アルツハイマーの妻、急きょショートステイへ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.26)

『アルツハイマーの妻、急きょショートステイへ』(2019.9.26)
手賀川での撮影は中止し、桃山公園から眺めた早朝の手賀沼。高台に立って昨日一日のことを思い返していた。190926.jpg

手賀川撮影から戻って朝食後、テレビの前で仮眠。10時頃トイレに行って排便。便器を覗くと赤紫がかった水、便が落ちた跡にも微かな血痕。20日に追加になったアレルギーの薬服用から頻尿と尿の出でにくさ、そして頑固な便秘が始まった。4回服用し咳も止まって服用は中止したが、そのことと関係があるか気になった。Y内科に電話し、Y先生の診察を受けて、T消化器病院への紹介状をいただいた。明日朝7時から番号札取りに列に並ばなくてはならないし、妻をデイサービスに送り出さなくてはならない。ケアマネージャのMさんに相談し、妻をW園のショートステイで預かって貰うことにした。
昼食にサンドイッチを買ってきて、妻に数日間ショートステイに行くように頼むと泣き出した。「ごめんね」というと、「謝るのは私の方だよ、こんな時に何も面倒を見てやれないんだから」と言ってまた泣いた。いつまでもサンドイッチの袋をひねり回していたので、「どうした」と言ったら、「開け方がわからないの」と。背面の切り込みを引っ張って開くのをやってみせると、自分でもやってみて、やっと笑顔になった。
午後、W園のTさんが迎えに来てくれ、持ち物を選んでバッグに詰めてくれた。いよいよ出掛けるときにまた泣き出した。玄関の鍵を掛けるとき言った。「50年以上いっしょに暮らした夫と離れるから泣いたんじゃない。長い間住んだ家、長い間使った台所、長い間使ったものから離れるのが悲しかったの」と。Tさんが、「これが最後というわけじゃないでしょ。直ぐ帰れるじゃないの」と妻を慰めた。ドアを閉め、鍵を掛ける直前、半ドアの間から見せた顔はちょっとだけ笑顔になった。190926a.jpg190926b.jpg

コイ釣りのお兄さんの前に直行

撮影ノート『手賀5有情』 (2019.9.25)
(アルツハイマー)

お兄さんとコイ釣りのお兄さんが同時に着いて水門前に降りてきた。いつも遊んでくれたりパンを呉れるコイ釣りのお兄さんを大好きなバロン夫婦。毎朝待っている大好きなお兄さんの前を通り過ぎてコイ釣りのお兄さんの前に直行。190925.jpg

今年はまだウラナミシジミが出てこないねと話をしていたら、目の前のアレチウリの葉に止まっていたウラナミシジミ。190925a.jpg

家路へ急いだ曙橋周辺、手賀川下流に雲間から落ちる光芒。190925b.jpg


『鍵がない! 薬もない!』(2019.9.25)
昨日朝、Rセンターから10分後に迎えに来ると電話があって、待ちきれず外に出ようとした妻。通い袋に昼の薬を入れ、通い袋の上に鍵とココセコムの端末が入った袋を置いたのに、ちょっと目を離した隙に消えていた。「鍵を持ってる? 鍵を掛けて行かなきゃだめよ」と言ったら「鍵がない」と言って戻って来た妻。玄関に腰掛け手提げバッグの中をかき回して通い袋を取り出したが鍵はない。手提げバッグ中のものを全部取りだし、最後にポケットをチェックしたら鍵が出て来た。念のため通い袋を見たら入れておいた昼の薬がない。チャイムが鳴って、迎えのスタッフの方が来たのに見つからない。私もパニックになって、「どこに入れたのよ」と言えば「知らない、私がやったのなら憶えていないよ」と。ふと料金改定の同意書を入れておいた封筒を通い袋から取り出すと、中に薬らしき手触り。封筒を開いたら中から同意書といっしょに昼の薬。場を取り持つようにスタッフの方、「袋の中のものを勝手に触らないでね」と言えば、妻は「ハイ」と優等生の返事。
無事送りだし、玄関の外から鍵を掛ける影が磨りガラスの向こう。出掛ける直前に目を離した私に隙があったし、直ぐ忘れる妻に「どこに入れたのよ」と問い詰めるのも愚かなこと。慌てるとついやってしまう同じような反省。190925c.jpg

水門前に来てお兄さんを待っていたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.24)
(アルツハイマー)

地平線がほんのりオレンジ色に染まりはじめた頃から、いつもの水門前に来てお兄さんを待っていたビッグ親子。190924.jpg

お兄さんが来てビッグ親子に餌を与え終わった頃、地平線から青空へ放たれて伸びるオレンジ色の光。190924a.jpg

北千葉導水路沿いに虫を探して歩いたが、蝶はほとんど見付けられずツバメシジミが一匹。目に付くのはコガタスズメバチとカメムシ類ばかり。190924b.jpg


『今日は何月何日?』(2019.9.24)
昨日の昼食後、テレビを見ているときのことだった。「今日は何月何日?」「9月23日だよ」「明日は月曜日だよね。どこへも行かなくていいから嬉しい」と妻。「明日は火曜日、デイサービスでRへ行く日だよ」と言えば、「そうか」と一旦は納得したふり。しばらくすると「今日は日曜日?」と同じ質問、同じことを4回も繰り返していた。デイサービスに行きたくないからかと思って「Rに行きたくないの?」と問えば、「Rは好きだよ、行けば元気になるもの。Rに行くのは火木土だけでしょ」と言いながら新聞の日付を見てからカレンダーを覗く。「23日は赤だから日曜日でしょ」「22日も赤でしょ、22日が日曜日、23日は休日だから月曜にでも赤なの」と言って曜日の列を指さしたらやっと納得。そんなに大きくもないカレンダーなのに、見ていたのは23日の日付のあたりだけ、曜日の列は視野に入っていなかったようだし、22日の赤色さえも気になっていなかったようだ。
妻が冷蔵庫のドアを開け、じっと中を眺めていた時に気がついた。冷蔵庫に入れた大きな器の前に小さなビンを置くと大きな器を見付けられなくなることが時々ある。見えてはいるだろうが、同時に認識できるのは前にあるもの一つだけかもしれないと感じた。ものが見えていることと認識できることの差が大きくなってきたようだ。190924c.jpg

