こっちに来てよとナビゲート

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.04)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたビッグ親子。お兄さんが土手の上に現れたら、母さんが土手の下までお出迎え、お兄さんを振り返り振り返り、こっちに来てよとナビゲート。190904.jpg

「飛んできた」と友の声、友のレンズの先に合わせて撮った前方通過の一羽。クサシギかイソシギか迷ってFB友に教えを請うたら、『クサシギとタカブシギの尾羽は全体的に白ですが、イソシギは両弁だけ白があって写真に一致します』と。ありがたきかなFB友。190904a.jpg190904b.jpg

『ぼんやりしていても心の中はいろいろ動いているようだ』
昨日午後、いつもより一時間遅く妻の病室を見舞うと、ぼんやりと外を眺めていた。
一昨日は点滴が外れハイになって、手が自由に使えるからとノートを取り出してメモ書きを始めた妻。何日続くか分からないが、ノートを覗くと今日も書いてあった。
今日は何月何日? 今何時ころか?と言うことが気になって外をながめ、そのことをノートに書いていた。
『今日は9月3日だとのこと!!
時の経過に心をおどらせる。いま何時ごろ? 何をすればいいの? って、外の天気状たいは日光に頼るのであるが、今日は太陽が出ていないのでさっぱり見当が付かず配膳の方にお聞きした。
なんだ! 今からお昼の食事かとおどろくやらうれしいやら、窓の外をのぞく。
今日は太陽では見当が付かない日だ。くもり空だから疑問に思うのはあたりまえだ。ねてばっかりいるんだから外の様子で時間がわからないのは別にボケたわけではなかった。
ほっとしていただこう!!』
ぼんやりしているようで、言葉には表せなくても心の中はいろいろと動いているようだ。『外の様子で時間がわからないのは別にボケたわけではなかった』と、いろいろなことに対して自分はボケているからわからないのかと、いつも気にしていることが感じられる。毎日、その日の新聞を差し入れている。自宅にいるときから新聞の文字を追っていることが多い。読んでも直ぐ忘れるのに、飽きもせず新聞を眺めるのはまだ文字を忘れていないことを確認しているのだろうか。
帰り際、「明日も来るよ」と言ったら、「忙しいだろうから毎日来なくてもいいよ」と言う。ちょっと意地悪になって、「じゃぁ、明日は来るのをやめようかな」と言ったら、「本当は来てくれるのを待っているけど」と。190904c.jpg