地平線をオレンジ色に染めた快晴の夜明け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2021.1.31)
(アルツハイマーになった妻)

地平線をオレンジ色に染めた快晴の夜明け。210131.jpg

風の通り道は波立って、上空の青空を映しブルーの模様。210131a.jpg

空と沼を黄金色に染め雲から出れば眩しい日の出。210131b.jpg


『思い出の場所はどこ?』 (2021.1.31)
昨日午後の妻との電話、「もしもし」「は~い」「今どこにいる? こっちから左に曲がって坂を登った所だね。行きたいなぁ。涙が出ちゃう。私の思い出の場所はそんない多くは残っていない」「思い出の場所はどこ?」「やっぱりそこが一番。間もなく人生が終わりになるけど、どうなるか分からない内に終わるのかなぁ。一人でいるから寂しい、死んだ方がいいと思うくらいだ。思い出そうとすると、出てきた景色は実家のお墓にお父さんと行ったこと。次は、電車に乗って我孫子に行ったこと。最後のお別れの時は家の前に行って、みんなで並んで写真を撮る。そこを北に真っ直ぐ行くとバス通りがある。その辺の思い出が一番多く残っている」「最後のお別れでなくても、コロナが収まれば二人で建てた家に行ける。外出届を出し、私が迎えに行って家に来る。子どもたちも呼んで、話をしたり食事をして、夕方にはそれぞれの所に帰る。そういう会をやろう」「早くやってと言ってもコロナがあるとダメね。家なら歩いて行ける。私はお別れする覚悟が出来たよ。病院に入ると自由がきかないからからなぁ。新横浜から団地に行く景色が出てきて、東のお観音様へ行く」「団地は横浜の片倉台団地、観音堂は岩滑だよ」「私は直ぐにスッと行けるから、アハハ。部屋にある鏡台は岩滑の母がくれた。鏡台は私のいのち、毎朝鏡の前でおはようって言ってる。母は師範学校を出て島田の奧の方で先生をやった。父は小学校の校長だった。父の姉妹も私の姉三人とも女学校に行き、娘は女学校に行かせることしか考えていなかった。私が掛西高に行きたいと言ったら父は反対、母が賛成した。最後に父は四女だから好きにしろと許してくれた。私から後の妹たちは女子高でなく共学の掛西高に行くようになった。入学してから先生に、共学でも女子が少なすぎる。もっと増やしてと言ったことがあった」「掛西のことをよく憶えているね。時間だ、CD鳴らしたら電話機返してきて」「・・・鳴ったから返してくるよ」210131c.jpg
(雲の上まで陽が昇り、水面に映った眩しすぎる太陽。)

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