雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.31)
(アルツハイマー)

雨は止んだが薄霧が出てきた早朝の手賀沼。191231.jpg

「コブハクチョウが出てきた」と散歩がてらに出てきた友。「どこに?」と言ったらレンズに手を添えて「こっちこっち」と居場所を教えてくれた。コブハクチョウの子ども6羽が岸沿いに岡発戸新田の方へ向かう。191231a.jpg

今朝もハス群生地に来ていたオオハクチョウの群。二人だけの大晦日でも、やり残したことに急かされて家路へ。191231b.jpg


『一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」』 (2019.12.31)
「私は何をしたらいいの?」「どうしちゃったのよ、急に?」「私は何をしなきゃいけないか、何をしようとしてたのか、私には全然分からなくなった。どうしたらいいの?」「ちょっと、落ち着いてね。今、朝ご飯の仕度をしてるんだ。電子レンジで干し柿をチンしてよ。甘くなるよ」と干し柿をのせた皿を渡したら電子レンジを探してうろうろ。「これ?」と言ってオーブントースターに入れようとする。「電子レンジ・・・、電子レンジだよ」と言えば目の前にある電子レンジが見えていない。「これだよ」と電子レンジの扉を叩いたら、「えー、それに入れるの」と。ふと思った。干し柿は冷凍品でもなく、電子レンジで温めて食べるなんてイメージは湧かなかったのだろう。調理する道具じゃなく、食べるときのイメージで探していたのかも。しばらくして牛乳を温めるのには躊躇せず電子レンジを使っていた。止める間もなく温めた牛乳にインスタントコーヒーを一匙入れてかき混ぜていた妻。「コーヒーじゃなくてココアを入れるんだったでしょう」と言ったら、「今日はこっちの方がいいの。どっちだっていいでしょ、私が入れたい方を入れたって」と、間違えたんじゃなくてこっちがいいと言い始めたらもうダメ、やりたいようにさせておいた。
電子レンジで温めた干し柿を食卓に並べると、一口かじって「おいしい。すごく甘くなった」と言って朝食前に一個食べてしまった。「切り干し芋だって火鉢の炭火で炙ったら甘くなったね」と言って、子どもの頃を思い出して、子どもの頃の食べ物のことを話し始めた。いつもと味が違うからか、インスタントコーヒーを入れた牛乳は最後まで残っていた。二個ずつ用意した干し柿は、「お昼にも食べる」と別の皿に取り分け、私の分の一個は妻の食後のデザートになってしまった。
貼るのを忘れないように食卓の隅においてあったリバスタッチパッチが姿を消した。「どこへ持って行った?」「知らない」「見つからないと今夜困っちゃうね」と言って一緒に探した。あるべきところに置いてないRセンターとの通い袋、もしかしてと二階に探しに行くと妻の日程表と一緒にあった。そして通い袋の中にリバスタッチパッチも。リバスタッチパッチの袋に日付を書いていたから、その日付とお便り帳の日付、予定表の日付を照合していたらしい。
昼食は冷凍のチャーハンを電子レンジで解凍。「私がやる」と皿に盛ってラップを掛け、電子レンジに入れた。「壊れちゃった」と言うので見に行ったら、レンジではなくオーブンの設定にして動かしていた。妻にとっては電子レンジとの相性が悪くなった日だった。191231c.jpg

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.30)
(アルツハイマー)

雨が上がって少し明るくなり始めた手賀沼。桃山公園から眺めた曇天の朝。191230.jpg

ハス群生地にオオハクチョウは来ていたが、あちこちに分散していてまだ飛びそうにない。191230a.jpg

ぼつぼつハス群生地の桟橋前に集まり始めたオオハクチョウ。まだ小さな群があちこちに散らばっていて、飛び立つのを撮るのは諦めて家路へ。191230b.jpg



『笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ』 (2019.12.30)
一昨日夕食後の薬を飲んでから昨日朝まで水を飲んでいなかった妻、目は覚めていたが、直前まで空想の世界をさまよっていたらしい。「私はどこへ戻ってきたの? ここはどこ?」「どこにいるか分からないの?」「Rセンターじゃないし、W園でもないよね」「周りを見てごらん。まだ分からないの?」「我孫子だよね」「我孫子のどこ?」「あっちに大きな池があるよね」と南を指さす。「手賀沼のことかい?」「うん、手賀沼だった。段々分かってきたよ。私の家じゃないの」「はい、はい、お帰りなさい」「あぁ、私、宇宙遊泳してた」「どこへ行ってきたの?」「あっちこっち、どこだかわかんない」「あんたの子どもの名前を覚えてるかい?」「私の子? 二人だよね。AとL。一人は八王子、もう一人は、えーと、えーと、横浜だった」「ちゃんと憶えていたね。合格だよ」、やっと笑顔になって手に持っていたコップの水を飲んだ。
桃山公園へ撮影に出掛けようとしたら布団から抜けだして玄関まで見送りに来た。「車で行くの?」「歩いて行くよ」と答えたら急いで二階へ戻っていった。自宅南側の畑の脇に差し掛かると、雨戸を開けベランダに出て両手を振っていた妻。手を振って応え、「寒いから早く中に入って」と言ったが聞こえなかったらしい。上空は晴、やっと東の地平線がオレンジ色に染まり始めた。
日の出まで撮って写真友だちと歩いて帰れば、一階の雨戸を開けていた妻が「見付けたぞ」と言っているのか両手で頭の上に円をつくって笑っていた。二階まで様子を見に行ったら、「寒かった」と言ってベッドに潜り込んでいた。朝食の仕度が出来たら、「あら、やってくれたの。ありがとう」とちょっとふざけながら食卓へ。少しハイになっているようだった妻。
「今日はね、出掛けなくていいからゆっくり新聞を見ていた」と言ってパソコンの前にいる私を覗きに来た。「コーヒーが欲しいね」と言ったら、「嬉しいね。私にだってできることがあった」と言ってコーヒーを持って来てくれた。昼食に写真友だちに頂いた長芋と、冷凍のうどん、シーチキンの缶詰、タマゴを使ってとろろうどんを電子レンジで作ろうとして、ワンステップずつ妻に頼んでやってもらった。出来上がると「久しぶりに料理をした」と大満足。じれったいのを堪えてでも、妻に出来るように仕事を分解してやってもらえば、自分にも出来たという喜びがあるようだ。後片付けだけは注意していないと後で難儀する。このときもナイフをどこに仕舞ったか分からなくなって、夕食前に二人で探した。やっと見付けて、「私って、そのときの気分次第で片付けて、どこにおいたか思い出せなくなっちゃった。頭がおかしくなって困っちゃうね」と言って照れくさそうにしていた。191230c.jpg

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.29)
(アルツハイマー)

風がないから地平線の色に染まったオレンジ色の沼。191229.jpg

風が吹いて波立てばブルーになった風の通り道。191229a.jpg

雲間に日の出、お供え餅のようになった太陽。191229b.jpg


『じゃぁ行ってくるからね』 (2019.12.29)
早朝の撮影に出掛ける前のひとときをもう目覚めていた妻と話した昨日朝。頭は痛くないしすっきりしていると言い、夜の水は全部飲んであった。Rセンターに行く日だと伝えると早く起きて仕度をすると言い、自宅からRセンターへの道筋を語り始めた。以前は建物の名称や地名を言っていたのに最近は「あっち」「こっち」と頭の中の地図をなぞるような仕草をするようになった。
撮影から戻ってくると雨戸を開けていた妻、私が手を振って呼んでも気付かない。帰宅すると、「今日Rセンターに行くのを最後にして来年から行くのをやめる」と言う。「行くのがいやになったの?」「いやじゃないけど、来年になったらじきに新しいところに行くからもうやめてもいいかと思う」「ケアマネージャのMさんの計画は来年三回通うことになっているから頑張ってもう三回行こうよ」「そうか、じゃあ行くけど、新しいところが決まってから行くのが面倒になっちゃった」と言う。グループホーム入居が決まって、新しい生活が始まることばかり考えているから今まで頑張っていたことがどうでもよくなってしまったのだろうか。
9時少し前、Rから迎えの車の到着予告の電話があり、玄関前に出て二人で待っていたら迎えの車ら見えた。咄嗟に私の姿を見付けられなかったのか、「来たよ、早くおいでよ、じゃぁ行ってくるからね」と言って元気よく出掛けた。
午後、グループホームKのOさんから電話、1月10日に提携先のH病院へ契約しに行くようにと連絡があった。先週Y内科のY先生に紹介状を頼んであったのでいつもらえるか確認の電話をする。すでに先生は年末の休みに入り、1月6日の妻診察予約日には確認できるとのこと。一つ一つ妻のグループホーム入居の準備が進む。
4時20分頃妻帰宅。元気に戻り、用意しておいたアイスキャンデーを食べながらRセンターのことを話してくれる。「朝一番に入浴、一人ずつ呼ばれてリハビリの体操、待っているときは大勢の中の一人なので名前も知らないし、必要以外のことを親しく話すこともない。グループホームに入ったら少人数なので人との触れ合いがあるのが楽しみ。少人数になるとそれなりの気遣いは必要だろうが、慣れれば大丈夫だと思う。W園に何度も泊まったのはいい訓練になっている。家を離れるのはつまらないと思わず、新しい生活が始まると思うことにする」と、自分に言い聞かせるように語る。「まだ自分のことが分かっているから、私は新しい生活に入ることは大丈夫。私のことであなたの負担が軽くなると思うと気が楽になるが、あなた一人を残して、一人暮らしさせるのは申し訳ないと思う」と言う。グループホームに入ることになってからずっとそんなことを考えていたのだろうか。191229c.jpg

ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.28)
(アルツハイマー)

日の出直前になって、周りにいた人たちが今か今かと日の出の方向にレンズを向けて待っていたとき、ハス群生地から飛び立ったオオハクチョウの群。191228.jpg

飛び立って高く上昇したオオハクチョウに朝日が当たって赤く輝く。191228a.jpg

オオハクチョウの群が小さくなって消えたら、岡発戸新田の突端の向こうに日の出。191228b.jpg


『干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声』 (2019.12.28)
昨日早朝、前夜用意しておいた水は全部飲んであり、目が覚めて長女と次女のことを考えたら、名前も住んでいるところも直ぐに思い出せたと妻は言う。二人が横浜から我孫子に転校してきた頃を思い出して語り始めたら、長女の名前が急に出てこなくなり、しばらく考えて孫娘の名前を言った。「それ、孫の名前だよ」と言ったら「せっかくいろいろ思い出したのにまたごちゃごちゃになっちゃう」と頭を叩く。孫の名前を何度か呟き、やっと長女の名前を思い出した。次女の男の子二人については何も思い出せず、「長いこと会っていないから忘れちゃった」と。
朝食の仕度をしていたら手伝いに来たが、ふっといなくなり朝食の仕度が出来ても戻ってこない。探しに行くと洗濯機を始動してから柔軟剤を入れようとしていた。残り少なくなった柔軟剤をボトルのキャップに入れ所定のメモリになるまで水で薄めていた。それではダメだと説明しても、量が足りないから増やしているのだと言い張る。大きな問題ではないからやりたいようにさせておく。一時、洗濯機のボタンの使い方が分からなくなったが、ここ数日また出来るようになった。「動かせるようになったね」と言えば「体が覚えていた」と。
朝食後は電気カーペットの上で新聞を広げて見ていて、洗濯が終わってももう忘れてしまった様子。朝食後の食器洗いも、洗おうとした私を制止して妻がやると言ったのにそれも忘れて新聞とにらめっこ。覗き込むと、「字は全部読めるよ。意味だって分かる」と言っていたが、記事を読み終わって何が書いてあったか内容は覚えていない。字を読めて、意味も分かることを確かめているのだろうか。
午後も新聞を見た後、Rセンターのお便り帳と妻の日程表を見比べていたが、お便り帳を入れてあった通い袋が見当たらない。妻と二人であちこち探したら読み終わって積んだ新聞の間にあった。それを見て「なんで私はこんなことをするんだろう。頭がおかしくなっちゃって何にも分からなくなった」と泣き出した。Rセンターに出掛ける直前に見つからなくて慌てて探したことも何度かあり、置く場所を決めているがそれでも見当たらなくなることが多い。今が何月何日か分からなくなるから、お便り帳の最後の記入日を見て日程表の次回に行く日と照合しているようだ。
ここしばらくRセンターに行き、W園に行き、二ヵ所の病院に行き、年が明ければグループホームに入る予定があり妻は混乱しているようだ。紙に書いてくれと言われ、貰ったばかりの来年のカレンダーにグループホームに入居までの日程を二人で書き込んだ。
夕方になって、朝洗濯した物がそのままあるのを見付け、干そうと二階まで運んだが、雨戸を閉めようとしてまた忘れてしまった。うかつに手出ししたり指摘するとまた失敗したと泣き出すので、苛つく気分を押さえて見て見ぬ振り。やっと気付いて干そうとしたが、ピンチハンガー一個を持ってあちこちうろうろ、「どうしたの」と声を掛けたらもう一個のピンチハンガーを探していた。「さっき二階に持って上がったよ」と言うと、笑ってごまかし二階へ上がった。干し終わって振り返ったら階段においた干し忘れを見付け「あっ、まだあった」と大きな声。191228c.jpg

