今日は検査結果を訊きにJAとりでに行かなくちゃならないの。だから早く帰るので、天気がいいのに散歩には行けなくてごめんね」と言えば「検査したのね、検査じゃ仕方ないね。でも早く帰っちゃうの嫌だな」「CD掛けるから歌ったら」と言って日本の歌を掛けた。「ふるさと」を歌った後、妻の実家の裏山から見た風景を思い出し、「冬景色」になったら手賀沼にワープして我孫子に戻ってきていた。目を瞑って歌えば景色が浮かぶ妻は、写真のような静止画として景色を見ているのか、テレビのような動画で見ているのか気になって妻に訊ねたら、「散歩のように歩いていたり、車の運転をしながら歌っている時に見ている風景だから景色は動いている」と言った。私の場合、風景を思い出すとほとんどが静止画のような記憶なのだが。
歌っているときは歌詞が独りでに出て来るという妻。同じ歌の歌詞を歌っていないときに問えば思い出せないのに、途中からでも歌を聴けばその続きをほぼ間違えずに歌える。歌詞を憶えているのは文章としての記憶ではなく、メロディと一体になった記憶で、記憶の場所も読み出し方も違っているようだ。歌っている妻の側でそんなことを考えていた昨日の面会時間だった。200222c.jpg

対岸に沿って延びる細く長い赤い線

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.21)
(アルツハイマー)

上空は青空になったが地平線に沿って高くまで厚い雲。地平線と雲の間が赤く染まり、対岸に沿って延びる細く長い赤い線。200221.jpg

幻灯の絵のように、雲の隙間に浮かび上がるようなニュータウンのビル。200221a.jpg

どんどん晴れるかと思ったら上空に湧き出してきた雲。早々に帰路につけば途中で出会った散歩中の友。200221b.jpg




『歌は全部覚えていて忘れずに歌えるよ』 (2020.2.21)
いつもより10分ほど早く妻に面会に行った昨日午後、さてどんな具合かとそっとドアを開けると、鏡台の椅子に座ってノートを読んでいた。私に気付くと急に泣き顔になり、「寂しかった」と言って立ち上がる。「おやおや泣いてるの、泣き顔のお出迎えは嬉しくないね」と言えば「待っていてもなかなか来てくれないし、ひとりで部屋にいて何にもやることがないでしょ。泣くことしかやることがないじゃないの」と言ってからやっと笑顔が戻って来た。「窓から外を見ていたらだんだん曇ってきて寒そうだし、散歩にも行きたくなくなった」と寒さに弱い妻。
CDラジオで日本の歌を再生すると、「いつも同じ曲から始まって同じ曲が続くから時々変わった方がいい」とのリクエスト。二枚組のもう一枚のCDを再生すると、目を瞑って手でリズムを取りながら歌い出した。曲の間に「目を瞑って歌っていると景色が見えてくる。いつかこの歌を歌った場所を歩いているようだ。いまは若松の商店が並んでいる辺りだった」と言った。次を歌ったら手賀沼公園が見えてきて、そのうち「柏の景色になった」と。目を瞑っていても悲しい歌には悲しそうな表情、楽しい歌には嬉しそうな顔。「歌って不思議だな、色んなことを忘れても歌を歌えば独りでに出てくる。歌は全部覚えていて忘れずに歌えるよ」と得意げに言うが、歌の記憶を思い出すインデックスは他の日常生活の記憶とは違うのだろうか。半年ほど前迄はノートにメモするときなど「漢字は忘れないね、すっと出て来る」と言っていたが、最近は書けなくなった文字が増えて来たように感じる。歌を歌うのが大好き、歌っていると生き生きした表情になる妻、いつまで歌を忘れずに楽しめるだろうかと気になる。
おやつの時間が近づいて廊下を歩く人の音、「さあ、帰る時間だ。また来るよ」と言ったら妻が自分でCDラジオの電源を切った。「いろいろいじっていたら鳴らすこともできたよ」と電源ボタンを押し、手当たり次第にボタンを押したらラジオの放送が鳴りだした。職員さんに「おやつですよ」と言われたが、玄関まで私を見送りに来てくれた妻。200221c.jpg

高台への小径を進むと地平線はオレンジ色

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.20)
(アルツハイマー)

天気予報は曇天だったが、高台への小径を進むと東から南の地平線はオレンジ色。200220.jpg

高台に立てば、薄雲の向こうに細くなった月が見え隠れ。200220a.jpg

岡発戸の丘の上、雲の隙間の向こうの薄雲の中に日の出。200220b.jpg



『子の神大黒天に長々とお参り』 (2020.2.20)
妻に面会に行った昨日午後、玄関を入るとSさんが出迎えてくれて「散歩や面会が終わってから介護計画の説明をする」と伝えられ、職員さんが妻を探すと自分の部屋の椅子に座って何かしていた。面会票を書いている私を見付けて「来ないかと思ったら来てくれたのね」と言いながら私の荷物を部屋に運び込んだ。
「天気がいいから散歩に行こう」と誘ってコートと帽子を渡したら、「ちょっと待って、お化粧直すから」と鏡台の前に座り込んだ。入居以来、散歩の前にお化粧を直そうとしたのは初めて、頭がすっきりしてきたからか。「久しぶりの散歩ね。嬉しい」と言うから「昨日も行ったよ」と言えば首をかしげ「思い出せないなぁ。まぁいいや。私がここにいてあんたが来るのを待っているのに、あんたが夫だと言うことまで忘れたらつらいな。でも忘れるかもしれないよ。それは最後に忘れることになって欲しいな」と私をからかうような口調で言って笑う。「あんたのお母さんはお父さんが夫だって忘れたよね」と言うと、妻の父の葬儀の日の出来事が話題になった。火葬場でどなたの葬儀か訊ねた母に、幹さんだと名前を言ったら、どちらの方と聞き返し、あなたのご主人だと言われたら、私は結婚していたのかと母が言ったという我が家では語りぐさの出来事。「私も段々といろいろなことを忘れてしまうのは仕方のないことだが、あなたが夫だということは最後まで忘れたくないよ」とまじめな顔に戻って言っていたたが、いずれそんな日が来ることは覚悟している。
暖かい日だから子の神大黒天まで歩いてきた。途中で白梅の花を見て、子の神大黒天のベンチに腰掛けて手賀沼を見た。「向こう岸は我孫子?」とここに来るたび同じことを言った妻。「向こう岸は沼南だよ。見えてるのは柏市の大井新田の辺り」「じゃあこっち岸は?」「若松。直ぐ下にカスミがあって、Ksデンキの赤い看板も見えるでしょ」「そうか、ここに来ると私の頭の中は逆になっちゃう」と、背伸びして下の景色を覗いていた。近所のおばあちゃんだろう、長々と子の神大黒天にお参りしていたのを見て、おばあちゃんのお参りが終わるのを待って妻も長々とお参り。
ホームに戻りSさんから介護計画の説明を受けて、署名捺印した。横で聞いていた妻は時々質問、「ここにいて私にもできることの役割が欲しい」と言った。3時のおやつに誘われ妻は共通スペースのテーブルへ、それを見届けて退出。200220c.jpg

