対岸寄りの水面からブルーに染まり始める

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.4)
(アルツハイマー)

昨日は妻が突然の腹痛で入院、あれやこれやで夜も遅くなり、今朝の撮影はいつもより遅い時間から。桃山公園の高台に立った頃は風が吹き始め対岸寄りの水面からブルーに染まり始める。成田着便の灯りが対岸上空を旋回し次々と下って行く。200104.jpg

見る見るブルーの水面が広がり、5分後にはこちら岸もブルーに。200104a.jpg

15分もしたら風は止み、瞬く間にブルーの水面は消えてオレンジ色の沼。日の出まで見る時間の余裕はなく早々に家路へ。200104b.jpg


『「もう観念したから大丈夫よ」と手を降った妻』 (2020.1.4)
妻は元気にスタートした昨日朝。朝食後、張り切って洗濯を始めたが、いつの間にか姿が見えなくなった妻、洗濯機の周りには洗濯機から取り出した洗濯物の籠だけ。二階まで探しに行ったらベッドにうつぶせになり腹痛を堪えていた。痛い場所を確認すると胃の周辺から左脇腹。8月末に膵炎で緊急入院したときの状況を思い出し、膵炎の検査や吐き気がして救急搬送された取手の病院に電話し、休日なので救急診療にて対応してくれることになってタクシーで病院に急ぐ。
タクシーの運転手が車いすで妻を待合室まで運んでくれ、救急窓口で受付が済んだらベテランの看護師による診察前の問診、しばらく待って医師より腹部X線撮影と採血の指示があった。X線撮影の後に採血をして、1時間ほど待って医師の診察。X線撮影、血液検査で悪いとことは見つからないと医師が言ったが、過去のカルテと比較して、今回のデータにアミラーゼのデーターが欠落しているから再検査すると言われて、また待合室で待つ。その間にも妻の腹痛は治まってきた。どれほど待ったか、医師が検査データのプリントを持って来て「アミラーゼの値が高くなっているから膵炎の再発と思われるので専門医の意見を聞く」と告げられた。間もなく専門医が来て腹部の診察、点滴を開始しCT検査を指示された。CT撮影が終わり、しばらくして専門医から入院が必要なことを告げられ、内科の病棟へ案内された。
私一人では不安で、電話連絡した長女が八王子から駆けつけ、病室担当の看護師から入院手続を明日午前か月曜日に行うこと、入院に際し必要なもの、パジャマなどのレンタルについて説明を受けた。1月12日にグループホーム入居予定のことなど医師に話してあったので、病院のソーシャルワーカーへの連絡を取って相談できる手はずを整えてくれた。「明日来るよ」と告げると「もう観念したから大丈夫よ」と手を振った妻。タクシーで帰宅すれば、常磐道から溢れた帰省の車で利根川を越え我孫子に入る国道6号線は大渋滞。8時過ぎやっと帰宅。200104c.jpg

風が吹きブルーの水面が広がり始める

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.3)
(アルツハイマー)

オレンジ色に染まった地平線の空が水面に映ってオレンジの沼。風が吹きブルーの水面が広がり始める。200103.jpg

沼の名真ん中を風が駆け抜けてブルーの足跡。刻々と変わるオレンジとブルーの色模様。200103a.jpg

岸近く、オレンジ色の水面を泳ぐコブハクチョウ。200103b.jpg


『窓を開けて私に両手でVサイン』 (2020.1.3)
昨日の昼近くになって、長女の夫が運転する車で長女と一緒に買い物に出掛けた妻。私が買いそびれて、妻が使い切ってしまった化粧品やグループホーム入居の時に必要な物を買いに行くのが嬉しくて、うきうきして出掛けた。発車間際、窓を開けて私に両手でVサインをしていた。人混みの中を歩いて疲れたのか、帰宅したらいつの間にかベットで寝ていた。遅い昼食の用意が出来て、呼びに行って起こしたら自分がどこにいるのか分からない。きょろきょろ見回し、「わたしはどこへ行っていたの?」と言う。買い物に行ってきたことを伝えると、長女夫婦と買い物に行ったことも車に乗せてもらったことも憶えていなかった。
食卓の前に座り何か話そうとしたが、孫の名前も長女の名前も思い出せない。孫娘を指さし「あなた誰?」と訊ね、「孫よ」と応えたら「私の孫?」と聞き返し「そうよ、おばあちゃんの孫だよ」と言われ、「嬉しい」と孫娘を抱きかかえた。「あなた高校生になったの?」と問えば長女が「大学二年生だよ」と答えて一同大笑い。
長女の顔を見ていた妻が、名前を思い出したという身振りで「この人はL?」と、長女Aと次女Lの名前を混同していた。孫娘が長女を指さし、「あの人は私のお母さん、おばあちゃんの娘だよ」と説明して納得した。しかし、長女が私のことを「お父さん」と呼ぶから、不思議そうな顔をして、「あなたは私の何なの?」と、私が夫であることがあやふやになってしまっていた。それからしばらくしてやっと目が覚めて普通の会話が出来るようになった。200103c.jpg

地平線をオレンジ色に染めた快晴の早朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.2)
(アルツハイマー)

地平線をオレンジ色に染めた快晴の早朝。上空にはまだ星がいっぱい。200102.jpg

出たら眩しい快晴の朝の日の出。成田着便が太陽に吸い込まれるように消えた。200102a.jpg

初日の出を撮れなかった人たちのリベンジか、いつもより多い日の出を撮る人たち。200102b.jpg


『私をびっくりしたような眼差しで見詰めた』 (2020.1.2)
大晦日の夜ははいつもと違った生活パターンになり、遅くまで起きていたから睡眠が浅かったらしい。妻の様子を見に行った私をびっくりしたような眼差しで見詰めた。「今日は何月何日?」「1月1日だよ」「もう新年になっていたの?」「そう、元旦の朝だよ」「ここはどこ? 岩滑(妻の実家)じゃないよね。まっすぐこっちに行ったら356、RセンターやW園に行くときは右、左に行ったら小学校。分かってきたよ、我孫子の家だ」「はい、当たり」「全部忘れてしまったわけじゃないよ。思い出せることもあるし、思い出せないこともある。思い出せないとイライラすることもあるし、どうでもいいやと思うこともある」と言って、段々空想の世界から我孫子の自宅に戻ってきた妻。撮影から戻ったら、昨日洗濯して忘れていた洗濯物を洗濯機から取り出していた。長女夫婦が起きてきて朝食の支度。陣頭指揮をしているつもりになって、台所をうろうろ動き回り、ハイになっていた妻。
妻の化粧品を通販で発注するように長女に頼まれていたが、年末の忙しさに発注が遅れてしまった私。妻は化粧品を使い切ってしまい、年末年始で納品が遅れることからつい甲高い声になっ私と長女の会話を聞いて、自分がダメだからと思い込んで泣き出した。「何にも出来なくなって、ただ生きていたってしょうがないよね。みんなに迷惑ばかり掛けて」と泣く妻を「お母さんのせいじゃないから」となだめる長女。なかなか泣き止まず、奥の手は魔法の水。リンゴ黒酢でほのかに味付けをした水を飲ませたら「おいしい」と言って泣き止んだ。
午後、次女が来てみんなで近所のお宮に初詣。鈴がうまく鳴らないと繰り返し、三度目に鳴ったら神妙に手を合わせ何かを祈っていた妻。自宅に寄ってから近所のガストで遅い昼食。娘二人と横浜に住んでいた頃の思い出話に、「一人でいると何も思い出せないが、一緒に話すといろいろ思い出せるね」と楽しかったひととき。200102c.jpg

張り出す雲に日の出を待つ人たちにも諦めムード

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.1)
(アルツハイマー)

刻々と地平線から張り出す雲に日の出を待つ人たちにも諦めムード。200101.jpg

日の出を諦めて早々と帰った人や、もしやの光芒に賭けて待った人。雲間から落ちた光芒にオレンジ色に染まった沼。200101a.jpg

何度も飛ぼうとしては躊躇していたオオハクチョウたち。風を待ってついに飛んだオオハクチョウたち。200101b.jpg


『ずーっと私がやってきたじゃない』 (2020.1.1)

