首を伸ばしひと声唸って朝の挨拶

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.16)
(アルツハイマー)

お兄さんが近寄ってくるのを見て、まずラッキー父さんが首を伸ばしひと声唸って朝の挨拶。子どもたちはまだピーピー鳴きながら首を伸ばして父さんの真似。今朝も家族と一緒の父さん、少し羽が伸びた様な感じ。190916.jpg

土砂降りの雨でも待っていたバロン夫婦。子ども三羽を連れたオオバン夫婦、子どもが小さかった時は近寄ってくる他のオオバンを凄まじい勢いで追い払っていたが、子どもが大きくなったらもう追い払おうとしない。それでオオバンが急に増えたのだろうか。190916a.jpg

少し小降りになった帰り道、曙調整水門に立ち寄り沼を撮る。だんだん見え始めた手賀大橋や水の館。190916b.jpg


『ショートステイの持ち物騒動』(2019.9.16)
前回のショートステイの時、妻は持ち物を鞄に入れたり、また出して入れ替えたり、出掛ける前数日は大混乱。必要なものを取り出して何処かに仕舞い込みそれを探し出す私は四苦八苦。そのことをケアマネジャのMさんに話すと、Mさんやショートステイ先の生活相談員Tさんなどの提案で、事前に用意できるものを鞄に入れショートステイ先W園に預け、当日は妻が勝手に支度したものを持参してショートステイ先で差し替えて貰うことにした。そして、今回は事前に用意したものをMさんに託送しW園に届けた。
昨日午後から一泊のショートステイの持ち物の準備を始めた妻、クローゼットから取り出した衣類が所狭しとベッドの上に並べられ、あれでもない、これでもないと積み重ねられてゆく。一旦鞄に詰めても直ぐに取りだし入れ替える。夕食時間になっても終わらず、なだめすかしてやっと鞄を閉じた。
夕食時に妻は言った。「明日はどこへ行くんだった?」「W園だよ」「W園ってどこだった?」「デイサービスに行くRセンターの近く、送迎の運転手さんが時々書類を届けるところ」「わかった、泊まったことがあるけど場所がまだ探せない」と。宙を指さし自分の頭の中の地図を辿ってRセンターに辿り着いたらしい。座り直して横を向き、「Rセンターからたんぼ道を歩いて山の方に行くと三階建てのビルと平屋の玄関のあるところだ」と、やっとW園の記憶に辿り着いた。W園の記憶は、自宅からRセンターへの道を思い出し、Rセンターを起点としてたんぼ道を歩き山側にある建物に行き付く道をイメージしたら記憶にアクセスできるらしい。夕食中、「明日はどこへ行くの?」と三度ほど問われ、同じプロセスを繰り返すから夕食の宅配弁当を食べ終えるのに一時間も掛かってしまった。190916c.jpg

ラッキー父さんが戻っていた

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.15)
(アルツハイマー)

昨日朝、ラッキー母さんと子ども三羽がいた場所に父さんが戻っていていた。母さんに、ふがいない父さんだと追い出された訳じゃなかった。やっぱりバロン夫婦が怖くて上流に隠れていた様だ。早く羽は生えそろうといいね、父さん。190915.jpg

下水処理場の上、細い雲間にちょっとだけ見えた今朝の日の出。190915a.jpg

蝶の蛾もカメムシも何処かへ隠れてしまった朝。葉の下にドンと座っていたアマガエル。立派なネットを張ったナガコガネグモも開店休業みたい。190915b.jpg


『泣き笑いの病院通い』(2019.9.15)
昨日朝4時、膝より少し上の太ももの裏から背中に掛けて筋がつると妻。お腹の中ではないと言うからとりあえずスミルチックを塗ってやった。8時朝食。入院先の先生からY内科への手紙を持って出掛けようと支度を始めたら、「食べ過ぎたようだ」と妻。しばらくすると胃の上の方が気持ちが悪い。吐くかもしれないとカーペットに横になったので、洗面器に新聞紙を敷いて近くに置いてやった。Y内科に電話すると、先に入院していた病院の診察を受ける様に指示された。入院していた病院の診察を受けると、腹部のレントゲン撮影をし、血液検査をした。その結果膵臓は悪くない、胃が張っているのは胃潰瘍の様な炎症があるかもしれない。妻が動いてしまうのでMRIでの検査ができず胆石の有無はまだ分かっていない。近々に検査した方がいいとのことで、胃の粘膜を保護する薬、胃腸の症状を改善する薬、胃酸の分泌を抑える薬が2週間分処方された。とりあえず昼食は抜くよう指示もあった。
12時直前、背中に貼るアルツハイマーの薬を処方して貰いにY内科に行き、いつも診察をお願いしているY先生の診察を受けた。入院前後からの状況を詳しく聴取、腹部触診をしたあと20日に腹部エコー検査と胃カメラを行うことにした。私達夫婦は毎年Y内科で胃カメラを行っていた。腹部エコーで私の胆石を見付け何年かトレースしてもらっていたし、膵臓の嚢胞の大きさの変化をも監視して貰ってもいたので即お願いした。
T薬局に処方箋を持ち込むと、入院していた病院の処方箋を見て保険は1割負担なのに、入院中から退院後まで3割負担で支払っていたことを薬剤師さんが発見し、病院と連絡してくれた。入院していた病院に行ったが保険の係員は休みに入り、休みが明けたら差額が返却されるはずだと確認した。
朝から続いた騒動が終わってほっとしたのは午後3時。夕方、妻の親友が果物を持って妻に会いに来てくれた。何を話していたのか1時間ほど楽しそうに談笑。見送ったあと、楽しかったと笑顔。だが、何を話したかと訊ねたらもう忘れていた。忘れないうちにノートに書いておくと、友の来訪を書き、話した内容として3年以上前の会話だったろうことが再現されていた。時空を越えた備忘録だ。夕食時には今日二つの病院に行ったことも思い出せなかった。190915c.jpg