一つ上流の水門にいたラッキー父さん

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.23)
(アルツハイマー)

昨日いた水門より一つ上流の水門にいたラッキー父さん。母さんと子ども三羽の姿が見えないので、一つ下流の水門、もう一つ下流の水門を見に行ったが母さんと子どもたちはいない。190923.jpg

父さんのいた水門に戻れば、いつの間にか来ていた母さんと三羽の子ども。お兄さんを見て近寄った来た親子。190923a.jpg

ポツリポツリと降り始めた雨。手賀川から曙調整水門を潜って手賀沼に出て行くビッグ親子。手賀川では水道橋下流のラッキー親子にプレッシャーを掛け、手賀沼では他のコブハクチョウたちを駆逐して縄張りを広げるビッグ父さん。190923b.jpg


『洗濯は私がやる』(2019.9.23)
昨日朝、「洗濯は私がやる」と言い出した妻。洗濯機の前まで行って洗濯物と洗濯機を眺め、暫く経ったら居間に戻って来て「あとでやる」と。どうやら洗濯機の操作を忘れてしまったらしい。「いっしょにやろうか」と言ったらふて腐ったようにソファーに座って動かない。
妻入院以来マニュアルを見て一通りの機能を習得して洗濯していた私、午後からは雨の予報だったから洗濯機を始動。朝食後一休みしていたら、洗い上がった洗濯物を籠に取りだし干そうとしていた妻。「ピンチハンガーどこ?」「竿の掛け位置が違う」と次々リクエスト。「自分でやった方が早い」と言いたい気はしたが、洗濯をしようという気になってくれたのは嬉しい。干し終わると、「今日は洗濯をした」と達成感を味わっている様子。次の時はいっしょに洗濯機の始動からやろうと思う。洗濯機を買い換えたとき、長女が操作方法のサマリーを大きな字で書いて壁に貼ってくれたがもう慣れたから要らないと外してしまった妻だったが、もう一度その張り紙を復活しようと思う。
入院前までは洗濯と夕食後の食器洗い、雨戸の開閉は妻がやっていたが、退院直後「ここは自分の家だと思うがまだしっくりしない」と言って何もしようとしなかった。ショートステイ一泊、デイサービス二日通ったあたりから「ここが自分の家だと思うようになった」と言い始めた。
一昨日は雨戸の開閉、昨日は洗濯と食器洗いを始めた。「体が覚えていることは考えなくたってできるのよ」と言いながら食器洗いをしていた。だが、食器収納は脈絡なく空きスペースに入れ、ゴミの分別にまごつくことが多い。黙って見ていて、あとでやり直せば妻を不愉快にさせることも避けられる。190923c.jpg

いつもより早く出発したら見事な朝焼け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.22)
(アルツハイマー)

いつもより早く出発したら見事な朝焼け。ほんのり赤く染まった雲が見る見る色濃くなり、間もなくスーッと色褪せた。190922.jpg

お兄さんが土手の上に現れて、一斉にお兄さんの方を見るビッグ親子。母さんは階段の下までお兄さんを迎えに行こうと岸に登る。190922a.jpg

アレチウリの花の周りを飛び交うコガタスズメバチに混じってホウジャクが一匹、花の側でホバリングし長いストローを花に差し込み蜜を吸う。190922b.jpg


『玄関の鍵紛失対策』(2019.9.22)
昨日朝のデイサービス出発時、妻の左手に待っているのは玄関の鍵とココセコムの端末が入った袋。別の施設に通っていた頃、手に持った鍵を何処かに置き忘れて紛失したことが立て続けに数回あった。Rセンターに通い始めたとき鍵紛失対策の提案をいただいた。玄関の鍵を掛けたとき迎えに来たスタッフが鍵を預かり通い袋に入れ、帰ってくるまでRセンター側で保管してくれるという方法。以来、一年以上鍵の紛失はなくなった。外に出るとき鍵を掛けるという習慣を失わない効果もあるようだ。
出発前にハイになっていた妻 、10分後に迎えの車が来るとの電話連絡があると早々に外に出て、右を見たり左を見て迎車を待つていた。ドアが開くとそのまま車に乗り込もうとするので「玄関の鍵を掛けて」と声を掛けたら、ちょっとふざけた仕草で「鍵は閉めといて」と言って車に乗り込んだ。スタッフの方がすぐ鍵を預かってくれたのだろう、夕方には鍵を紛失せずに帰宅した。
16日間の入院のあと、持っていたものを無意識に何処かに置き忘れ、いっしょに探す回数が急増した。190922c.jpg

首を伸ばしひと声「グー」と唸って朝の挨拶

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.21)
(アルツハイマー)

お兄さんが「バロン、おはよう」と声を掛ければ、首を伸ばしひと声「グー」と唸って朝の挨拶。バロン夫婦が餌を貰う頃だと、オオバンが泳ぎ寄り、下流からハトの群が飛んでくる。190921.jpg

トビやノスリが好きな水路脇の電柱、「あれはなに?」とお兄さんに問えば「ハトくらいの大きさだなぁ」と言った瞬間、黒っぽいシルエットが飛び立った。190921a.jpg

期せずして二人が「ハヤブサだ」と言った瞬間、ハトが一斉に飛び立って逃げた。ハトの群れを追うハヤブサ、一羽にターゲットを絞って上流へと追った。190921b.jpg