赤いテールランプが次々通り過ぎる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.27)
(アルツハイマー)

6時15分を過ぎても桃山公園の高台から見下ろす景色は暗く、下の道を通勤の車の赤いテールランプが次々通り過ぎる。191227.jpg

霧で対岸も見えない沼にまた小雨が落ち始めた。傘を差し数枚撮った雨の手賀沼。誰も来なかった高台。191227a.jpg

未だ暗い林の中の小径を抜ければ、街灯に照らされたマユミの木の紅葉が鮮やか。いつもならラジオ体操をする人たちも来ていない。191227b.jpg


『両手を挙げてバンザイをした妻』 (2019.12.27)
妻の様子を見に行った昨日早朝、夕食後に用意した水は半分以上残っていた。コップ一杯の水を飲ませようと手渡したら、「私には子どもがいるの?」と寝ぼけ顔の妻。「いるよ、二人も」「二人も?」「上がA、下がL。八王子と横浜にいるじゃない」「AとLは私の子?」「そうだよ」「私は子どもを生んだのを憶えていないけど」「そうか、生んだと言うより帝王切開で取り出したからね」「二人は私の子なんだ。嬉しい。子どもがいないと思っていたから悲しかった。AとLはお父さんの子だから手伝いに来てくれて、私に親切だと思っていた。私とあんたの間に生まれた子だよね。いい子がいて嬉しい」と一気に言って泣き出した。目が覚めたばかりだからか、二日続けて夜の水分補給が少なすぎたのか、妻の言葉にびっくりさせられる。やっとAとLが自分の子どもだと思い出し、横浜の片倉台団地の風景も思い出したが、Aを等々力のナオミ保育園に、片倉台団地に住んだ頃に二人を育和幼稚園に通わせたことどころか、二人を育てた記憶すら思い出せなかった。
近所の桃山公園から手賀沼を撮って帰宅し、妻のところに行くとベッドに腰掛けRセンターの新年会のパンフレットを見ていた。私に気づき、「私には二人の子どもがいたよね。一人はAで、もう一人はL、Aは八王子に住んでいて、Lは横浜に住んでいるよね。ずっと考えていて、やっと思い出した。ここまでは正しいよね?」「正しいよ。思い出せたじゃない」「よかった」と言って上半身を起こし、両手を挙げてバンザイをした妻。「でもね、どうしても娘二人の顔が思い出せないの」と言って考え込む。「大丈夫だよ、思い出すさ。後で子どもたちの写真をプリントして貼っておくからね。今日はRセンターに行く日、9時には迎えの車が来るから早く起きて仕度しようね」と言って台所へ向かう。
朝食中もはしゃいだ様子で娘二人のことを一人でしゃべっていた妻。8時30分になったので急かせて二階へ追いやった。9時少し前、Rセンターから10分後に迎えに来ると予告電話。やっと仕度が出来た妻と自宅前に出ると間もなく迎えの車が到着、元気に迎えの車に乗り込み、窓越しに手を振りながらデイケアに出掛けた。Rセンターにデイケアで通うのもあと4回になった。191227c.jpg

水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.26)
(アルツハイマー)

曇天の沼はいつまでも暗く、水面に赤い尾を曳く対岸の鉄塔のランプ。191226.jpg

対岸の丘の上に成田着の順番を待つ飛行機の灯り、順番が来ると左に向かってゆっくりと下降。191226a.jpg

ピッポーピッポーと近寄って来る音、下の道を覗けば通り過ぎる救急車の赤いランプ。191226b.jpg


『私の頭の中には今しかないの』 (2019.12.26)
昨日早朝撮影に出掛ける前に妻の様子を見に行ったら、ベッドに腰掛けテレビを見ていた。「頭の具合はどう?」と訊くと、「少しガーンとするけどよくなって、頭はすっきりしている。何か思い出そうとするとガーンとなる」「ガーンとなると痛いとか吐き気がするとかして気持ち悪くなるの?」「痛いとか気持ち悪くなるんじゃなくて、ガーンとして頭の中がごじゃごじゃになる」と。どうやら『頭がガーンとなる』と妻が訴えるのには二種類あるらしいと、数日前から感じ始めた。一つは『風邪を引いたみたいで、頭がガーンとする』ともう一つは『頭の中がごじゃごじゃになってガーンとする』で、前者は頭痛や吐き気とかめまいを伴う身体的なもの、後者は何かを考えたり思い出そうとして訳がわからなくなって狼狽するような気分的なものらしい。
撮影から戻ると雨戸を開けていた妻、「もうすぐ朝食にするよ」と言うと着替えに寝室へ戻ったが、仕度が出来ても戻ってこない。見に行くと、朝食のことは忘れてベッドに潜り込んでいた。
朝食後、睡眠不足の私がテレビの前で居眠りしていると、その間に洗濯をしていた。黙って見ていると居間に戻って新聞を読み、何日分か眺めた新聞をたたんで積み重ねていた。予定表に目が行くと予定表を手に取り新聞の日付と見比べて、「Rセンターにはいつまで行くの? いつからグループホームに行くの?」「Rセンターには1月9日まで行って、グループホームには1月12日に入るよ」と説明したが、しばらくするとまた何度か同じ質問を繰り返す。私が食器洗いをしようとすると、「それ、私の仕事、やらないで」と制止する。立ち上がって食卓の周りを覗き込み置いてあるものを並べ替え始めた。もう食器洗いに立ったことは忘れたらしい。次々といろいろなことが気になるらしく、次々とやりかけのことが増えて行く。いちいち注意すると不機嫌になるから私は黙って見ていた。
体調がよくなってから活発になった妻、私が物置の不要なものを捨てて作った空きスペースに、またいろいろな物を突っ込み始めた。もしかして、私が不要になった物を探し出して捨てるのを、妻が責められているとでも感じているのだろうか。年内に物置を整理するつもりだったが中止、妻をグループホームに送り出した後まで待つことにした。私が整理し終わっていたところまで妻が手を入れようとしたので、「どうして今やるの?」と声を掛けたら、「私の頭の中には今しかないの」と、昨日言った台詞を繰り返した。
夕方、テレビを見入っていた妻を残してパソコンの前にいたら、「コーヒーを持って来たよ」と妻のにこにこ顔。片手にはせんべい二枚とミカン一つ。
午前中、グループホームKのOさんからベッドのリース代は8000円/月と連絡があった。同じ系列のグループホームを見学しに行ったとき3000円/月と聞いていたので代案の検討をお願いしたら、新品ではなく中古品だったら3000円/月の業者を見付けてくれ、それで十分だと説明してくれた。後日リース業者と契約することにした。着々と妻のグループホームKへの準備が進み、妻が自宅にいる日も残り少なくなってきた。191226c.jpg

水面に映った赤い帯を横切るコブハクチョウ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.25)
(アルツハイマー)

雲から陽が昇ると眩しい太陽、水面に映った赤い帯を横切るコブハクチョウ。191225.jpg

一列に並んで時々羽ばたくオオハクチョウの群、数羽が助走し始めたら群全部が羽ばたき助走し飛び立った。191225a.jpg

沼上空を飛んでいる間に二つのグループが一つになって、白井の方角を目指して飛び去るオオハクチョウ22羽。191225b.jpg



『マフラー、あっ、二つ持って来ちゃった』 (2019.12.25)
昨日早朝の撮影に出掛ける前、妻の様子を見に行ったら、昨夜用意しておいた水を全く飲んでいないのでコップ一杯飲ませた。頭がガーンとすることはほとんどなくなったが耳が聞こえにくく自分の声が遠くから聞こえると言う。「今日は何日?」「12月24日火曜日、Rに行く日だよ」「今夜はクリスマスイブだね。Rって川のところだった? ごちゃごちゃしてどっちがRでどっちがWか名前が分からなくなっちゃった」と、いつも似たような問答。
撮影から戻ると、雨戸を開けていた妻は私を見付けベランダに出てきて、カメラを向けると両手でVサイン。18mgから13.5mgに薬を減量したリバスタッチパッチを再開したが、副作用らしき症状は出ていなくて一安心。
9時20分にはRから迎えの予告電話があり、到着前から玄関の外に荷物を持って出て、「お便り袋持った、鍵持った、マフラー、あっ、二つ持って来ちゃった」と一本を私に渡す。いつも添乗員をしていた職員が車の運転、添乗する人は新人。車から降りて新人を紹介、「鍵と袋を預かって」と新人に指示。その間に妻はサッサと車に乗り込み、後を追い掛け妻から鍵と袋を預かってくれた新人の職員。慌ただしく妻を送り出してやっと自分のペースに戻る。
午後4時20分頃、Rから帰ってきた妻、頭がすっきりしたと次々やることを見付けて始めるが、終わる前に次のことを見付け途中までやりかけになったことが増える。そのあとから後片付けをして歩く私。パソコンの前に戻ったら、コーヒーを入れて持って来てくれた。よく気がつく。「夕食はどうする?」と言われ、冷蔵庫の中から食卓のスペースがあるだけ食品を出されるのは恐怖、メモに「夕食は宅配弁当があります。あとはインスタントスープにお湯を入れるだけ」と書いて渡したがどうなるか心配。
夕方妻の親友Aさんが来てくれてお土産を頂いた。Aさんから近隣センターでのお茶の会のことを聞き、一週間前には会話になりにくかった妻はAさんの話しに反応しちゃんと会話になっていた。妻からは、来年になったら近くのグループホームに入居することを話していた。Aさんから「こんなにお話しできるようになって、まだグループホームに行くのは早すぎじゃない、遅らせたらどう」と言われ、「私のことを心配してくれた夫と何カ所か見て申し込んできたが、思ったよりも早く自宅の直ぐ近くのところに空きが出来て嬉しかった。近いから夫も時々来てくれると言うし、私もたまには家を見に行くことも出来る。夫も私がどうかしたときのことを心配しなくてもよくなるから決心した」と妻。
夕食時、Aさんから貰った梨の皮を剥きながら「これ、どうしたの?」「Aさんに頂いた」「いつ?」「さっき来て、いろいろ話してたでしょう」「そうか、来てくれたのね」「何を話したの?」「全然頭の中に残っていない。私には、今のことしか頭の中にないから」と、あんなに楽しそうに話していたことももう記憶していない。妻が話していたことをかいつまんで伝えると、「そうだけど、グループホームに入ると決心したのにはほかにも期待してることがあるの。他人と一緒に生活して自己規制を掛けるのにいいチャンス。家にずっといるとわがままで、気が強くて、自己主張の強い私の性格だけがどんどん出るようになるから、自己規制して自分を見直すことも出来るでしょ。学生時代寮生活や他人の家に下宿した経験もあるから大丈夫だよ」と言う。いつここまで考えたのだろうか。たぶん何度も反芻して、グループホームに行くことの気持ちが挫けないようにしているのだろうか。191225c.jpg

釣堀前へ向かうコブハクチョウ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.24)
(アルツハイマー)