昨日、近所に住む妻の親友Aさんが出来たばかりの紅白なます、栗きんとん、レンコンの煮物、黒豆の煮物などを持って来てくれた。笑って出迎えた妻が心づくしを手料理を見て泣き出した。「私、何にも分からなくなったの。何も出来なくなったの。みんな忘れちゃって」と。妻を抱きしめて「大丈夫、大丈夫」と言って落ち着かせたAさん。「1月中頃にはグループホームに行くの。私は専門の人に面倒見てもらえるし、直ぐ近くかだから夫も会いに来てくれると言うからいいけど、一人になっちゃう夫のことが心配なの」「ご主人、この頃はなんでも出来るようになったみたいだから心配ないよ」と慰められてやっと泣き止んだ。
朝から頂き物の餅を何度も手で押さえて堅さをチェックしていた妻、昼頃になって「切りごろになった」と言って仕度を始めた。「私が切ろうか」と言うと「ずーっと私がやってきたじゃない、私の仕事を取らないでよ」と言って笑う。「切ったら何に入れるの?」「そうか、去年も使ったはずね」としばらく探しやっと見付け、慣れて手つきで餅を切り始めた。
午後、娘夫婦と孫娘が来た。前年までは一緒に買い物に行ったが、「この頃は通うところが多くなったので家にいたい」と一緒に買い物に行くことを断った。買ってきた物をテーブルに並べ始めた長女を見て、一転張り切りだした。箸を出したり、あれこれ言って自分が指図している積もりらしい。紅白が始まる頃、食卓を囲んだときの妻は長女や孫娘に語りかけ、元旦には次女も来ると聞いて喜ぶ姿はいつになく幸せそうに見えた。200101c.jpg

雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.31)
(アルツハイマー)

雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼。191231.jpg

「コブハクチョウが出てきた」と散歩がてらに出てきた友。「どこに?」と言ったらレンズに手を添えて「こっちこっち」と居場所を教えてくれた。コブハクチョウの子ども6羽が岸沿いに岡発戸新田の方へ向かう。191231a.jpg

今朝もハス群生地に来ていたオオハクチョウの群。二人だけの大晦日でも、やり残したことに急かされて家路へ。191231b.jpg


『一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」』 (2019.12.31)
「私は何をしたらいいの?」「どうしちゃったのよ、急に?」「私は何をしなきゃいけないか、何をしようとしてたのか、私には全然分からなくなった。どうしたらいいの?」「ちょっと、落ち着いてね。今、朝ご飯の仕度をしてるんだ。電子レンジで干し柿をチンしてよ。甘くなるよ」と干し柿をのせた皿を渡したら電子レンジを探してうろうろ。「これ?」と言ってオーブントースターに入れようとする。「電子レンジ・・・、電子レンジだよ」と言えば目の前にある電子レンジが見えていない。「これだよ」と電子レンジの扉を叩いたら、「えー、それに入れるの」と。ふと思った。干し柿は冷凍品でもなく、電子レンジで温めて食べるなんてイメージは湧かなかったのだろう。調理する道具じゃなく、食べるときのイメージで探していたのかも。しばらくして牛乳を温めるのには躊躇せず電子レンジを使っていた。止める間もなく温めた牛乳にインスタントコーヒーを一匙入れてかき混ぜていた妻。「コーヒーじゃなくてココアを入れるんだったでしょう」と言ったら、「今日はこっちの方がいいの。どっちだっていいでしょ、私が入れたい方を入れたって」と、間違えたんじゃなくてこっちがいいと言い始めたらもうダメ、やりたいようにさせておいた。
電子レンジで温めた干し柿を食卓に並べると、一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」と言って朝食前に一個食べてしまった。「切り干し芋だって火鉢の炭火で炙ったら甘くなったね」と言って、子どもの頃を思い出して、子どもの頃の食べ物のことを話し始めた。いつもと味が違うからか、インスタントコーヒーを入れた牛乳は最後まで残っていた。二個ずつ用意した干し柿は、「お昼にも食べる」と別の皿に取り分け、私の分の一個は妻の食後のデザートになってしまった。
貼るのを忘れないように食卓の隅においてあったリバスタッチパッチが姿を消した。「どこへ持って行った?」「知らない」「見つからないと今夜困っちゃうね」と言って一緒に探した。あるべきところに置いてないRセンターとの通い袋、もしかしてと二階に探しに行くと妻の日程表と一緒にあった。そして通い袋の中にリバスタッチパッチも。リバスタッチパッチの袋に日付を書いていたから、その日付とお便り帳の日付、予定表の日付を照合していたらしい。
昼食は冷凍のチャーハンを電子レンジで解凍。「私がやる」と皿に盛ってラップを掛け、電子レンジに入れた。「壊れちゃった」と言うので見に行ったら、レンジではなくオーブンの設定にして動かしていた。妻にとっては電子レンジとの相性が悪くなった日だった。191231c.jpg

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.30)
(アルツハイマー)

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼。桃山公園から眺めた曇天の朝。191230.jpg

ハス群生地にオオハクチョウは来ていたが、あちこちに分散していてまだ飛びそうにない。191230a.jpg

ぼつぼつハス群生地の桟橋前に集まり始めたオオハクチョウ。まだ小さな群があちこちに散らばっていて、飛び立つのを撮るのは諦めて家路へ。191230b.jpg



『笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ』 (2019.12.30)
一昨日夕食後の薬を飲んでから昨日朝まで水を飲んでいなかった妻、目は覚めていたが、直前まで空想の世界をさまよっていたらしい。「私はどこへ戻ってきたの? ここはどこ?」「どこにいるか分からないの?」「Rセンターじゃないし、W園でもないよね」「周りを見てごらん。まだ分からないの?」「我孫子だよね」「我孫子のどこ?」「あっちに大きな池があるよね」と南を指さす。「手賀沼のことかい?」「うん、手賀沼だった。段々分かってきたよ。私の家じゃないの」「はい、はい、お帰りなさい」「あぁ、私、宇宙遊泳してた」「どこへ行ってきたの?」「あっちこっち、どこだかわかんない」「あんたの子どもの名前を覚えてるかい?」「私の子? 二人だよね。AとL。一人は八王子、もう一人は、えーと、えーと、横浜だった」「ちゃんと憶えていたね。合格だよ」、やっと笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ。
桃山公園へ撮影に出掛けようとしたら布団から抜けだして玄関まで見送りに来た。「車で行くの?」「歩いて行くよ」と答えたら急いで二階へ戻っていった。自宅南側の畑の脇に差し掛かると、雨戸を開けベランダに出て両手を振っていた妻。手を振って応え、「寒いから早く中に入って」と言ったが聞こえなかったらしい。上空は晴、やっと東の地平線がオレンジ色に染まり始めた。
日の出まで撮って写真友だちと歩いて帰れば、一階の雨戸を開けていた妻が「見付けたぞ」と言っているのか両手で頭の上に円をつくって笑っていた。二階まで様子を見に行ったら、「寒かった」と言ってベッドに潜り込んでいた。朝食の仕度が出来たら、「あら、やってくれたの。ありがとう」とちょっとふざけながら食卓へ。少しハイになっているようだった妻。
「今日はね、出掛けなくていいからゆっくり新聞を見ていた」と言ってパソコンの前にいる私を覗きに来た。「コーヒーが欲しいね」と言ったら、「嬉しいね。私にだってできることがあった」と言ってコーヒーを持って来てくれた。昼食に写真友だちに頂いた長芋と、冷凍のうどん、シーチキンの缶詰、タマゴを使ってとろろうどんを電子レンジで作ろうとして、ワンステップずつ妻に頼んでやってもらった。出来上がると「久しぶりに料理をした」と大満足。じれったいのを堪えてでも、妻に出来るように仕事を分解してやってもらえば、自分にも出来たという喜びがあるようだ。後片付けだけは注意していないと後で難儀する。このときもナイフをどこに仕舞ったか分からなくなって、夕食前に二人で探した。やっと見付けて、「私って、そのときの気分次第で片付けて、どこにおいたか思い出せなくなっちゃった。頭がおかしくなって困っちゃうね」と言って照れくさそうにしていた。191230c.jpg