『腹部エコーと胃カメラの検査の日』(2019.9.21)
腹部エコーと胃カメラの検査のためY内科を受診。腹部エコーの検査を終わって、次は胃カメラ。前にもやっているから大丈夫と自信ありげな妻。シロップを飲み、「麻酔のゼリーを喉に入れるから5分間飲み込まないで」と言われて大きな口を開ける。針の着かない注射器で喉にゼリーを投入され、口を空いたまま片手で拍子を取り、もう一方の手で指を折り曲げ経過時間を数えようとしたらしいが、直にわからなくなってやめる。
特に苦労もせず胃カメラの健診を終わり、K先生からの説明。「胃には問題はない。腹部エコーで膵臓に嚢胞が見えるが、腫瘍なのか先日の膵炎でのやけどの跡か判別できない。自分の常勤の病院でMRIかCTの予約をしますか」と言われ、「27日にY先生の診察と今回の検査結果の説明の予約があるので、Y先生の説明を伺い、今後のことも考えてY先生経由で予約をお願いしたい」と答えた。長年私達夫婦が頼っていたY先生にアドバイスを受け、今後のことを決めたいと思った。
昼食に温かいうどんを食べたいという妻と自宅近くのコンビニに寄り、電子レンジで暖めるだけのうどんを買って帰宅。しばらく休んで居眠りしたら、腹部エコーのことも胃カメラのことも思い出せなくなっていた妻。190921c.jpg

下流から泳いできたバロン夫婦

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.20)
(アルツハイマー)

待っている水門前にバロン夫婦の姿が見えない。いないときは上流のラッキー夫婦のいる方へ行っていることが多いから、上流へ向かって「バロン」と呼んだお兄さん。しばらくしたら下流から泳いできたバロン夫婦。水門前に来ると大好きなコイ釣りのお兄さんも来ていて、二羽が代わる代わるコイ釣りのお兄さんからパンを千切って貰い、手にじゃれついていた。190920.jpg

北千葉導水路沿いに歩けば一面生い茂ったアレチウリの花から花へ飛び交っていたコガタスズメバチ。アレチウリの花の蜜を吸うもの、団子を作って運ぶもの。190920a.jpg

今朝も見付けたアマガエル、何を沈思黙考しているのか哲学者ぶって。190920b.jpg

『デイサービスに出掛ける朝』(2019.9.20)
8月29日にデイサービスから戻って以来、21日ぶりにデイサービスに出掛けた昨日の朝。前夜に持ち物を用意し、あとは歯ブラシと歯磨きのチューブ、化粧品を入れるだけ。着て行くのを決めて、自分で着替えさせたがいつまで経っても二階から降りてこない。見に行ったら、新しい荷物を用意している。パジャマを鞄にを入れ、着替えのズボンやシャツを入れようとしている。「どうしたの」「今夜お泊まりでしょ」「きょうはRのデイサービス、夕方には帰ってくるよ」、どうやらW園の一泊のショートステイとRセンターのデイサービスが区別できなくなっているようだった。化粧すると言って鏡台のある部屋に入ったがまた戻って来ない。見に行くと鏡台の前にぼんやり座っている。「どうしたの?」「化粧品が見つからないの」「化粧品なら持ち物の中に入れたでしょ」「そうだったかしら」と持ち物の中を見て「あった!」と妻。16日間の入院のあと、今迄難なくできていたことが幾つもできなくなっている。「段々自分の家にいるような感じになってきたから、その内できるようになると思うよ」と妻。そうなってくれたら嬉しいのだが。
Rセンターから10分後に迎えに来るとの電話があって、ほぼ正確に迎車が来た。係の人に、薬手帳、薬の説明書、保険証類、昼間の薬を通い袋に入れて渡す。妻の荷物を持ってくれ、車に誘導する係の人。ステップに足を掛けこっちを振り返り手を振った妻の笑顔。台風一過、どっと疲れが出る。190920c.jpg

今朝はラッキー父さんもいっしょ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.19)
(アルツハイマー)

今朝はラッキー父さんもいっしょ、家族全員でお兄さんを待っていた。日々、父さんの羽が伸び少し大きく見えるようになってきた。190919.jpg

帰宅前、北千葉導水路脇を歩いて虫探し。友に手招きされて追いつくと、お兄さんがレンズを向けていた先にクビキリギスが脱皮中。四人で周りを囲んで撮ったが後ろや前にピントが合って撮りたいものにはピントが合わない。やっと私にも撮らせてもらえたクビキリギスの脱皮。190919a.jpg

昨日撮ったが名前がわからず、私の鳥や昆虫の先生Tさんに写真を送って教えを請えば「アカスジカスミカメムシ」と返事。いつもありがとうとTさんに感謝。私にとっては始めて見たものだから本日掲載。190919b.jpg

『失われた記憶の記録』(2019.9.19)
昨日午後のこと、「明日はどこへ行くの?」と妻。「Rセンターへデイサービスだよ。9時頃迎えに来て、着いたらお風呂に入れて貰って、みんなでお話をして、リハビリの体操をして、お昼をご馳走になって、ゲームをして、家に戻るのは4時半ころかな」「どうして行くのをやめてたの?」「16日間も入院していたから」「どうして入院したの?」と矢継ぎ早の質問。8月29日に救急車で運ばれそんまま入院し、9月13日に退院したことを話すと、暫く経ってまた同じ質問。何度目かに、「忘れないようにノートに書いておく」と眼鏡を掛けてテーブルの前に座った。ノートには『今日はびっくりすることをお父さんから聞かされ思わず「この話は誰のこと?」「お前のことだよ」「いつのこと?」「つい最近のことだよ」・・・自分のことだって・・・「入院したの」「おお、アビコ東方(←邦)病院」「信じられない、どれくらい入院したの?」「16日間だよ」「へーこの私が?」・・・びっくりするばかり。私は今日初めて知った感じでぼーっとしてしまいました。退院してからまだ日が減い(←浅い)! 今年のことだなんって。以上書いたはいいが読み返してみると、なんだこの文章は全然流れがあわないではないか。あまりにもびっくりして文章にならなかったようだね。これも記録を残すことになっていい記録だということにしましょうか』と書いてあった。
夜になってRセンターへ出掛ける準備を始めた。中々終わらないので様子を覗くと、「お茶会の準備ができない」と妻。「Rセンターへはリハビリに行くんだよ」と言えば、「わからない人が口を挟まないで。Rはお茶の道場、お茶会に来てくれる人がいるんだよ」と強い語調で反論。どうやら近隣センターのイベントでお茶会を主催した数年前に立ち返っているらしい。しばらく黙って見ていたら、現実に戻って来たのか「Rでお茶会はないのかもしれない」とデイサービスに行く荷物を手提げ袋に詰め始めた。190919cb.jpg