オレンジ色に染まった地平線の空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.19)
(アルツハイマー)

オレンジ色に染まった地平線の空、地平線の空が映ってオレンジ色になった沼を風が渡ると通り道はブルー。200219.jpg

岡発戸の丘の上を赤く染め、やがて山際の雲が白く輝き始めたら日の出。眩しすぎて滝前の住宅地も市民農園跡の畑も暗転。200219a.jpg

自宅近くの電線にスズメのペア、寄り添って何かおしゃべりしているみたい。200219b.jpg



『頭がすっきりしてよくなってきたようだ』 (2020.2.19)
昨日午後、部屋のドアを少しだけ開けると、毛布を被って眠ったふりをした妻。「昼寝をしてたの?」と、隠れたのを知らぬ振りして声を掛けたら、毛布を撥ねのけノートを持った手を突き上げて「眠ってないよ。暇だからノートを読んでいた」と、ちょっとふざけた仕草。「散歩に行くかい?」と言ったら窓の外を見て「陽が射してるね。行くよ。朝からずっとうるさい音がしてるよ」と言ったのは、裏の駐車場脇で大木の枝をチェーンソーで切っていた音。コートと帽子を出すと、思い出したようにトイレに行ってなかなか戻らない。開いたままのノートを覗くと入所したときに長女や私が書いた記録のページだった。「タオルを忘れた」と言って濡れた手のまま戻って来た妻。コートを着せ帽子を被らせると「出発」と言って先に立って玄関へ、ドアの解錠に来てくれたOさんが「二人で散歩、いいな」と言ってハイタッチ。いつもより少し行動的だ。
風の当たらない裏道を歩き、日の当たる垣根の前で顔中マスクの写真を撮れば、モニターを見て笑い出した。子の神大黒天に登る階段を見て、「一緒に登ったことがあったね」と我孫子に来たばかりの昔のことを思い出した妻。足が弱って転びやすくなった妻を支えていた私の手をふりほどき、「この方が歩きやすい」と言って腕を組もうとする。「それじゃ転びそうになっても支えられないよ」と言った直後に転びそうになって「やっぱりダメだな」と腕を組んで歩くのを諦めた。船取線に出たらしばらく立ち止まって手賀沼や市役所の別館、名戸ヶ谷病院等を眺める。ホンダの店の前に差し掛かると「ここで自動車を買ったね」、コナカの前に来ると「ここにも買い物に来たことがあった」と、何度も散歩で通過していても気に留めなかった店を覗いて古い記憶に辿り着いたようだ。
部屋に戻って、「頭がガーンとして気持ちが悪いとよく言っていたが、この頃言わないね」と言ったら、「耳が遠くて聞こえにくいのは同じだけど、頭がすっきりしてよくなってきたようだ」と。リバスタッチパッチを貼るのを休止してめまいの薬を処方してもらうようになって約一ヶ月、その効果が出てきたのだろうか。CDラジオで日本の歌のCDを再生して何曲か童謡などを歌わせ、おやつの時間近くになって退出。Oさんと一緒に妻も玄関で見送ってくれた。200219c.jpg

木立の向こうに広がる夜明けの沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.18)
(アルツハイマー)

沼を見下ろす桃山公園の高台への小径、突然木立の向こうに広がる夜明けの沼。200218.jpg

滝前の信号が変わるたび、5~6台の車が連なって西へ向かう高台の下の道。200218a.jpg

地平線の雲を赤く染め、岡発戸の丘の上の登った日の出。200218b.jpg


『2月に入ってから回復の兆し』 (2020.2.18)
おやつの前はハーモニカのボランティアが来る日だから、おやつが終わった頃に面会に行った昨日午後。妻たちはおやつのテーブルを囲み赤とんぼの歌を歌っていたので部屋で待っていた。ドアをちょっとだけ開けて覗き「誰でしょう、誰か来てるぞ」とちょっとふざけていた妻。歌を歌ってきたからか明るい表情。
ベッドに腰掛け、「私、入院したでしょ。何があったか思い出せない」とまじめな顔になって言った。「去年8月末、膵炎になって救急車で我孫子東邦病院に搬送されて16日間入院した」「窓から市役所の前の道やホンダの店を見たような気がする」「12月中頃、めまいと吐き気がひどく救急車でJAとりで総合医療センターに行って便秘だと診断されたが、また翌々日同じようになってタクシーで行ったら、体質が変わってリバスタッチパッチが効き過ぎたと言われて一時貼るのを中止してから、薬が半分のものを再開した。正月に子どもたちが来て嬉しくて食べ過ぎ、膵炎を再発してJAとりでに入院し9日に退院した」と、ゆっくり間合いを取りながら説明したら幾つかの光景を思い出した。「ここへ入ったのはそのため?どうしてここに入ることになったの?」「ケアマネージャだったMさんに紹介されてAと一緒にヴィスタリオを見に行ったら、なかなか空きができないから同じ系列のグループホーム寿も見てはどうかと言われて見に来た。別の日に私があんたを連れて見に来たら、あんたも気に入って申込書を自分で書いた」「そのことはうっすら憶えてる。いつここに入れることになったの?」「12月始めにここに空きができたと連絡があり、あんたと娘たちとも相談して入れてもらうことにした。正月に娘たちが来て仕度をしてくれ、1月12日に入居することにしたが、3日から膵炎の再発で入院し、9日に退院できて12日にここに入居した」「みんなに心配掛けたんだねぇ」と言いながら断片的に幾つものことを思い出した。ここに入ってリバスタッチパッチを休止してめまいの薬を処方してもらったからか、ゆっくりと一区切りごとに間を取って話したらずいぶんいろいろのことを思い出せた。2月に入ってから回復の兆しが見えてきた気がする。
預けてあった爪切りを持って来てくれたSさんも、入所時よりずいぶん回復したように見えると。手の爪は自分で切ったが、足の爪はうまく切れず、あとでSさんが見てくれると言ってくれた。何曲かCDラジオで日本の歌を再生して歌わせてから帰宅した。200218c.jpg

