地上の灯りが雲を染め、沼を照らして明るい夜明

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.16)
(アルツハイマー)

地上の灯りが雲を染め、沼を照らして明るい夜明け。やがてあたりが明るくなれば、沼も空もグレー一色。191016.jpg

昨日ヒヨドリ数羽が賑やかに鳴いていた柿の木、今朝の撮影の帰り道に見付けたヒヨドリたちの宴の跡。よく見れば、食べかけの実にはアリやハエ。191016a.jpg

妻の腹部CT検査のためにタクシーで利根川を渡って取手へ。船取線から国道6号線に出るといつも以上の大渋滞、北新田が水没して農道を迂回することが出来なくなったからだと年配の運転手。車窓からちらりと見えた北新田と通行止めの看板。191016b.jpg


『迎車は右から来るか左から来るか分からない』(2019.10.16)
昨日朝、妻の様子を見に行くとベッドサイドテーブルの引出を開けすすり泣いていた。「どうしたの?」と訊ねたら、「なんでも出来ると思って目が覚めたら何も出来ない私だった。こんなはずじゃないと悲しくなって泣けてきたの。気が紛れるように引出の中を片付けていたの」と言った妻。まだ残っていた水をコップに注いで渡すと泣き止んで飲み始めた。
朝食後、Rへデイサービスに出掛ける支度を始めた妻。中々支度が終わらないから見に行けば、「寒いからズボン下をはこうと思ったが見つからない」とクローゼットの中を覗き込んでいた。春の終わり頃に長女が衣類の入れ替えをしてくれたが、妻が自分で置き場所を変えて分からなくなったのかと、私も一緒に探したが見つからない。買いに行こうと思うが、どんなものを買ったらいいか分からなくて困ってしまった私。長女に相談のメールを出し、夜になって長女から電話。妻はズボン下は使っていないと長女。妻が欲しいのは何なのか長女が聞き出してくれ、月末の休日に買ってきてくれることになった。下着と化粧品は私にとっては難問。
Rからの迎車が右から来るか左から来るか分からないと、玄関前の道路脇から左右を覗いていた妻、乗車口が自宅側になるようにいつも右から来ると説明しても、「それは分からない」と言って聞き入れようとしない。「今日は右から来た」と言って、元気よく迎車に乗り込んだ。191016c.jpg

じっと夜明けの沼を眺めていたMさん

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.15)
(アルツハイマー)

近所の桃山公園の高台に着くと、じっと夜明けの沼を眺めていたMさん、写真に切り取る四角の中を頭の中で吟味しているようだ。ここだと思った瞬間をフイルムに記録するのは昔の彼と変わっていない。今朝、ハッセルブラッドのシャッターを押したのは一回だけだった。手賀沼を撮り始めた頃、1000日以上撮影に同行させて貰って手賀沼の魅力を教えてくれたMさん。もしMさんと出会わなかったら、私は今手賀沼を撮っていなかっただろう。191015.jpg

岸辺から出てきたコブハクチョウ4羽、ハス群生地に向かって沼を渡り始めた。191015a.jpg

コブハクチョウが立ち去ったあとに、コガモだろう舞い降りてきた13羽。191015b.jpg


『モーニングショーを横目に朝食』(2019.10.15)
昨日朝、モーニングショーを横目に朝食を食べていた妻、「あっ!日本勝った、勝ってたんだよ日本が」と突然大きな声。前夜、寝ろと言っても言うことを聞かず試合終了までテレビを見ていたのに、そんなことはけろりと忘れて喜びの声。
台所に行くと、目に入った食品を摘まんで口にすることのある妻が気になった。16日はJ総合医療センターでの腹部CT検査、夕食以降検査まで水以外の飲食は出来ないから16日は朝食抜きだと話した。そのことが気になったらしく「今日は何日?」「明日は何曜日? どこへ行くの?」「明日のRセンターは迎えに来てくれるの?」「検査に行くときも迎えに来てくれるの?」「タクシーで行くなら一緒に行ってくれるの?」「いつまで食べていいの」と、予定表を片手に矢継ぎ早の質問。しばらくするとまた同じ質問。昼食後から寝るまでに同じ質問が5~6回、私も心配になってA4用紙に『16日は朝食抜き、検査まで水以外の飲食禁止』と書いて壁などに3枚貼ったら、いつまで食べてもいいの?」と質問。
15日はRにデイサービスで、16日はCT検査にJ総合医療センターへ、17日から二泊三日でW園へショートステイ。RとWの二つだけでも混乱するのに、検査まで加わって輪を掛けて混乱させてしまった。191015c.jpg