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.29)
(アルツハイマー)

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼。191229.jpg

風が吹いて波立てばブルーになった風の通り道。191229a.jpg

雲間に日の出、お供え餅のようになった太陽。191229b.jpg


『じゃぁ行ってくるからね』 (2019.12.29)
早朝の撮影に出掛ける前のひとときをもう目覚めていた妻と話した昨日朝。頭は痛くないしすっきりしていると言い、夜の水は全部飲んであった。Rセンターに行く日だと伝えると早く起きて仕度をすると言い、自宅からRセンターへの道筋を語り始めた。以前は建物の名称や地名を言っていたのに最近は「あっち」「こっち」と頭の中の地図をなぞるような仕草をするようになった。
撮影から戻ってくると雨戸を開けていた妻、私が手を振って呼んでも気付かない。帰宅すると、「今日Rセンターに行くのを最後にして来年から行くのをやめる」と言う。「行くのがいやになったの?」「いやじゃないけど、来年になったらじきに新しいところに行くからもうやめてもいいかと思う」「ケアマネージャのMさんの計画は来年三回通うことになっているから頑張ってもう三回行こうよ」「そうか、じゃあ行くけど、新しいところが決まってから行くのが面倒になっちゃった」と言う。グループホーム入居が決まって、新しい生活が始まることばかり考えているから今まで頑張っていたことがどうでもよくなってしまったのだろうか。
9時少し前、Rから迎えの車の到着予告の電話があり、玄関前に出て二人で待っていたら迎えの車ら見えた。咄嗟に私の姿を見付けられなかったのか、「来たよ、早くおいでよ、じゃぁ行ってくるからね」と言って元気よく出掛けた。
午後、グループホームKのOさんから電話、1月10日に提携先のH病院へ契約しに行くようにと連絡があった。先週Y内科のY先生に紹介状を頼んであったのでいつもらえるか確認の電話をする。すでに先生は年末の休みに入り、1月6日の妻診察予約日には確認できるとのこと。一つ一つ妻のグループホーム入居の準備が進む。
4時20分頃妻帰宅。元気に戻り、用意しておいたアイスキャンデーを食べながらRセンターのことを話してくれる。「朝一番に入浴、一人ずつ呼ばれてリハビリの体操、待っているときは大勢の中の一人なので名前も知らないし、必要以外のことを親しく話すこともない。グループホームに入ったら少人数なので人との触れ合いがあるのが楽しみ。少人数になるとそれなりの気遣いは必要だろうが、慣れれば大丈夫だと思う。W園に何度も泊まったのはいい訓練になっている。家を離れるのはつまらないと思わず、新しい生活が始まると思うことにする」と、自分に言い聞かせるように語る。「まだ自分のことが分かっているから、私は新しい生活に入ることは大丈夫。私のことであなたの負担が軽くなると思うと気が楽になるが、あなた一人を残して、一人暮らしさせるのは申し訳ないと思う」と言う。グループホームに入ることになってからずっとそんなことを考えていたのだろうか。191229c.jpg

ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.28)
(アルツハイマー)

日の出直前になって、周りにいた人たちが今か今かと日の出の方向にレンズを向けて待っていたとき、ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群。191228.jpg

飛び立って高く上昇したオオハクチョウに朝日が当たって赤く輝く。191228a.jpg

オオハクチョウの群が小さくなって消えたら、岡発戸新田の突端の向こうに日の出。191228b.jpg


『干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声』 (2019.12.28)
昨日早朝、前夜用意しておいた水は全部飲んであり、目が覚めて長女と次女のことを考えたら、名前も住んでいるところも直ぐに思い出せたと妻は言う。二人が横浜から我孫子に転校してきた頃を思い出して語り始めたら、長女の名前が急に出てこなくなり、しばらく考えて孫娘の名前を言った。「それ、孫の名前だよ」と言ったら「せっかくいろいろ思い出したのにまたごちゃごちゃになっちゃう」と頭を叩く。孫の名前を何度か呟き、やっと長女の名前を思い出した。次女の男の子二人については何も思い出せず、「長いこと会っていないから忘れちゃった」と。
朝食の仕度をしていたら手伝いに来たが、ふっといなくなり朝食の仕度が出来ても戻ってこない。探しに行くと洗濯機を始動してから柔軟剤を入れようとしていた。残り少なくなった柔軟剤をボトルのキャップに入れ所定のメモリになるまで水で薄めていた。それではダメだと説明しても、量が足りないから増やしているのだと言い張る。大きな問題ではないからやりたいようにさせておく。一時、洗濯機のボタンの使い方が分からなくなったが、ここ数日また出来るようになった。「動かせるようになったね」と言えば「体が覚えていた」と。
朝食後は電気カーペットの上で新聞を広げて見ていて、洗濯が終わってももう忘れてしまった様子。朝食後の食器洗いも、洗おうとした私を制止して妻がやると言ったのにそれも忘れて新聞とにらめっこ。覗き込むと、「字は全部読めるよ。意味だって分かる」と言っていたが、記事を読み終わって何が書いてあったか内容は覚えていない。字を読めて、意味も分かることを確かめているのだろうか。
午後も新聞を見た後、Rセンターのお便り帳と妻の日程表を見比べていたが、お便り帳を入れてあった通い袋が見当たらない。妻と二人であちこち探したら読み終わって積んだ新聞の間にあった。それを見て「なんで私はこんなことをするんだろう。頭がおかしくなっちゃって何にも分からなくなった」と泣き出した。Rセンターに出掛ける直前に見つからなくて慌てて探したことも何度かあり、置く場所を決めているがそれでも見当たらなくなることが多い。今が何月何日か分からなくなるから、お便り帳の最後の記入日を見て日程表の次回に行く日と照合しているようだ。
ここしばらくRセンターに行き、W園に行き、二ヵ所の病院に行き、年が明ければグループホームに入る予定があり妻は混乱しているようだ。紙に書いてくれと言われ、貰ったばかりの来年のカレンダーにグループホームに入居までの日程を二人で書き込んだ。
夕方になって、朝洗濯した物がそのままあるのを見付け、干そうと二階まで運んだが、雨戸を閉めようとしてまた忘れてしまった。うかつに手出ししたり指摘するとまた失敗したと泣き出すので、苛つく気分を押さえて見て見ぬ振り。やっと気付いて干そうとしたが、ピンチハンガー一個を持ってあちこちうろうろ、「どうしたの」と声を掛けたらもう一個のピンチハンガーを探していた。「さっき二階に持って上がったよ」と言うと、笑ってごまかし二階へ上がった。干し終わって振り返ったら階段においた干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声。191228c.jpg

赤いテールランプが次々通り過ぎる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.27)
(アルツハイマー)