べったりと単色の絵の具を塗ったような曇天の朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.17)
(アルツハイマー)

べったりと単色の絵の具を塗ったような曇天の朝。200217.jpg

日立研修所の森から飛び立ったカラス二羽、今朝も仲良くネコの木の耳にとまる。200217a.jpg

埋立地浅瀨に眠っていたコブハクチョウ三兄弟。二羽が目覚めて岸伝いに西に行ったのに、遅れて目覚め東へ兄弟を追い掛けた残された一羽。しばらく泳いで気がついたのか、向きを変え慌てて兄弟を追うコブハクチョウ。200217b.jpg



『次々蘇った古い記憶』 (2020.2.17)
小雨が降り出した昨日午後、妻に面会に行くと事務所から顔を出したOさん、「今日はベッドにいるみたい」と。また落ち込んでいるかと部屋に入ったら、私を見た途端泣き顔になる。「お昼ご飯の後に眠っちゃって妄想の世界に行ってたの?」と声を掛けたら「眠ったかどうか憶えていない。窓の外を見ていたら雨が降っていて、ひとりぼっちが淋しかったの」「私だって家にいたらひとりぼっちだよ。ここにいたら一緒に住んでる人はいるし、職員さんもいる。ひとりぼっちじゃないよ」「そうね」と言ってベッドに腰掛けた妻に、「今日はあんたの直ぐ上のN姉さんから電話があったよ」「何だって?」「S姉さんが浜岡の合戸にあるホームに入ってるから、妹のHさんと一緒に見舞いに行ってきたら、物忘れはひどいけど、毎日歩いているから足はまだ元気だっだったと言ってた」「お兄さんはどうしてる?」「S姉さんの面倒は見られないけど、ホームには面会に行って、ひとりで自宅に住んでるそうだ」「あんたは遠いからなかなか来てくれないね」「私の家は高野山だから近いよ。毎日来てるよ」「ああ、あんたは浜岡の家にいるんじゃなかった」と言って眼鏡を掛けカレンダーを見た。「どの日も来たって書いてある」とつぶやいた。
私の父母が住んでいた浜岡の家の話になって、36年ほど前に引き払って認知症になった父と、介護を放棄してしまった母を我孫子に引き取ったことを話すと、当時の記憶を断片的に思い出した妻。「夜は私と交替で面倒見てたね。入れてくれる老人ホームを探したがどこも断られて困ったね」と妻。「最後に江戸川台病院で、認知症の積極的治療はしないが残った人間性を大切にして預かるって先生が言ってくれたときは嬉しかった。どんなに忙しくても面会に行きたいと言う母にも困らせられた。ウイークデーはあんた、休日は私が運転して通ったね」と言うと、次々当時のことを思い出して語り、「私はいいところに入れたね。家から近いし、ここの人はみんな親切、炊事も洗濯も掃除も全部やってくれるし、友だちも来てくれる」と言った。古い記憶が次々と蘇ったのに、前日長女が来てくれたこと、一緒に歌って楽しそうにハモっていたことは全く思い出せなかった。200217c.jpg

暗い曇天に小さな隙間ができて刻々と広がる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.16)
(アルツハイマー)

暗い曇天に小さな隙間ができて刻々と広がる。隙間から漏れ出る朝の光に少し色づいた周りの雲。200216.jpg

瞬時に広がった大きな朝焼け。紫がかった赤から朱色に変わり、やがて色褪せた曇天の空。200216a.jpg



『長女と一緒に楽しそうに歌っていた妻』 (2020.2.16)
昨日、妻の面会に必要なマスクの手持ちが少なくなった不安について書いたら、長女の夫が昨シーズン重複購入していたマスクを長女が持って来てくれ、弟から奥さんの入院時に購入したマスクを送ってくれると電話があった。これで当面マスクを入手できなかった不安が解消した。
長女と一緒に妻に面会に行った昨日午後、職員さんと一緒に玄関の内側で待っていた妻。なかなか私が来ないので、待ちきれずに玄関で待っていたのだと。長女を見付けると喜んで抱きついた。トイレに寄って、部屋に入ってきた妻、入り口の低い敷居につま先が引っかかり転びそうになったのを見た長女、「つま先を上げるようにして、かかとから降ろして歩けば転ばないよ」と手本を見せて練習させる。やればできると思ったが、練習が終われば元通りつま先も引き摺った歩き方。
カレンダーの15日の空欄には『今日は来てくれるだろうか??』と書いてあり、その下に『詮とAが来てくれた。わ~い!』と書き足した。いつもとは逆に「ここはどこ?」と妻に質問すると「我孫子」と答え、自宅までの道筋を間違いなく説明出来た。昨日までは取手だと思い込んでいたので「東邦病院はどこ?」と言ったら「我孫子」、「どうして分かったの?」と訊ねたら、「誰かが我孫子だと教えてくれた」と、思い込みからやっと解放されたようだ。
CDラジオで日本の歌を再生し、長女と一緒に楽しそうに歌っていた妻、時にはハモってみて長女と顔を見合わせて嬉しそうにほほえむ。いつになく穏やかで、会話もしっかりしていた妻。長女との会話が弾みいつもより多弁。3時のおやつは他の入居者と一緒に食べて欲しくて、2時50分になったら退出。玄関まで見送りに来て、「また来てね」と長女に言って手を振っていた。200216b.jpg200216c.jpg

微かに色づき始めた南から東に延びる薄雲


撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.15)
(アルツハイマー)