待っていたのはラッキー母さんと子ども三羽だけ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.14)
(アルツハイマー)

いつも待っていた水門より一つ上流の水門で待っていたのはラッキー母さんと子ども三羽だけ。父さんの姿が見えない。お兄さんが「ラッキー」と呼んでも父さんは現れない。バロン父さんとの喧嘩に負けて怪我をして、治るまで何処かに隠れているのだろうか。まさか母さんに「こんなに弱い父さんは出て行け」と追い出された訳ではあるまい。190914.jpg

ラッキー父さんが母さんや子どもと別行動をとり始めた日に、バロン父さんの嘴に噛まれた傷跡を見付けていたお兄さん。ラッキー父さんとバロン父さんが嘴をかみ合い、羽がまだ伸びず羽パンチを振るえないラッキー父さんがバロン父さんに羽パンチを受けて怪我をしたことが想像される。190914a.jpg

帰ろうとしたらトビとハシボソガラスが空中戦。ハシボソガラスがトビをからかっているようにも見える。190914b.jpg

『入院していたことも忘れ夢か空想の備忘録』
昨日退院し、家に戻ってソファーに腰掛け辺りを見回しながら、「ピアノを見れば私のピアノだと思えるし、台所を見れば見たことのある場所。まだ私の家だという実感はわかないが、ここなら私の居場所があるようにに思う」と言う。二階に上がって、「これは私のベッドだ」と、少しずつ家の中のことを思い出した。トイレの場所も分かっていた。
帰宅してから2時間ほど経ったとき、手伝いに来ていた次女が「私はだ~れ?」と言ったら、「リサちゃん」と返事。「どこの人?」「親戚の人」「違うよ、お母さんの子どもでしょ」「私があなたを産んだの?」「そーよ」「じゃぁ、私の子ども。自分が産んだ子どもは可愛いね」と言って次女を抱きしめた。何とも複雑そうな次女の顔。
病院で昼食を食べてから退院したことも忘れてしまい、「今日は何をしたの?」と訊ねられると、忘れないうちに書いておくと言って自分のノートに向かって書き始めた。『とんでもない一日の変化にびっくりしたり、とまどったりで、何が何だかわからない一日が終わろうとしています。冷静に冷静に! 何が起こったのでしょう??? 昨夜は、いつだったかわからない時に自分の頭がボーッとしてしまい、何が何だかわからなくなって、今朝を迎えました。昨日の時間の経過は不明です。今朝もうろうろとトイレを探し用を済ませました。いったいどうしちゃったのでしょう。一緒に泊まってくれた知人はいなかったようです。そこへリサちゃんとあきらさん(夫)といっしょに、さあ、持ち物を片付けておひるごはんを食べようとさそわれて食事しました。以後、駅(?)から電車に乗って我孫子に戻った様です。』と書いた。病院から自宅まで5分ほどの道のりを私の運転で帰ったのに。
「夕べはどこに泊まったの?」と問えば、「三日間柏の方のホテルに泊まって、多くのイベント参加者の案内のボランティアをやって、今朝バスで病院に送って貰ったようだった」と答えた。自分が入院していた記憶はなく、入院していたのは夫の私だったと思っていた。私には、夢か空想の備忘録のように思えてならない。190914c.jpg

風を避け水門前に集まっていたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.13)
(アルツハイマー)

東からの風に乗って吹き付ける細かい雨。上空に雲、いつまでも暗い手賀川の夜明け。お兄さんを待って、風を避け水門前に集まっていたビッグ親子。190913.jpg

いつもより一つ上流の水門前にラッキー父さん。母さんと子ども三羽はいつも通り一つ下流の水門にいるかと思ったら、上流から泳いできた母さんと子ども三羽。父さんの羽が生え替わる前なので進出してくるバロン夫婦と闘えず避難しているのか。190913a.jpg

浅間橋下流の下水処理場付近の地平線、赤く染まった雲の向こう側に日の出。雲が厚すぎて太陽は見えず、間もなく暗転。190913b.jpg

『ああ、我が家のにおいがする』
正午に病室に行くと、退院が嬉しかったのだろう、昼食が運ばれてきてもノートを広げ退院迄のスケジュールを書いておいたページを見ていた。「食べてから着替えて退院だからね」と言うと食べ始めたが、ついおしゃべりで箸が止まる。「食べるときはおしゃべりはやめて」と注意すると、「子どものころからそう言われていた」と言いながら、照れくさそうな目で味噌汁の椀を持ち上げた。
着替えたら「どこのうちに帰るの?」と妻。「我孫子だよ」と答えると「じゃぁ近いね」と言いながらもまだ半信半疑な顔。車に乗って走り出し市役所の入り口まで来たら、「あっ、分かった。曲がったら水の館と鳥の博物館、坂を登ったらうちだ」と、今迄思い出せなかったことを次々と思い出したようだ。玄関のドアを開けて一歩入ると、「ああ、我が家のにおいがする」と呟いた。
16日間の入院で急速に忘れてしまった事が増えたが、自宅に戻りどの程度まで回復するだろうか。190913c.jpg