曇天だって雨だって日々表情が変わる沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.14)
(アルツハイマー)

日の出は見られそうにもない曇天の夜明け。同じ場所から撮っても、曇天だって雨だって日々表情が変わる沼。191014.jpg

ふと気がつけば雲間にちらりと見えた太陽。毎朝散歩で通りかかるおばさん、「今朝の日の出はなかったでしょう」「一瞬雲の間に見えたよ」と横に三脚を立てていたMさん。191014a.jpg

手賀川の方から飛んできたのだろう、まだ若いコブハクチョウが一羽ハス群生地に降りる。191014b.jpg


『洗っちゃダメ、私がやるんだから』(2019.10.14)
一昨日ショートステイから帰ってきて以来、台所、特に流し台のあたりにこだわるようになった妻。流し台の前に立つと何も考えなくてもやろうとすることがすっと出来ると嬉しそうだった。昨日の朝食後も昼食後も、私が食べ終わった食器を持って立ち上がると、「洗っちゃダメ、私がやるんだから。食器は流し台に置いといて」と言う。
食器を洗い始めて、「ねぇ、手がすっとスポンジのところに行くし、すっと洗剤のところに行く。どこに何があるかって考えなくたって出来る」と、大発見でもしたかのように私を呼ぶ。何も出来なくなったと自信を失いかけていたのが台所で再び自信を取り戻す何かを感じたようだ。
午前中、私が洗濯機を始動させ、洗い終わった頃に見に行けば二つの籠に洗い上がったものを取り出していた。私を振り返り得意げに言った。「洗濯機から出すときに分類しておけば干すときに楽だよ。あんたはみんなまぜこぜに一つの籠に出しているでしょ」と、私に手ほどきしているつもり。
せっかく取り戻した自信をまた失わなわせないように、やると言ったことは多少気になることがあっても見て見ぬ振りをして待つことにした。終わったとき、「ありがとうね」と言ったら、「嬉しいね、ありがとうって言って貰って。昔は言って欲しいときにだって知らん顔だったよ」と、ちくり一刺し。
夕食後、テレビでラグビーの日本対スコットランド戦を観戦。「遅くなるからもう寝よう」と言うと、「追い上げられてるんでしょ、心配じゃないの」とテレビの前から離れようとしない。試合終了、「勝ってよかったね」と言ってやっと立ち上がった。191014c.jpg

赤く染まった岡発戸の丘の上の雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.13)
(アルツハイマー)

目覚まし時計も携帯電話のアラームも全く気付かず、目が覚めたら5時15分。近所の桃山公園の高台に行けば懐かしい後ろ姿と大きなアルミ製の三脚。手賀沼撮影を始めた2001年から1000日間以上手賀沼撮影に連れて行って貰い、手賀沼のことを教えて貰ったMさん。三脚の上のハッセルブラッドも昔のまま。赤く染まった岡発戸の丘の上の雲、Mさんのレンズの先の雲をちょっと横にずらして撮る。191013.jpg

やがて薄雲の中に日の出。太陽の周りには三重の輪。妻と私の体調が戻るまでは手賀川での撮影はお休みにして、自宅近くのここから撮ることにしようと思う。191013a.jpg

