住宅の隙間からニュータウンのビルの灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2020.1.6)
(アルツハイマー)

1982年3月末に引っ越してきた頃は二階のベランダから手賀沼が見えたが、年々住宅が建ち沼は僅かな住宅の隙間からしか見えなくなった。自宅南側の畑の中の道を桃山公園に向かって歩けば住宅の隙間からニュータウンのビルの灯りが見える。200106.jpg

雲一つない快晴の空にはまだ残っていた星。刻々と色鮮やかになる地平線のオレンジ色。200106a.jpg

対岸の丘の上に陽が昇り始めれば空も沼も赤橙に染まる。200106b.jpg


『「記念写真撮って」と言ってAさんとのツーショット』 (2020.1.6)
朝の撮影に出掛ける前に妻の様子を確認するのが習慣だったが、入院してその必要がなくなったら何か忘れ物をしたような気分で家を出た昨日朝。
午後になったら徒歩で天王台駅に出て、常磐線で取手へ、バスに乗って病院へ行く積もりだった。近所に住む妻の友人Aさんが私のブログを見て電話をくれた。午後見舞いに行ってくれるので車に同乗させてもらえることになった。
妻の病室を覗くと、「やぁ」と言うような表情で点滴をしていない方の手を上げた。 後ろにいたAさんを見付けると訴えるように話し始めた。病院のスタッフ用に書かれた妻の状況、扱い方を書いた張り紙を指さし、「質問しても私に分かるように説明してくれず、専門用語が入った病院言葉で理解できない。不親切だ」とおかんむり。妻への説明目的ではなく病院のスタッフへ周知するための張り紙だろうと言っても、見えるところに貼ってある以上分かりやすく書くべきだし分かりやすく説明すべきだとAさんに訴える。自宅でも「水を飲もう」と張り紙したら「何のために飲まなくてはならないか書いてない」と同じことを何度も繰り返し質問し困惑したことがあった。たぶん、同じようなことになって看護師さんを困らせたのだろうと思った。Aさんがうまくほかの話題にすり替えてくれて、楽しそうにAさんとおしゃべり。妻は、グループホームに入る直前に入院し、やっと決まった入居か取り消されないかを心配していることも分かった。月曜日になったら検査も始まり先のことも分かってくるだろうが、まだいつ退院できるかも分かっていない。心配しないで待っているようにと言うよりほかに説明のしようがない。
帰るとき、「記念写真撮って」と妻のリクエストでAさんとのツーショット、入院以来一番いい顔をしていた。「明日も来るよ」と言うと、「来てね、待ってるよ」と手を振っていた。いつもの癖で見送りにベッドから降りようとするので、点滴が外れると困るからと押しとどめた。200106c.jpg