今朝は父さんの姿が見えない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.12)
(アルツハイマー)

いつも家族一緒に水門前にお兄さんを待っているラッキー親子、今朝は父さんの姿が見えない。昨日夕方も父さんだけがいなかったとお兄さん。190912.jpg

お兄さんが「ラッキー」と呼ぶと、上流の対岸から出てきて川を渡り、一つ上流の水門前から姿を現したり隠れたりする父さん。「こっちに来てくれと言ってるんだ」とお兄さん。190912a.jpg

一つ上流の水門に行ってお兄さんが「ラッキー」と呼んだら、お兄さんの前に出てきたラッキー父さん。「羽が抜けて飛べなくなり闘えなくなって、下流から来たバロン夫婦を追い出せず逆に追われたのかも」とお兄さん。190912b.jpg

『早く自宅に帰りたい』
妻の友人からメールをいただいた。6日と10日に妻の見舞いに行ってくださり、妻の夕食の様子や昔のイベントの思い出話をしたことをお知らせいただいた。昨日妻を見舞ったとき、「昨日誰が来てくれた?」と訊ねたら憶えていなかった。ヒントを出すと、長い間一緒にボランティア活動をしていた赤坂さんのお名前は出たが、川上さんのお名前は出てこず、「川上さんだったよ」と言うと、ずいぶん昔に歩け歩けのイベントへ川上さんと一緒に行ったことを話し始めた。
お二人が来てくれたことを忘れないようにとノートの空きスペースに書き始めた。その末尾に、『何もかも直ぐ遠くへ飛ばしてしまう現状の私にびっくりするやら、がっかりするやら---この状態がいつまで続くのか・・・?! 困ったものです。でもこの状態から脱することもそう遠くない日に元に戻ると思っているが、今の状態は困ったものだ』
手渡されたノートの右のページには私が来る前に書いたらしい長文がページを埋めていた。末尾には『昨日の天気と違って今朝は手賀沼の上空に青い空があって、そのま下ではないけれど、利根川サイドでない空が大きく広がり、これも我孫子の空だと合点する。なんといじらしい公子さんだこと。自分で自分をほめるなんてそうめっ多にあることではないと一人で何人分もよろこぶ今朝でした。でもまだ自宅にもどった訳ではないよね。ここから見える景色は知らない家が並んでいる。お父さんも(←詮さんでした。私の夫で~~す!)自宅へ戻っても娘たちもまご達もいないんだものね。早く帰りたいなぁ! もうすぐだよね。そう思わなくては悲しみが増すだけだからゆるしてね。もうすぐ高の山へ帰られるよね!』と書いてあった。「病院の場所が分かったし、自宅への帰る道も思い出した。桃山公園への道も思い出した。ごちゃごちゃしていた頭の中がだいぶ治った」と早く自宅に帰りたい気持ちがあちこちに滲んでいた。また、自分自身が直ぐに忘れてしまうことが多いが、その内に回復するだろうとの期待も持っているようだ。空と民家の屋根しか見えない窓から見ているからか、ノートには空と天気の記述が多い。190912c.jpg

お兄さんを待っていたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.11)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたビッグ親子の向こう、薄雲が大きく淡く染まり、川面に映って辺り一面異様な色に包まれる。190911.jpg

アレキウリの花に止まっていたコガタスズメバチ、飛び立ってナガコガネグモの巣に引っかかったか様に見え、ナガコガネグモは一目散巣の下に滑り降りた。よく見るとコガタスズメバチは巣に引っかかったのではなく獲物を抱え食いちぎっている様に見えた。もっと見やすい場所から撮ろうとしたらパッと飛んでしまった。190911a.jpg190911b.jpg

『あっ! 眼鏡掛けたらちゃんと見える』(2019.9.11)
昨日午後も病院へ妻見舞いに行くとノートに何か書こうとしている。「なに書いてるの?」と訊ねたら「字の線が二重になって字が書きにくいの。心配になって書いていた」と言う。眼鏡を掛けていなかったから掛けさせたら「あっ! ちゃんと見える」と。それから少し書き足したノートを見せてくれた。
『9月10日(火) どの字も一辺が2本に見える。変な漢字になって書きにくいよ♪! 声もよく聞こえない。外の景色も各一辺が2本に見えるのでいい気持ちがしない。まてよ、詮の声に従って字を書いているつもりで、一本は2本線をひいている様にえるので気持ち悪いが仕方ない。いつまでこのような状体→状態が続くか不安だ。でも眼鏡を掛けたら正しく見える状態が続くか心配である。何でこんなことになってしまった?のかいやになる。早く元通りの目になってほしいなぁ---!』
眼鏡を掛けたらよく見えるようになったが、眼鏡を外すと線が二重に見えるから、眼鏡を掛けても二重に見える様になるのが心配だと訴える。いつからか、どのような感じか会話がかみ合わない。単に眼鏡を掛け忘れたからか、目に新たな異常があるのかちょっと気になる。190911c.jpg
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今日も暑くなりそうだ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.10)
(アルツハイマー)