日の出前の沼を岡発戸新田の釣堀前へ向かうコブハクチョウ親子。191224.jpg

ハス群生地から飛び立って、白井に向かうオオハクチョウ19羽の飛行。191224a.jpg

地平線の雲から眩しい日の出、風に波立つ沼はブルー。191224b.jpg


『水の館の展望台から二人で沼を眺めた』 (2019.12.24)
昨日早朝、桃山公園の高台へ撮影に出掛ける前に妻の様子を見に寄ると、目覚めていて日程表を見ていた。「今日はどこに行くの?」「Y内科に行く。10時30分には出発するからね」「Rに行くのはいつ?」「明日」「いつまで行くの?」「1月12日がグループホームKの入居日だから、最後にRに行くのは1月7日」「ごじゃごじゃしててわかんないや」と困惑顔。W園のショートステイ、Rセンターのデイケア、それにグループホームKが加わって分からなくなってしまったらしい。
撮影から戻ると妻はベッドに潜り込んでいた。「雨戸を開けたら寒くなっちゃった」と言って手を振る。私が朝食の支度をしていたら手伝いに二階から降りてきたが、「寒いから何か着てくる」と言って二階に上がったきり戻ってこない。朝食の支度が出来て呼びに行くと、もうすぐ朝食だと言うことを忘れてベッドに潜り込んでいた。「ご飯だよ」と呼びかけると「あっ!」と言ってびっくり顔。食卓の前まで来て、「トイレに行ってくる」と言ったまままた戻らない。呼びに行くと洗濯物がたまっているのを見付け、洗濯の準備をしていた。体調がよくなって、目に付くものを直ぐやろうとする元気が出たが、何か目に付くとそれをやろうとして、その前にやりかけていたことを忘れてしまう。
10時30分頃妻を連れてY内科へ出発、Y先生の診察を受けた。今回リバスタッチパッチを中断してから頭がガーンとする症状がやわらぎ、会話がかみ合うようになったことを報告。2017年2月に吐き気の症状が出たとき、リバスタッチパッチを飲む薬に変えて試そうかと先生から提案され、私が「今しばらくそのまま様子を見たいと言ったのは私のミスだったようだ」と言ったら、先生は「飲み薬は一時的に血中濃度も上がり、血中濃度を一定に保てる貼り薬の方が副作用は出にくい」と慰めてくれた。私の日記から抽出したこと『2017年3月頃、試しにリバスタッチパッチを中断するように妻に指示し、メモを貰ったが妻が忘れてしまい、私はリバスタッチパッチを貼り続けてしまったことがあった。翌4月になって、18mgを13.5mgに減量し、吐き気の症状が出ないので同年9月に18mgに戻した。いつ頃からか、風邪を引いたように頭がガーンとしていると妻が訴えるようになり、葛根湯を処方して貰い症状が出たとき飲ませると治ったようだった。最近になっていつも頭がガーンとしていると言いだし、吐き気の症状で救急搬送され、そのときは便秘が原因と下剤を処方されて落ち着いたが、数日後また吐き気を再発し救急外来で吐き気止めを処方された。』と私の記憶を話したら、先生のカルテと照合し、リバスタッチパッチを18mgから13.5mgに減量していた間は安定していたので今回13.5mgのリバスタッチパッチを処方して貰うことになった。妻が風邪のようで頭がガーンとするという訴えを、私はよく風邪気味になると思い込み、頭がガーンとするのは夜間にも水分補給をすると楽になるので認知症の症状の一つか程度に思っていた。私の早とちり、観察不足があったと思う。また、最近リバスタッチパッチの袋が大きくなり、剥がれやすくなって、貼った跡の皮膚炎症が少なくなったことの変更で薬の吸収がよくなったらしいことと関係がありそうな気もする。
帰路、気分がよくなり「手賀沼を見たい」と言う妻のリクエストで水の館の展望台から二人で沼を眺めた。エレベーターで一階に下って正面にあったレストラン「旬菜厨房 米舞亭」で掻き揚げソバの遅い昼食。191224c.jpg

踏み固められた小径には雨水

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.23)
(アルツハイマー)


雨が上がったばかりの桃山公園の高台に向かえば、踏み固められた小径には雨水がたまり、足を降ろす場所を選びながら歩く。191223.jpg

雨に濡れ、ネコの木の耳に見える木の葉が落ちて、弱々しく見えていたネコの木。191223a.jpg

行きつけのY内科に妻を連れて行き、帰ろうとしたら晴天。手賀沼を見たいという妻のリクエストで展望台から手賀大橋や柏の街を望む。191223b.jpg


『おいしいからもうちょっとご飯を食べようかな』 (2019.12.23)
昨日朝、妻の様子を見に行くと二度寝したのに寝ぼけていない。頭がガーンとした感じはだいぶ治り、右耳が聞こえにくく、自分の声が左の耳に遠くから聞こえるようだと。「こんど病院に行くのはいつ?」と訊かれ、「明日Y内科のY先生のアポイントを取ってあるので、今後リバスタッチパッチをどうしたらいいか相談に行くよ」と伝える。
一時は洗濯機の始動方法がどのボタンを操作するのか分からなくなっていたが、自分一人でも洗濯が出来た。会話もかみ合うようになり、8月末に急性膵炎で16日間入院して以来急速に進んだ症状がかなり入院前に近い状態に戻ったように感じる。しかし、10分も経つと忘れてしまう物忘れには改善は見られない。洗濯をしたら、そのことを忘れて午後になって洗濯機の中に洗い上がった衣類が残っているのを見付けびっくりして干した。
昼食に冷凍のスパゲティを電子レンジで解凍するのにも、考え込まず時間設定をしたらすっとスタートボタンを押した。「出来るじゃないの」と言ったら、「手がすっと動いて出来た。体が憶えていたみたい」と嬉しそうに答えた。「どのボタンをどんな順序で押したの?」と問えば「分からない」と。体が覚えていたのだろうか。昼食後食器洗いをしようとしたら、「やらないで、それ、私の仕事」と積極的になっていた妻。私を制止したことを忘れ、テレビの前で留守中にたまった新聞を丹念に眺め、夕方になって洗ってなかった食器を見付けて洗っていた。
いつも宅配弁当のご飯を半分残しおかずだけは全部食べる妻の夕食、「おいしいからもうちょっとご飯を食べようかな」と言って笑い出した妻。リバスタッチパッチを中止してから食欲も出てきたようにも感じる。食後にグループホームKに行く話になった。「持って行く荷物を用意しなくちゃ」「娘二人が来て用意してくれるから大丈夫」「えっ、来てくれるの、嬉しいわ」「最初は当座必要なものだけ持って行って、欲しいものが出来たら直ぐ届けに行くよ」「周りの人の様子を見てからでもいいよ。一辺に全部そろえることはないよね」「家具は使い慣れたものがいいと聞いたけど、あんたの使ってる家具は大きすぎるし、庭木が大きくなって運び出せないね」「もう大きな家具は要らない。鏡台は壊れかけているがあれで十分、ベッドの横の電気スタンドの置いてある引出付きの台で小物は入るよ」「テレビはどうする?」「共通のテレビをみんなと一緒に見ていればいいし、W園に泊まったときだってそうだったよ」と、妻の思いはもう新しいく始まる生活の方を向いている。
「私は共同生活をするからいいが、あんた一人だけになって大丈夫?」「大丈夫、心配ないよ」「勝手に様子を見に来るのは許されないだろうけど、たまにはちゃんと生活してるかちょっとだけ覗きに来たいね」「娘たちが来たときは迎えに行くから帰ってきたらいい」「夕食前にはホームに戻るようにするよ。暗くなったらあんたが送っていってくれるのに困るものね」と、今のところは新しい生活に前向きだ。191223c.jpg

天気予報に騙されて桃山公園の高台へ

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.22)
(アルツハイマー)

6時頃だけ晴れるとMapionの天気予報に騙されて桃山公園の高台へ。今朝も曇天。191222.jpg

なにも撮るものが無いと沼を見ていたら、早足で通り過ぎた散歩の人。191222a.jpg

諦めて帰ろうとした頃、散歩がてらにやってきた友。「こんな日はこんな日らしく撮れればいい」と言いながら撮った今日の一枚。191222b.jpg


『Vサインをしてにこにこ顔の妻』 (2019.12.22)
昨日午後3時40分頃、W園のTさんから、ショートステイから10分後くらいに妻が帰宅すると電話があった。たぶん、W園での最後のショートステイになるので戻って来たところを記念撮影しようと外に出て待つ。しばらく待つと見覚えのあるW園の車が見え、ウインカーを点灯しながら自宅前に寄ってくる。Tさんが降りてドアを開けてくれたら、Vサインをしてにこにこ顔の妻がいた。
車から降り、荷物を持ってくれている運転手さんの横に立ち止まり、Tさんに「長い間お世話になりました。ありがとうございました」と深々とお辞儀する妻。Tさんから「カラオケ大意会でリンゴの歌を歌われ、きれいな声でとてもお上手でしたよ。みんなが褒めて言いましたよ」と言われ照れくさそうにしていた妻。今回のショートステイでは、不安な様子はなく、泣いたり不安になったときの気分転換に水割りして飲ませるリンゴ黒酢は使わなくて済んだと。Tさんに五泊六日のショートステイ代金を支払い、戻るTさんを外まで見送った妻、車の窓を開け手を振ってくれたTさん。
居間に戻って、「頭はどう?ガーンとしてる?」と訊ねたら、「頭はガーンとしなくなった。左の耳がよく聞こえなくて、自分の声は右から聞こえる。遠くの方から聞こえてくるるようだ」と、出掛ける前よりも会話がかみ合うようになった。先週日曜日からリバスタッチパッチを貼らなくなって、ずっと悩まされていた頭がガーンとする症状が無くなったから、もしかして副作用だったのか。
2017年3月末、吐き気を訴えた妻、副作用を心配したY内科のY先生がリバスタッチパッチを一時中断して様子を見ようとしたとき、そのメモを薬袋に貼り付けて私に知らせることを忘れてしまった妻。知らなかった私はリバスタチパッチを貼り続けてしまった。以後、妻の受診には私が付き添うよう先生から指示があって一緒に診察室に入るようになった。先生より飲む薬に変更するかそれともこのまま続けるかと言われたとき、飲む薬は飲み忘れなどで不規則な服用になることを心配した私はそのままリバスタッチパッチを継続する方を選んだ。その後、4月から9月に掛けリバスタッチパッチを13,5mgに減らし、その間吐き気は生じなかったので18mgに戻した。いつ頃からかは定かでないが、風邪を引いたようで、頭がガーンとすると訴えることが始まり、段々頻度が増えほぼ常時頭がガーンとすると言うようになった。そして今月になって以前のような吐き気を催す症状が何度も出るようになった。口癖のように、頭がガーンとするようになったと言う妻の訴えを、認知症の進行による症状と思い込みあまり重視しなかった私の認識のミスであったように思う。191222c.jpg

沼の向こうに流れる黒い雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.21)
(アルツハイマー)

曇りの天気予報がいつの間にか雨になっていたので、桃山公園の高台に立ったのはいつもより遅い時刻。雨雲か、沼の向こうに流れる黒い雲。191221.jpg

明るくなると高台の下の岸に集まり始めたカルガモや小ガモ。191221a.jpg

今朝も写真友だちのEさんが散歩がてら、「もうじき雨が降る」と言って高台に登って来た。釣堀前の繋がれた小舟を撮っていたら水面の色が変わって小雨、急いで帰宅。191221b.jpg


『入居者対職員対抗紅白カラオケ大会』 (2019.12.21)
デイケアはRセンターに週三回通い、ショートステイはケアマネージャのMさんの事務所があるW園。グループホームKへの入所は来年の1月12日なのでショートステイは今回が最後となる見込み。スタッフの方々に優しく対応していただき、妻は楽しく過ごさせていただいていたようです。デイケアの方は、グループホームに入居する直前1月9日までお世話になることにした。認知機能が低下して行くことを自覚し苦しんでいた妻を支え、お世話いただいたことに感謝。
妻のショートステイ中に、グループホームの契約や自分の順天堂での検査などに忙しく、メールを開いたらショートステイ中の妻の様子書いて下さって、Mさんからメールを頂いていた。
『奥様のご様子です。
初日は、枕元に貼られた今回のショートステイの予定をご覧になって「あら、大変、こんなに長く泊まるなんて、主人に言って来なかったわ」と仰られたのですが、Tさんが「大丈夫、ご主人が見送ってくださったし、ご主人に頼まれた日程通りなんですよ」とお話しするとすぐに「あ、そうだったのね、良かった」と安心されたそうです。
その日はボランティア『白い鳥』さんのコーラスを楽しまれました。
丁度木曜日、W園入居者対職員対抗紅白カラオケ大会の予定があり、今村さんにも歌っていただけないかお願いしたところ、「私がですか」とかなり遠慮されたのですが、結局引き受けてくださいました。職員側の助っ人としてトップバッターです。そして、先程カラオケ大会でした。一人目の方が歌われ、その次にマイクが回ってくると「え、私が歌うんですか」と驚かれましたが、とてもきれいな声で歌ってくださり、その後も皆さんが歌われるのに合わせて口を動かしておられました。(紅白歌合戦の結果は残念ながら入居者側の勝ちでした)
終わった後、感想をお聞きすると「私、急に歌ってと言われたのですよ。恥をかくなと思ったけど、せっかくだ、えい、やってやれ、の気持ちで歌いました」と仰り、周りの入居者の方や職員から「今村さん、声がきれい」「お上手でしたね」と声をかけられて、顔を赤くされて照れ臭そうに笑っておられました。
私が事務所に帰ると言うと「いつもありがとう、送っていくわ」と渡り廊下のところまで送ってくださいました。
「声が遠く聞こえる」「少し頭痛がする」とのお話もありましたが、「きっと寝れば良くなるわ」ともおっしゃっておられます。職員の話では、穏やかにお過ごしだそうです。』
たぶん最後のショートステイとなるだろう今回も、楽しく、穏やかに過ごさせていただいたようで嬉しい。img021mt.jpg

二ヶ月ぶりの順天堂受診

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.20)
(アルツハイマー)

二ヶ月ぶりの順天堂受診。採血、心臓超音波、安静時超音波の検査の後、S先生の診察。心臓の人工弁の音、ワーファリン効き方、血圧ともにいい状態だと。気に入らなかったことは、私より受付番号も、中待合室への呼び込みも遅かったおばさんが先に診察室に呼び込まれたこと。看護師の采配で変わる順番らしい。191220.jpg