帰ろうとすれば、ハス群生地から飛び立ったダイサギが沼上空を旋回し、高台の下の岸辺に飛来する。191013b.jpg


『何にも出来なくなったことが悲しいの』(2019.10.13)
検査入院して大腸スコープ検査、台風来襲に備えての準備に、四日間の妻ショートステイ中もゆっくり休めたのはT消化器病院での検査前の一日だけ。昨日午後3時半頃に帰る予定だった妻は、台風来襲もあってアメダスでの雲の切れ目を見て1時30分頃に帰宅。W園のTさんに付き添われ戻って来た妻は「楽しかった」と言ってにこにこ顔で玄関のドアを開けた。
代金の支払いを終わってTさんが車で出発するまで見送ってから居間のソファーへ。立ち上がって台所へ水を飲みに行った妻の独り言、「家はいいねぇ」「ほっとするけど、まだ自分の家じゃないみたい。でも、台所に行けば独りでに手を洗うことも出来るし、コップだって洗える。やっぱり自分の家だ」と言いながらソファーに戻ると急に泣きじゃくり、私に話し始めた。「Wにいたときはね、泣かなかったよ。みんなでいるときは笑って話していたよ。一人になると悲しかったよ。何にも出来なくなったことが悲しいの。さよなら公子さんだ」と言ったら両掌で顔を覆う。「アイスキャンディを食べようか」と言って冷凍庫から二本取り出して見せたら急ににこにこ顔になって、私と並んで食べた。
夕食が終わっても台風の番組を見ていて、早く寝かそうとするがその気になってくれない妻。東風から南風になると雨戸がガタゴト音を立て、何処からか漏れる風でカーテンが少し揺れた。立ち上がって雨戸の内側のガラス戸を開けて鍵をかけ直そうとする妻。慌てて止めたが、目を離すとガラス戸を閉め直そうとするので目を離せない。11時30分になってやっと寝る準備を始めた妻。妻の背中にアルツハイマーの薬・リバスタッチパッチを貼ることや夜間飲ませる水を用意することを忘れてしまった私。今朝になって慌ててリバスタッチパッチを貼り替え、水を飲ませた。いつもと違ったパターンで時間が経過すると、つい忘れてしまったのは私の加齢のせいだろう。191013c.jpg

まだ風もさほど強くない台風来襲の早朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.12)
(アルツハイマー)

数分間の通り雨が過ぎ去ったら、また止んだ雨。まだ風もさほど強くない台風来襲の早朝。近所の手賀沼公園に行き高台から沼を撮る。遊歩道脇の埋立地、杭の上に点々といつもより多いサギの数。揺れる葦やヒメガマの群落より居心地がいいのか。191012.jpg

誰もいなかった公園の広場、帰ろうとしたとき広場に出てきた犬を散歩させる老夫婦。191012a.jpg


『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(2)』(2019.10.12)
2015年になると、駅まで車で送って貰うとき、途中で「どこへ行くのだった?」と言うことが気になり始めた。本人も言葉が出にくくなったとの自覚があったようだ。後期高齢者の免許更新があったとき、長谷川式テストは24/30点、特に指摘事項はなかった。6月をもって近隣センターの役員や地域のまち作り協議会を卒業。以降、ネコを抱いてぼんやりしたり、寂しくなったと言っていたのが気になった。
8月末、道路脇から発進するとき前に止まっている車のミラーに軽く接触して小さな傷が付いたが、その車は納車された直後だった。パニックになって私に電話があり、駆けつけたら、いつもと違ってうろたえ、状況をうまく説明出来ない妻にびっくり。それを契機に市内のHクリニックでMRI撮影、コンピュータ断層診断を受けた。長谷川式テストは24/30点、血管が細いとの診断で脳の血管を広げ、脳の血流をよくして脳の働きを活発にする薬を処方された。
若年の頃から頭の中に描いている似たものの名称を混同することがあり、冷蔵庫と洗濯機の混同は子どもたちの語りぐさ。言葉が出にくいことを家族はあまり気にしていなかったが、秋になると道の説明などが相手に伝わりにくくなった。自分の頭の中に地図か風景景が浮かぶのか、宙を指さして「あっち、こっち」と説明することが増えた。冷蔵庫と洗濯機を言葉の上で混同しても、頭の中のイメージは間違っていないと妻は言っていた。
気になることがあるとそのことにかかり切り、そのことばかり言っているのが目立ち始め、気になることを中断して他のことを行えなくなってきた。自分の世界にいて他の人の話を聞いていなかったかのように、他の人の話を理解しにくくなって話しのすれ違いも起きるようになった。
家計の管理もアバウトになり年末から私に交替し、買い物にも一緒に行くようになった。足が痛くて座れず、長年続けていた茶道研究会や上位の先生のところに習いに通うのも休止した。191012b.jpg