水道橋の灯りの向こう、雲の下が少し赤くなり上空は晴れ。今日も暑くなりそうだ。190910.jpg

昨日は何処かに避難していて現れなかったというビッグ親子。今朝も姿が見えなかったが、しばらく待ったら、まだ薄暗い上流から下ってきた。190910a.jpg

電線に小鳥が三羽飛んできて止まった。そっと近寄って撮ったらヤマガラだった。盛んに嘴を動かすので「鳴いてるの?」と問えば「二羽で鳴きあってるじゃないの」と友。最近、鳴き声で鳥の写真が撮れなくなってきた。190910b.jpg

『夢だったのかそれとも妄想だったのか』(2019.9.10)
昨日も病院に妻を見舞った。ノートを差し出して「岩滑のお父さんが来ていた」と言う。岩滑の父とは26年前に亡くなった妻の父親だ。そんなはずはないとノートを読んだ。
『9/9 天気晴れ 今日は朝からいろいろあって、忘れない内に記録しておこう。天気は上々でさわやかだ。私の気分もさわやかだ。10時過ぎにお父さんが顔を出した。優しい顔でほっとする。お父さんの会話の中味が私にとっては不たしかだが、この笑顔は消せないと合づちをうつ。そこへ岩滑の父が来た。にこにこしてうなずくだけにした。今もって(もうみんな帰った)何を話したのか意味不明なり。ただ私の心の中は会話はできなくてもニコニコして合グちをうつことにした。それでいい。実際私の頭の中はその内に落ち付くだろうと思うから---。』
「岩滑のお父さんはどこに来たの? 病院?」「家に来た」「あんたはどこにいた?」「家に帰っていた」と言って、ノートを手に取り、眼鏡を掛けてページをめくり始めた。
家に帰っていたと言う記憶は、昨日二人で話しながらノートに自宅近くの地図を書いたから、病院から自宅に帰ることをずっと頭に描き続けていたからかもしれない。岩滑の父が亡くなったのは26年前、私が中国で合弁会社設立と操業開始に携わったころ。たまたま本社に報告のため一時帰国したときに岩滑の父を病院に見舞い、葬儀に参列した。そのことを話すと、妻が成田空港まで車を運転して私を迎えに来たことを憶えていると言った。
妻の覚え書きは、夢だったのかそれとも妄想だったのか。
照れ隠しの様に、ちょっとふざけた様な表情で、またノートの空きスペースに何か書き始めた。「今日は字がすらすら書ける」と言って笑う。190910c1.jpg

高台から眺めれば沼上空にはまだ黒い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.09)
(アルツハイマー)

雨が上がって自宅近くの桃山公園を歩いた。高台から眺めれば沼上空にはまだ黒い雲。足元にはちぎれ飛んだ木の葉が散乱し、小径の脇には何本もの木が倒れていた。190909.jpg

斜面林への立ち入り禁止の綱にノシメトンボが止まっていた。じっと同じ姿勢で動こうともせずに。190909a.jpg

自宅への帰路、道端の花から花へヤマトシジミが一匹。どこに隠れていたのか昨夜の暴風雨の中。190909b.jpg

『ここはどこ?』(2019.9.9)
長女が子どものころの食事時、どの器も少しずつ順繰りに食べるように注意していた妻だが、アルツハイマーだと分かってしばらくして気付くと器一つずつ食べるようになっていた。昨日午後、病室を覗いたのは昼食中、他の器は食べ終えて最後に残った煮物を食べていた。そのことを長女に話したら、「お母さんももしかしたら、子ども時代は一皿ずつ派だったのかもね」と。段々子ども時代の習性に戻って行くのだろうか。
「今日は何を考えていた?」と訊ねたらノートを差し出した。『9/8 日 3階から見る限り、くもり時々晴。でも大きな雲がにょきにょきわいている。天気も自由に変わるなり。ここからどうして高の山まで行くことができるか? まだ確かでない。ここはどこ? 356の柏へ出るとことろかしら? 天気がよくなって来たようだが、この所はっきりする日が少ない様だ。これは公子が病院の窓からま上の天気で判断するだけだからたしかとはいえない。この病院の前の道を下へ下ると柏の手賀沼サイド? 上へ自動車がのぼって出る道は柏への国道かしら? あっちこっちへの道を走り回った道の一部だと思うが不たしかなり。下への感かくがわからない』と書いてあった。
一昨日はこの病院は自宅近く、船取線の市役所と消防署の間にあって自宅への道も分かっていたが、病院がどこにあるか分からなくなって混乱しているらしい。救急車に乗って来たことも、息ができない程の腹痛だったことも思い出せなくなっている。
妻がぽつりと言った。「一人で遠くに行ったら、どこにいるのか分からなくなって帰れなくなっちゃうね」と。190909c.jpg

現れないお兄さんに待ちくたびれたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.08)
(アルツハイマー)

待っても待っても現れないお兄さんに待ちくたびれたビッグ親子。一度も餌を与えたことがないからか、私が岸に立っても全く無視。近寄ってこようともしない。190908.jpg