薄霧に霞む対岸、微かに色づき始めた南から東に延びる薄雲。200215.jpg

岡発戸の丘の上に日の出。日の出の位置が丘に登ればもう他のカメラマンは来なくなる。200215a.jpg

自宅前の葱畑の脇、今朝も何かを啄みながら走り回るハクセキレイ。200215b.jpg


『ちゃんと分かってるじゃないか』 (2020.2.15)
昨日午後、いよいよ手持ちが底をつきそうになってきたマスク、一枚を手に握って玄関を入ったら出迎えてくれたSさん、「マスク、お困りだったら言ってください、お分けしますから。来週には少し出回るそうですね」と、まだマスクを掛けていなかった私を見て声を掛けてくれた。Sさんが妻の部屋のドアを開けると鏡台の前の椅子に腰掛けていた妻。「来てくれたね。今日は来てくれないかと思ってた」「今日はベッドに潜り込んでいなかったね」「寒いからベッドに入りたかったけど、眠っちゃうと起きた時に妄想の世界に行っちゃうから起きていた」と言う。確かに廊下より寒い。エアコンを作動させたとき冷房になっていたようだ。職員さんに暖房にしてもらいやっと落ち着く。
「ここはどこ?我孫子?」「そうだよ」と答えても少し経つと同じ質問。名戸ヶ谷病院や市役所分室から自宅までの道は正確に言えるのに、名戸ヶ谷病院の手前にある我孫子東邦病院は前日同様取手にあるとと思っている。グループホーム寿はその近くだから我孫子ではなく取手だと思えるらしい。色んなことを直ぐ忘れるのに、このことだけはまだ引き摺っている。CDラジオで日本の歌を掛けてやると、「♪うさぎ追~いし かの山 小鮒釣~りし かの川―」と、目をつぶって指で拍子をとりながら歌った妻。ふる里の小川の橋の上を思い出しているのかと思えば、歌い終わって「家はどこだった?」「岩滑(妻の実家)かい?」「私たちが建てた家」「それなら高野山だよ」「子どもは誰か住んでる? あなたは?」「私が一人で住んでるよ」「食事や洗濯、掃除はどうしてるの?」「私が自分でやってるよ」「一人で?」「そうだよ」「私がこんなになっちゃって家にいないから申し訳ないと思ってる」と泣きそうな顔になる。「泣かないで。夕食は宅配弁当が来るし、洗濯は一人分だからまとめてたまにやるだけ、掃除は綿埃が舞い始めたらやるだけ」と言ったら笑い出して、「そうか、ちょっと帰ってやってやりたいと思ったが、勝手に帰ったら脱走だよね。みんなに迷惑を掛けちゃう」と言って笑う。ちゃんと分かってるじゃないか。200215c.jpg

微かにこちら岸が見えるほどの濃霧

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.14)
(アルツハイマー)

微かにこちら岸が見えるほどの濃霧。上空は晴れていて月も見える。200214.jpg

霧が流れてくっきりと見え始めたこちら岸の輪郭、上空の薄雲が赤紫色に染まる。200214a.jpg

霧の中にうっすらと日の出、見る見る目映くなり水面に映る太陽。200214b.jpg


『ワープする摩訶不思議な妻の居場所』 (2020.2.14)
妻に面会に行った昨日午後、ベッドに潜り込んだばかりだったのか眠ってはいないで、まだ妄想の世界には入り込んでいなかった。四月並みの暖かさだから散歩に誘い、カーディガンを着せたがマスクがない。前日は新しいマスクと使用中のものがあったが捨ててしまったらしい。貴重な私の予備品を使わせると顔中がマスクのようになる、Sさんに散歩に出掛ける許可をもらい出発。ホームを出て少し西に行き、下り坂の路地に入ったら右足に違和感があると言う。チェックしたら靴のファスナーの閉め忘れ。子の神大黒天への急な階段を下りてくる人が手を振っていた。アルツハイマー発症以前は妻と一緒に自宅でお茶を楽しんでいた友だちのKさん。「散歩の帰り道に寄るつもりだった」とのことだったが、こちらは散歩に出たばかりだったのでバス通りまで出て別れた。
並塚のバス停付近から名戸ヶ谷病院や市役所の別館、手賀沼を眺めたら自宅近くの場所と分かり、自宅までの道を思い出した。背中側の東邦病院を振り返ると、同じ位置に立ちながら自分の居場所が取手のように思えて、どこにいるか分からなくなった。昨年8月末に膵炎で入院した我孫子東邦病院と、膵炎再発で今年1月に入院したJAとりで総合医療センターが記憶の中でごちゃ混ぜになっているらしく、自分のいる場所を取手だと思ってしまう。
一旦頭の中が取手に塗り替えられたらずっと取手にいる気分。ホームの玄関前まで戻ったら「見たことのあるところだ」と言ってベンチに腰掛け一休み。玄関を入った途端自分の部屋の場所が分かり、靴を履き替え部屋に戻る。玄関のドアの外と内で瞬時にワープする摩訶不思議な妻の居場所。前日に続き穏やかな表情だった妻。200214c.jpg

雨は止んで東の空の厚い雲に隙間

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.13)
(アルツハイマー)

雨は止んで東の空の厚い雲に隙間、上空から西にはまだ雨を降らせそうな厚い雲。200213.jpg

日の出まで待つ必要のない朝、いつもより早めに家路へ。自宅近くに最近建てられた看板、十数歩寄り道をして看板を見る。前原古墳の文字を見て思いだした。ここから約200mのところに住み着いた頃の住所表示は高野山字前原、いつからか字前原の三文字は表示しなくなっていた。200213a.jpg


『何日ぶりかで落ち着いて、楽しそうだった妻』 (2020.2.13)
ホーム裏の駐車場に駐車、玄関に向かおうとするとデイサービスの部屋から歌声。デイサービスの人たちとグループホーム入居者が集まって、ボランティア『花水木』の方たちの歌と健康体操があった昨日午後。いっぱい歌が歌えると妻が楽しみにしていた時間だ。そっと後ろの席に座らせてもらって聴いていたら妻の友だちAさんとKさんが面会に来てくれた。曲の間に妻の背中を突くと振り返り、「来てくれたの」「AさんとKさんも来てくれたよ」と二人を指さすとびっくりした顔でちょっと手を上げる。次の曲が始まると歌に没頭したように歌っていた妻。健康体操では、手や体を正面のリーダーの動きに合わせて動かし一人だけ皆さんとは逆、隣の席の人に注意され直そうとするがまたすぐに間違える。最後の踊りになったら輪の中に入って踊り出し、左右にAさんとKさんが入ってくれて踊ってくれていたが、目が回ってふらつくと椅子に座って手だけ動かしていた。何日ぶりかに楽しそうに過ごしたひとときだった。
Aさん、Kさんと部屋に戻り、Aさんが用意してきた和菓子、茶碗などの茶道具を取り出して抹茶を点ててくれた。妻は懐紙に乗せた和菓子を手にして眺め、「久しぶりだなぁ、和菓子。おいしいよ」と言っていただいていた。Aさんに「どの茶碗がいい?」と言われ、「私、この茶碗は持っていないからこれ」と選んで、点ててもらったお茶をゆったりと頂いていた。Aさんが道具を片付け始めたら茶筅を手にした妻、「後で私がやっておくから」と自宅でお茶を点てた後のような気分になっていた。CDラジオで日本の歌を掛けると、会話の合間に好みの曲が出て来ると楽しそうに歌っていた。
「また来るね」と帰ろうとするAさん、Kさんを玄関まで送り、解錠に来てくれた職員さんが持っていたピンチハンガーを見て、「私が片付けておく」と受け取ろうとする。自宅で妻が使っていたものと同じものだったので、自宅にいると錯覚したらしい。「家のと同じだね」と私が言い、「これからこれに干すの」と職員さんに言われて手を離す。部屋に荷物を取りに戻って帰ろうとしたら、解錠してくれた職員さんが「一緒に見送ろうね」と妻と一緒に手を振ってくれた。何日ぶりかで落ち着いて、楽しそうだった妻を見た日だった。200213b.jpg200213c.jpg