検査入院したT消化器病院の窓から

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.11)
(アルツハイマー)

昨日から検査入院したT消化器病院。テレビを見るしかやることがなく、日中から惰眠を貪る。今朝は四時前には目が覚めてしまい、廊下の突き当たりのガラス窓から外を見ると、線路の向こうにかかり付けのY内科や薬局が見える。191011.jpg

部屋に戻ってもやることもなく、病室の天井を眺めていたらアルツハイマーの妻の初期症状の頃を思い出し、ノートに書き始めた。191011a.jpg


『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(1)』(2019.10.11)
2013年の春頃だったろうか、当時妻は忙しさから苛ついているとしか思えなかったが、今思えば生活態度に変化があった。パソコンをWindowsXPからWindows7に変えた頃から操作に戸惑うようになった。Wordのソフトは同じバージョンを使っているのにどうして戸惑うのか不思議に思って操作を見ていると、以前のようにマニュアルを見るのを面倒がり自己流の操作をして混乱しているようだった。元々完璧に物事を行わないと気が済まない傾向はあったが、一旦作業を始めると際限なく続け、睡眠時間も不規則になった。また、近隣センターのイベントがあるときやお茶の会があるときは家庭内で怒りっぽくなった。特に顕著になったのは食事の用意を面倒だという不満が増え、その頃から昼食の用意は私がするようになった。
2014年になると数日前のことを忘れてしまうことが徐々に増加、買い物に出ても時間が掛かるようになり、買い忘れや重複して同じものを購入することが見られるようになった。その頃、長女夫婦と孫が来て外食に出掛けたとき、妻の物忘れが話題になり、長女から物忘れ外来もあるから一度受診したらと言われた。むっとして「私をぼけ扱いにするのか」と拒否したことがあった。物忘れが多くなったことを認めたがらずうまく取り繕っていたが、自分でも気になったのだろう家庭医のY内科で認知症のテストを受けたら結果は正常の点数だった。そのころ、妻は頻繁に膝から下がだるいと言っていた。

近所の桃山公園から朝の沼を見る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.10)
(アルツハイマー)