6時15分を過ぎても桃山公園の高台から見下ろす景色は暗く、下の道を通勤の車の赤いテールランプが次々通り過ぎる。191227.jpg

霧で対岸も見えない沼にまた小雨が落ち始めた。傘を差し数枚撮った雨の手賀沼。誰も来なかった高台。191227a.jpg

未だ暗い林の中の小径を抜ければ、街灯に照らされたマユミの木の紅葉が鮮やか。いつもならラジオ体操をする人たちも来ていない。191227b.jpg


『両手を挙げてバンザイをした妻』 (2019.12.27)
妻の様子を見に行った昨日早朝、夕食後に用意した水は半分以上残っていた。コップ一杯の水を飲ませようと手渡したら、「私には子どもがいるの?」と寝ぼけ顔の妻。「いるよ、二人も」「二人も?」「上がA、下がL。八王子と横浜にいるじゃない」「AとLは私の子?」「そうだよ」「私は子どもを生んだのを憶えていないけど」「そうか、生んだと言うより帝王切開で取り出したからね」「二人は私の子なんだ。嬉しい。子どもがいないと思っていたから悲しかった。AとLはお父さんの子だから手伝いに来てくれて、私に親切だと思っていた。私とあんたの間に生まれた子だよね。いい子がいて嬉しい」と一気に言って泣き出した。目が覚めたばかりだからか、二日続けて夜の水分補給が少なすぎたのか、妻の言葉にびっくりさせられる。やっとAとLが自分の子どもだと思い出し、横浜の片倉台団地の風景も思い出したが、Aを等々力のナオミ保育園に、片倉台団地に住んだ頃に二人を育和幼稚園に通わせたことどころか、二人を育てた記憶すら思い出せなかった。
近所の桃山公園から手賀沼を撮って帰宅し、妻のところに行くとベッドに腰掛けRセンターの新年会のパンフレットを見ていた。私に気づき、「私には二人の子どもがいたよね。一人はAで、もう一人はL、Aは八王子に住んでいて、Lは横浜に住んでいるよね。ずっと考えていて、やっと思い出した。ここまでは正しいよね?」「正しいよ。思い出せたじゃない」「よかった」と言って上半身を起こし、両手を挙げてバンザイをした妻。「でもね、どうしても娘二人の顔が思い出せないの」と言って考え込む。「大丈夫だよ、思い出すさ。後で子どもたちの写真をプリントして貼っておくからね。今日はRセンターに行く日、9時には迎えの車が来るから早く起きて仕度しようね」と言って台所へ向かう。
朝食中もはしゃいだ様子で娘二人のことを一人でしゃべっていた妻。8時30分になったので急かせて二階へ追いやった。9時少し前、Rセンターから10分後に迎えに来ると予告電話。やっと仕度が出来た妻と自宅前に出ると間もなく迎えの車が到着、元気に迎えの車に乗り込み、窓越しに手を振りながらデイケアに出掛けた。Rセンターにデイケアで通うのもあと4回になった。191227c.jpg

水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.26)
(アルツハイマー)

曇天の沼はいつまでも暗く、水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ。191226.jpg

対岸の丘の上に成田着の順番を待つ飛行機の灯り、順番が来ると左に向かってゆっくりと下降。191226a.jpg

ピッポーピッポーと近寄って来る音、下の道を覗けば通り過ぎる救急車の赤いランプ。191226b.jpg


『私の頭の中には今しかないの』 (2019.12.26)
昨日早朝撮影に出掛ける前に妻の様子を見に行ったら、ベッドに腰掛けテレビを見ていた。「頭の具合はどう?」と訊くと、「少しガーンとするけどよくなって、頭はすっきりしている。何か思い出そうとするとガーンとなる」「ガーンとなると痛いとか吐き気がするとかして気持ち悪くなるの?」「痛いとか気持ち悪くなるんじゃなくて、ガーンとして頭の中がごじゃごじゃになる」と。どうやら『頭がガーンとなる』と妻が訴えるのには二種類あるらしいと、数日前から感じ始めた。一つは『風邪を引いたみたいで、頭がガーンとする』ともう一つは『頭の中がごじゃごじゃになってガーンとする』で、前者は頭痛や吐き気とかめまいを伴う身体的なもの、後者は何かを考えたり思い出そうとして訳がわからなくなって狼狽するような気分的なものらしい。
撮影から戻ると雨戸を開けていた妻、「もうすぐ朝食にするよ」と言うと着替えに寝室へ戻ったが、仕度が出来ても戻ってこない。見に行くと、朝食のことは忘れてベッドに潜り込んでいた。
朝食後、睡眠不足の私がテレビの前で居眠りしていると、その間に洗濯をしていた。黙って見ていると居間に戻って新聞を読み、何日分か眺めた新聞をたたんで積み重ねていた。予定表に目が行くと予定表を手に取り新聞の日付と見比べて、「Rセンターにはいつまで行くの? いつからグループホームに行くの?」「Rセンターには1月9日まで行って、グループホームには1月12日に入るよ」と説明したが、しばらくするとまた何度か同じ質問を繰り返す。私が食器洗いをしようとすると、「それ、私の仕事、やらないで」と制止する。立ち上がって食卓の周りを覗き込み置いてあるものを並べ替え始めた。もう食器洗いに立ったことは忘れたらしい。次々といろいろなことが気になるらしく、次々とやりかけのことが増えて行く。いちいち注意すると不機嫌になるから私は黙って見ていた。
体調がよくなってから活発になった妻、私が物置の不要なものを捨てて作った空きスペースに、またいろいろな物を突っ込み始めた。もしかして、私が不要になった物を探し出して捨てるのを、妻が責められているとでも感じているのだろうか。年内に物置を整理するつもりだったが中止、妻をグループホームに送り出した後まで待つことにした。私が整理し終わっていたところまで妻が手を入れようとしたので、「どうして今やるの?」と声を掛けたら、「私の頭の中には今しかないの」と、昨日言った台詞を繰り返した。
夕方、テレビを見入っていた妻を残してパソコンの前にいたら、「コーヒーを持って来たよ」と妻のにこにこ顔。片手にはせんべい二枚とミカン一つ。
午前中、グループホームKのOさんからベッドのリース代は8000円/月と連絡があった。同じ系列のグループホームを見学しに行ったとき3000円/月と聞いていたので代案の検討をお願いしたら、新品ではなく中古品だったら3000円/月の業者を見付けてくれ、それで十分だと説明してくれた。後日リース業者と契約することにした。着々と妻のグループホームKへの準備が進み、妻が自宅にいる日も残り少なくなってきた。191226c.jpg

水面に映った赤い帯を横切るコブハクチョウ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.25)
(アルツハイマー)

雲から陽が昇ると眩しい太陽、水面に映った赤い帯を横切るコブハクチョウ。191225.jpg

一列に並んで時々羽ばたくオオハクチョウの群、数羽が助走し始めたら群全部が羽ばたき助走し飛び立った。191225a.jpg

沼上空を飛んでいる間に二つのグループが一つになって、白井の方角を目指して飛び去るオオハクチョウ22羽。191225b.jpg



『マフラー、あっ、二つ持って来ちゃった』 (2019.12.25)
昨日早朝の撮影に出掛ける前、妻の様子を見に行ったら、昨夜用意しておいた水を全く飲んでいないのでコップ一杯飲ませた。頭がガーンとすることはほとんどなくなったが耳が聞こえにくく自分の声が遠くから聞こえると言う。「今日は何日?」「12月24日火曜日、Rに行く日だよ」「今夜はクリスマスイブだね。Rって川のところだった? ごちゃごちゃしてどっちがRでどっちがWか名前が分からなくなっちゃった」と、いつも似たような問答。
撮影から戻ると、雨戸を開けていた妻は私を見付けベランダに出てきて、カメラを向けると両手でVサイン。18mgから13.5mgに薬を減量したリバスタッチパッチを再開したが、副作用らしき症状は出ていなくて一安心。
9時20分にはRから迎えの予告電話があり、到着前から玄関の外に荷物を持って出て、「お便り袋持った、鍵持った、マフラー、あっ、二つ持って来ちゃった」と一本を私に渡す。いつも添乗員をしていた職員が車の運転、添乗する人は新人。車から降りて新人を紹介、「鍵と袋を預かって」と新人に指示。その間に妻はサッサと車に乗り込み、後を追い掛け妻から鍵と袋を預かってくれた新人の職員。慌ただしく妻を送り出してやっと自分のペースに戻る。
午後4時20分頃、Rから帰ってきた妻、頭がすっきりしたと次々やることを見付けて始めるが、終わる前に次のことを見付け途中までやりかけになったことが増える。そのあとから後片付けをして歩く私。パソコンの前に戻ったら、コーヒーを入れて持って来てくれた。よく気がつく。「夕食はどうする?」と言われ、冷蔵庫の中から食卓のスペースがあるだけ食品を出されるのは恐怖、メモに「夕食は宅配弁当があります。あとはインスタントスープにお湯を入れるだけ」と書いて渡したがどうなるか心配。
夕方妻の親友Aさんが来てくれてお土産を頂いた。Aさんから近隣センターでのお茶の会のことを聞き、一週間前には会話になりにくかった妻はAさんの話しに反応しちゃんと会話になっていた。妻からは、来年になったら近くのグループホームに入居することを話していた。Aさんから「こんなにお話しできるようになって、まだグループホームに行くのは早すぎじゃない、遅らせたらどう」と言われ、「私のことを心配してくれた夫と何カ所か見て申し込んできたが、思ったよりも早く自宅の直ぐ近くのところに空きが出来て嬉しかった。近いから夫も時々来てくれると言うし、私もたまには家を見に行くことも出来る。夫も私がどうかしたときのことを心配しなくてもよくなるから決心した」と妻。
夕食時、Aさんから貰った梨の皮を剥きながら「これ、どうしたの?」「Aさんに頂いた」「いつ?」「さっき来て、いろいろ話してたでしょう」「そうか、来てくれたのね」「何を話したの?」「全然頭の中に残っていない。私には、今のことしか頭の中にないから」と、あんなに楽しそうに話していたことももう記憶していない。妻が話していたことをかいつまんで伝えると、「そうだけど、グループホームに入ると決心したのにはほかにも期待してることがあるの。他人と一緒に生活して自己規制を掛けるのにいいチャンス。家にずっといるとわがままで、気が強くて、自己主張の強い私の性格だけがどんどん出るようになるから、自己規制して自分を見直すことも出来るでしょ。学生時代寮生活や他人の家に下宿した経験もあるから大丈夫だよ」と言う。いつここまで考えたのだろうか。たぶん何度も反芻して、グループホームに行くことの気持ちが挫けないようにしているのだろうか。191225c.jpg