地平線から高くわき上がっていた雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.12)
(アルツハイマー)

桃山公園の沼を展望できる高台に差しかかれば、地平線から高くわき上がっていた雲。街灯の明かりが足元まで差し込んでいた高台。200212.jpg

南から東へ移動しながら広がるオレンジ色の雲の隙間、釣堀前の水面に映って繋がれた小舟はシルエット。200212a.jpg

雲間に日の出が見られるかと期待したが、日の出の辺りを通り過ぎ南からどんどん狭まる雲の隙間。帰宅して雨戸を開ければ厚い雲の上に眩しい太陽。200212b.jpg



『CDラジオに合わせて機嫌良く日本の歌』 (2020.2.12)
昨日午後に妻の面会に行ったとき、Oさんに「昨日の妻は、私が妻を一人海外の施設に置き去りにして何処かに行って帰ってこないと妄想していて、散歩しても歌っても現実の世界に戻りきれなかった。10日の予定の出張が9ヶ月になったり、天安門事件に遭遇して帰国できなくなった古い記憶が蘇ったのかもしれない」と話していると部屋から出てきた妻。「私が知りたいのは、私はどうしてここにいなくてはならないのか、誰も教えてくれないから訳がわからない」と言う。
部屋に入って何回目かの説明を繰り返した。「二人とも年を取って出来ないことが多くなった。心臓に人工弁を入れる手術をしたり、胆嚢を摘出したりして入院するごとに体力が落ちた私。あんたはめまいや吐き気がして急に病院に連れて行くことが増え、昨年から二度も膵炎で入院。一度は救急車で、もう一度はタクシーの運転手に助けてもらって病院に行った。私一人ではあんたを守り切れなくなった」「憶えていないけど大変だったね」「ケアマネージャだったMさんが紹介してくれて娘のAとここを見に来たらいいところだった。あんたを連れて来たらあんたも気に入ってここに申し込んだ。運良く自宅にも近いここに空きができて一ヶ月前に入居したんだ」「そんなことがあったような気がする、分かった。そう説明してくれれば分かるんだ」と、今回も何度目かの納得。
気分転換に散歩に出かけた。並塚のバス停付近まで行って手賀沼や名戸ヶ谷病院、東邦病院を眺めて、「ここは自宅近くだ。左に曲がって神社の手前から坂を登れば家だね」と居場所も分かった妻。前日よりちょっと歩く距離を伸ばしてホームの前のベンチで休むと、「ここは見たことのある場所だ」と言う。部屋に戻ったらどこを歩いてきたかもう憶えていなかった。
CDラジオに合わせて機嫌良く日本の歌を何曲か歌い、「あなたはどこに住んでるの?」「自宅」「もっといて欲しいが夕食の仕度もあるでしょ。もう帰ってもいいよ」「夕食は宅配弁当が来るからいいが、もう3時のおやつの時間になるから帰るね」と退出。玄関のドアを解錠しに来てくれた係の人と一緒に手を振って見送ってくれた。200212c.jpg

地平線に沿った黒い雲は遠く海の上の雲か

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.11)
(アルツハイマー)

上空は青空、地平線に沿った黒い雲は遠く海の上の雲か。200211.jpg

今朝はくっきりと見えた東京スカイツリー。200211a.jpg

地平線の雲から出た日の出。雲の上まで登った太陽はもう眩しすぎ。200211b.jpg


『ここはどこ? どこの国? 中国?』 (2020.2.11)
いつもより15分ほど早く妻に面会に行った昨日午後。Oさんが食卓の方まで探しに行ってくれたがいなくて、部屋に戻ってベッドに潜り込んでいた妻。エアコンの設定をしに来た人に「私入院していて・・・」と言いかけて私に気づき、「来た、来た、やっと詮が来た」と大きな声、泣きそうな顔になって、「ずっと待っていたのに来てくれないんだから」「ずっと毎日来てるよ」「知らない。ここはどこ? どこの国? 私を外国に連れてきて、私一人を置いてけぼりにしてどこかへ行ってしまうのだから。一人だけ残されて何もすることがないから淋しかったし怖かった」「昨日も来て一緒に散歩したよ」「知らない、そんなこと知らない。ここはどこ? どこの国? 中国? 中国人のおじいさんが言ってたように日本が土地を奪って建てた家?」と。私が単身赴任中に天津に来て、ホテル近くの公園で知り合いになった日本語を話すおじいさんに聞いた戦中の天津のことか、それとも10日間の予定でニュージーランドのウエリントンに出張、日本からの指示で米国のサンフランシスコ、デンバー、ニューヘブン、カナダのウイニペックと転々とし、ニューヨークまで戻ったら英国の田舎町ウエリントンに飛び、9ヶ月経ってやっと帰国したときの不安な記憶などが混じり合って蘇ったのだろうか。初めての中国出張で天安門事件に遭遇し、なかなか帰国できなかったこともあったし、私が海外に出掛けるといつ帰るか分からないという心配をしつづけた妻だったから、色んな不安な記憶が残っているだろう。
気分転換に散歩に連れ出そうとし、コートを着せたが靴がうまく履けなくてOさんに手伝ってもらい、ホームの近くを散歩した。並塚のバス停から東邦病院、名戸ヶ谷病院、手賀沼を望み、自宅近くの日本にいると分かったようだった。散歩中右足がうまく動かないと言いだし早々に部屋に戻った。CDラジオで子ども時代の日本の歌を掛けてやると、指揮棒の代わりに衣紋掛けを手に歌っていた。「外国にいて日本の歌を歌ってもいいの?」と心配そうに聞くので、「ここは日本、自宅から車で5分の近さだよ」と言ったが、外国に一人置いてけぼりにされたという気持ちは抜けていなかった。「市役所近くのバス停から飛行機に乗るためのバスに乗った」と言うのは散歩中に見た路線バスのことらしい。リンゴ黒酢で味付けした魔法の水も効果がなかった日だった。200211c.jpg