朝寝坊、手賀川まで撮影に行くには遅すぎて、近所の桃山公園から朝の沼を見る。191010.jpg

間違えたのだろう土浦ナンバーの軽自動車、遊歩道を苦労してバックし、藤棚の下を潜って戻る。191010a.jpg


『さすがプロ、鮮やかな話術と荷物の入れ替え』(2019.10.10)
昨日朝、手賀川へ撮影しに出掛ける前に妻の様子を見に部屋を覗くとまだ眠っていた。ベッドの脇にはWへショートステイに出掛けるつもりらしい荷物が二つ。昨夜自分で支度したらしい。飲み忘れたらしく水がいつもより多く残っていた。目が覚めた妻にコップ一杯水を飲ませたら、ショートステイに持って行く荷物を用意して寝たから水を飲むのを忘れたと言う。荷物の中に、前日洗ったばかりのタオルをありったけ入れてあったが、私が取り出すと不機嫌になるからTさんがチェックしてあるときに直して貰うようにそのままにしておく。
朝食中、「どうしてひとときにこんなにいろんな事があるの、どうして検査を何度も頼んできたの、どうして今日Wに行かなくてはならないの」と不満顔に言う。妻にしたら、私が矢継ぎ早に病院通いやショートステイをアレンジしたと思い込んでいるようだ。説明すれば不満を増幅させるだけ、黙ってショートステイに持って行く妻の薬を袋詰めしてその場をやり過ごした。
10時にTさんが迎えに来て、早速荷物をチェックしてくれ、「この帽子いいわね、可愛いよ。被って行く?」と言って帽子を取り出す。「タオル、沢山あるね。少し減らそうか」と言って大半を取り出し、パジャマや着替えの衣類などをチェックしてくれる。「寒くなるといけないから長袖のシャツも持って行こうね」と妻と一緒に妻のベッドの上に並べてあったものから必要なものを選んでバッグに入れてくれる。実に鮮やかな話術と荷物の入れ替え。さすがプロ、あれだけ私が苦しんだ荷物造りがあっという間に終わってしまった。妻は自分も一緒に荷物の入れ替えをしている気分か、Tさんと一緒に歩きニコニコしている。私からTさんに薬、薬手帳、薬の説明書、保険証類、ショートステイ申込書を渡したら、Tさんは「行ってきます」と言って妻を迎えの車に乗り込ませる。振り向きもしない妻。何があったかは忘れても、昨夜以来、私との間のいやな気分だけが残っているのか私によそよそしい態度で出掛けていった。あとに残ったのは昨夜つい言ってしまった語調の強い言葉と、言っても仕方のない説明をしたことを悔やむ気持ち。私にとっては貴重な四日間の休息の時、何もしないで寝ていよう。191010b.jpg191010c.jpg

ビッグ親子をよく見たら母さんがいない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.9)
(アルツハイマー)

未だ暗い中、「コブハクチョウが飛んだ。ビッグ父さんのようだ」とお兄さん。少し明るくなって土手を下って、ビッグ親子をよく見たら母さんがいない。飛んだのは父さんではなく母さんだった。追い出された子どもが戻ってきて、母さんが追い払いに飛んだのだろう。191009.jpg

バロン夫婦が餌を貰えば、集まってきたオオバンやカルガモに混じってバンが一羽。要領よくオオバンやカルガモの間をすり抜けて餌を食べ、早々に群れの中から出てきたバン。191009a.jpg

雲を染め、下水処理場の上に日の出。風があって波立つ川面はずブルーのまま。191009b.jpg


『ああ、疲れて眠い』(2019.10.9)
昨日の朝食前、洗濯をしようとして妻の洗濯するものを探しに行ったら、ベッドに腰掛けて半泣きの顔。「どうしたの? 何をしていたの?」と言ったら顔を両手で覆って泣き出す。「何をすればいいの、何をしたらいいのか分からなくなった」と泣きじゃくりながら呟いた。取手の病院へ検査を受けに行く時の着るものを探していて、途中からWへショートステイに行く支度をすることを考え訳がわからなくなっていたらしい。天気予報を見て着て行くものを選び、翌日ショートステイに行く持ち物はWのTさんが迎えに着た時に手伝ってくれるから心配ないと説明してやっと泣き止んだ。
朝食中、「今日はどこへ行く?」「取手の病院」「明日は?」「Wへお泊まり」とのやりとり、10分も経つとまた同じ質問。一つだけのことなら混乱しないが、二つのことがあると訳がわからなくなって不安になるようだ。同じやりとりが三度も四度も続くと忙しさに私もつい苛ついて返事をしてしまう。感情的な部分は敏感に反応し、いやな感情だけを引き摺って不機嫌になり、黙りこくる妻。またやってしまったかと自省の念だけが残る。
午後、タクシーで取手の病院へ。一回の受診で検査まで終わるかと思っていたら、発病以来のことを確認しながら問診、採血して1時間後に結果を評価して検査の説明を受ける。後日の腹部CT検査を受けること、結果説明を受けることの二つの予約を取って貰って、タクシーで帰宅。
夕食が終わって、「明日はどこに行くのだった?」「Wへ三泊四日のお泊まり」「何時に出発?」「10時にTさんが迎えに来てくれる」「そんな話し始めて聞いた。まだ全然支度してないじゃないの」「Tさんが迎えに来たとき手伝ってくれるから心配しないでね」「だって行くのは私でしょ、今から自分で支度するわよ」と席を立とうとする。呼び止めて、妻の背中にアルツハイマー薬を貼ったら、たまった疲れと眠さに堪えきれず眠りこけてしまった私。191009c.jpg