釣堀前へ向かうコブハクチョウ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.24)
(アルツハイマー)

日の出前の沼を岡発戸新田の釣堀前へ向かうコブハクチョウ親子。191224.jpg

ハス群生地から飛び立って、白井に向かうオオハクチョウ19羽の飛行。191224a.jpg

地平線の雲から眩しい日の出、風に波立つ沼はブルー。191224b.jpg


『水の館の展望台から二人で沼を眺めた』 (2019.12.24)
昨日早朝、桃山公園の高台へ撮影に出掛ける前に妻の様子を見に寄ると、目覚めていて日程表を見ていた。「今日はどこに行くの?」「Y内科に行く。10時30分には出発するからね」「Rに行くのはいつ?」「明日」「いつまで行くの?」「1月12日がグループホームKの入居日だから、最後にRに行くのは1月7日」「ごじゃごじゃしててわかんないや」と困惑顔。W園のショートステイ、Rセンターのデイケア、それにグループホームKが加わって分からなくなってしまったらしい。
撮影から戻ると妻はベッドに潜り込んでいた。「雨戸を開けたら寒くなっちゃった」と言って手を振る。私が朝食の支度をしていたら手伝いに二階から降りてきたが、「寒いから何か着てくる」と言って二階に上がったきり戻ってこない。朝食の支度が出来て呼びに行くと、もうすぐ朝食だと言うことを忘れてベッドに潜り込んでいた。「ご飯だよ」と呼びかけると「あっ!」と言ってびっくり顔。食卓の前まで来て、「トイレに行ってくる」と言ったまままた戻らない。呼びに行くと洗濯物がたまっているのを見付け、洗濯の準備をしていた。体調がよくなって、目に付くものを直ぐやろうとする元気が出たが、何か目に付くとそれをやろうとして、その前にやりかけていたことを忘れてしまう。
10時30分頃妻を連れてY内科へ出発、Y先生の診察を受けた。今回リバスタッチパッチを中断してから頭がガーンとする症状がやわらぎ、会話がかみ合うようになったことを報告。2017年2月に吐き気の症状が出たとき、リバスタッチパッチを飲む薬に変えて試そうかと先生から提案され、私が「今しばらくそのまま様子を見たいと言ったのは私のミスだったようだ」と言ったら、先生は「飲み薬は一時的に血中濃度も上がり、血中濃度を一定に保てる貼り薬の方が副作用は出にくい」と慰めてくれた。私の日記から抽出したこと『2017年3月頃、試しにリバスタッチパッチを中断するように妻に指示し、メモを貰ったが妻が忘れてしまい、私はリバスタッチパッチを貼り続けてしまったことがあった。翌4月になって、18mgを13.5mgに減量し、吐き気の症状が出ないので同年9月に18mgに戻した。いつ頃からか、風邪を引いたように頭がガーンとしていると妻が訴えるようになり、葛根湯を処方して貰い症状が出たとき飲ませると治ったようだった。最近になっていつも頭がガーンとしていると言いだし、吐き気の症状で救急搬送され、そのときは便秘が原因と下剤を処方されて落ち着いたが、数日後また吐き気を再発し救急外来で吐き気止めを処方された。』と私の記憶を話したら、先生のカルテと照合し、リバスタッチパッチを18mgから13.5mgに減量していた間は安定していたので今回13.5mgのリバスタッチパッチを処方して貰うことになった。妻が風邪のようで頭がガーンとするという訴えを、私はよく風邪気味になると思い込み、頭がガーンとするのは夜間にも水分補給をすると楽になるので認知症の症状の一つか程度に思っていた。私の早とちり、観察不足があったと思う。また、最近リバスタッチパッチの袋が大きくなり、剥がれやすくなって、貼った跡の皮膚炎症が少なくなったことの変更で薬の吸収がよくなったらしいことと関係がありそうな気もする。
帰路、気分がよくなり「手賀沼を見たい」と言う妻のリクエストで水の館の展望台から二人で沼を眺めた。エレベーターで一階に下って正面にあったレストラン「旬菜厨房 米舞亭」で掻き揚げソバの遅い昼食。191224c.jpg

踏み固められた小径には雨水

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.23)
(アルツハイマー)


雨が上がったばかりの桃山公園の高台に向かえば、踏み固められた小径には雨水がたまり、足を降ろす場所を選びながら歩く。191223.jpg

雨に濡れ、ネコの木の耳に見える木の葉が落ちて、弱々しく見えていたネコの木。191223a.jpg

行きつけのY内科に妻を連れて行き、帰ろうとしたら晴天。手賀沼を見たいという妻のリクエストで展望台から手賀大橋や柏の街を望む。191223b.jpg


『おいしいからもうちょっとご飯を食べようかな』 (2019.12.23)
昨日朝、妻の様子を見に行くと二度寝したのに寝ぼけていない。頭がガーンとした感じはだいぶ治り、右耳が聞こえにくく、自分の声が左の耳に遠くから聞こえるようだと。「こんど病院に行くのはいつ?」と訊かれ、「明日Y内科のY先生のアポイントを取ってあるので、今後リバスタッチパッチをどうしたらいいか相談に行くよ」と伝える。
一時は洗濯機の始動方法がどのボタンを操作するのか分からなくなっていたが、自分一人でも洗濯が出来た。会話もかみ合うようになり、8月末に急性膵炎で16日間入院して以来急速に進んだ症状がかなり入院前に近い状態に戻ったように感じる。しかし、10分も経つと忘れてしまう物忘れには改善は見られない。洗濯をしたら、そのことを忘れて午後になって洗濯機の中に洗い上がった衣類が残っているのを見付けびっくりして干した。
昼食に冷凍のスパゲティを電子レンジで解凍するのにも、考え込まず時間設定をしたらすっとスタートボタンを押した。「出来るじゃないの」と言ったら、「手がすっと動いて出来た。体が憶えていたみたい」と嬉しそうに答えた。「どのボタンをどんな順序で押したの?」と問えば「分からない」と。体が覚えていたのだろうか。昼食後食器洗いをしようとしたら、「やらないで、それ、私の仕事」と積極的になっていた妻。私を制止したことを忘れ、テレビの前で留守中にたまった新聞を丹念に眺め、夕方になって洗ってなかった食器を見付けて洗っていた。
いつも宅配弁当のご飯を半分残しおかずだけは全部食べる妻の夕食、「おいしいからもうちょっとご飯を食べようかな」と言って笑い出した妻。リバスタッチパッチを中止してから食欲も出てきたようにも感じる。食後にグループホームKに行く話になった。「持って行く荷物を用意しなくちゃ」「娘二人が来て用意してくれるから大丈夫」「えっ、来てくれるの、嬉しいわ」「最初は当座必要なものだけ持って行って、欲しいものが出来たら直ぐ届けに行くよ」「周りの人の様子を見てからでもいいよ。一辺に全部そろえることはないよね」「家具は使い慣れたものがいいと聞いたけど、あんたの使ってる家具は大きすぎるし、庭木が大きくなって運び出せないね」「もう大きな家具は要らない。鏡台は壊れかけているがあれで十分、ベッドの横の電気スタンドの置いてある引出付きの台で小物は入るよ」「テレビはどうする?」「共通のテレビをみんなと一緒に見ていればいいし、W園に泊まったときだってそうだったよ」と、妻の思いはもう新しいく始まる生活の方を向いている。
「私は共同生活をするからいいが、あんた一人だけになって大丈夫?」「大丈夫、心配ないよ」「勝手に様子を見に来るのは許されないだろうけど、たまにはちゃんと生活してるかちょっとだけ覗きに来たいね」「娘たちが来たときは迎えに行くから帰ってきたらいい」「夕食前にはホームに戻るようにするよ。暗くなったらあんたが送っていってくれるのに困るものね」と、今のところは新しい生活に前向きだ。191223c.jpg