早朝の撮影は出来なかったので、順天堂から帰宅後に水の館の展望台から沼を撮る。191220a.jpg

もう動かなくなったカッパの噴水の前、柵の向こうで竿が時々上がる釣り人二人。191220b.jpg


『妻のグループホームK契約の日』 (2019.12.20)
いつも妻の様子を見てから早朝の手賀沼撮影に出掛けるのが日課だったが、ショートステイでWにお泊まりの時は何か忘れものをしたような気分で出掛ける。帰宅して、たった一人の朝食の用意をするとき、「妻がいないからといって適当に手を抜くなよ」と自分に言っていた。仕事で一緒だった友が奥さんを亡くし、「一人暮らしになると台所に立ったまま飯を食うようになる。こうなると哀れなものよ、家中埃がたまり、空いたスペースは衣類などが散乱。心を入れ替えようとするがダメなんだな」と、一杯飲み屋のカウンター席に座って語ったのを思いだした。
昨日は、いよいよ一人で暮らす第一歩、妻のグループホームK契約の日になった。保証人は私、長女が連帯保証人。二人揃って出掛け、施設長のOさん、介護支援専門員のSさんから契約書の説明、それに付随するQ&Aが行われた。耳新しかったことは、入院すると介護保険から後期高齢者医療保険に切り替わり、グループホームには部屋代を支払うだけ。入院が長期に続くようなら退所しなくてはならないこと。入所後の医療については連携病院との契約を私が病院と行わなくてはならない。個人情報に関することだから施設側が代行することは出来ない。当たり前のことだが、初めて気付いた。内科的に処置できないとき、骨折して整形外科で入院治療するときは私が対応しなければならない。転ばないでくれ、骨折しないでくれと祈るのみだ。現在、リバスタッチパッチを背中に貼っていて、吐き気などの副作用が疑われる症状が出ているが、当施設で扱った人の中ではリバスタッチパッチ使用者に同じような副作用が多かったようだと聞き気になった。面会は比較的自由、入り口で面会用紙に記入して係員に渡せばよい。2日に1回ご主人が通ってくる人もいると聞いた。この近所に友だちの多い妻にとって、友だちとの面会も自由なのは嬉しいことだろう。グループホーム側から言えば、ベストタイムは午後1時半から2時半だと。外出、外泊で外で食事をするときは5日前までに届け出ればグループホームへの食事代支払いは不要。私の場合は、外泊は環境変化で睡眠障害になることを心配して原則行わないつもりと伝えた。またOさんから「奥様をどのように過ごさせたいですか」と問われ、「妻の最後まで残る人間性を大切にして過ごさせたい」と答えた。入居は1月12日10時30分と決め、妻が入ることになる部屋を下見した。
長女を我孫子駅まで送り、一人スーパーで買い物をして帰ればもう暗い。雨戸を閉めながら、何とも言いようのない寂しさにも似た思いが頭をよぎった。同時に、一人になるのをいいことにだらけた生活はすまいと心に決めた。191220c.jpg

雲を黄色に染めた地上の灯り

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.19)
(アルツハイマー)

昨日昼間は曇天の予報だったのが、夕方には晴れの予報に変わって夜明け前から桃山公園の高台へ。上空には薄い雲が空いっぱい、雲を黄色に染めた地上の灯り。191219.jpg

日の出の頃になると、雲の隙間から落ちてくる朝の光に赤く染まった水面。191219a.jpg

遅い日の出が雲の隙間まで登れば対岸から光の橋。191219b.jpg


『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(3)』 (2019.12.19)
『回想 妻がアルツハイマーと判明してから(3)』 (2019.12.19)
2017年2月末になって朝から調子が悪い、体がだるいと言い始めたが検温すると36.5℃。一日中ぼんやりしていてなにもする気力が無い様子で風邪に似た症状、夕食後葛根湯を飲ませる。翌朝から私も咳が出始める。妻は体がだるく、インフルエンザの症状なのでY内科に行こうと誘っても動こうとしない。つい強い語調になって言うと渋々支度を始める。私も風邪の症状が出てきたので二人とも診察を受ける。妻はインフルエンザ、レントゲンを撮りイナビルが処脳された。私はインフルエンザ陰性。翌日夕方になり妻の症状は回復し、私が発熱し始め頭痛と咳。翌朝Y内科の診察を受けると私もA型インフルエンザ、イナビルが処方された。
インフルエンザが回復した妻はぼんやり過ごす日が多くなり、物忘れも急に進行した。モータース勤務の写真友だちが、運転をやめると急に認知症が進行すると言っていたのが気になる。ナイフ、フォークや食器の収納場所がその都度変わって必要なときに直ぐに出てこなくなった。妻は「なんでこんなことになっちゃったんだろう」と言って嘆く。
コーラスで一緒だった方が亡くなり、葬儀に行けなかったからと線香を上げに行くと言って外出した。直ぐに戻ると言っていたが、近所に住む友だちと近隣センターに出掛ける約束の時間になっても戻らない。帰宅を待つ間に、近隣センターでの妻の様子を聞く。二年ほど前からおかしいと気付いていたし、運転のことをみんなで心配していたとのこと。お茶の会の時も脱線することが気になっていたそうだ。待ちきれず友人が近隣センターに行ったら、途中出会った友のに乗せてもらって妻は先に着いていたことを帰宅した妻から聞いた。
インフルエンザの後、妻はむかむかする気分を訴えることが多く、Y内科受診時に先生に相談するとインフルエンザの後遺症で脳にも影響があるかもしれないと聞く。すっきりしない妻の様子、これから先のことも気になって高齢者なんでも相談室のIさんに電話、4月になったら相談室を訪問してIさんに相談するアポイントがとれた。後日相談室を訪問、妻の今までの経過と現状を伝え、介護保険の介護認定の受け方、デイサービスやショートステイ、生活環境や対応の仕方、食時については宅配弁当の利用も出来ることなどのアドバイスを受けた。191219d.jpg

落葉した枝先に半欠けの月

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.18)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に立ったが濃霧で直ぐ下の市民農園跡すら見えない。星を見るのが趣味だという散歩の人が、「月が見えるからまあいいか」と言って指さした上空、落葉した枝先に半欠けの月。191218.jpg

9時30分頃になってもまだ残っていた霧。再度桃山公園の高台に行けば、うっすら見えてきた岡発戸新田の突端。191218a.jpg

間もなく見え始めた対岸の鷲野谷新田辺りの岸辺。191218b.jpg


『今度のWが最後のお泊まりかもしれないね』 (2019.12.18)
一昨日朝、Wへショートステイに出掛ける直前、「今度のWが最後のお泊まりかもしれないね。その次は新しいところにずっと行くから。新しいところに行ったら一人でずっと泊まるのだから、Wのお泊まりは家を出て一人になる練習だね」と妻が言うのを聞いて気がついた。今まで何度かのショートステイを含め、私自身も一人で暮らす練習をしていたのだと。認知機能が段々と低下し出来ることが少なくなっが、何かしら生活の一部を負担していてくれたし、一緒にいることで手がかかるようになった妻でも、側にいてくれるという安堵にも似た気持ちはあった。
妻の認知機能の低下に連れ、私がやることが次第に増え、いつの間にか私が一人で暮らして行く術は身についたし、何度かのショートステイの間にこれなら一人でやって行けるという自信にも似た気分にもなった。家事はなにもしなかった私だったが、次第に出来なくなることが増える妻は私が一人で生きて行くための教師であったようだ。もし妻が突然死したり、突然何も出来なくなっていたらただ戸惑うだけ、ゴミ屋敷の住人のようになっていただろう。
次第に出来ないことが増える妻を見詰め、出来なくなったことのどこが出来ないのか、何をヘルプすればその仕事をしてもらえるか考えて妻が出来ることをしてもらってきた。そのことは私にやるべき仕事を分解して見る癖をつけ、私に適した家事のやり方を見付けさせてもくれた。
妻をグループホームに行かせることになったのは、私の意思よりも妻の意思が大きかったように思う。今年の初夏だったろうか、物忘れと出来なくなったことが増加する自分に悩み、先々何も分からなくなる前に何処かの施設に入りたいと妻が言った。タイミングよくケアマネージャのMさんから幾つかのグループホームの紹介があり、長女と一緒に近くの施設を見学した。申し込んでもなかなか順番が来ないので、同じ系列でもっと自宅に近いところも申し込むといいとアドバイスを貰って見に行ったのがグループホームKだった。翌週妻と二ヵ所を見学に行き、二ヵ所とも気に入った妻の意思で、その場で申込書を提出してきた。こんなに早く空きが出るとは予想していなかったが、12月になって空きが出たとの連絡を受けた。8月末に急性膵炎で救急搬送され、16日間の入院をして以来急速に認知機能が低下し、体調不良を訴えることが増えたときに空きが出たことは幸運であった。妻も、「新しいところに行ったらら、そこの規則やしきたりを早く憶え、一緒に住む人たちともうまくやれるようになりたい」と前向きになっている。自宅から1.2~3km、いつでも会いに行ける距離なのも嬉しい。191218c.jpg

ポツリポツリの雨の中、いつまでも暗い沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.17)
(アルツハイマー)

ポツリポツリの雨の中、いつまでも暗い沼。少し明るくなって雨も止み、やっと撮れた沼。191217.jpg

通勤の車が増えて来た下の道。まだ、窓の明かりも少ない手賀の杜住宅地。191217a.jpg

また雨が降り出して段々霞む対岸の丘。逃げ帰るように急いだ家路。191217b.jpg


『「気分はどうだい?」と声を掛けたらVサイン』 (2019.12.17)
昨日朝、撮影に出掛ける前に妻を覗いたら、テレビを点けたまま眠っているような様子。目を覚まさせないようにそっと寝室に入ったら、「目は覚めてるよ」と妻。「気分はどうだい?」と声を掛けたらVサインを見せて、「もう大丈夫、よくなったみたい。まだ少し頭が気持ち悪い」と。「今日はWに行く日だよ」と言えば、「Wってどこだった?」「Rから山の方に行ったところ」「Rってどこだった?」「利根川に沿って下流へ走ったら右側」「分かった、大きなビルだね。Wはそこから山の方に行ったところ、お泊まりのところだ。何泊するの?」「5泊6日」「私がずっと入るところはどこだった?」「消防署の先の信号を渡って最初の道を左に入ったところ」「私も見に行ったことがあった。いつから入るの?」「来年、まだ決まっていない」と答えて立ち去ろうとしたら、「今日はどこへ行くの?」とWへ行くことは忘れて、先ほどと全く同じ質問。三度ほどエンドレスな質問に答えてから、「行ってくるね」と撮影に出発。帰宅して妻の様子を見に行けば出発前と同じ質問の繰り返し。二つのことに疑問を持ち、片方を説明している間にもう片方について答えたことは忘れてしまい、またエンドレスな質問が続く。「朝食の支度をするからね」と話を打ち切り台所へ。
朝食後、Wへ行くために寝室へ着替えに戻った妻、様子を見に行けばWに泊まっている間に着る衣類を整えようとしていた。前日長女が来て用意した荷物を示したら、「私は知らなかったし、聞いていなかった」と言いながら着替えを始め、終わったら時間を掛けてお化粧。
9時30分頃、WのTさんが迎えの来てくれる。薬のことを説明、リバスタッチパッチは中止していたが、どうするかはY内科と相談してから電話すると伝える。妻が泣いたときリンゴ黒酢を水で割って飲ませると泣くのを忘れるからリンゴ黒酢も預ける。Tさんが持ち物を確認してくれ、妻はご機嫌よくショートステイに出発した。
Y内科に行きY先生に面談、前日の状況、取手の病院での診察内容と結果を報告。脳神経内科のK先生から言われたリバスタッチパッチをメマリーに変えることは作用する部位が違うから、リバスタッチパッチを小さいものに戻す方法がいいと。リバスタッチパッチの袋が大きくなってから、剥がれやすくなって、貼ったところの皮膚炎症は少なくなったが、吐き気や頭の不快感は多くなったようだと伝えると、変更によって薬の吸収がよくなったのだろうと。貼るのを次の月曜まで中止してよくなれば副作用があったと考えられるし、次の月曜日の様子を見て決めることになった。191217c.jpg

6時頃になると地平線の空が僅かに色づく

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.10)
(アルツハイマー)