水門前に今朝はラッキー母さんと三羽の子ども

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.18)
(アルツハイマー)

昨日家族揃ってやってきた水門前、今朝はラッキー母さんと三羽の子ども。お兄さんが「チビ、父さんは」と子どもの顔を見詰めて問えば上流を向いて首を振る。二度三度同じことを問えば、同じように上流を向いて首を振る。190918.jpg

一つ上流の水門に行ったら、ラッキー父さんが暗渠に向かって羽半開きの威嚇のポーズ。暗渠の先の水路にコブハクチョウが一羽、下嘴に黒い縁取りがあるからジャック去年の子。去年、この子と母親はビッグ父さんに曙調整水門付近から追い出された。190918a.jpg

北千葉導水路に沿って虫探し。コガタスズメバチが多数飛ぶようになってからベニシジミやヤマトシジミが姿を消した。帰る直前、友が見付けたヒメジュウジナガカメムシの幼虫。190918b.jpg


『一泊のショートステイから戻った妻』(2019.9.18)
昨日夕方、楽しかったとニコニコ顔で一泊のショートステイから戻って来た妻、荷物が二つあるのを全く気にもしないで。鞄が二つあるのは、持ち物を用意しても出発までに何度も入れたり出したりして必要なものが欠落するので、あらかじめ用意して預けておいた鞄と自分で用意した鞄が戻って来たから。
ケアマネージャのMさんからメールで、『今、ご本人にお会いしてきました。お仲間と一緒にテレビの前に座っておられ、ニコニコされて「まあ、あなたにここでお会いできるなんて。私はここにいると安心できるのよ」と仰っておられました。いつもショートステイで一緒になるお友達も穏やかな方で二人でお話されています。でも、歌の会のことは忘れておられ、「ここで何か楽しいことがあったのよ、お相撲だったかしら」とテレビの内容とごっちゃになっていましたが、歌の会のことを申し上げると思い出され、「そうそう、楽しかった。でも、あんまり大きな声で一人で歌うと迷惑だから静かに聞いていたのよ」との事でした。お顔が少し痩せられたように思いますが、顔色も良く、何より楽しそうにしておられて私もほっとしました。』 とショートステイ先での妻の様子を知らせていただいた。
Tさんに付き添われショートステイから帰ってきたときのニコニコ顔がなんであったか合点がいった。「どうして歌の会で歌わなかったの」と訊ねたら、「喉の調子が悪くていい声が出なかったから。変な声じゃいやじゃん。喉の調子がよくなったら歌うよ」と、これがどうやら本音だったらしい。190918c.jpg


上流から泳いできたラッキー親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.17)
(アルツハイマー)

昨日待っていた水門前にも、以前いた一つ下流の水門前にもラッキー親子の姿はない。昨日いた水門前に戻って「ラッキー」とお兄さんが呼んだら、しばらくして上流から泳いできたラッキー親子。190917.jpg

お兄さんに餌を貰って食べ始めたら、上流へ急いで泳ぎ始めたラッキー父さん。子ども二羽と母さんも急いで父さんの後を追ったが、未練がましく餌を食べていた子ども一羽。上流へ急ぐ家族を見て、その子も食べるのをやめて後を追った。追い出されたビッグの子でも近寄って来たのか、その警戒で上流に行っていた時にお兄さんに呼ばれ、顔見せに戻って来たのだったかも。190917a.jpg

枯れ草にとまっていたシロヘリカメムシを撮っていたら枯れ葉かゴミに見えていたホシヒメホウジャク。もう少しで見逃すところだった。190917b.jpg


『一泊のショートステイに出掛けた妻』(2019.9.17)
昨日から今日に掛けて一泊のショートステイに出掛ける妻。お化粧時間が長いと思って呼んだら、「持って行く荷物を支度するのに忙しかった」と言って、昨夜用意したのとは違った鞄を持って現れた。荷物ならここにあるよ」と前夜支度した鞄を指さしたらびっくりした顔。そこへショートステイ先からの迎えが十分後に来ると電話。迎えの順番を変えて貰い、その間に保険証、薬、薬手帳、化粧品を前夜用意した鞄に移し迎えを待った。
チャイムが鳴り、玄関を開けるといつもショートステイでお世話してくださるTさんの顔、元気な声で「今日もお世話になります」と言って、Tさんに支えられて迎車に乗り込んだ妻。今日午後帰ってくるまでにたまった洗濯や掃除、写真の整理が待っていたが、ほっとしたらファーで居眠り、気がついたら1時間も過ぎていた。夕食には久々に酒を飲もうと思っていたのに、飲まない癖が染みついて飲むのを忘れた。昔の仕事仲間なら、私が酒を抜く日があるなんって信じられないだろうに。190917c.jpg

首を伸ばしひと声唸って朝の挨拶

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.16)
(アルツハイマー)

お兄さんが近寄ってくるのを見て、まずラッキー父さんが首を伸ばしひと声唸って朝の挨拶。子どもたちはまだピーピー鳴きながら首を伸ばして父さんの真似。今朝も家族と一緒の父さん、少し羽が伸びた様な感じ。190916.jpg

土砂降りの雨でも待っていたバロン夫婦。子ども三羽を連れたオオバン夫婦、子どもが小さかった時は近寄ってくる他のオオバンを凄まじい勢いで追い払っていたが、子どもが大きくなったらもう追い払おうとしない。それでオオバンが急に増えたのだろうか。190916a.jpg