お兄さんが来ないからラッキー親子も待ちわびていたが、お兄さんの車の音が聞こえたら一斉に岸部近くに集まる。二度寝して寝過ごしてしまったとお兄さん。190908a.jpg

霧を赤く染めやがて霧の中に出てきた太陽。190908b.jpg

『漢字を書けなくなった』
昨日午後、妻の病室へ。昼食は食べたらしく既に片付けられ、ベッドに座ってのんびりとどなたかが差し入れてくれた手作りの句集を読んでいた。私に気付くと「じっくり読むと深みがあるね」と。「それ、どうしたの」「誰だか分からなくなったが、誰かがおいていってくれた。今何時?」「1時25分だよ、お昼はなに食べた?」「分からない」「そのジュースは?」「後で飲むように残しておいた」と言ってジュースを飲む。前日に比べ安定しているようだ。
書きかけのノートを手にとって書き始めた。「漢字が思い出せなくなったの」と言ってカタカナでビョウインと書き、覗き込んだ私にそこを指さした。一呼吸置いて『・・・思い出したよ「病院」だったね』と書き足した。
「また漢字が書けるようになった」と言って、前段の文章に『夫』の文字を挿入し、『暑くもない時き』の『き』の下に『期?』と書いた。また、文章を最初から読み直して『うれしい一しゅん』を指さして、「こうだった?」と言って新聞の空きスペースに『一瞬』と書いて嬉しそうに笑った。
病院の漢字を思い出したことで、書けなくなっていた漢字が次々書けるようになったのは何とも不思議。忘れるのは記憶がなくなっているのではなく、記憶を読み出す回路が壊れかけているのかも。『夫』と言う字が書けなくなっていたのはちょっと複雑な気分だが。190908c.jpg

久しぶりに赤く染まった地平線

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.07)
(アルツハイマー)

霧が漂い始めた川面や田んぼの向こう、久しぶりに赤く染まった地平線。土手に登って撮り始めたら、間もなくスーッと色褪せた。190907.jpg

未だ暗くてピントが合わないビッグ親子。お兄さんが話し掛けると母さんが岸に上がってきてお兄さんの話し相手。少し待ったらやっとピントが合った。190907a.jpg

カイツブリが潜った。浮上したら嘴にくわえていた獲物、一二度潜って咥え直し飲み込んだ。お兄さんと友にモニターを見せたら「モロコだろうな」と。190907b.jpg

『時代がでたらめに頭の中にあるの』
昨日昼食時、妻入院先の看護師さんから電話、「奥さんがうちに帰りたい、寂しいと言って泣いている」と。急ぎ駆けつけ病室を覗けば「来てくれたの、嬉しい」と泣いていた妻。「時代がでたらめに頭の中にあるの。ここが我孫子の病院だとわかるが心はふるさとにいて、帰りたくても遠すぎて寂しくなった」と呟く。「どうして岩滑(妻ふるさとの実家)なの?」と問えば「もうじき死ぬから裏山のお墓に行こうと思って」と。「僕らのお墓なら一関の樹木葬墓地にあるじゃない。千坂げんぽうさんが一番いいところを選んでくれたじゃないの」「今日は何処の家から来てくれたの」「我孫子だよ。直ぐ近くじゃない」「まだ我孫子に家はあったの」「入院する前に一緒に住んでいたし、ここから車で5分だよ」ととりとめもない会話。話している内に段々現実に戻り、頭の中にあることをノートに書かせたら黙って書いていたが、頭が整理されたのか明るい表情になった。昼食を大半食べ残していたので「元気になれば来週末退院できそうだ」と言ったら、残した昼食を「美味しい」と言って食べた。
ノートに書いたメモには『人生がいやになって、さみしくなって泣いてしまった。思うだけで淋しくなってくる。泣けてくる。私達の家は岩滑ではなくて高の山にあったことを再確認した。そうで(それで)岩滑のおはかは私と詮のおはかではないよね。2人のおはかは一の関の樹木葬ボチであったっけ。そこもちゃんと準備してあるので心配要らないと言われた。本当だね。安心に勝るものはないと再発見した。今迄いろいろ頭の中であ~でもないこーでもないと考えがころがって、時代の順番がわからなくなるが、こうして詮さんと話すと私の心は素直になって納得することが多くなる。よかった。今日病院に来てくれてよかった。一人で考えるも否定するも一人なので何がなんだか分からなくなる。常にその場で否定してくれる人が側にいることっていいなあ~~。今日はまだ昼間だ。外は明るい太陽で輝く世界だ。今日はいい日だね。詮さんは午後どこへ行くつもりだろうか? 詮の答え「家に帰って洗濯する」そうだ。』
妻のノートを見て、いろんなことが頭の中を交錯しているが、それを整理できなくて混乱の深みに入り込んでいたように思う。190907c1.jpg190907c2.jpg

下流の霧の中から泳いできたバロン夫婦

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.06)
(アルツハイマー)

お兄さんが「バロン」と呼んだら、昨日は上流から泳いできたバロン夫婦。今朝も姿が見えなかった夫婦、上流に向かって「バロン」と呼んだお兄さん。しばらくしたら下流の霧の中から泳いできたバロン夫婦。岸で待っていたオオバン親子が出迎えに行ったのか、二羽の傍に泳ぎ寄り一緒にお兄さんの前へ泳いで来る。190906.jpg