快晴の朝。足元から冷えてきて、6時頃になると地平線の空が僅かに色づく。191216.jpg

周りを真っ赤に染め、地平線の雲から登り始めた太陽。191216a.jpg

望遠で昇る太陽を撮ろうとしたら、太陽の上に下降して来た成田着便。191216b.jpg


『吐き止めの薬を飲ませたら眠ってしまった妻』 (2019.12.10)
昨日早朝、朝の撮影に行く前に妻の様子を覗いたとき、「私も起きておにぎりををつくらなくちゃ」「なんでおにぎり?」「なんでだろう。そう思っただけ」と、なぜそんなことを言ったのか自分でも分かっていない様子。長女が来る日だからそんなことを思ったのかもしれないと思った。
撮影の帰路、回り道して朝食用にパンなどを買って戻るとまだ雨戸が開いていない。妻の様子を見に行ったら、「胃より上、胸の辺りが気持ちが悪い。吐きそうで息も苦しい」と言い、手と足が震えている。四日前の救急搬送されたときと似た症状。トイレに行って排便できたが状況は変わらない。脱水症状かと思いぬるま湯をコップ一杯飲ませたら吐き気は止まった。
正午過ぎ、長女がお土産に鮨弁当を買って来てくれたが妻は食べられる状態ではなく、まだベッドの中。呼びに行って起き上がろうとしたら、目が回ると言ってうつぶせになる。ぬるま湯を飲ませたらめまいは治まったが、しばらくして飲んだものを吐く。その後も吐きそうだとトイレに行って吐き、ベッドに戻ってまた吐く。先日救急搬送で診て貰った取手の病院に電話したら救急外来で診察して貰えることになりタクシーで出掛ける。
しばらく待って、若い女性医師による問診。今日の症状、最近の病歴、以前このような症状があったかどうかなど矢継ぎ早に質問し、機関銃のようにキーボードを叩いて入力する。次は胸、腹部、脇腹、背中、首などを触診、目の動きや耳の聞こえ方、指の動きを観察する。場所を変えX線撮影、戻って採血の後に点滴。その間に脳神経内科医師により説明があった。アルツハイマー薬のリバスタッチパッチは100人の内8人に副作用があり、今まで副作用が無くても、体の薬分解能力が低下すると副作用が出るかもしれない。副作用の少ないメマリーに変更することも考慮してはどうか。副作用が少ないと言っても薬だから副作用はある。かかり付けのY内科で相談したらいい。
血液検査の結果が出て再度脳神経内科の医師から説明を受ける。血液検査の結果に問題はなかった。リバスタッチパッチを休むのも一つの選択肢、メマリーに変更する方法もあるが救急外来で出すような薬ではない。私から、「副作用で苦しい日々を過ごすなら薬をやめてしまって、進行は早まっても安楽な生活が出来るようにするのは選択肢にならないか」と質問したら、「Y先生とよく相談して下さい」としか答えなかった。月曜日から土曜日にショートステイに行くのは問題ない。吐き止めの薬は三日分処方する。リバスタッチパッチは今夜からやめてみる。今後の薬についてはY先生と相談して下さいと指示された。
タクシーで帰宅。タクシーの中で吐き気がしたので、帰宅直後、ホットカーペットの上で吐き止めの薬を飲ませたら眠ってしまった妻。目が覚めたら長女が夜の薬を飲ませ、着替えさせてベッドに寝かせた。たまたま、長女がショートステイの準備をしに来てくれていたことで心強く、助かった。191216c.jpg

何となく朝焼けになりそうな雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.15)
(アルツハイマー)

日の出の方向の地平線には雲が多いが、何となく朝焼けになりそうな雲。191215.jpg

地平線の雲がパッと色づき朝焼けになった日の出前。191215a.jpg

今朝もハス群生地にオオハクチョウ、なにか動く黒っぽい点はおびただしいカモらしき群。191215b.jpg


『手ぶらで妻は「はーい」といい返事で階段へ』 (2019.12.15)
昨日朝の撮影から戻ると、「お父さんは私の何なの?」「えっ!」「お父さんは私のお父さんじゃないよね?」「子どもたちが私のことをお父さんと呼ぶからあんたもお父さんと言うこともあったが、あんたのお父さんは岩滑の中島幹さんだよ。私はあんたの夫」「私はあんたと結婚してたの?」「そうだよ。だからここに二人で暮らしてるでしょう」と言ったがまだけげん顔。私が夫であることが分からなくなったのは今回が二度目。お父さんと呼ぶと関係が分からなくなり、あんたとかあなたと呼ぶときは分かっているようだ。ちょっとびっくりした瞬間。
朝食後出掛ける仕度を始めたが化粧に手間取る妻。Rからの迎えの予告電話が来て急いで着替えすると、迎車が着いて玄関のチャイムが鳴る。手ぶらで妻は「はーい」といい返事で階段へ、「あっ、髪がもじゃもじゃ」と洗面所の鏡の前へ飛び込んだ妻、後ろから手提げ袋や玄関の鍵とお便り帳と昼の薬を入れた通い袋を持って追い掛けた私。玄関の外に待っていた迎えの人に「済みません、お待たせしました」と荷物を渡す。元気になって迎車に乗り込んだ妻。グループホームKに入るまでもうそんなに多くない朝の送り出し、せめて気持ちよく出掛けて欲しい。
午後ケアマネージャのMさん来宅。妻のここ一週間の状況や、来年になってグループホームKに入った後のことなどについて話した。妻の病状が徐々に進むにつれ出来なくなることが徐々に増え、私が代替してやることが徐々に増えた。私が一人で暮らすようになったときの家事や生活の仕方はその間に徐々に身につき、一人で生活するようになっても大丈夫と思うようになったと話したら、一人になっても写真撮影などの趣味はやめないで続けるようにアドバイスがあった。また、グループホームKに入って妻が外出で自宅に帰ってくるのはかまわないが、自宅に泊まるのは環境の変化で睡眠障害になることもあるから避けた方がよいとのこと。その他生活面での私の疑問にアドバイスして貰っていると妻が帰宅した。妻は、「今までお世話になったRやWの方に、最後の日にご挨拶したい」と悩んでいたことを話し、「職員の方にご挨拶するのはいいが、利用者のお仲間にはお話ししないほうがいい」とアドバイスされて納得。以後はそれが自分の意見でもあるかのように言うようになった妻。グループホームKに入った後のことについて妻は、「初めてのところだから、ホームのしきたりや規則、一緒に暮らすことになる人たちと早く慣れるようにしたい。自宅からも近いし、いい時期に入れたのは嬉しい。主人がちゃんと暮らしているか時々覗きにも来たい」と言っていた。
夜、早く寝るように急かせても、気分がハイになっているのか、たまった新聞を古紙に出すのに、日付順に積み上げ、干してあった洗濯物をたたんでいて、なかなか寝ようとしなくて私を困らせた。191215c.jpg

上空の薄雲の向こうは青空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.14)
(アルツハイマー)

上空の薄雲の向こうは青空。地平線の雲か霞みは高くまで上がって、日の出は遅くなりそう。191214.jpg

地平線の雲の上に日の出。出た途端眩しい太陽が水面に映る。191214a.jpg

撮影の帰り道、けたたましく鳴いたヒヨドリ。鳴き声を頼りに見回せば隣のお宅のアンテナに。191214b.jpg


『大笑いして「きょうはもう出たよ」』 (2019.12.14)
昨日朝、食事の支度が出来て妻を呼んだら二階から降りて、「長い夢を見ていたようだ。生まれてからずっといろんなことをしてきた。それをずっと思い出していた。私は今どこにいるの? ドラマの中か夢の中にいるみたい」「いつのこと?」「いつだろう、あんたが中国にいて私が先に引き上げたが、あんたはいつまでも帰ってこなかった」「私が天津に単身赴任したとき手伝いに来て、二ヶ月くらいいて帰った時のこと?、それとも、もっと前の天安門事件の時? 初めて天津に出張した時に事件が起こって、帰国できなくなって心配したときのこと?」「そうじゃないみたい。逃げて来たんだもの」「どこへ帰ってきたの?」「横浜なじゃなくて東京かな」「引き上げてきたのはあんたのおばさんと家族のことだろう。子どもを連れておばさんが満州から引き上げ、シベリアに抑留されてたおじさんが帰ってきて公安庁に入って、巣鴨辺りの引き揚げ者住宅に住んでたからだろう」「おばさんに聞いた話とあんたが中国から帰れなくなったことがごちゃ混ぜになっいて思い出せない」「あんたは今どこにいるの」「上野を出て柏を通ったら我孫子、私は我孫子にいるんだ」とやっと妄想か夢の中から我孫子に戻ってきた妻。最近、妄想の世界にいることが多くなった。
取手の病院で膵炎の検査をしてくれたG先生がY内科に来て検査二ヶ月後の診察。便秘で吐いたことは大腸スコープ検査をするほどでもない。検査結果から膵炎も今のところ大丈夫。Y先生が処方した薬を飲み続けるようにと指示されて一安心。
昼食後、近所に住む妻の親友Aさんから電話。「Aさんから電話だよ」と言って電話機の子機を渡すと、「Aさんって誰?」と私に言ってから「もしもし」。誰か分からないのを弁解するように「お久しぶりね。私体調がよくなくて足元がふらふらしてるの」と訴える。数日前に紅葉を見せに連れて行って貰ったことは忘れているようだ。Aさんがうまく対応してくれたのだろう、「あなたの家は坂を下って右に曲がったところ?」と訊ね、やっと親友のAさんだと分かったらしく楽しそうに話していた。電話が終わって10分もしてから、「さっき電話したの、誰だった?」「Aさんだったでしょう」「そうか」と言ったが何を話したかは憶えていないだろう。楽しかったという感情だけは残っていて明るい表情になった。
午前中に私が洗濯した物を妻が干すと言って私から取り上げたが、午後になっても籠に入ったまま。やっと干そうとしたら新聞が目にとまり、「まだ読んでない新聞があった」と座り込む。小一時間ほど経って「まだ全部字を読めるよ。忘れちゃいない」と言って立ち上がり「洗濯物、干してなかった。なんでも直ぐ忘れちゃってダメね」と言って、Rセンターで書いてきた習字を見せた。『温故』は中国語では記憶という意味だそうな。私がふざけて「うんこ」と読むと大笑いして「きょうはもう出たよ」と言って洗濯物を干し始めた。191214c.jpg191214d.jpg

天気予報は晴れだったのに上空は曇天

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.13)
(アルツハイマー)

昨夜見た天気予報は晴れだったのに上空は曇天。対岸の街灯が水面に映り、地上の灯りが上空の雲を染めた。191213.jpg

街灯が映る水面の向こう、丘の向こうを成田着便が数機旋回、一機ずつ成田に向かって下降して行く。191213a.jpg

日の出は見られず帰り仕度を始めたら雲間から落ち始めた光芒。191213b.jpg


『間違えてしまった初動対応』 (2019.12.13)
昨日朝5時、妻が脱水症状になっても困るから、水を飲んだらまた吐くのではないかと恐る恐るお湯割りのポカリスエットをコップ半分飲ませた。5時40分に吐き気がないことを確認し体温を計測すると37℃。6時50分に撮影から戻ると着替え中だった妻、吐き気はなく昨日より頭はすっきりしていると言う。だが、前日救急車で取手の病院に搬送されたことや、帰宅してホットカーペットの上に吐いたのも憶えていない。またお湯割りのポカリスエットを飲ませる。体温は36.8℃。いつもより体温が高めなのが気になる。
9時15分、Y内科に電話して救急搬送後のことや今朝の状態をを報告、水分不足になると体温も上がると看護師さんから聞く。Y先生は便秘以外にも脱水症状や膵炎再発を心配してだろう診察して下さるとのこと。10時過ぎにもお湯割りのポカリスエットを飲ませY内科へ行く。体温は36.9℃、Y先生の喉、胸部、腹部の入念な診察のあと採血、その結果膵炎再発の心配はなく、水をよく飲んで食事もきちっとするように指示される。土曜日に受診し、書いて貰う予定だったグループホーム契約時に提出する健康診断書も書いて下さり、土曜日の受診は無くなった。
帰路、久々に妻を連れての買い物。家電量販店でホットカーペットを購入、フードスクエアで食料品や昼食の鮨を購入、帰宅して遅い昼食。私が雑用でしばらく目を離した間に物置に入り込み、空きスペースを作るために棚の物を移動、床に置いた物を無秩序に出来た空きスペースに詰め込んでいた。「やめて」とつい大きな声で制止したら、「ここは長年私が整理してきたところ、ろくにやったことも無いあんたは知らないだけ、言われる筋合いはない」と物の移動をやめない。つい自制心を失い「やめて、やめて」を連呼。「私になにもやるなと言うのは、私は不要な人間になって、邪魔なんでしょう。私を追い出したくなったんでしょう。何にもするなと言うのは人権侵害だ。私は本気で怒った」と大荒れになる。やって欲しくないことを制止するのに初動対応を誤ってしまった。いつも、初動対応を誤ると手がつけられない状態になり、収まるまでしばらく時間がかかる。何に怒ったか忘れても、怒った感情だけは長く尾を曳く。
夕方になって、「今日、どこへ行ってきた?」「Y内科とKデンキとフードスクエア」「何しにY内科に行ったの?」「Y先生に診察と検査をしてもらい、水をよく飲んで食事もするように言われた。グループホームKに出す健康診断書も書いて貰った」「そんなこと聞いていなかったから知らない」と。健康診断書と契約に必要な物のリストを眺めていたが、「見ても分からない」と追求をやめた。近くにあった新聞が目に入ると熱心に新聞を読み始めた。
夕食後はご機嫌も治り穏やかな妻に戻っていた。風呂に入ったがなかなか出てこないので様子を見に行ったら、「温度を上げても暖かくならない」と言った。見ると給湯の温度を上げ、追い炊きの温度を下げてあった。日々出来なくなることが増えて行く。本人も気になっているのだろう「なんでこんなに出来ないことが増えるんだ」とぽつりと言った。191213c.jpg