少し小降りになった帰り道、曙調整水門に立ち寄り沼を撮る。だんだん見え始めた手賀大橋や水の館。190916b.jpg


『ショートステイの持ち物騒動』(2019.9.16)
前回のショートステイの時、妻は持ち物を鞄に入れたり、また出して入れ替えたり、出掛ける前数日は大混乱。必要なものを取り出して何処かに仕舞い込みそれを探し出す私は四苦八苦。そのことをケアマネジャのMさんに話すと、Mさんやショートステイ先の生活相談員Tさんなどの提案で、事前に用意できるものを鞄に入れショートステイ先W園に預け、当日は妻が勝手に支度したものを持参してショートステイ先で差し替えて貰うことにした。そして、今回は事前に用意したものをMさんに託送しW園に届けた。
昨日午後から一泊のショートステイの持ち物の準備を始めた妻、クローゼットから取り出した衣類が所狭しとベッドの上に並べられ、あれでもない、これでもないと積み重ねられてゆく。一旦鞄に詰めても直ぐに取りだし入れ替える。夕食時間になっても終わらず、なだめすかしてやっと鞄を閉じた。
夕食時に妻は言った。「明日はどこへ行くんだった?」「W園だよ」「W園ってどこだった?」「デイサービスに行くRセンターの近く、送迎の運転手さんが時々書類を届けるところ」「わかった、泊まったことがあるけど場所がまだ探せない」と。宙を指さし自分の頭の中の地図を辿ってRセンターに辿り着いたらしい。座り直して横を向き、「Rセンターからたんぼ道を歩いて山の方に行くと三階建てのビルと平屋の玄関のあるところだ」と、やっとW園の記憶に辿り着いた。W園の記憶は、自宅からRセンターへの道を思い出し、Rセンターを起点としてたんぼ道を歩き山側にある建物に行き付く道をイメージしたら記憶にアクセスできるらしい。夕食中、「明日はどこへ行くの?」と三度ほど問われ、同じプロセスを繰り返すから夕食の宅配弁当を食べ終えるのに一時間も掛かってしまった。190916c.jpg

ラッキー父さんが戻っていた

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.15)
(アルツハイマー)

昨日朝、ラッキー母さんと子ども三羽がいた場所に父さんが戻っていていた。母さんに、ふがいない父さんだと追い出された訳じゃなかった。やっぱりバロン夫婦が怖くて上流に隠れていた様だ。早く羽は生えそろうといいね、父さん。190915.jpg

下水処理場の上、細い雲間にちょっとだけ見えた今朝の日の出。190915a.jpg

蝶の蛾もカメムシも何処かへ隠れてしまった朝。葉の下にドンと座っていたアマガエル。立派なネットを張ったナガコガネグモも開店休業みたい。190915b.jpg


『泣き笑いの病院通い』(2019.9.15)
昨日朝4時、膝より少し上の太ももの裏から背中に掛けて筋がつると妻。お腹の中ではないと言うからとりあえずスミルチックを塗ってやった。8時朝食。入院先の先生からY内科への手紙を持って出掛けようと支度を始めたら、「食べ過ぎたようだ」と妻。しばらくすると胃の上の方が気持ちが悪い。吐くかもしれないとカーペットに横になったので、洗面器に新聞紙を敷いて近くに置いてやった。Y内科に電話すると、先に入院していた病院の診察を受ける様に指示された。入院していた病院の診察を受けると、腹部のレントゲン撮影をし、血液検査をした。その結果膵臓は悪くない、胃が張っているのは胃潰瘍の様な炎症があるかもしれない。妻が動いてしまうのでMRIでの検査ができず胆石の有無はまだ分かっていない。近々に検査した方がいいとのことで、胃の粘膜を保護する薬、胃腸の症状を改善する薬、胃酸の分泌を抑える薬が2週間分処方された。とりあえず昼食は抜くよう指示もあった。
12時直前、背中に貼るアルツハイマーの薬を処方して貰いにY内科に行き、いつも診察をお願いしているY先生の診察を受けた。入院前後からの状況を詳しく聴取、腹部触診をしたあと20日に腹部エコー検査と胃カメラを行うことにした。私達夫婦は毎年Y内科で胃カメラを行っていた。腹部エコーで私の胆石を見付け何年かトレースしてもらっていたし、膵臓の嚢胞の大きさの変化をも監視して貰ってもいたので即お願いした。
T薬局に処方箋を持ち込むと、入院していた病院の処方箋を見て保険は1割負担なのに、入院中から退院後まで3割負担で支払っていたことを薬剤師さんが発見し、病院と連絡してくれた。入院していた病院に行ったが保険の係員は休みに入り、休みが明けたら差額が返却されるはずだと確認した。
朝から続いた騒動が終わってほっとしたのは午後3時。夕方、妻の親友が果物を持って妻に会いに来てくれた。何を話していたのか1時間ほど楽しそうに談笑。見送ったあと、楽しかったと笑顔。だが、何を話したかと訊ねたらもう忘れていた。忘れないうちにノートに書いておくと、友の来訪を書き、話した内容として3年以上前の会話だったろうことが再現されていた。時空を越えた備忘録だ。夕食時には今日二つの病院に行ったことも思い出せなかった。190915c.jpg

待っていたのはラッキー母さんと子ども三羽だけ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.14)
(アルツハイマー)

いつも待っていた水門より一つ上流の水門で待っていたのはラッキー母さんと子ども三羽だけ。父さんの姿が見えない。お兄さんが「ラッキー」と呼んでも父さんは現れない。バロン父さんとの喧嘩に負けて怪我をして、治るまで何処かに隠れているのだろうか。まさか母さんに「こんなに弱い父さんは出て行け」と追い出された訳ではあるまい。190914.jpg

ラッキー父さんが母さんや子どもと別行動をとり始めた日に、バロン父さんの嘴に噛まれた傷跡を見付けていたお兄さん。ラッキー父さんとバロン父さんが嘴をかみ合い、羽がまだ伸びず羽パンチを振るえないラッキー父さんがバロン父さんに羽パンチを受けて怪我をしたことが想像される。190914a.jpg