天気予報に騙されて桃山公園の高台へ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.22)
(アルツハイマー)

6時頃だけ晴れるとMapionの天気予報に騙されて桃山公園の高台へ。今朝も曇天。191222.jpg

なにも撮るものが無いと沼を見ていたら、早足で通り過ぎた散歩の人。191222a.jpg

諦めて帰ろうとした頃、散歩がてらにやってきた友。「こんな日はこんな日らしく撮れればいい」と言いながら撮った今日の一枚。191222b.jpg


『Vサインをしてにこにこ顔の妻』 (2019.12.22)
昨日午後3時40分頃、W園のTさんから、ショートステイから10分後くらいに妻が帰宅すると電話があった。たぶん、W園での最後のショートステイになるので戻って来たところを記念撮影しようと外に出て待つ。しばらく待つと見覚えのあるW園の車が見え、ウインカーを点灯しながら自宅前に寄ってくる。Tさんが降りてドアを開けてくれたら、Vサインをしてにこにこ顔の妻がいた。
車から降り、荷物を持ってくれている運転手さんの横に立ち止まり、Tさんに「長い間お世話になりました。ありがとうございました」と深々とお辞儀する妻。Tさんから「カラオケ大意会でリンゴの歌を歌われ、きれいな声でとてもお上手でしたよ。みんなが褒めて言いましたよ」と言われ照れくさそうにしていた妻。今回のショートステイでは、不安な様子はなく、泣いたり不安になったときの気分転換に水割りして飲ませるリンゴ黒酢は使わなくて済んだと。Tさんに五泊六日のショートステイ代金を支払い、戻るTさんを外まで見送った妻、車の窓を開け手を振ってくれたTさん。
居間に戻って、「頭はどう?ガーンとしてる?」と訊ねたら、「頭はガーンとしなくなった。左の耳がよく聞こえなくて、自分の声は右から聞こえる。遠くの方から聞こえてくるるようだ」と、出掛ける前よりも会話がかみ合うようになった。先週日曜日からリバスタッチパッチを貼らなくなって、ずっと悩まされていた頭がガーンとする症状が無くなったから、もしかして副作用だったのか。
2017年3月末、吐き気を訴えた妻、副作用を心配したY内科のY先生がリバスタッチパッチを一時中断して様子を見ようとしたとき、そのメモを薬袋に貼り付けて私に知らせることを忘れてしまった妻。知らなかった私はリバスタチパッチを貼り続けてしまった。以後、妻の受診には私が付き添うよう先生から指示があって一緒に診察室に入るようになった。先生より飲む薬に変更するかそれともこのまま続けるかと言われたとき、飲む薬は飲み忘れなどで不規則な服用になることを心配した私はそのままリバスタッチパッチを継続する方を選んだ。その後、4月から9月に掛けリバスタッチパッチを13,5mgに減らし、その間吐き気は生じなかったので18mgに戻した。いつ頃からかは定かでないが、風邪を引いたようで、頭がガーンとすると訴えることが始まり、段々頻度が増えほぼ常時頭がガーンとすると言うようになった。そして今月になって以前のような吐き気を催す症状が何度も出るようになった。口癖のように、頭がガーンとするようになったと言う妻の訴えを、認知症の進行による症状と思い込みあまり重視しなかった私の認識のミスであったように思う。191222c.jpg

沼の向こうに流れる黒い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.21)
(アルツハイマー)

曇りの天気予報がいつの間にか雨になっていたので、桃山公園の高台に立ったのはいつもより遅い時刻。雨雲か、沼の向こうに流れる黒い雲。191221.jpg

明るくなると高台の下の岸に集まり始めたカルガモや小ガモ。191221a.jpg

今朝も写真友だちのEさんが散歩がてら、「もうじき雨が降る」と言って高台に登って来た。釣堀前の繋がれた小舟を撮っていたら水面の色が変わって小雨、急いで帰宅。191221b.jpg


『入居者対職員対抗紅白カラオケ大会』 (2019.12.21)
デイケアはRセンターに週三回通い、ショートステイはケアマネージャのMさんの事務所があるW園。グループホームKへの入所は来年の1月12日なのでショートステイは今回が最後となる見込み。スタッフの方々に優しく対応していただき、妻は楽しく過ごさせていただいていたようです。デイケアの方は、グループホームに入居する直前1月9日までお世話になることにした。認知機能が低下して行くことを自覚し苦しんでいた妻を支え、お世話いただいたことに感謝。
妻のショートステイ中に、グループホームの契約や自分の順天堂での検査などに忙しく、メールを開いたらショートステイ中の妻の様子書いて下さって、Mさんからメールを頂いていた。
『奥様のご様子です。
初日は、枕元に貼られた今回のショートステイの予定をご覧になって「あら、大変、こんなに長く泊まるなんて、主人に言って来なかったわ」と仰られたのですが、Tさんが「大丈夫、ご主人が見送ってくださったし、ご主人に頼まれた日程通りなんですよ」とお話しするとすぐに「あ、そうだったのね、良かった」と安心されたそうです。
その日はボランティア『白い鳥』さんのコーラスを楽しまれました。
丁度木曜日、W園入居者対職員対抗紅白カラオケ大会の予定があり、今村さんにも歌っていただけないかお願いしたところ、「私がですか」とかなり遠慮されたのですが、結局引き受けてくださいました。職員側の助っ人としてトップバッターです。そして、先程カラオケ大会でした。一人目の方が歌われ、その次にマイクが回ってくると「え、私が歌うんですか」と驚かれましたが、とてもきれいな声で歌ってくださり、その後も皆さんが歌われるのに合わせて口を動かしておられました。(紅白歌合戦の結果は残念ながら入居者側の勝ちでした)
終わった後、感想をお聞きすると「私、急に歌ってと言われたのですよ。恥をかくなと思ったけど、せっかくだ、えい、やってやれ、の気持ちで歌いました」と仰り、周りの入居者の方や職員から「今村さん、声がきれい」「お上手でしたね」と声をかけられて、顔を赤くされて照れ臭そうに笑っておられました。
私が事務所に帰ると言うと「いつもありがとう、送っていくわ」と渡り廊下のところまで送ってくださいました。
「声が遠く聞こえる」「少し頭痛がする」とのお話もありましたが、「きっと寝れば良くなるわ」ともおっしゃっておられます。職員の話では、穏やかにお過ごしだそうです。』
たぶん最後のショートステイとなるだろう今回も、楽しく、穏やかに過ごさせていただいたようで嬉しい。img021mt.jpg

二ヶ月ぶりの順天堂受診

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.20)
(アルツハイマー)