ちょっと意地悪な晴天の朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.10)
(アルツハイマー)

日の出の方向にだけ雲が高いなんて、ちょっと意地悪な晴天の朝。オレンジ色の雲間が残っていたら運のいい日の出になるのかも。200210.jpg

沼を風が吹き抜ければ、水面はサイケデリックな色彩と模様の変化。200210a.jpg

オレンジ色の雲間は閉じて、厚い雲の上が白く輝きはじめた日の出直前の頃。岸からコガモが泳ぎ出し、カルガモが数羽飛来して着水。200210b.jpg


『歌いながら思い出したのはふる里の風景』 (2020.2.10)
昨日午前中にヨドバシカメラから着いたCDラジオの動作試験をしてから、いつもより早く妻に面会しに出発。玄関に出迎えてくれたOさんにCDラジオを持って来たことを告げ、ここ数日間の妻の状況は過去の水不足の時に似た症状、水不足気味になると水を与えても「飲みたくない」と言い、自分では水を飲まなくなる習性についても伝える。水摂取については特に気をつけて下さるとのこと。
私が来たことに気付いた妻が笑顔で部屋から出てきて、うがいと手洗いをしていた私の荷物を部屋に運び込む。私が部屋に入ると急に泣き顔になり、「朝から窓の外を眺め、小さな声で歌ったり、声を出さずに歌っていた。何もやることがなくて淋しかった」と訴える。「CDラジオと日本の歌心の歌のCDを持って来たから掛けてあげる。歌ったら淋しくなくなるよ」と言って、CDを再生し始めると半泣きの顔で歌い出した。一曲目が終わる頃には泣くのを止め、姿勢を正して歌う。カップに水を汲んできて渡すと片手にカップ、もう一方の手を振りながら歌い、曲の合間に「いまの歌、家の近くの段の坂を下って川の土手を歩く風景だった」と。次の曲では「土手からたんぼ道に出て平田の商店街への景色」と歌いながら思い浮かぶふる里の景色のことをつぶやいていた。「中学生の頃、お使いで平田に行くとき川の土手やたんぼ道で、いつもその場所でその場所の歌を歌ってた」と、古い思い出を語った。
CDラジオの電源スイッチ、CD再生のボタンと停止ボタンを説明したら、「分かった、簡単じゃん」と言ったが10分後にはもう憶えていないだろう。帰りがけOさんに、電源を点けたままになっていたら電源ボタンを押して消してもらうよう頼んで帰宅した。200210c.jpg

風が吹き抜ければオレンジ色の沼はブルーに

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.9)
(アルツハイマー)

快晴の朝。風が吹き抜ければオレンジ色の沼はブルーに。200209.jpg

畑の中でポリ袋をあさっていたハシブトガラス二羽。一羽は食べ物を咥えもう一羽はキラキラ光るおもちゃを咥えて電線へ。200209a.jpg

食べ終わった下の段の一羽がジャンプしたら、びっくりして逃げたもう一羽。遊んでいたおもちゃがキラキラ光って落下。200209b.jpg


『魔法の水を飲み終わり「夢だったのか」』 (2020.2.9)
面会に行った昨日午後、ベッドの中で泣いていた妻。私を見上げて「私、もうじき死んじゃうから悲しいの」「死ぬって、どこも悪くないよ」「もうじき死にそう。玄関の向こうで、あと5ヶ月で私が死ぬって言ってた人がいた」「夢か空想だよ。歩かないと足が弱っちゃうから散歩に行こう」「行きたくない。もうじき死ぬ人に運動なんて必要ないさ」「目を覚まして。さあコートを着ようよ」「そのコート、死に装束にあなたが選んでくれたの?さっきから何を着ようか考えていたの」となかなか空想の世界から戻ってくれない。いままでも水が不足していたとき似たような症状になったので、係の人のに預けてあったリンゴ黒酢を出してもらい、水に淡い味付けをした魔法の水を妻に与えた。「飲みたくない」と言ったが一口飲んで、「おいしい」と半分程飲んだら目が覚め始めた。「散歩に行くから髪をとかそうね」と言うと、「帽子を被って行くからいいんだ」と片手で髪をつかみ更に乱れてしまった。魔法の水を飲み終わり「夢だったのか」と、もう空想の世界から戻っていた。
ダウンのコートを着せ玄関に行くと、Oさんが靴を履くのを手伝ってくれる。356に出て動物病院前に差し掛かると「モモちゃん(当時21歳のネコ)を連れてきたね」と数年前のことを思い出した。細い路地に左折すると言うので行き止まりだと言ったが、私を信じないで行き止まりまで行って戻る。消防署手前の交差点かを曲がってバス停前で手賀沼や市役所入り口を眺めてからホームへ戻る。玄関前まで来たら「何処かで見たことのある家だ」とつぶやき、自分の部屋に入って鏡台を見付け「私の鏡台だ」と言った。自宅にいたときも、水を飲み足りないと何度も同じような症状になったことがあった。
帰りがけ、OさんにCDラジオを持ち込んで音楽を掛けてもいいか確認。帰宅して古いCDラジオをチェックしたらもう動作しなくなっていた。たまっていたヨドバシカメラのゴールドポイントを使って新しいCDラジオを発注した。200209c.jpg

今日は歌を歌ったよ。気持ちよかった

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.8)
(アルツハイマー)

地平線の暗い雲を映し暗い水面、風が吹き抜け波立てば、上空の明るい雲間を映して白い模様。200208.jpg

日の出の時刻になっても暗い空、雲間が広がっても漏れてこない朝の光。200208a.jpg

帰ろうとしたら「もう帰るのかい」と立ち止まったツグミ、カメラを向けたらしばらく立ち止まって「もう撮ったかい」とチョコチョコと跳ねて立ち去った。200208b.jpg