帰ろうとしたらトビとハシボソガラスが空中戦。ハシボソガラスがトビをからかっているようにも見える。190914b.jpg

『入院していたことも忘れ夢か空想の備忘録』
昨日退院し、家に戻ってソファーに腰掛け辺りを見回しながら、「ピアノを見れば私のピアノだと思えるし、台所を見れば見たことのある場所。まだ私の家だという実感はわかないが、ここなら私の居場所があるようにに思う」と言う。二階に上がって、「これは私のベッドだ」と、少しずつ家の中のことを思い出した。トイレの場所も分かっていた。
帰宅してから2時間ほど経ったとき、手伝いに来ていた次女が「私はだ~れ?」と言ったら、「リサちゃん」と返事。「どこの人?」「親戚の人」「違うよ、お母さんの子どもでしょ」「私があなたを産んだの?」「そーよ」「じゃぁ、私の子ども。自分が産んだ子どもは可愛いね」と言って次女を抱きしめた。何とも複雑そうな次女の顔。
病院で昼食を食べてから退院したことも忘れてしまい、「今日は何をしたの?」と訊ねられると、忘れないうちに書いておくと言って自分のノートに向かって書き始めた。『とんでもない一日の変化にびっくりしたり、とまどったりで、何が何だかわからない一日が終わろうとしています。冷静に冷静に! 何が起こったのでしょう??? 昨夜は、いつだったかわからない時に自分の頭がボーッとしてしまい、何が何だかわからなくなって、今朝を迎えました。昨日の時間の経過は不明です。今朝もうろうろとトイレを探し用を済ませました。いったいどうしちゃったのでしょう。一緒に泊まってくれた知人はいなかったようです。そこへリサちゃんとあきらさん(夫)といっしょに、さあ、持ち物を片付けておひるごはんを食べようとさそわれて食事しました。以後、駅(?)から電車に乗って我孫子に戻った様です。』と書いた。病院から自宅まで5分ほどの道のりを私の運転で帰ったのに。
「夕べはどこに泊まったの?」と問えば、「三日間柏の方のホテルに泊まって、多くのイベント参加者の案内のボランティアをやって、今朝バスで病院に送って貰ったようだった」と答えた。自分が入院していた記憶はなく、入院していたのは夫の私だったと思っていた。私には、夢か空想の備忘録のように思えてならない。190914c.jpg

風を避け水門前に集まっていたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.13)
(アルツハイマー)

東からの風に乗って吹き付ける細かい雨。上空に雲、いつまでも暗い手賀川の夜明け。お兄さんを待って、風を避け水門前に集まっていたビッグ親子。190913.jpg

いつもより一つ上流の水門前にラッキー父さん。母さんと子ども三羽はいつも通り一つ下流の水門にいるかと思ったら、上流から泳いできた母さんと子ども三羽。父さんの羽が生え替わる前なので進出してくるバロン夫婦と闘えず避難しているのか。190913a.jpg

浅間橋下流の下水処理場付近の地平線、赤く染まった雲の向こう側に日の出。雲が厚すぎて太陽は見えず、間もなく暗転。190913b.jpg

『ああ、我が家のにおいがする』
正午に病室に行くと、退院が嬉しかったのだろう、昼食が運ばれてきてもノートを広げ退院迄のスケジュールを書いておいたページを見ていた。「食べてから着替えて退院だからね」と言うと食べ始めたが、ついおしゃべりで箸が止まる。「食べるときはおしゃべりはやめて」と注意すると、「子どものころからそう言われていた」と言いながら、照れくさそうな目で味噌汁の椀を持ち上げた。
着替えたら「どこのうちに帰るの?」と妻。「我孫子だよ」と答えると「じゃぁ近いね」と言いながらもまだ半信半疑な顔。車に乗って走り出し市役所の入り口まで来たら、「あっ、分かった。曲がったら水の館と鳥の博物館、坂を登ったらうちだ」と、今迄思い出せなかったことを次々と思い出したようだ。玄関のドアを開けて一歩入ると、「ああ、我が家のにおいがする」と呟いた。
16日間の入院で急速に忘れてしまった事が増えたが、自宅に戻りどの程度まで回復するだろうか。190913c.jpg





今朝は父さんの姿が見えない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.12)
(アルツハイマー)

いつも家族一緒に水門前にお兄さんを待っているラッキー親子、今朝は父さんの姿が見えない。昨日夕方も父さんだけがいなかったとお兄さん。190912.jpg

お兄さんが「ラッキー」と呼ぶと、上流の対岸から出てきて川を渡り、一つ上流の水門前から姿を現したり隠れたりする父さん。「こっちに来てくれと言ってるんだ」とお兄さん。190912a.jpg

一つ上流の水門に行ってお兄さんが「ラッキー」と呼んだら、お兄さんの前に出てきたラッキー父さん。「羽が抜けて飛べなくなり闘えなくなって、下流から来たバロン夫婦を追い出せず逆に追われたのかも」とお兄さん。190912b.jpg

『早く自宅に帰りたい』
妻の友人からメールをいただいた。6日と10日に妻の見舞いに行ってくださり、妻の夕食の様子や昔のイベントの思い出話をしたことをお知らせいただいた。昨日妻を見舞ったとき、「昨日誰が来てくれた?」と訊ねたら憶えていなかった。ヒントを出すと、長い間一緒にボランティア活動をしていた赤坂さんのお名前は出たが、川上さんのお名前は出てこず、「川上さんだったよ」と言うと、ずいぶん昔に歩け歩けのイベントへ川上さんと一緒に行ったことを話し始めた。
お二人が来てくれたことを忘れないようにとノートの空きスペースに書き始めた。その末尾に、『何もかも直ぐ遠くへ飛ばしてしまう現状の私にびっくりするやら、がっかりするやら---この状態がいつまで続くのか・・・?! 困ったものです。でもこの状態から脱することもそう遠くない日に元に戻ると思っているが、今の状態は困ったものだ』
手渡されたノートの右のページには私が来る前に書いたらしい長文がページを埋めていた。末尾には『昨日の天気と違って今朝は手賀沼の上空に青い空があって、そのま下ではないけれど、利根川サイドでない空が大きく広がり、これも我孫子の空だと合点する。なんといじらしい公子さんだこと。自分で自分をほめるなんてそうめっ多にあることではないと一人で何人分もよろこぶ今朝でした。でもまだ自宅にもどった訳ではないよね。ここから見える景色は知らない家が並んでいる。お父さんも(←詮さんでした。私の夫で~~す!)自宅へ戻っても娘たちもまご達もいないんだものね。早く帰りたいなぁ! もうすぐだよね。そう思わなくては悲しみが増すだけだからゆるしてね。もうすぐ高の山へ帰られるよね!』と書いてあった。「病院の場所が分かったし、自宅への帰る道も思い出した。桃山公園への道も思い出した。ごちゃごちゃしていた頭の中がだいぶ治った」と早く自宅に帰りたい気持ちがあちこちに滲んでいた。また、自分自身が直ぐに忘れてしまうことが多いが、その内に回復するだろうとの期待も持っているようだ。空と民家の屋根しか見えない窓から見ているからか、ノートには空と天気の記述が多い。190912c.jpg