子どもが一羽足りない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.8)
(アルツハイマー)

ビッグ親子が待つ水門前に着いたら未だ暗く小雨。お兄さんは既に着いていたが、明るくなるまで車で待って、親子の記録写真を撮ってからお兄さんが餌を与える。子どもが一羽足りない。親が追い出したのか、子どもから出て行ったのか。小雨の中、ラッキー親子、バロン夫婦の無事な姿も撮って早々に帰路へ。191008.jpg

曙調整水門に行ったら、雨の中朽ちた杭に止まっていたゴイサギ三羽。レンズを向けて数枚撮ったら飛び立った。191008a.jpg

ヒメガマの群落から数羽ずつ飛び立つサギ、思い思いの方向に飛び去る。191008b.jpg


『やっぱり水が足りなかったようだ』(2019.10.8)
昨日朝、撮影に出掛ける直前に妻がどれほど水を飲んだかチェック。「水を飲んだ?」と言えば、「飲んだ」と返事、だが前夜の食後に薬を飲むのにコップ一杯飲んでから用意した水は全く減っていなかった。とりあえずコップ一杯水を飲ませてから手賀沼撮影に出発。
帰宅して朝食、ぼんやりとジャムを塗ったパンだけを食べサラダやスープには手を着けようとしない。「他のものも食べて」と言うとサラダに箸を付けた。やっぱり水が足りなかったようだ。「今日は何処かに行くの?」と妻。「どこにも行かないけど、Wへショートステイに行く支度をする」「明日W行くの?」「明日は取手の病院に検査に行く。Wへ行くのはその次の日。でも、明日は忙しいから今日Wへお泊まりに行く支度をしておきたい」「明日はどこに行くの?」「取手の病院」「誰が診て貰うの?」「あんた。お腹が痛くて入院したときの原因を調べて貰うの」「入院した?」「16日間も入院したよ、救急車に乗って行ったでしょ」「知らないけど、まあいい。それで明日はどこに行くの?」「取手の病院」「明後日は?」「Wへ3泊4日のお泊まりに行く」「どうして?」「私が検査入院する間Wに泊まってきてね」「Wはどこにあった?」と。延々と自宅からRセンターまでの道を説明し、「Rから田んぼ道を山の方に行ったところがW」と言ったら、「Wならもう慣れたからいいよ」とやっと納得。自宅からR迄の道を説明し、RからWへの道を説明しないとWの記憶につながらない。
Wへのショートステイの支度を始めたら、申込書を自分で書くと言い出してまた混乱。Wへのショートステイでいつも面倒を見て下さるTさんに電話で相談。薬、薬手帳、保険証などを私が用意しておけば、あとは当日迎えに来たときTさんが手伝ってくださることになり、ほっと一息ついた私。191008c.jpg

水門の暗渠に入っていったラッキー親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.7)
(アルツハイマー)

お兄さんの車が来て土手の向こうに止まり餌の支度をしていたら、お兄さんを見に行こうとして水門の暗渠に入っていったラッキー親子。191007.jpg

上流のヒメガマの群落で夜を過ごしたサギの群が一斉に飛び立って下流へ飛ぶ。191007a.jpg

今朝もバロン夫婦の傍に来て漁をしたカンムリカイツブリ。いつも三匹ほどクチボソを食べれば川の真ん中へ離れて行くのに、今朝は7匹も獲物を捕るところを見せてくれた。191007b.jpg