霧の向こうの地平線にはいつもより高くまで雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.12)
(アルツハイマー)

濃い霧で明るくなるまではなにも見えない沼。岡発戸新田の突端と鷲野谷新田の自転車道が見えだし、霧の向こうの地平線にはいつもより高くまで雲があるようだ。191212.jpg

霧の中から沼を渡ってきたカワウ6羽、前を通り過ぎて岡発戸新田方向の霧の中に消える。191212a.jpg

霧の向こうの雲間から日の出、霧の中の日の出を撮ろうと近所の友が来る。191212b.jpg


『「我々はこれで戻ります」と帰った救急車』 (2019.12.12)
昨日朝5時、早朝の手賀沼撮影に出掛けようとすると玄関まで見送りに来た妻、「二階の雨戸を開けて手を振るからね」「寒いからそんなことしなくていいよ」「見送ることが出来る日が段々少なくなるからやりたいの」と階段へ急ぐ。自宅南側の葱畑の先に差し掛かるとベランダに出て手を振っていた妻。わたしも手を振って応えた。
撮影から帰ると二度寝していて目が覚めた妻、「横浜にいた頃の夢を見て、私はまだ横浜にいるの。ここはどこ?」「我孫子だよ」「あぁ、やっと戻れたよ。我孫子市高野山だよね」と、夢か空想の世界から戻って来た妻。
朝食の支度をして妻が来るのを待ったがなかなか来ない、やっと来たら、「風邪のように気持ちが悪い、吐きそうでトイレでちょっと吐いた」と言ってくる。検温したら36.4℃、インフルエンザではなさそう。とりあえず葛根湯を飲ませる。Y内科へ行こうと妻に着替えをさせようとしたが、ベッドにうつぶせになり「吐きそうだ」とトイレへ。少し吐き、戻ったらベッドの脇のゴミ箱に吐く。Y内科に電話し状況を話すと、「吐き気にはいろんな原因があり、膵炎の再発もあり得る。取手の連携病院に電話連絡しておく。紹介状もFAXしておくから救急車を呼んで行くように」と指示があり救急車を呼ぶ。
10事50分頃だったろうか、妻は寝間着のまま救急隊員に運び出され、救急車へ。隊員の指示で保険証、診察券、薬手帳を用意、ショートステイ用に常備してあった衣類の鞄と現金を持って私も救急車に同乗。自宅では何度か吐いてパニックになり、手足が震えていた妻は上がっていた血圧も下がり落ち着いてくる。病院に着くと病院に運び込まれ、残った隊員から、「受付窓口に案内しますから保険証と診察券を用意してちょっとここで待って」と言われ救急車の後ろで待つ。受付窓口で手続をしていると、「我々はこれで戻ります」と帰った救急車。待合室で一人ぽつんと待っていると次々と家族に付き添われた患者が受け付け窓口に来て忙しそうだ。1時頃、「これからX線撮影をします」と言って看護師が妻の履き物を持って行った。2時頃になって検査室の廊下に呼び出され、医師より「たいした問題はありませんでした。原因は便秘でした。下剤を3日分処方します。それでも症状が残るようなら内科を受診して下さい」と言われ、金曜日に内科のG先生がY内科に来られて膵炎の診察予約がしてあると伝えると、「そのとき一緒に見て貰って下さい」と言って忙しそうに検査室に消えた。それから1時間ほど待って、車いすに乗せられた妻が戻ってきた。会計に向かう途中、妻に「たいした問題はなさそうだ。原因は便秘だった」と言うと、急にトイレに行きたいと言い出し、個室のトイレへ。かなりの量の排便。帰宅のタクシーの中で吐きそうなり、帰宅しておかゆを少しと薬を飲むと、しばらくしてホットカーペットの上で吐く。使い古したホットカーペットは買い換えることにした。191212c.jpg

雲の隙間が広がって朝の光が沼に落ちてくる

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.11)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台から沼を見ていたら、小さな雲の隙間が広がって朝の光が沼に落ちてくる。191211.jpg

コブハクチョウの子ども6羽が揃って岡発戸新田の釣堀の方へ泳いで行く。釣堀の前にはまだ親らしき姿は見えない。191211a.jpg

日の出は雲の隙間の薄雲の中。今朝もくっきりと見えたネコの木。191211b.jpg


『迎車が近づいてきたら深々とお辞儀』 (2019.12.11)
昨日早朝、手賀沼撮影から戻って妻の様子を見に行けば、「今日は月曜日?」「火曜日だよ」「だったらRに行く日だ、もう起きなきゃ」「どうしていつも月曜日だと思うの?」「月曜日はどこへも行かないからゆっくり寝ていられるでしょう。月曜日だといいなと思うじゃない」「Rに行くのがいやなの?」「いやじゃないけど段々面倒になってきた」「グループホームKに行くとRにもWにも行かなくてよくなるよ」「出掛けることを心配しなくてもよくなるものね。それは嬉しいよ」と言う。
朝食までの時間の合間にパソコン作業をしていたら、「確認して欲しいんだけど、私たちに子どもが二人いたよね。どこに住んでいるの?」「八王子と横浜」「上が八王子、下が横浜、思い出したよ」「今日はすっと思い出したね」「私たちどちらかの娘の子どもを預かっていない?」「預かっていないよ」「さっきまで夢を見て、預かった子どもが何処かに行っちゃって困っていた。子の神大黒天の近くの丘の上の保育園に預けていたような気がした」「そこってグループホームKの辺りだよね。そこへ入るのはあんただよ」「夢の中では子どもを預かっていて、いなくなっちゃって困っていた」「保育園に預けるような子どもはいないから心配ないよ。孫たちはもう大学生と高校生と中学生だもの」「なんでそんな夢を見たんだろう?」「この間、横浜に引っ越した頃にA(長女)を預けるのに苦労したことを思い出していたから、また子どもを預ける夢を見たのかな」「わたしを預かって貰うところは何人で住むの?」「定員は9人」「一人出る人がいてあんたに順番が回ってきた」「近いところでよかったね。いつから入るの?」「まだ決まっていないけど1月の上旬かな」といった会話が続き、話しはいつもグループホームKに行くことになってしまう。妻もグループホームに入ることを気にしていていろいろ空想し、その内に現実のことと区別が付かなくなるようだ。
Rから迎えの予告電話がきたら待ちきれなくなった妻。玄関前の道路脇で迎車が近づいてきたら深々とお辞儀する。191211c.jpg

雨は止み朝の光が差し込む明るい雲間

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.10)
(アルツハイマー)

雨なので止んだら出掛けようと外を眺めたら、雨は止み朝の光が差し込む明るい雲間。急いで桃山公園の高台に行って曇天の沼を撮る。191210.jpg

明るい雲間が閉じて間もなくまた降り出した沼の向こうの雨。対岸の丘が白く雨に消え始め、こっちを向いて浮き上がって見えるネコの木。191210a.jpg

沼を渡って高台にも降り出した雨。雨に濡れた公園出口のドウダンツツジが鮮やか。191210b.jpg


『私には私流があるのよ』 (2019.12.10)
昨日午前中、Y内科に出掛けようとしたとき、「どこへ行くの?」「Y内科」「何のために?」「薬がなくなるから診察を受けて、グループホームKに入れて貰うための健康診断書を書いて貰いに」「Y内科ってどこだった?」「天王台駅近く」「駅の向こう側?」「こっち側」「家を出て359に右折して、信号を左折して郵便局の前を通ってまっすぐ行ったら天王台駅。どっちに曲がるの?」「右」「分かった、いつも行く病院だ」「どうして目を瞑って指さしながら道の実況中継をするの?」「実況中継じゃないわよ。家を出て頭の中の地図の上を歩いているのよ。そうすると行き先のことを思い出せるのよ。いきなりY内科って言われたって思い出せないじゃないの」と。今まで不可解だったことが何となく分かった気がした。以前、空想の世界から引き戻そうとしたとき、「今、岩滑(妻実家の場所)の前の道を歩いている。急に我孫子のことを言われたって戻ってこれないじゃないの」とか、「横浜の片倉台団地に入ったばかりの時の事を考えていた。今、神大寺から六角橋商店街まで来たところ」と言ったのは、頭の中の地図に従って思い出そうとした場所まで移動しないと思い出せないと言うことか。Kセンターのことを思い出すのに、自宅からの道を頭の中の地図に沿って辿ると思い出し、W園のことはKまで行ってそこからWへの道を辿ると分かるのも、記憶に辿り着くための妻なりの方法なのかもしれない。
夕食前の時間の隙を見付けてパソコンの前、少し遅れたかと台所へ行けば食卓に並べてあった宅配弁当やデザートのブドウ、夕食には食べる予定になかった冷凍食品や朝食用のサラダなどこれ以上並べられないほど並んでいた。すまし顔でテーブルの前に座っていた妻の前で、「これは朝食用のサラダ、これはお昼の冷凍食品、これは別の日のデザート。冷蔵庫に戻そうね」と言いながら冷蔵庫に運んだら絶句。冷蔵庫の中のレイアウトが様変わり。空きスペースを見付けて詰め込んでいるから頻繁に使うものが奧にあったり、すっかり変わった入れ場所に買い物に出掛ける前の残量確認もしにくくなり、急ぐ朝食の準備でも探すのに戸惑うこと必至。またやってくれたか思って私の表情が変わるのを読み取ったのか、「あんたはこのごろ買ってくるだけの人、私は長年台所仕事をやってきた人。私には私流があるのよ」と先制攻撃。参った参った。認知症発症以前は空きスペースにものを次々詰め込んで置き場所が変わっても憶えていた。物忘れが始まっても長年の習性は変わらず、目まぐるしく変わる置き場所に自分でもついて行けず、あちこちから同じものが出て来るようになった。私が買い物に同行するようになり、やがて私一人で買い物をするようになっても物の収納を妻流に変更するので、物探しが私の仕事のかなりの部分を占めるようになった。191210c.jpg

早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.9)
(アルツハイマー)

5時30分になってやっと東の空が微かに色づき始め、まだ星が幾つか見える。早朝から沼を渡る風が吹いていて暗い水面。191209.jpg

コブハクチョウの子どもが二羽飛来したら、岸辺の葦の陰から出てきた親子六羽。岸近くに見え隠れしながら岡発戸新田の釣堀の方に消えた。191209a.jpg
やがて雲の上に日の出、出たら眩しいが直ぐ上にはまた雲。191209b.jpg


『私の字だから私が書いたに違いないけど』 (2019.12.9)
早朝の撮影から戻るとベッドに腰掛けてノートを広げていた妻、テレビで雪かきの場面が映し出されたら画面を指さし「おお寒い」と言ってベッドに上がり足に毛布を掛けた。「これ、私の字だから私が書いたに違いないけど、私は病院に入っていたの?」、9月2日の日付を見て「入院していたよ」「どうして?」「8月29日夜にお腹が痛くなって救急車で運ばれそのまま入院したよ」「入院してたことは憶えてないけど、救急車に乗って市役所の角を曲がったこと、誰かが入院って言ったのをきいたような気がする」「何度も話しているけど、入院したことは直ぐ忘れちゃうね。退院して帰った日にも、夜になったらどこから帰ってきたか忘れて、病院にいたことを思い出せなかったよ」「全然憶えていない」と不思議そうな顔をする。つらく、いやなことだったので消し去ってしまったのだろうか。信じられないというように首を横に振りながらノートのページををめくっていた。
二度寝してしまったと言ってパソコン作業をしていた私の前に来た。「あなたの姓は何だった?」「今村だよ」「私は子どものころ中島さんって呼ばれていたのに、なんで今村さんって呼ばれるようになっちゃったの?」「私と結婚したから」「そうだよね。なんで子どもの頃中島さんで今は今村さんか考えていたら分からなくなっちゃた」と言って、暫く経ったら「子どもはいたの?」「娘が二人いるじゃない」「えっ、二人も?」「Aが長女で、Lが次女」「どこにいるの?」「八王子と横浜」「場所を聞いたら段々分かってきた。今、八王子の道にいるからもう直ぐAの家、道は思い出したけど子どもの顔を思い出せない」と独り言。「あっ、思い出した。嬉しいね、こどもがいるのは」と、段々目が覚めてきたようだ。それにしても私が夫であることが分からなくなっていたとはびっくりだ。最近、二度寝すると夢を見ているようなことを言うようになった。
朝食後に始動しておいた洗濯機が止まったら洗ったものを干してくれと頼んだが、案の定忘れてテレビを見ていた妻。「洗濯機が止まったから干して」と頼んでしばらくしたら半泣きの顔で戻って来た。「洗濯物を干すのにベランダの手摺りを拭いていたら埃で雑巾が真っ黒になった。私が何にもしなくなったから、こんなに汚れた家にあんた一人を残して行くと思ったら悲しくなって泣けてきちゃった」と言って雑巾を見せた。「大丈夫だよ。この前洗濯したときも拭いてくれたけど、風の日があって畑の泥が飛んできて、その後雨も降った。心配しなくていいよ」と言ったがなかなか泣き止まない。グループホームに行くことになって、自分が行くことは受け入れたが、私が一人残っていて困らないかあれこれ考えているようだ。191209c.jpg