二ヶ月ぶりの順天堂受診。採血、心臓超音波、安静時超音波の検査の後、S先生の診察。心臓の人工弁の音、ワーファリン効き方、血圧ともにいい状態だと。気に入らなかったことは、私より受付番号も、中待合室への呼び込みも遅かったおばさんが先に診察室に呼び込まれたこと。看護師の采配で変わる順番らしい。191220.jpg

早朝の撮影は出来なかったので、順天堂から帰宅後に水の館の展望台から沼を撮る。191220a.jpg

もう動かなくなったカッパの噴水の前、柵の向こうで竿が時々上がる釣り人二人。191220b.jpg


『妻のグループホームK契約の日』 (2019.12.20)
いつも妻の様子を見てから早朝の手賀沼撮影に出掛けるのが日課だったが、ショートステイでWにお泊まりの時は何か忘れものをしたような気分で出掛ける。帰宅して、たった一人の朝食の用意をするとき、「妻がいないからといって適当に手を抜くなよ」と自分に言っていた。仕事で一緒だった友が奥さんを亡くし、「一人暮らしになると台所に立ったまま飯を食うようになる。こうなると哀れなものよ、家中埃がたまり、空いたスペースは衣類などが散乱。心を入れ替えようとするがダメなんだな」と、一杯飲み屋のカウンター席に座って語ったのを思いだした。
昨日は、いよいよ一人で暮らす第一歩、妻のグループホームK契約の日になった。保証人は私、長女が連帯保証人。二人揃って出掛け、施設長のOさん、介護支援専門員のSさんから契約書の説明、それに付随するQ&Aが行われた。耳新しかったことは、入院すると介護保険から後期高齢者医療保険に切り替わり、グループホームには部屋代を支払うだけ。入院が長期に続くようなら退所しなくてはならないこと。入所後の医療については連携病院との契約を私が病院と行わなくてはならない。個人情報に関することだから施設側が代行することは出来ない。当たり前のことだが、初めて気付いた。内科的に処置できないとき、骨折して整形外科で入院治療するときは私が対応しなければならない。転ばないでくれ、骨折しないでくれと祈るのみだ。現在、リバスタッチパッチを背中に貼っていて、吐き気などの副作用が疑われる症状が出ているが、当施設で扱った人の中ではリバスタッチパッチ使用者に同じような副作用が多かったようだと聞き気になった。面会は比較的自由、入り口で面会用紙に記入して係員に渡せばよい。2日に1回ご主人が通ってくる人もいると聞いた。この近所に友だちの多い妻にとって、友だちとの面会も自由なのは嬉しいことだろう。グループホーム側から言えば、ベストタイムは午後1時半から2時半だと。外出、外泊で外で食事をするときは5日前までに届け出ればグループホームへの食事代支払いは不要。私の場合は、外泊は環境変化で睡眠障害になることを心配して原則行わないつもりと伝えた。またOさんから「奥様をどのように過ごさせたいですか」と問われ、「妻の最後まで残る人間性を大切にして過ごさせたい」と答えた。入居は1月12日10時30分と決め、妻が入ることになる部屋を下見した。
長女を我孫子駅まで送り、一人スーパーで買い物をして帰ればもう暗い。雨戸を閉めながら、何とも言いようのない寂しさにも似た思いが頭をよぎった。同時に、一人になるのをいいことにだらけた生活はすまいと心に決めた。191220c.jpg

雲を黄色に染めた地上の灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.19)
(アルツハイマー)

昨日昼間は曇天の予報だったのが、夕方には晴れの予報に変わって夜明け前から桃山公園の高台へ。上空には薄い雲が空いっぱい、雲を黄色に染めた地上の灯り。191219.jpg

日の出の頃になると、雲の隙間から落ちてくる朝の光に赤く染まった水面。191219a.jpg

遅い日の出が雲の隙間まで登れば対岸から光の橋。191219b.jpg


『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(3)』 (2019.12.19)
『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(3)』 (2019.12.19)
2017年2月末になって朝から調子が悪い、体がだるいと言い始めたが検温すると36.5℃。一日中ぼんやりしていてなにもする気力が無い様子で風邪に似た症状、夕食後葛根湯を飲ませる。翌朝から私も咳が出始める。妻は体がだるく、インフルエンザの症状なのでY内科に行こうと誘っても動こうとしない。つい強い語調になって言うと渋々支度を始める。私も風邪の症状が出てきたので二人とも診察を受ける。妻はインフルエンザ、レントゲンを撮りイナビルが処脳された。私はインフルエンザ陰性。翌日夕方になり妻の症状は回復し、私が発熱し始め頭痛と咳。翌朝Y内科の診察を受けると私もA型インフルエンザ、イナビルが処方された。
インフルエンザが回復した妻はぼんやり過ごす日が多くなり、物忘れも急に進行した。モータース勤務の写真友だちが、運転をやめると急に認知症が進行すると言っていたのが気になる。ナイフ、フォークや食器の収納場所がその都度変わって必要なときに直ぐに出てこなくなった。妻は「なんでこんなことになっちゃったんだろう」と言って嘆く。
コーラスで一緒だった方が亡くなり、葬儀に行けなかったからと線香を上げに行くと言って外出した。直ぐに戻ると言っていたが、近所に住む友だちと近隣センターに出掛ける約束の時間になっても戻らない。帰宅を待つ間に、近隣センターでの妻の様子を聞く。二年ほど前からおかしいと気付いていたし、運転のことをみんなで心配していたとのこと。お茶の会の時も脱線することが気になっていたそうだ。待ちきれず友人が近隣センターに行ったら、途中出会った友のに乗せてもらって妻は先に着いていたことを帰宅した妻から聞いた。
インフルエンザの後、妻はむかむかする気分を訴えることが多く、Y内科受診時に先生に相談するとインフルエンザの後遺症で脳にも影響があるかもしれないと聞く。すっきりしない妻の様子、これから先のことも気になって高齢者なんでも相談室のIさんに電話、4月になったら相談室を訪問してIさんに相談するアポイントがとれた。後日相談室を訪問、妻の今までの経過と現状を伝え、介護保険の介護認定の受け方、デイサービスやショートステイ、生活環境や対応の仕方、食時については宅配弁当の利用も出来ることなどのアドバイスを受けた。191219d.jpg

落葉した枝先に半欠けの月

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.18)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に立ったが濃霧で直ぐ下の市民農園跡すら見えない。星を見るのが趣味だという散歩の人が、「月が見えるからまあいいか」と言って指さした上空、落葉した枝先に半欠けの月。191218.jpg

9時30分頃になってもまだ残っていた霧。再度桃山公園の高台に行けば、うっすら見えてきた岡発戸新田の突端。191218a.jpg

間もなく見え始めた対岸の鷲野谷新田辺りの岸辺。191218b.jpg


『今度のWが最後のお泊まりかもしれないね』 (2019.12.18)
一昨日朝、Wへショートステイに出掛ける直前、「今度のWが最後のお泊まりかもしれないね。その次は新しいところにずっと行くから。新しいところに行ったら一人でずっと泊まるのだから、Wのお泊まりは家を出て一人になる練習だね」と妻が言うのを聞いて気がついた。今まで何度かのショートステイを含め、私自身も一人で暮らす練習をしていたのだと。認知機能が段々と低下し出来ることが少なくなっが、何かしら生活の一部を負担していてくれたし、一緒にいることで手がかかるようになった妻でも、側にいてくれるという安堵にも似た気持ちはあった。
妻の認知機能の低下に連れ、私がやることが次第に増え、いつの間にか私が一人で暮らして行く術は身についたし、何度かのショートステイの間にこれなら一人でやって行けるという自信にも似た気分にもなった。家事はなにもしなかった私だったが、次第に出来なくなることが増える妻は私が一人で生きて行くための教師であったようだ。もし妻が突然死したり、突然何も出来なくなっていたらただ戸惑うだけ、ゴミ屋敷の住人のようになっていただろう。
次第に出来ないことが増える妻を見詰め、出来なくなったことのどこが出来ないのか、何をヘルプすればその仕事をしてもらえるか考えて妻が出来ることをしてもらってきた。そのことは私にやるべき仕事を分解して見る癖をつけ、私に適した家事のやり方を見付けさせてもくれた。
妻をグループホームに行かせることになったのは、私の意思よりも妻の意思が大きかったように思う。今年の初夏だったろうか、物忘れと出来なくなったことが増加する自分に悩み、先々何も分からなくなる前に何処かの施設に入りたいと妻が言った。タイミングよくケアマネージャのMさんから幾つかのグループホームの紹介があり、長女と一緒に近くの施設を見学した。申し込んでもなかなか順番が来ないので、同じ系列でもっと自宅に近いところも申し込むといいとアドバイスを貰って見に行ったのがグループホームKだった。翌週妻と二ヵ所を見学に行き、二ヵ所とも気に入った妻の意思で、その場で申込書を提出してきた。こんなに早く空きが出るとは予想していなかったが、12月になって空きが出たとの連絡を受けた。8月末に急性膵炎で救急搬送され、16日間の入院をして以来急速に認知機能が低下し、体調不良を訴えることが増えたときに空きが出たことは幸運であった。妻も、「新しいところに行ったらら、そこの規則やしきたりを早く憶え、一緒に住む人たちともうまくやれるようになりたい」と前向きになっている。自宅から1.2~3km、いつでも会いに行ける距離なのも嬉しい。191218c.jpg