『今日は歌を歌ったよ。気持ちよかった』 (2020.2.8)
昨日はいつもより遅かった妻への面会時間、3時のおやつを食べ終わってテーブルを囲む他の入居者と一緒。係の人が私が来たことを告げると立ち上がり、にこにこ顔で、うがいと手洗いをしている私の脇に来て、「部屋へ行く?」と言って私の荷物を部屋へ運ぶ。「今日はここがどこだか分かってるよ」と妻。「以前ここには病院があった」と言う妻。数日前からそう言うので古い航空写真を見たら駐車場。ここが病院だったと思いこみ、空想の世界で入院していると思い込んだようだ。「今日は空想の散歩はしなかったの?」と問えば、「今日は行ってないよ。空想の世界を歩いているときは、それが覚醒してるときの現実か、空想の中のことかか分からなくなるよ」と。カレンダーに私が来たことを書き込みながら、「今日は何してたの?」「JAとりで総合医療センターで胃カメラの検査をしてきたよ」「じゃぁ、自分へのご褒美に好きなものを買ってきて夕食に食べたら」「夕食は宅配弁当が来ているよ」「そうか。ちゃんと食べてる?今夜はどこに泊まるの?」「高野山の自宅だよ」「私もここから脱走して一緒に行こうかな」と冗談を言って笑い出す。
「ここは楽だよ。食事も用意してくれる、洗濯もしてくれる。みんなやさしく面倒を見てくれる。だけど一人でいるのは淋しいよ」「楽しいことだってあるでしょう」「あんまりないね。そうだ、今日は歌を歌ったよ。気持ちよかった」と気分的にも落ち着いた様子で12月上旬頃の状態に戻ったように会話ができた。ピアノボランティアの人が来てたくさん歌わせてもらったからだろうか。
「今日は窓の外を見ていて、駐車場の先に行くと市役所前の道に出て、水の館の方に行ったらAさんの家の前を通って、坂を登ったら家の前に出るって分かったよ。ここは家の直ぐ近くだって分かって気が楽になったよ」と、久々に穏やかな笑顔の日だった。200208c.jpg

上空は晴れだが地平線に沿って厚い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.7)
(アルツハイマー)

上空は晴れだが地平線に沿って厚い雲。雲の隙間は細く長く赤い線。200207.jpg

すぐ前の岸からコブハクチョウ二羽が羽半開き、威嚇のポーズで泳ぎ出し、飛び立って対岸目指して逃げた別の二羽。200207a.jpg

日の出は黒い雲の隙間の薄雲の向こう。厚い雲に入れば上下に光芒。200207b.jpg



『「ごめんねは私の方だよ」と妻』 (2020.2.7)
妻に面会に行った昨日午後、係の人に面会票を渡すとドアを開け、ベッドに潜り込んでいた妻に話し掛けたのは、私が来たと伝えたのだろう。手を振った妻に近寄ると「なんで来てくれなかったの。午前中からずっと窓の外を眺めて待っていたのに、詮のバカ。窓に向かって、なんで来てくれないと大声で言おうとしたが恥ずかしいから小さな声で言っていた。入院してるのに誰も来てくれないんだから」「毎日来てたよ。昨日も一昨日も」「知らない。ずっと来なかった」「どうしちゃったの?」「どうしたって、私、入院してるでしょ。入院してたら誰か来るはずなのに」「入院なんかしてない。ここは病院じゃなくてグループホーム寿だよ。みんな向こうのテーブルで楽しそうに話しているよ。一緒に話をしないの?」「話すことなんかない。どうして私はここにいるの?」「私もあんたも年を取って、いろいろ出来ないことが増えてきた。あんたの体調が急に悪くなっても私一人じゃ病院にも連れて行けない。私が病院に行ったり入院したときあんた一人残しては行けない。あんたとここを見学してここならいいとあんたも気に入って、自分で申込書に名前を書いたところだよ。入れることになって、家から近いところでよかったって喜んだね」といきさつを話すと、やっと現実の世界に戻ってきた様子。カレンダーを見せると、「来てたんだね。どこにも来たって書いてある」と言ってノートを手にとって書き始めた。『私は入院しているものと思い込んで、詮に大声で的外れなことを言ったのだと分かった。自分が自分に唖然としている。ごめんなさい。言ってしまったことは取り返せないが、何が何だか分からずに涙が出る』とまだまだ続いた意味不明な文章。
「一緒に家で暮らせなくなってごめんね」と言えば、「ごめんねは私の方だよ」と妻。係の人がポカリスエットで味付けした水を持って来てくれたら「おいしい」と言って飲み、ノートを私に差し出した。最近忘れた漢字が目立ち始め、誤字脱落が多いメモだった。買い物があるからと退出したが、苦しんでいる妻を見て私自身も暗い気持ち。200207c.jpg

東から南の地平線高くまで厚い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.6)
(アルツハイマー)

上空は晴れでも東から南の地平線高くまで厚い雲。対岸の丘の上に着陸を待って旋回していた成田着便の灯、一機が高度を下げ成田空港に向かった。200206.jpg

岸辺から飛び立ったカルガモをレンズの先で追えば、着水しようとした辺りにはマガモらしい群。200206a.jpg

埋立地の杭を越えて飛来したアオサギ一羽。200206b.jpg


『太い綱を引っ張って鈴を鳴らす』 (2020.2.6)
妻に面会に行った昨日午後、部屋のドアを開けたらベッドの上でノートを読んでいた妻。私に気付くびっくりしたように「来てくれた。詮は生きてたの。よかった」と叫んで、号泣しながら起き上がった。「どうしてもっと早く来てくれなかったの」「いつもより10分も早いよ」「朝から窓の外を見ていたが誰も来てくれない。あなたを探しに行こうとして出掛けたが、道が分からなくなって探せない。家に行ったらいるかと思って、家にに行こうとしたらどこだか分からないところにいた。知っている人に会ったら道を聞いてみようと思ったが誰にも出会わない。知ってる人の家に行って聞こうとしたが行き着けない。困っちゃった。詮は生きているかどうか心配であせったが、どこへ探しに行ったらいいか分からない。困った。怖かった」と言ってまた泣いた。「ここはグループホーム寿だから、どこにも出掛けていないはずだよ。探しに行ったのは夢だったのか空想だから心配しないで」「ああ、詮が生きててよかった。あんたが死んじゃったらもう来てくれなくなるし、誰も頼る人がいなくなっちゃう」「膵炎で近くのT病院に入院していた時みたいに妄想の世界を歩き回っていただけだ。家は直ぐ近くで、車なら5分で来られるじゃない」「よかった。詮が無事だったから」と話しているうちに落ち着きを取り戻してきた。
気分を変えようと「散歩に行こうか」と誘ったらベッドから降りてきた。Oさんの了解を得て出掛ける仕度をしていたら、今日もまた「トイレに行きたい」と待たされる。運動靴がうまく履けないのでOさんに手伝ってもらい、子の神大黒天へ出発。歩きながら「この景色、前にも見たことがある」と言ったが、3日前にケアマネージャだったMさんや長女が来てくれて一緒に散歩に来たことは思い出せなかった。子の神大黒天の境内から手賀沼を眺め「ここはどこ?向こう岸が我孫子?」「ここが我孫子、向こう岸は沼南、柏市だよ」「私の頭の中の地図にはないところだ」と。賽銭を渡すと、太い綱を引っ張って鈴を鳴らす。時間を掛けて祈っていたが、何を祈ったのだろうか。
グループホームが見える場所まで戻って来たら「どこにいるのかもう分かった」と言って、先に玄関へ。出迎えてくれたOさん、「今日は感情の起伏の激しい日ね」と私に囁いた。部屋に戻ると、3時のおやつだからと係の人が迎えに来た。「明日もまた来るよ」と妻に声を掛けたが、係の人とテーブルに向かうことしか頭にないようだった。200206c.jpg