オレンジ色に染まった東の空と沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.8)
(アルツハイマー)

未だ暗い桃山公園の高台に立って数分も経ったろうか、オレンジ色に染まった東の空と沼。191208.jpg

岸近くを泳いで行った三羽のコブハクチョウの子、岡発戸新田の釣堀近くに来ていた親子5羽に合流。191208a.jpg

やがて輝きだした地平線の雲の縁、雲から登れば眩しい日の出。191208b.jpg


『私はいつからここに来たの?』 (2019.12.8)
昨日朝、撮影から戻って妻の様子を見に行くと、ベッドに腰掛けテレビを見ていたが雪景色が映し出されると、「おお、寒い。雪が降ってる」と言って布団に潜り込んだ。「今日は月曜日?」「土曜日だよ」「火木土の土曜日か、Rに行く日だよね」「そうだよ」「じゃぁ、起きなきゃ」と言ってやっと布団から出た。
朝食を食べながら「私はいつからここに来たの?」「ここってこの家のこと?」「そう」「もう38年くらい前、横浜から引っ越してきたよ」「そんなに前じゃない、最近来たよ」「それじゃ、入院したりWにお泊まりに行ったときのこと?」「えっ、入院してたの?」「8月29日に救急車でT病院に運ばれて、9月13日まで入院してたよ」「全然憶えてない。WはRの近くで1号室に泊まってたけど、どのくらい泊まってたたの?」「10月に5泊6日、11月にも5泊6日」「また泊まりに行くの?」「12月も16日から5泊6日、1月になったらグループホームKに行くことになってる」「Kってどこだった?」「消防署の先、一緒に見学に行って、いいところだから入居の申し込んできたよね。空きが出たから入れてくれることになったの」「分かった、ずっと泊まるところね」「そう、そこに入ったら、ここから近いから、私が散歩の途中に寄って会うことも出来るし、外出して一緒に食事に行くことだって出来るよ」「私は大丈夫だけど、あんたが一人になったらここに住むんでしょ。ちゃんと掃除して、洗濯もやって、ご飯もちゃんと食べなきゃダメよ」と、この話になると毎回一人で暮らすことになる私のことを心配してくれる妻。
「もう8時20分だよ、9時には迎えに来るから仕度しなくちゃ」と言うと着替えとお化粧をしに二階へ上がっていった。Rとの間の通い袋に昼食後に飲む薬を入れ、玄関の鍵と一緒にテーブルの上に置く。テレビを見ていたら睡魔に襲われ居眠り、遠くで鳴る電話呼び出し音に応答しようとしたら妻が二階で先に応答。「10分後に来るって」と言って降りてきた妻の手荷物をチェックして、鍵と通い袋を手渡す。元気よく迎車に乗り込み、発車したら手を振っていた。4時30分頃戻ってくるまでの間が、自分のことと家の中の雑用。妻が心配する一人で生活する最低限の術はこの時間の中で一通り出来るようになったと思うが甘いかな。191208c.jpg

のっぺりと空一面を覆う雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.7)
(アルツハイマー)

暗い曇天の朝、桃山公園の高台に着いたのは6時だったが、いつまでも暗い沼には鳥もいないし撮りたい景色も見つからない。のっぺりと空一面を覆う雲、所々地上の灯りに照らされたて僅かに黄色。191207.jpg

土曜日でも下の沼沿いの道は車が多い。山裾に遠くで点滅する灯り。191207a.jpg

望遠で撮ったら点滅していた灯りはスカイツリー、東京はもう雨か霞んでいる。191207b.jpg


『懐かしいね、手作りのお料理』 (2019.12.7)
いつもは宅配弁当だけの夕食がいつになく豪華だった昨日の夕食。夕方、写真友だちからいただいた里芋、人参、鶏の手羽などの煮物と白菜の漬け物。食卓に並べたら、「懐かしいね、手作りのお料理」と妻。「ガスコンロが壊れちゃってからお料理が出来なくなっちゃったものね、うちじゃぁ出来ないね」と言いながら小皿に取った。里芋を一口食べて「おいしい」と。
料理をしていることを途中で忘れ何個かの鍋を焦げ付かせ、近くにおいた鍋つかみ用のグローブを焦がしたり失敗も増えて来て、あるとき衣類の袖を焦がしてからガスコンロを使うのを止めた。私が見ていないときについ使ってしまうので娘とも相談して点火用の電池を抜き元栓を閉めた。妻にはガスコンロが故障したからと説明してから久しい。時たま「ガス会社に頼んで直して貰おうか」と言われると、妻から料理することを奪い、嘘をつき続けていることが後ろめたくなる。最近は自分の物忘れ対策でガスコンロを使えなくしてあるとうすうす気付いているらしい。グループホームに入ることになってからの生活について話し合っていたときに、「ガスコンロは直さなくていいよ、私がいなくなって使い慣れないあんただけになったら消し忘れたりして危ないから」と言ったことがあった。私が電子レンジで出来る料理は単身赴任時代に憶えた冷凍食品の解凍がほとんどだったが、最近は半熟の玉子や焼き芋だってできるようになった。そんな私を見ている妻は、「スーパーに行ったら出来たてのお総菜もいっぱい売ってるし、冷凍食品のまとめ買いじゃなくてちょっとずつ足繁く買いに行った方がいいよ。一人になって手抜きばかりしちゃダメよ」と私のことを心配している。
私が気にしすぎているかもしれないが、妻が水の飲み方が少なくなったときは喉が渇いていないと言うし、ぼんやりと空想の世界に入り込むことが多い。ここ二日ばかりは水をよく飲んだからか、「頭がすっきりしてきた」と言って行動も積極的にななった。医学的には常識になっていないかもしれないが、一関単身赴任時代にお世話になった友のコメントも参考にして、水にこだわっている。
『認知症入居者が多くいる施設経営者が一日1500リットル飲んでいると確実に症状が改善すると言っていて、介護業界では常識化しているようすでした。他方、知り合いの精神科医からはそんなの常識になっていないとの指摘もうけました。たしかに認知症の患者も扱う精神科医が知らないのであれば、まだ、「常識」にはなっていない様子。逆に無理やり飲ませたら誤嚥のリスクが高いという指摘も受けました。しかし、多くの方を接している施設が採用しているようなので、理論はどうあれ、実践的に改善するのであれば、やってみるにこしたことはないだろうとは思います。施設では無理に飲ませるのではなく、ジュースとかお茶とか普段の生活で水分を多くとるようなライフスタイルにしているとのこと。(2019.11.2 渡辺清文さんより)』191207c.jpg

街灯の光が漏れる高台風景

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.6)
(アルツハイマー)

桃山公園の高台に着くと沼を撮るにはまだ暗すぎ、街灯の光が漏れる高台風景を撮る。先月亡くなった森かずおさんに連れられて18年前、初めてここから沼を撮影した。当時は松林の枯れススキを掻き分けて杉林に入り、林床に落ちた枯れ枝を踏みながら林を抜けると眼前に広がっていた沼に感動したことを思い出す。今では公園になって誰でも簡単に撮影に通えるようになった。191206.jpg

ようやくカメラのピントが合い始めて撮った曇天の下の沼。成田着便の灯りが何機も旋回し、一機ずつ空港に向かって下降。191206a.jpg

遠くハス群生地にいつもより少ないオオハクチョウ。191206b.jpg



『雨戸を開けて手を振っていた妻』 (2019.12.6)
昨日朝、着替えていて気がついた。洗濯が終わったものを分類もせず積み上げ、着る時に引き抜いていたのが四つに分類してきれいに積んであった。妻が雨戸を閉めに私の寝室に入ったときやってくれたようだ。妻の様子を見に行き、「私の衣類を整理しくれてありがとう」と言ったら、「憶えてないけどやってあったのならそういうことに気がつくようになったんだ。風邪が治ったような気分で頭がすっきりしてる。いろんなことに気がついてやろうとする気になった」と、二日続けて夜の水をよく飲んだ効果だろう。だが、「今日はどこへ行くんだった?」「Rに行く日だ」「Rってどこだった? いつから行ってる?」といつもの問答。「目が覚めたら思い出すよ」と言って早朝の撮影に出発。玄関まで見送りに来て、「二階の雨戸を開けて手を振るからこっちを向いてね」と言って階段へ急いだ妻。自宅南側にある葱畑の先を歩いていたら、雨戸を開けて手を振っていた妻。手を振って応えると寒かったのだろう間もなくガラス窓を閉めた。
帰宅すると、家中の雨戸を開けてから、Rへ行く持ち物の仕度をしていた妻。「Rってどこ?」とからかったら、目を閉じて地図をなぞるように宙を指さし自宅からRまでの道を説明した。Rから迎えの予告電話が来ると待ちきれず自宅の前に出て待ち、元気に出発した。
Rから帰宅してしばらく新聞を読んだ後、「いつから新しいところに行くことになった?」「まだ契約が済んでいないから決まっていないけど1月上旬だと思う」「いつ契約するの?」「9日にY内科で健康診断書用の検査をして、19日にA(長女)が来て私と一緒に契約に行く」「近くに入れることになってよかったよ。私は他人とはうまくやれるから心配ない。他人と一緒に暮らすのは学生の頃の寮生活や職場で経験してるから」と、自分に言い聞かせるように話す妻。「いつ家に戻れるの?」「子どもたちが泊まりに来たり正月などは外泊届けを出して家に戻れるよ。私と一緒に外出して、家に寄ることだって出来るよ」「そうだね、その方があんたも私も楽になるね。たまには家に見に来ないとあんたがどんな生活をしてるか心配になるものね」と、もうグループホームに入った後のことを話す。昔から、私よりも気持ちの切り替えが早く、一旦決めたら前向きに走り出す妻の性格は全く変わっていなかった。191206c.jpg

早起きのコブハクチョウたち

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.5)
(アルツハイマー)

地平線の空がオレンジ色に染まり始め、沼に映ってオレンジ色の水面。早起きのコブハクチョウたちが岸沿いに泳ぎ通り道を譲ったコガモたち。191205.jpg

刻々と色濃く染まる地平線の空と沼、風が沼を渡り通り道はブルー。191205a.jpg

眩しい日の出、南に斜めに向かいながら昇る太陽が鉄塔の天辺に乗った。191205b.jpg


『十数年前を思い出して語り始めた』 (2019.12.5)
昨日早朝、手賀沼撮影に出掛ける前に妻の様子を覗きに行ったら、目は覚めてテレビを見ていたが寒いから起きるのはいやだと布団を顔まで引っ張り上げた。「朝食が済んだら桃山公園に散歩に行くから7時になったら起きてね」と声を掛けたら、「はーい」と手だけ布団から出して振っていた。
撮影を終わって友と歩いて戻る自宅近くの道、「奥さんが手を振っている」と教えてくれた友。葱畑の向こうて2階の雨戸を開けながら手を振っていた妻。庭のオカメザクラの木にヒヨドリ三羽が来て止まり、撮っていたら、私に教えようとして指さしながらベランダに出てきた妻、撮っていたヒヨドリには逃げられてしまった。
朝食後、妻を誘って桃山公園に連れ出すと、沼を眺め「藤棚の下を通って遊歩道に出て、滝下広場を通ってどんどん行って、終点の橋でラジオ体操をして帰ってきたんだ」と十数年前を思い出して語り始めた。公園の広場を一回り、近所のコンビニに寄って昼食のそば、朝食用のパンやサラダを買って帰宅。
昼食のあと、近所の妻の友人が紅葉を見に行こうと妻を誘ってくれ、助手席に乗せてもらって紅葉を見たり、曙調整水門から沼を見てきたと。帰り道スーパーで買い物をした友だちに借金し、パン、おでん、羊羹、クッキー、煮豆の総菜を買ってきた。うかつにも「今朝散歩の帰りコンビニでパンを買ったよね」と言ってしまった。笑いながら妻が「忘れちゃった、このごろはみんな忘れちゃうんだな」と言ったら、「冷凍にして置けば賞味期限が過ぎても大丈夫」と横から助け船を出してくれた妻の友だち。「羊羹は娘が来たときのお土産、おでんはそのとき食べるの」と言っていたが、食パンをいつも置く場所に持って行ったら買ったばかりのパンがある。パンは買ったばかりだったと私が言ったことで失敗を指摘されたという思いが残っていたのだろう、「私って馬鹿ね、また同じもの買って来ちゃって怒ってるんでしょ。悲しいよ、こんなに直ぐ忘れるようになっちゃって」と言って泣き出す。いつまでも泣いているので、リンゴ黒酢を水で薄めバウムクーヘンを一切れ添えて渡したら、一口飲んで「おいしい」と笑顔になって泣き止んだ。
夕食前に食パンが二袋あるのを見て、「どうしてこんなにたくさん買っちゃったの?」と私を問い詰めるような口調。もう泣かせないようにしようと思って、「ごまの入ったパンがおいしそうだったからね」と答え、朝買ったパンを冷凍庫に入れた。「今日は散歩で桃山公園から手賀沼を見たし、Aさんに連れて行ってもらってまた沼を見て、よく沼を見た日だね」と言ったら、「えっ、誰と行ったの? 憶えていないよ」「私と散歩に行ったし、Aさんの車に乗せてもらってまた行ったよね」と言ったらしばらく考えて、「Aさんが来たような気がする」と言ったが手賀沼を見に行ったことは思い出せなかった。191205c.jpg