ポツリポツリの雨の中、いつまでも暗い沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.17)
(アルツハイマー)

ポツリポツリの雨の中、いつまでも暗い沼。少し明るくなって雨も止み、やっと撮れた沼。191217.jpg

通勤の車が増えて来た下の道。まだ、窓の明かりも少ない手賀の杜住宅地。191217a.jpg

また雨が降り出して段々霞む対岸の丘。逃げ帰るように急いだ家路。191217b.jpg


『「気分はどうだい?」と声を掛けたらVサイン』 (2019.12.17)
昨日朝、撮影に出掛ける前に妻を覗いたら、テレビを点けたまま眠っているような様子。目を覚まさせないようにそっと寝室に入ったら、「目は覚めてるよ」と妻。「気分はどうだい?」と声を掛けたらVサインを見せて、「もう大丈夫、よくなったみたい。まだ少し頭が気持ち悪い」と。「今日はWに行く日だよ」と言えば、「Wってどこだった?」「Rから山の方に行ったところ」「Rってどこだった?」「利根川に沿って下流へ走ったら右側」「分かった、大きなビルだね。Wはそこから山の方に行ったところ、お泊まりのところだ。何泊するの?」「5泊6日」「私がずっと入るところはどこだった?」「消防署の先の信号を渡って最初の道を左に入ったところ」「私も見に行ったことがあった。いつから入るの?」「来年、まだ決まっていない」と答えて立ち去ろうとしたら、「今日はどこへ行くの?」とWへ行くことは忘れて、先ほどと全く同じ質問。三度ほどエンドレスな質問に答えてから、「行ってくるね」と撮影に出発。帰宅して妻の様子を見に行けば出発前と同じ質問の繰り返し。二つのことに疑問を持ち、片方を説明している間にもう片方について答えたことは忘れてしまい、またエンドレスな質問が続く。「朝食の支度をするからね」と話を打ち切り台所へ。
朝食後、Wへ行くために寝室へ着替えに戻った妻、様子を見に行けばWに泊まっている間に着る衣類を整えようとしていた。前日長女が来て用意した荷物を示したら、「私は知らなかったし、聞いていなかった」と言いながら着替えを始め、終わったら時間を掛けてお化粧。
9時30分頃、WのTさんが迎えの来てくれる。薬のことを説明、リバスタッチパッチは中止していたが、どうするかはY内科と相談してから電話すると伝える。妻が泣いたときリンゴ黒酢を水で割って飲ませると泣くのを忘れるからリンゴ黒酢も預ける。Tさんが持ち物を確認してくれ、妻はご機嫌よくショートステイに出発した。
Y内科に行きY先生に面談、前日の状況、取手の病院での診察内容と結果を報告。脳神経内科のK先生から言われたリバスタッチパッチをメマリーに変えることは作用する部位が違うから、リバスタッチパッチを小さいものに戻す方法がいいと。リバスタッチパッチの袋が大きくなってから、剥がれやすくなって、貼ったところの皮膚炎症は少なくなったが、吐き気や頭の不快感は多くなったようだと伝えると、変更によって薬の吸収がよくなったのだろうと。貼るのを次の月曜まで中止してよくなれば副作用があったと考えられるし、次の月曜日の様子を見て決めることになった。191217c.jpg

6時頃になると地平線の空が僅かに色づく

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.10)
(アルツハイマー)

快晴の朝。足元から冷えてきて、6時頃になると地平線の空が僅かに色づく。191216.jpg

周りを真っ赤に染め、地平線の雲から登り始めた太陽。191216a.jpg

望遠で昇る太陽を撮ろうとしたら、太陽の上に下降して来た成田着便。191216b.jpg


『吐き止めの薬を飲ませたら眠ってしまった妻』 (2019.12.10)
昨日早朝、朝の撮影に行く前に妻の様子を覗いたとき、「私も起きておにぎりををつくらなくちゃ」「なんでおにぎり?」「なんでだろう。そう思っただけ」と、なぜそんなことを言ったのか自分でも分かっていない様子。長女が来る日だからそんなことを思ったのかもしれないと思った。
撮影の帰路、回り道して朝食用にパンなどを買って戻るとまだ雨戸が開いていない。妻の様子を見に行ったら、「胃より上、胸の辺りが気持ちが悪い。吐きそうで息も苦しい」と言い、手と足が震えている。四日前の救急搬送されたときと似た症状。トイレに行って排便できたが状況は変わらない。脱水症状かと思いぬるま湯をコップ一杯飲ませたら吐き気は止まった。
正午過ぎ、長女がお土産に鮨弁当を買って来てくれたが妻は食べられる状態ではなく、まだベッドの中。呼びに行って起き上がろうとしたら、目が回ると言ってうつぶせになる。ぬるま湯を飲ませたらめまいは治まったが、しばらくして飲んだものを吐く。その後も吐きそうだとトイレに行って吐き、ベッドに戻ってまた吐く。先日救急搬送で診て貰った取手の病院に電話したら救急外来で診察して貰えることになりタクシーで出掛ける。
しばらく待って、若い女性医師による問診。今日の症状、最近の病歴、以前このような症状があったかどうかなど矢継ぎ早に質問し、機関銃のようにキーボードを叩いて入力する。次は胸、腹部、脇腹、背中、首などを触診、目の動きや耳の聞こえ方、指の動きを観察する。場所を変えX線撮影、戻って採血の後に点滴。その間に脳神経内科医師により説明があった。アルツハイマー薬のリバスタッチパッチは100人の内8人に副作用があり、今まで副作用が無くても、体の薬分解能力が低下すると副作用が出るかもしれない。副作用の少ないメマリーに変更することも考慮してはどうか。副作用が少ないと言っても薬だから副作用はある。かかり付けのY内科で相談したらいい。
血液検査の結果が出て再度脳神経内科の医師から説明を受ける。血液検査の結果に問題はなかった。リバスタッチパッチを休むのも一つの選択肢、メマリーに変更する方法もあるが救急外来で出すような薬ではない。私から、「副作用で苦しい日々を過ごすなら薬をやめてしまって、進行は早まっても安楽な生活が出来るようにするのは選択肢にならないか」と質問したら、「Y先生とよく相談して下さい」としか答えなかった。月曜日から土曜日にショートステイに行くのは問題ない。吐き止めの薬は三日分処方する。リバスタッチパッチは今夜からやめてみる。今後の薬についてはY先生と相談して下さいと指示された。
タクシーで帰宅。タクシーの中で吐き気がしたので、帰宅直後、ホットカーペットの上で吐き止めの薬を飲ませたら眠ってしまった妻。目が覚めたら長女が夜の薬を飲ませ、着替えさせてベッドに寝かせた。たまたま、長女がショートステイの準備をしに来てくれていたことで心強く、助かった。191216c.jpg