あちこちの葉の上にアマガエル。霧に濡れた葉の上で体を湿らせ気分がいいのか、じっと座って動かない。昨日はいっぱいいたベニシジミ、ヤマトシジミやモンシロチョウ、葉の裏に隠れているのか一匹も姿を見せない。所々にイチモンジセセリとコチャバネを見ただけ。190906a.jpg

薄日が射し始めた帰路、自宅近くの市民農園跡に立ち寄った。まだ霧は退かず沼対岸は霧の向こう。コスモス畑の小径に三脚を立て花を撮っていた女性、その姿を外して撮ってから帰宅。190906b.jpg

『一人で背負い込んだら苦しくなる』
昨日午後、病院に妻の様子を見に行った。病院のスタッフに風呂に入れて貰い、戻ったところに妻の友だちが見舞いに来てくれた。長い間、自宅の炉の前で一緒に茶事を楽しんでいた人、妻にとっては自分の認知症を隠すことなく話し合える友のようだ。人と話すとき何処か言葉を選ぶような、身構えたような様子を示すようになっていた妻だが、そんな様子もなく孫の写真を見せたり楽しそうに談笑。よほど嬉しかったらしい。だが、その前にも二人の友だちが来てくれたのはもう思い出せない。打ち解けて友と談笑していた楽しさもそのとき限り、しばらくしたら記憶から消え去っているだろう。
最近、ごく一部の人を除いた家族以外の人と話すのは疲れると言っていた妻。自分が忘れてしまったことや、忘れて矛盾したことを言うのではないかと気にして、よそ行きの態度で応対しているかららしい。初期症状のころ、「また忘れたのか」と言っていた私の度重なる発言が物言うことへの緊張を与えるようにしてしまったのかと反省。
医師より、来週には退院できると説明を受けた。退院したらデイサービス、ショートステイを開始するようにケアマネージャさんと相談するように言われ、早速相談して退院後の生活に向かって準備を始めている。
アルツハーマーと診断されたとき、どうしたらいいのかに戸惑った。我孫子市には「高齢者なんでも相談室」が地区ごとにある。天王台地区高齢者なんでも相談室の相談員さんとの出会いから、いろいろ相談し教えていただいた。夕食には宅配弁当を利用することも学んで楽になった。市の介護認定調査担当の方と一緒に来宅され、介護認定を受け、ケアマネージャさんを紹介され、幾つかの施設を見学させてもらって最初のデイサービスが始まった。ケアマネージャさんに最初に言われたことは「一人で背負い込んだら苦しくなる」だった。ケアマネージャさんや近所に住む妻の友人からの助言・支援を受けてなんとか過ごしてきた。二人の娘も仕事の合間を見てヘルプしてくれている。
今回の緊急入院のことも、介護するものが一人で背負い込んだら苦しくなる出来事。私の場合は抱え込まず、入院先の医師、病院のスタッフの方々、いつも診察をお願いしているクリニックの先生、ケアマネージャさんに相談し悩み事を解決してきた。困ったときには一人で抱え込まず、誰かに相談する。相談できるチャンネルを広げることも介護の一環と思うようにしている。
高齢者には悩みも多い。我孫子市には「高齢者なんでも相談室」が地区ごとにあり、親身に相談に乗ってくれるから、私のような高齢者はなんでも相談してみるのがお勧めだ。190906c1.jpg190906c2.jpg

対岸上流から出てきたバロン夫婦


撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.05)
(アルツハイマー)

いつも水門前で待っているバロン夫婦の姿が見えない。お兄さんが「バロン」と二度ほど呼んだら、対岸上流から出てきたバロン夫婦。190905.jpg

目の前を「チー」と鳴いて横切ったカワセミ、速すぎてカメラでは追いきれない。ヒメガマの群落の外れに戻って来たカワセミ、口に小魚をくわえて。慌てて撮ったら、もう飲み込んでしまった獲物。190905a.jpg

もう帰ろうとすれば飛んできて足を引き留めさせたナミアゲハ。「撮ったら早く帰りな」とでも言うように目の前に止まってくれた。190905b.jpg

『入院中の妻の様子を見に行くのが日課』
入院中の妻の様子を見に行くのが日課。昨日、そっと病室を覗くと写真を手に持って、一枚ずつゆっくり見ていた。私に気付くと、「孫は可愛いねぇ」と呟く。
最近、子育てをした横浜在住のころを繰り返し思い出していたようだが、入院してからは郷里の実家のことや学生時代のこと、親兄弟や同級生のこと。新しい記憶は消えたのか気になって、一昨日孫たちが誕生してからの写真十数枚を持って行って渡した。七五三の時に孫を抱いた写真を見て、「これは八王子の神社かね。何年前だろう。今度娘たちが来たらいつ撮った写真か書いて貰おう」と言う。まだ残っていた十数年前からの記憶も。同じ子の大学入学のころの写真を見て、こんなに大きくなったのかね」と。つい半月前両親と一緒に会いに来ていたのはもう全く記憶にない。
孫たちの写真に混入しておいた妻の姉妹会の写真も姉妹たちだと認識できた。近隣センターの行事でお茶会をしたときの写真をしばらく眺めていて、一人の人を指さし、「近隣センターのお茶会だね」と呟く。一緒にお茶会をした人たちの名前は思い出せず、「こういうことはどんどん遠くなって消えて行くね」と言って、孫たちの写真とは別のところに置いた。190905c.jpg