お兄さんを待っていたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.11)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたビッグ親子の向こう、薄雲が大きく淡く染まり、川面に映って辺り一面異様な色に包まれる。190911.jpg

アレキウリの花に止まっていたコガタスズメバチ、飛び立ってナガコガネグモの巣に引っかかったか様に見え、ナガコガネグモは一目散巣の下に滑り降りた。よく見るとコガタスズメバチは巣に引っかかったのではなく獲物を抱え食いちぎっている様に見えた。もっと見やすい場所から撮ろうとしたらパッと飛んでしまった。190911a.jpg190911b.jpg

『あっ! 眼鏡掛けたらちゃんと見える』(2019.9.11)
昨日午後も病院へ妻見舞いに行くとノートに何か書こうとしている。「なに書いてるの?」と訊ねたら「字の線が二重になって字が書きにくいの。心配になって書いていた」と言う。眼鏡を掛けていなかったから掛けさせたら「あっ! ちゃんと見える」と。それから少し書き足したノートを見せてくれた。
『9月10日(火) どの字も一辺が2本に見える。変な漢字になって書きにくいよ♪! 声もよく聞こえない。外の景色も各一辺が2本に見えるのでいい気持ちがしない。まてよ、詮の声に従って字を書いているつもりで、一本は2本線をひいている様にえるので気持ち悪いが仕方ない。いつまでこのような状体→状態が続くか不安だ。でも眼鏡を掛けたら正しく見える状態が続くか心配である。何でこんなことになってしまった?のかいやになる。早く元通りの目になってほしいなぁ---!』
眼鏡を掛けたらよく見えるようになったが、眼鏡を外すと線が二重に見えるから、眼鏡を掛けても二重に見える様になるのが心配だと訴える。いつからか、どのような感じか会話がかみ合わない。単に眼鏡を掛け忘れたからか、目に新たな異常があるのかちょっと気になる。190911c.jpg

今日も暑くなりそうだ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.10)
(アルツハイマー)

水道橋の灯りの向こう、雲の下が少し赤くなり上空は晴れ。今日も暑くなりそうだ。190910.jpg

昨日は何処かに避難していて現れなかったというビッグ親子。今朝も姿が見えなかったが、しばらく待ったら、まだ薄暗い上流から下ってきた。190910a.jpg

電線に小鳥が三羽飛んできて止まった。そっと近寄って撮ったらヤマガラだった。盛んに嘴を動かすので「鳴いてるの?」と問えば「二羽で鳴きあってるじゃないの」と友。最近、鳴き声で鳥の写真が撮れなくなってきた。190910b.jpg

『夢だったのかそれとも妄想だったのか』(2019.9.10)
昨日も病院に妻を見舞った。ノートを差し出して「岩滑のお父さんが来ていた」と言う。岩滑の父とは26年前に亡くなった妻の父親だ。そんなはずはないとノートを読んだ。
『9/9 天気晴れ 今日は朝からいろいろあって、忘れない内に記録しておこう。天気は上々でさわやかだ。私の気分もさわやかだ。10時過ぎにお父さんが顔を出した。優しい顔でほっとする。お父さんの会話の中味が私にとっては不たしかだが、この笑顔は消せないと合づちをうつ。そこへ岩滑の父が来た。にこにこしてうなずくだけにした。今もって(もうみんな帰った)何を話したのか意味不明なり。ただ私の心の中は会話はできなくてもニコニコして合グちをうつことにした。それでいい。実際私の頭の中はその内に落ち付くだろうと思うから---。』
「岩滑のお父さんはどこに来たの? 病院?」「家に来た」「あんたはどこにいた?」「家に帰っていた」と言って、ノートを手に取り、眼鏡を掛けてページをめくり始めた。
家に帰っていたと言う記憶は、昨日二人で話しながらノートに自宅近くの地図を書いたから、病院から自宅に帰ることをずっと頭に描き続けていたからかもしれない。岩滑の父が亡くなったのは26年前、私が中国で合弁会社設立と操業開始に携わったころ。たまたま本社に報告のため一時帰国したときに岩滑の父を病院に見舞い、葬儀に参列した。そのことを話すと、妻が成田空港まで車を運転して私を迎えに来たことを憶えていると言った。
妻の覚え書きは、夢だったのかそれとも妄想だったのか。
照れ隠しの様に、ちょっとふざけた様な表情で、またノートの空きスペースに何か書き始めた。「今日は字がすらすら書ける」と言って笑う。190910c1.jpg

高台から眺めれば沼上空にはまだ黒い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.09)
(アルツハイマー)

雨が上がって自宅近くの桃山公園を歩いた。高台から眺めれば沼上空にはまだ黒い雲。足元にはちぎれ飛んだ木の葉が散乱し、小径の脇には何本もの木が倒れていた。190909.jpg