地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.4)
(アルツハイマー)

いつもより早めに桃山公園の高台に立てば、まだ上空に残っていた幾つもの星。地平線がオレンジに色づき始めたら消えた星。191204.jpg

オレンジ色に染まった沼を風が渡れば水面はブルー、やがて地平線の雲から眩しい日の出。191204a.jpg

雨戸を開けようとして帰宅する私を見付け手を振る妻。オカメザクラの木に数羽のヒヨドリ、撮ろうとすればベランダに出てきて指さす妻、逃げちゃったじゃないかヒヨドリが。191204b.jpg


『車が来たから行ってくるよ』 (2019.12.4)
昨日朝、妻の様子を見に行こうとすると階段に水差しとコップが置いてあり、昨夜は全く水を飲んでいなかった。とりあえずコップ一杯飲ませる。私が近所の公園に写真撮影に出掛けようとすると、見送りに玄関まできて手を振っていた。
帰宅するとRへ持って行く予備のショーツがないと探していた。まだ失敗はしていないが失敗することを極端に気にし始め、通販で購入しておいた尿漏れ吸水機能のあるショーツも箱に入ったまま見当たらなくなった。二人で探したら、段ボール箱に入れ上に衣類が乗せてあるのが見つかり、安心のため使い始めることにした。
9事20分にRから迎えの予告電話、10分後迎えの車が来るのが見えたら指を差し「車が来たから行ってくるよ」と車に乗り込んだ。スタッフの方が降りてきて、バッグの中に玄関の鍵がないと言ってきた。家中を探したが見つからず、妻が手に持っているのが分かって無事出発。周りの騒ぎを聞き流し鍵を握ったまま座席に座っていた妻。
4時30分、デイケアから戻って来たらよくおしゃべりはするが、何かやろうとしても何をやろうとしていたのか忘れてしまう。夕食の仕度を始めたら積極的に介入しようとするが、頼んだりやって欲しいことはやってくれず、やって欲しくないことに手を出す。夕食は宅配弁当にスープと若干の果物を添えるだけなのに、冷蔵庫から次々食品を取りだして並べる。「これは朝食べようね」「これは昼に食べようね」と言って冷蔵庫に戻す私。以前は「やめて」と言うと「叱られた」と言って泣き出した妻を見て、もう言うまいと決心したがたまには禁句が出てしまい妻を泣かせることもあった。
グループホームKの方が健康診断用紙を届けてくれ、9日のY内科診察日に検査してもらうことにしたと夕食中に妻に話した。一瞬Kのことが分からなかったが場所の説明をしたら思いだして「早く入れることになってよかった。私は大丈夫だが、あんたが一人暮らしになってちゃんと食事や洗濯が出来るか心配だ。ごめんね、私がこんなになっちゃって」と言う。妻が何度か言っているように、「自分の状態と周りのことが分かる内に施設に入った方がいい。分からなくなってからだと自分がどういう行動をするかわからない」と言うのは正解だと思う。10分経つと忘れるが、五分くらいまでだとまともな会話が出来る。191204c.jpg

東の地平線に沿ってちょっとだけ青空

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.3)
(アルツハイマー)

天気予報は晴れなのに、桃山公園の高台に立てば上空に黒い雲。東の地平線に沿ってちょっとだけ青空。191203.jpg

青空が見える雲の隙間が大きくなって、上空に迫ってきた黒く低い雲、ポツリポツリと落ちてきた雨。191203a.jpg

地平線の雲の上に日の出、眩しくて辺りの景色は暗転。191203b.jpg



『グループホームに入る決心をした妻』 (2019.12.3)
ブログにアルツハイマーを病む妻のことを書き始めたのは7月14日、ケアマネージャMさんから紹介されたグループホームVとKの二ヵ所を見学して申込書を提出した日だった。昨日午前中Kから電話、「空きが出ましたがいかがいたしますか」と。咄嗟には返事できなくて数日の猶予を頂いて妻に話した。自宅からの地図を書いてやるとおぼろげながら施設を訪問したときのことを思い出した。9月に16日間入院して以来、急に認知機能が低下し始め、物忘れや出来なくなったことが増えたことを自覚している妻は、「何も分からなくなってからよりも、まだ自分のことや周りが分かる内にグループホームに入った方がいい」と言って決心、地図の脇に「よろしくお願いします」と書いてサインした。早速、ケアマネージャのMさん、娘二人に連絡し二人も喜んで同意、Kに電話でお願いすることにしたと連絡した。契約には健康診断書が必要と聞いてY内科に電話して9日の受診時に必要な検査をお願いした。これで先々に対する不安が一つ解決できほっとしたことと、長年一緒に暮らした妻と別々に暮らすようになる寂しさが入り交じった複雑な気分。ブログを書き始めちょうど100回目を書いた日だった。
昨日朝、妻の様子を見に行くともう目覚めてベッドに腰掛けていた。テレビのリモートの使い方が分からなくなったと私にリモートを差し出し、テレビを点けた。桃山公園に撮影に行き、戻って朝食の支度をしていると、二度寝したらしい妻が台所に降りてきて手伝ってくれたが、前日まで出来ていたことが出来なくなり戸惑う妻に、出来そうなインスタント味噌汁に湯を注ぐのを頼む。湯を注ぐ気配がないので振り返ると涙ぐんでポットの前に立っているので、「どうしたの?」と声を掛けたら、「こんな自分じゃなかったのに、悲しいよ」と涙ぐむ。日々認知機能が衰えてゆくのを自分でも分かっているだけにつらい妻、どうしてもやれない私の苛立ち。
夕食時にグループホームKのことを話すともう忘れていた。もう一度最初から話し、二人の娘も安心できると喜んでいたと言うと、「それを聞くと嬉しくて涙が出るよ」と言う。「Kに入っても近いからしょっちゅう私が会いに行けるし、娘たちや孫たちが来るときは外出や外泊で家に来ることだって出来る」と言えば、「私は学生の頃寮にいて一人でいることに慣れているよ。それより男のあんたが一人暮らしする方がよっぽど心配だよ」と笑っていた。191203c.jpg

霧が出てうっすらと見える対岸

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.2)
(アルツハイマー)

曇天だからいつもより遅く桃山公園の高台に行く。霧が出てうっすらと見える対岸。コントラストの少ない沼風景はピントが合いにくい。191202.jpg

霧は更に濃くなって、ネコの木の上の雲間が赤くなり、またすぐに消えた。191202a.jpg

帰ろうとすると、霧の中から沼を渡って飛んできたカワウ。利根川に向かうのだろうか。191202b.jpg


『ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた』 (2019.12.2)
昨日早朝、妻の様子を見に行ったら前日の新聞を見ながら、「よく眠れたから頭がすっきりしている」と言った。「今どこにいるの?」とからかうと「我孫子の自宅。ちゃんと分かってるでしょう。今朝はどこにも行っていないよ」と言って、ふざけてもう一つ眼鏡を掛けて顔を上げた。
朝食の支度を始めたら、「また眠っちゃった」と言いながら台所に来て、「あとは私がやる」と割り込んできたので後ろに下がって見ていた。サラダを盛りつける器が小さすぎると食器棚に行って持ち帰ったのはもっと小さな器だった。入れるものの量を見てから食器を選ぶまでに、入れるものの量を忘れてしまうのだろうか。冷蔵庫から食品を取り出すときも、食べる量にふさわしくないほどいろんなものを運び出して並べる。「そんなに食べられないでしょう」と言ったら、「分からない。考えてから支度することなんかできなくなった」と言い訳。言い訳じゃなくて今の妻は本当にそうだろうなと思った。食事が終わるとテレビの前に座り込み、今日は洗濯と掃除をすると言っていたことは忘れてしまったようだ。
昼食の近くになったら、パソコン作業中の私のところに冷凍のスパゲティも持って「お昼、これでいい?」と聞きに来た。一昨日の昼食と同じものなので、「友だちにもらったばかりの餅があるからそれにしようか」と言ったら一旦戻り、「さっき何を食べると言われたか忘れちゃった。これだった?」と言って冷凍のチャーハンを持って来た。一緒に台所に降り、単身赴任時代に憶えたメニュー、どんぶりに餅と薄めためんつゆを入れ電子レンジで加熱し、若干の具を入れる方法を説明しながらやってもらった。「ガスコンロがあればもっと楽なのに、今度ガス会社に直してもらってね」と言った妻、何度か危ないことがあって点火用の電池を抜いて、妻には故障したと言ってあった。うすうす私の嘘を見抜いていたのか、「一緒にいるときだけ使うようにしたら危なくないよね」と呟いた。
宅配便が届き、直後に宅配弁当が届き受け取った請求書を私のところに持って来て、戻ると回覧を見ていた。気がつくと私の妹から来た冷凍食品のお歳暮を開けたまま放置して回覧を読んでいた。早く気がついたので冷凍食品が解凍されてしまうことはなかった。
9月の入院以来認知症が一気に進んで、やって欲しいことは忘れ、やって欲しくないことは繰り返してやる。私が後始末を始めると、「忘れることが増えて、できなくなったことばかり。頭が馬鹿になっちゃったのが悲しい」と涙ぐむ。自分でも急速に進む認知機能低下を自覚して、悲しみ苦しんでいるようだ。191202c.jpg

空一面を埋め尽くした雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.12.1)
(アルツハイマー)

空一面を埋め尽くした雲。地上の灯りが雲を染め、沼に映って明るい水面。191201.jpg

地平線の雲間から覗いた瞬時の日の出、対岸から伸びてきた光の架け橋。191201a.jpg

雲の向こうを太陽が昇り、雲間から吹き出した光芒。191201b.jpg

『遠いところからよく来て下さいました』 (2019.12.1)
昨日早朝、妻の様子を見に行くとベッドの上にむっくり起き上がり、「何を着せてやったらいい?」「誰に?」「小さい子が来ているでしょ」「小さい子って?」「孫が来ているでしょ、何を着せて送り出せばいい?」「孫なんか来ていないよ。家には私とあんただけ。孫はみんな大きくなって大学生と高校生と中学生だ」「そんなに大きくなったなんて知らない、このごろ見てなかったから」「心配しなくたっていいよ」「娘たちが大変だろうから手伝いに行っていたの」「昔はね。今はこっちが手伝いに来てもらってるよ」「孫をRに連れてってやらなきゃ」「Rに行くのはあんただよ」「孫じゃなくて私かね。Rって保育園じゃなかった?」「利根川沿いに下ったところ・・・」「分かった、私が今日行くところだね」と、やっと現実の世界に戻ってきたようだった。
撮影から帰宅して妻の様子を見に行くと着替え中。サイドテーブルの上になくした老眼鏡が乗っている。早朝にはなかったのに。「老眼鏡、どこのあった?」「知らない」と、どこで見付けたか憶えていない。たたんでベッドの脇に積んであった衣類の間にでもあったのか。
Rから迎えの車が来て、担当者から「電話したが出なかった」と言われたが、電話の着信には気付かなかった。
妻帰宅の1時間ほど前にケアマネージャのMさん来訪。ブログを見ておおよその状況はご存じなので、今後のショートステイの予約、認知機能が進行した場合のデイケアからデイサービスへの切り替えなどのアドバイスを頂いた。前回のショートステイの二日目、いつまで滞在するかと妻が質問し、Tさんが予定を書いてくれたら滞在が長くなった、留守中に私が倒れたら困ると泣き出したらしい。担当の方が散歩に連れ出し、Mさんが外出から戻ったときは明るい表情になっていたとのこと。出発の朝、妻の予定表が何度も書き直し分かり難いので私が書き直したら、急に予定を変更したと誤解して大むくれ、その感情を引き摺って出掛けたからだろう。Tさんには迷惑を掛けてしまった。妻が帰宅して、Mさんがいたから大喜び、「遠いところからよく来て下さいました」とあいさつ。同じ思い出話しを何度でも聞いてくれるMさんを大歓迎。
FAXを送ろうとしたら電源が入っていない。電源コードを辿って見たら電源コンセントのスイッチが切ってある。電源をONにしてもテレビのリモートは動作しない。電池が切れたかと蓋を開ければ電池の一本が逆向き。推察するところ、リモートを落下させ電池が飛び出して、直そうと電池を装着したが逆向き。テレビの電源を切りたくても電源が入ったままだからコンセントで電源を切ったのだろう。今朝Rに出掛ける直前、「テレビが言うことをきかない」と言っていたのを思い出した。191201c.jpg