『夕暮れ時の沼をじっと見ていた妻』(2019.10.7)
夕方妻と近所の桃山公園まで散歩に出かけた。沼を見下ろす高台に立ってじっと沼を眺めていた。東を指さして、「釣堀の先のビオトープの脇を通ってずっと行くと橋があって、みんなで体操をしてから戻って来た。西へ行くときは手賀沼公園まで行ってきたけど、あなたが一緒に行くと夕日を撮ると言って手賀大橋に寄るから日が沈んで戻ってくるから運動にならなかった」と15年から20年も前の思い出をしばらく語っていた。「我孫子は人生の中で一番長く住んだところだよね」「そうだね」「我孫子に来てよかった。手賀沼があるもの。来た頃は手賀沼は臭かった。市に浄化をお願いに行ったら県の管轄だから県に頼みなさいと言われて、何人かで柏まで陳情に行ったこともあった」と、何かをトリガーに眠っていた手賀沼の記憶に辿り着くと次々と思い出していた。帰り道で、「この辺が近隣センターの候補地になったことがあったけど、道路の計画がまだなくてダメだった。沢山の人と出会って活動したのは楽しかったけど、もうその人たちの名前も忘れて出てこない」と言ってから急に無口になった。
夕食を終わって、使い終わった食器を持って運んだ私に「洗わないで、私が洗う」と妻。数日前も食器を洗おうとしたら「私の仕事を取らないで」と言ったことがあった。朝夕の雨戸の開け閉め、洗濯物を干すことも自分の仕事だと思っている。妻の仕事には手を出さず、そっと見ていることにした。191007c.jpg

羽がのびで以前の威厳ある父さんの姿に戻る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.6)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたラッキー親子、今朝は父さんも一緒。羽がのびて以前の威厳ある父さんの姿に戻った。191006.jpg

バロン夫婦が餌を貰い、オオバンやカルガモが集まったら、下流から泳いできたカンムリカイツブリ。バロン母さんに近寄り過ぎて、いつもはおとなしい母さんに睨まれ慌てて逃げた。191006a.jpg

バロン夫婦の周りで漁をしていたカンムリカイツブリ、小魚を捕ると直ぐ飲み込んでしまうが、尻尾の方を咥えていたので飲み込むのに時間が掛かりクチボソを咥えた写真が撮れた。三匹捕って食べたら対岸の方へ泳ぎ去った。191006b.jpg


『二日続けて水をよく飲んだ効果かな』(2019.10.6)
昨日の朝、手賀沼撮影から戻ると穏やかな表情で階段を下りてきた妻。「今日は何曜日?」「土曜日、Rへ行く日だよ」「火木土だから今日は行く日か」と言いながら雨戸を開け、テーブルの上に出しておいた食器を並べサラダなどを盛りつけていた。
いつになくのんびりと朝食を食べていた妻、ぼつぼつ出掛ける支度を始める時間。「美味しいかい?」と言えば目を細めて「美味しい」と。「もうそろそろ支度しようよ」「えっ! 今日はどこへ行くの?」「Rだよ」「日曜日じゃないの?」「土曜日だよ」「火木土・・・。急がなくっちゃ」と慌てて食べ終えて支度。Rから迎えの車が来る頃はまた穏やかな表情に戻って、元気よくデイサービスに出掛けた。
4時30分頃、Rから戻って来た妻、「今日はね、頭がすっきりしているの。昔のことを思い出そうとしたらいっぱい出てきた」と子ども時代のことを語り始めた。母の実家に疎開して来ていた母の妹のこと。その子どもたちと遊んで楽しかったこと。母の妹の夫がシベリヤ抑留から帰国し、仕事がなく道路工事をしていたこと。やがて公安庁に復職し東京の引き揚げ者住宅に住んでいたことなどを一気にしゃべって、「あの頃は国中が大変なときだったね」と。
夕方、妻の古くからの友が栗ご飯が出来たと持って来てくれた。しばらく二人で話していた。友が帰ったあと、「何を話していたの?」と訊ねるとしばらく考えて、「忘れた。今度会ったときに、この前何を話したか聞けばいいだけ」と言って笑った。夕食に栗ご飯をいただきながら、「誰が作ったの?」と、友からいただいたことも友が来てくれたことも思い出せなかった。
妻にとって穏やかな日になったのは、二日続けて水をよく飲んだ効果かなと思った。191006c.jpg