雲が映って沼半分は暗い水面

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.5)
(アルツハイマー)

対岸の地平線上に黒い雲、雲が映って沼半分は暗い水面。200205.jpg

薄雲の中に登った日の出、沼に映って繋がれた小舟はシルエット。200205a.jpg

昨日ムクドリに追い払われた我が家の軒先に住むスズメ、引っ込み線に集まって、畑に舞い降りて草の実を啄む。200205b.jpg


『今日の散歩、これっぽっちか』 (2020.2.5)
昨日午後の妻への面会。ドアを開ければ床に思い出の写真を並べていたが、私を見付け「来てくれたの、今日は来ないかと思ってた」と笑顔で迎えてくれた。「散歩に行くかい」と声を掛けたら係の人に許可を貰いに行った妻、「今日は3時前から訪問診療があるから2時半までに戻って」と係の人。コナカの周りを一回り、時間つぶしにホームの裏の駐車場へ。下の住宅地を見下ろし「あの家の赤い屋根、ベランダからも見えたよ」と言ってしばらく眺めた妻、「ここはどこ?我孫子?」「我孫子だよ。寿二丁目、あんたが泊まってるグループホーム寿だよ」「えっ! 私ここに住んでるの?私の地図にないところだから分からない」と。玄関に戻ったら「ここなら分かる」と元気よく部屋に戻った。
Google Mapの上空からの写真を持ち出して「今日の散歩、これっぽっちか」といいながら今日の散歩道のおさらい。数日前の散歩道に引いた色鉛筆の線を辿りながら独り言のように呟き始めた。「忘れるってことは平等に全部忘をれるんじゃない。思い出して話そうとするとその先が見えなくなって忘れてる。死んだら全部記憶はなくなるが、生きてる間は一番長く一緒に生きてきたあなたと歩きながら、あのとき食べたスイカはうまかったくらいのことでもいいから話したい。死ぬのは生きているものの運命だから仕方ないけど、生きている間は手を取り合って、一緒に行ったところ、一緒にやったことを話したい。最後にそれができなくなって死ぬのだが、それまでは手をつないで歩いて話をしたい。こんな人と話すのはもう嫌だと言われたら終わりだね。80歳過ぎまで生きられたら上出来だよ。死んでもこの世のことを憶えていたらあの世での仲間に嫌われるよ。でも死ぬまではちょっとだけでも憶えていたい」と言ってしばらく沈黙。
「もう帰るよ」と言ったら玄関まで見送りに来た妻。後ろから「今村さんがいない」と声、「ハイ」と言って振り返ったらカルテの箱を持った看護師さんとドアを開けていた看護師さん。「男の人!」と看護師さんが言ったら、私の後ろから妻が「私です」と言って前に出た。部屋に入ってY先生が「お変わりありませんか? めまいはまだありますか?」と問診。先生に「めまいの薬も飲んで下さいね」と言われ「父さんも飲んでね」と妻、「ハイ、ハイ、お父さんもね」と先生が言ってみんなが笑う。訪問診療のスタッフと一緒に玄関を出て帰宅。200205c.jpg

寒々と風で波立つ沼はブルー

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.2.4)
(アルツハイマー)

地平線の空はオレンジに染まっても、風で波立つ沼はブルー。200204.jpg

雲から出てきた眩しい日の出、沼に映った太陽に繋がれた小舟がシルエットになった。200204a.jpg

いつも我が家に住み着いたスズメが止まる場所、スズメたちは追い出されてムクドリが二羽。200204b.jpg


『話題を変えたいときふざけて見せる妻』 (2020.2.4)
昨日午後は、散歩に連れ出そうか、それとも友だちがGoogleストリートビューを見せたらどうかと貸してくれたWiMax端末を使ってタブレットで妻の記憶の地図を辿ろうかと面会に出掛けた。面会票記入中に出会ったOさんに「どこに行ってもマスクを買えない。テレビ朝日のモーニングショーで煽るような放映をするからアルコール消毒のスプレーまで消えた」と話したら、妻のストック品からマスクを一枚持って来てくれた。
部屋のドアを開けるとベッドの中で泣いていた妻を覗き込み何か話し掛けていた妻の友人Kさん。「どうして泣くの?」と声を掛けたら、「朝から窓の外を見て、誰か来てくれないかと思っていたが、誰も来てくれない様な気がして悲しくなった」と言う。誰かが来るとカレンダーの空欄に記入していたが、前日から記入し忘れて誰も来てくれないと思ったのだろうとカレンダーとボールペンを渡した。2日に私が来たこと、3日に私とKさんが来たことを書こうとしてKさんの名前の漢字を思い出せなく手が止まった。Kさんが「私の名前を忘れちゃ嫌よ」と書き方を教えてくれて記入したら、急にふざけだして余分なことまで書いて4日の欄まではみ出した。「明日書くところがなくなっちゃったら、明日は来るのをやめるよ」とからかったら「いやだ~」と言いながらもやめようとしない。最近、ふざけて話題を変えさせようとするらしい行動に気付いていた。自分では「すぐ忘れる」、「忘れた」と連発するのに、他人から「忘れないで」とか「忘れたのでしょう」と言われると話題を変えようとするのもその一つ。泣いていたとき「なぜ泣くの」と訊いたときわざと当たり障りのない返事をするが、泣きながらしゃべったときには本音が出る。先日「どんどん自分がどっかへ飛んでっちゃう。今は自分の中に自分がないの。だから分からなくなっちゃう。段々いろいろな記憶が消えて、その内に何にも分からなくなるのが悲しい」と呟いていたのを聞いた。近い将来どのような自分に変わって行くかに恐怖を感じているようだと思った。
節分の豆まきをすると係の人が妻を呼びに来た。みなさんと一緒に楽しませたいと、散歩やGoogleストリートビューを見せるのは後日にして早々に帰宅した。200204c.jpg