こっちに来てよとナビゲート

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.04)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたビッグ親子。お兄さんが土手の上に現れたら、母さんが土手の下までお出迎え、お兄さんを振り返り振り返り、こっちに来てよとナビゲート。190904.jpg

「飛んできた」と友の声、友のレンズの先に合わせて撮った前方通過の一羽。クサシギかイソシギか迷ってFB友に教えを請うたら、『クサシギとタカブシギの尾羽は全体的に白ですが、イソシギは両弁だけ白があって写真に一致します』と。ありがたきかなFB友。190904a.jpg190904b.jpg

『ぼんやりしていても心の中はいろいろ動いているようだ』
昨日午後、いつもより一時間遅く妻の病室を見舞うと、ぼんやりと外を眺めていた。
一昨日は点滴が外れハイになって、手が自由に使えるからとノートを取り出してメモ書きを始めた妻。何日続くか分からないが、ノートを覗くと今日も書いてあった。
今日は何月何日? 今何時ころか?と言うことが気になって外をながめ、そのことをノートに書いていた。
『今日は9月3日だとのこと!!
時の経過に心をおどらせる。いま何時ごろ? 何をすればいいの? って、外の天気状たいは日光に頼るのであるが、今日は太陽が出ていないのでさっぱり見当が付かず配膳の方にお聞きした。
なんだ! 今からお昼の食事かとおどろくやらうれしいやら、窓の外をのぞく。
今日は太陽では見当が付かない日だ。くもり空だから疑問に思うのはあたりまえだ。ねてばっかりいるんだから外の様子で時間がわからないのは別にボケたわけではなかった。
ほっとしていただこう!!』
ぼんやりしているようで、言葉には表せなくても心の中はいろいろと動いているようだ。『外の様子で時間がわからないのは別にボケたわけではなかった』と、いろいろなことに対して自分はボケているからわからないのかと、いつも気にしていることが感じられる。毎日、その日の新聞を差し入れている。自宅にいるときから新聞の文字を追っていることが多い。読んでも直ぐ忘れるのに、飽きもせず新聞を眺めるのはまだ文字を忘れていないことを確認しているのだろうか。
帰り際、「明日も来るよ」と言ったら、「忙しいだろうから毎日来なくてもいいよ」と言う。ちょっと意地悪になって、「じゃぁ、明日は来るのをやめようかな」と言ったら、「本当は来てくれるのを待っているけど」と。190904c.jpg

暗渠を潜って戻って来てお兄さんを出迎

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.3)
(アルツハイマー)

お兄さんの車の音を聞いて、水門と道路下の暗渠を潜ってお兄さんを見に行ったラッキー親子。お兄さんが土手を越えてくれば暗渠を潜って戻って来てお兄さんを出迎える。190903.jpg

ゴイサギが飛んだ。ピントが合いにくくうまく撮れなかったら、ヒメガマの群落の外れに止まってくれた。190903a.jpg

お兄さんにパンをねだりに来たハシブトガラス。何日か見ない間にハゲタカのような顔になって。190903b.jpg

『ベッドにかがみ込んで何か書いていた妻』
昨日午後、妻に面会に行った。ベッドの上にかがみ込んで何かを書いていたアルツハイマーの妻、覗き込んで見るとノートになにやら書き込んでいた。『Apple ジュース 200ml 和歌山産 美味しかった』と一行。入院して初めての昼食が出たらしい。私が覗き込んでいるのに気付いて笑顔になった妻。点滴の針を刺したところがちくちく痛いと訴え、看護師さんに伝えると点滴を外してくれた。これで点滴は終了だと言われて大喜び、早速テーブルに向かってノートになにやら書き始めた。「なにも思い出せなかったのに、字がどんどん頭に浮かんでくる」という。
まだ自分のいるのが我孫子の病院だとはよく分かっていない。時には横浜の病院にいて40年も前に住んだ片倉台団地が自宅かと思う。自宅は我孫子だと伝えれば、まだ我孫子に自宅があるのかと、思考の中の時間軸が完全に壊れているようだ。
私が帰った後、様子を見に来てくれたケアマネージャさんからのメールによれば、子ども時代に実家が農地改革で農地を手放したこと、姉は苦労して教師の資格を取ったが自分は学校に通わせて貰って教師になったことを話したらしい。この思い出話は娘たちが来たときや、私に昔話をするときによく出て来る話題だ。話しを繰り返す内、心はその時代に入り込んで、その時代の風景の中を歩いているらしい。少し前は子育てをした横浜に住んだころを思い出すことが多かったが、いまはふるさとの思い出に浸ることが多いようだ。190903c.jpg190903d.jpg

水道橋の灯りも橋の欄干も霧に消えてゆく

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.2)
(アルツハイマー)