斜面林への立ち入り禁止の綱にノシメトンボが止まっていた。じっと同じ姿勢で動こうともせずに。190909a.jpg

自宅への帰路、道端の花から花へヤマトシジミが一匹。どこに隠れていたのか昨夜の暴風雨の中。190909b.jpg

『ここはどこ?』(2019.9.9)
長女が子どものころの食事時、どの器も少しずつ順繰りに食べるように注意していた妻だが、アルツハイマーだと分かってしばらくして気付くと器一つずつ食べるようになっていた。昨日午後、病室を覗いたのは昼食中、他の器は食べ終えて最後に残った煮物を食べていた。そのことを長女に話したら、「お母さんももしかしたら、子ども時代は一皿ずつ派だったのかもね」と。段々子ども時代の習性に戻って行くのだろうか。
「今日は何を考えていた?」と訊ねたらノートを差し出した。『9/8 日 3階から見る限り、くもり時々晴。でも大きな雲がにょきにょきわいている。天気も自由に変わるなり。ここからどうして高の山まで行くことができるか? まだ確かでない。ここはどこ? 356の柏へ出るとことろかしら? 天気がよくなって来たようだが、この所はっきりする日が少ない様だ。これは公子が病院の窓からま上の天気で判断するだけだからたしかとはいえない。この病院の前の道を下へ下ると柏の手賀沼サイド? 上へ自動車がのぼって出る道は柏への国道かしら? あっちこっちへの道を走り回った道の一部だと思うが不たしかなり。下への感かくがわからない』と書いてあった。
一昨日はこの病院は自宅近く、船取線の市役所と消防署の間にあって自宅への道も分かっていたが、病院がどこにあるか分からなくなって混乱しているらしい。救急車に乗って来たことも、息ができない程の腹痛だったことも思い出せなくなっている。
妻がぽつりと言った。「一人で遠くに行ったら、どこにいるのか分からなくなって帰れなくなっちゃうね」と。190909c.jpg

現れないお兄さんに待ちくたびれたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.08)
(アルツハイマー)

待っても待っても現れないお兄さんに待ちくたびれたビッグ親子。一度も餌を与えたことがないからか、私が岸に立っても全く無視。近寄ってこようともしない。190908.jpg

お兄さんが来ないからラッキー親子も待ちわびていたが、お兄さんの車の音が聞こえたら一斉に岸部近くに集まる。二度寝して寝過ごしてしまったとお兄さん。190908a.jpg

霧を赤く染めやがて霧の中に出てきた太陽。190908b.jpg

『漢字を書けなくなった』
昨日午後、妻の病室へ。昼食は食べたらしく既に片付けられ、ベッドに座ってのんびりとどなたかが差し入れてくれた手作りの句集を読んでいた。私に気付くと「じっくり読むと深みがあるね」と。「それ、どうしたの」「誰だか分からなくなったが、誰かがおいていってくれた。今何時?」「1時25分だよ、お昼はなに食べた?」「分からない」「そのジュースは?」「後で飲むように残しておいた」と言ってジュースを飲む。前日に比べ安定しているようだ。
書きかけのノートを手にとって書き始めた。「漢字が思い出せなくなったの」と言ってカタカナでビョウインと書き、覗き込んだ私にそこを指さした。一呼吸置いて『・・・思い出したよ「病院」だったね』と書き足した。
「また漢字が書けるようになった」と言って、前段の文章に『夫』の文字を挿入し、『暑くもない時き』の『き』の下に『期?』と書いた。また、文章を最初から読み直して『うれしい一しゅん』を指さして、「こうだった?」と言って新聞の空きスペースに『一瞬』と書いて嬉しそうに笑った。
病院の漢字を思い出したことで、書けなくなっていた漢字が次々書けるようになったのは何とも不思議。忘れるのは記憶がなくなっているのではなく、記憶を読み出す回路が壊れかけているのかも。『夫』と言う字が書けなくなっていたのはちょっと複雑な気分だが。190908c.jpg

久しぶりに赤く染まった地平線

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.07)
(アルツハイマー)

霧が漂い始めた川面や田んぼの向こう、久しぶりに赤く染まった地平線。土手に登って撮り始めたら、間もなくスーッと色褪せた。190907.jpg

未だ暗くてピントが合わないビッグ親子。お兄さんが話し掛けると母さんが岸に上がってきてお兄さんの話し相手。少し待ったらやっとピントが合った。190907a.jpg

カイツブリが潜った。浮上したら嘴にくわえていた獲物、一二度潜って咥え直し飲み込んだ。お兄さんと友にモニターを見せたら「モロコだろうな」と。190907b.jpg

『時代がでたらめに頭の中にあるの』
昨日昼食時、妻入院先の看護師さんから電話、「奥さんがうちに帰りたい、寂しいと言って泣いている」と。急ぎ駆けつけ病室を覗けば「来てくれたの、嬉しい」と泣いていた妻。「時代がでたらめに頭の中にあるの。ここが我孫子の病院だとわかるが心はふるさとにいて、帰りたくても遠すぎて寂しくなった」と呟く。「どうして岩滑(妻ふるさとの実家)なの?」と問えば「もうじき死ぬから裏山のお墓に行こうと思って」と。「僕らのお墓なら一関の樹木葬墓地にあるじゃない。千坂げんぽうさんが一番いいところを選んでくれたじゃないの」「今日は何処の家から来てくれたの」「我孫子だよ。直ぐ近くじゃない」「まだ我孫子に家はあったの」「入院する前に一緒に住んでいたし、ここから車で5分だよ」ととりとめもない会話。話している内に段々現実に戻り、頭の中にあることをノートに書かせたら黙って書いていたが、頭が整理されたのか明るい表情になった。昼食を大半食べ残していたので「元気になれば来週末退院できそうだ」と言ったら、残した昼食を「美味しい」と言って食べた。
ノートに書いたメモには『人生がいやになって、さみしくなって泣いてしまった。思うだけで淋しくなってくる。泣けてくる。私達の家は岩滑ではなくて高の山にあったことを再確認した。そうで(それで)岩滑のおはかは私と詮のおはかではないよね。2人のおはかは一の関の樹木葬ボチであったっけ。そこもちゃんと準備してあるので心配要らないと言われた。本当だね。安心に勝るものはないと再発見した。今迄いろいろ頭の中であ~でもないこーでもないと考えがころがって、時代の順番がわからなくなるが、こうして詮さんと話すと私の心は素直になって納得することが多くなる。よかった。今日病院に来てくれてよかった。一人で考えるも否定するも一人なので何がなんだか分からなくなる。常にその場で否定してくれる人が側にいることっていいなあ~~。今日はまだ昼間だ。外は明るい太陽で輝く世界だ。今日はいい日だね。詮さんは午後どこへ行くつもりだろうか? 詮の答え「家に帰って洗濯する」そうだ。』
妻のノートを見て、いろんなことが頭の中を交錯しているが、それを整理できなくて混乱の深みに入り込んでいたように思う。190907c1.jpg190907c2.jpg