先が見えない沈んだ気分で手賀川に向かえば霧が出始める。撮っている内にも水道橋の灯りも橋の欄干も霧に消えてゆく。190902.jpg

霧の中で待っていたラッキー親子とオオバンの親子。お兄さんが餌を持って階段を下りてくればいつものように岸に並んで出迎え。190902a.jpg

岸に上がったバン。ラッキー親子に餌を与え終わってお兄さんが立ち上がれば、水に飛び込みゆっくり泳いで霧の中に消えたバン。190902b.jpg

『状況が理解できないアルツハイマーの妻』
昨日の午後一番、入院先の病院へ面会に行くと前日差しれた新聞の文字を追っていた妻。読んでも直ぐ忘れるが文字を追って文字を忘れていないことを確認しているように見える。一昨夜のせん妄状態からは回復していた。私の顔を見ると、「ここの人はきつくて意地悪なの。よく分からない説明をして私に罰を与えるの」と、点滴の管のジョイント部分に付けたタグを指さす。『引っ張ったり、外さないで下さい』と書いてある。一昨夜せん妄の状態の時、自分で点滴を外したからタグを付けたのだろう。
私に次々質問をぶつける、「いつあなたと交替して私が帰れるの」「あなたは何処のベットに寝るの」「あなた、ここに寝なさいよ、私帰るから」「ここで私は誰の面倒を見たらいいの」と、設定条件を変えながらも帰る時季を聞き出そうと質問する。
どうやら、なぜ自分はここにいなければならないかが理解できていない。説明しても、救急車で運び込まれたこと、耐えがたいほどの痛みがあったこと、検査をして入院したこと、医師から絶食と点滴をすることを説明されたこと、どれ一つも憶えていず、自分では何処も悪いと思っていないから、自分のために入院しているとは思っていない。さて、何処に状況を理解させるような糸口があるかと思いを巡らしているが、私には見付けられない。
話している内に、自分はデイサービスの施設にいると思い込んでリハビリの体操に行こうとする。今いる場所が入院先の病院だと言うことを直ぐ忘れてしまう。たった一日の間に、急速に認知機能が低下したことを思い知らされる。190902c.jpg

曇天の空は微かに赤く水道橋の灯りが鮮やか

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.1)
(アルツハイマー)

目覚まし時計も携帯のアラームもOFFにして寝たのに、いつもの時間に目覚めちょっとだけのつもりでいつもの手賀川へ。曇天の空は微かに赤く水道橋の灯りが鮮やか。190901.jpg

お兄さんが着いたのを察知したビッグ親子が動き出した。父さん、母さん七羽の子どもたちは元気にお兄さんから餌を貰う。190901a.jpg

ラッキー親子が餌を貰っていたら、飛来してヒメガマの脇に降りたアオサギ。他のことで心が乱され、レンズの向こうにアオサギを見ても感動を覚えない。「早く帰って少し眠ろう」と呟いて早々に帰路へ。190901b.jpg

『入院していることも忘れたアルツハイマーの妻』
薄霧の掛かった手賀沼を眺め、昨夜の出来事を反芻した。
昨日午後、面会に行ったときは喜んでくれ、メモ帳に「詮が来て嬉しかった」と書き込んでいた。私の体調を気にし「早く帰って。やることがいっぱいあるでしょ」と言った。帰りがけ握手すると、両手で強く握ってきた。帰るまでにもう二度も。
夜9時20分ころ入院先病院から電話「奥さんがパニックになって、お父さんが帰って来ない。中国の出張から帰ってくると言ったのにと言っていて、点滴は自分で引っ張って外してしまう。急いで病院に来て欲しい」とのこと。10分後、病室に駆け込むと怒った顔で「帰ってくると言ったのになぜ帰ってこなかった。私に嘘ばかりついている」と睨む。
「なぜ私はここに入れられている?」と問い詰めるので、「一昨日夜、急にお腹が痛くなって救急車で連れてきて入院している。急性膵炎だと分かって入院することになった。直すために絶食してお腹を休め、代わりの栄養と薬と点滴している。とても大切な点滴で、自宅ではできないから入院している」と、矢継ぎ早の質問に答えたが、「私は何処も悪くないし、痛くもない。点滴なんか必要ない。やるかやらないかはわたしの決めることだ」、「みんなでぐるになって私に嘘をついている」、「あなたのようなうそつきは一生恨んでやる。絶対に許せない」とののしる。
入院したいきさつ、入院したときの写真、次女が昨日来たとき一緒に撮った写真、妻がメモ帳に「詮が来て嬉しかった」と書き込んであるのを見せると、「私の字だが憶えていない」と言い、少し穏やかになる。看護師さんがメモを書いてベッドサイドに張ってくれた。「病院に入院加療中であること、食事に代わる栄養と薬を点滴している。とても大切な点滴だから引っ張ったり外したりしないようご協力をお願いします」という趣旨のメモを読んで、やっと「点滴して貰う」と言って、おとなしく点滴の準備をしてもらい、点滴を再開した。入院して環境が変わったり、体調が悪化したときに認知症の人に起きるせん妄だろうと看護師さんが私に小声で説明してくれた。
「あなたみたいなものの顔は見たくない。早く帰って」と言いながらベッドに横になり、掛け布団を目の上まで引っ張り上げる妻。「じゃあ帰るよ、また明日来るからね」と声を掛けると、布団を持ち上げちらりと私を見た。先ほどのような怒り狂った目ではなかった。190901c.jpg