地平線から上空に放たれるオレンジの光

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.5)
(アルツハイマー)

雲一つない快晴の朝。オレンジ色に染まった地平線から上空に放たれるオレンジの光。191005.jpg

ラッキー父さんの姿が見えず、待っていたのは母さんと子ども二羽。父さんは進入者を追ってパトロール中なのだろう。191005a.jpg

今朝も来ていたカンムリカイツブリ、片羽が不自由でも潜水して漁をするのは上手。流れ出したコブハクチョウの餌に小魚が集まり、それがお目当てかバロン夫婦の傍で漁をする。目の前でクチボソを三匹も捕ったカンムリカイツブリ。191005b.jpg


『今日は風が強いから家の中に干した方がいい』(2019.10.5)
昨日朝は、前夜に用意した水を全部飲んだからかすっきりした様子で雨戸を開けた妻。「白いヒガンバナは萎んだが赤いのはまだきれい」としばらく眺めていた。妻の実家の裏山に咲くヒガンバナと重なったのだろうか。
朝食中に急に神妙な顔になって、「私はどこから来たの?」「どこからって、住んでいたところ?」「うん」「我孫子に来て37年、その前は横浜、その前が等々力、結婚したときが武蔵小山」「等々力が思い出せない」「A(長女)を産んだのが等々力の病院、近くのなおみ保育園に預けたろう」と言うとやっと手がかりを見付けたようだ。そこからは連鎖的に長女を保育園に預けて職場だった大井町の小学校に通ったことを思い出して語った。「頭の中で、どこが先に住んだところかごちゃごちゃになっていて分からなくなった」と言って話が終わった。
朝食後、私が洗い終わった洗濯物を洗濯機から取り出し運ぶと、「今日は風が強いから家の中に干した方がいい」と妻が室内に干し始める。その間に食器洗いをしようとすると「私の仕事を取らないで、やらないとどんどん出来ないことが増えちゃうから」といつになく活動的。
昼食後に私が散髪して帰宅すると、テレビの前にぼんやりしていた妻。「もうどこにも行きたくない、家のことだけをやっていたい」とぽつりと言った。「明日はRのデイサービスに行くだろう」と言うと「Rでは派遣で介護のお手伝いをしてきたが、もうやめなくっちゃならないから」と。話を聞いていると、もう15年か20年も前のことだったろう介護から漏れる高齢者への支援を行っていたボランティアの会を解散したときの悩みがRへデイサービスに通う現実のこととつながってしまったらしい。Rに出発するときの写真を見せ、仕事ではなく自分のリハビリのためだと説明して、近所の桃山公園へ散歩に連れ出した。高台から沼を眺めていた妻が「これからもRへ行くよ、元気にならなくちゃいけないから」と私に言った。やっと妄想から現実に戻ってくれたようだった。191005c.jpg

朝の光が漏れてくる東の空の雲の裂け目

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.4)
(アルツハイマー)

西の空からすっぽりと覆い被さっていた暗い雲、時々眼鏡に当たる雨粒。朝の光が漏れてくる東の空の雲の裂け目。191004.jpg

水門の前で待っていたビッグ親子、お兄さんが来て記録のビデオを回している前に集まり、お兄さんを迎えに岸へ上がって来た母さんがレンズを覗きに近寄る。191004a.jpg

バロン夫婦の傍に来ていたカンムリカイツブリ。お兄さんが「カン」と呼んだら背伸びするようにジャンプした。片羽を鉄砲で撃たれ、短くなった羽では飛べなくなった。191004b.jpg


『頭の中に記憶はいっぱい残っているけど』(2019.10.4)
少しずつ入院以前にやっていたことが回復し始めて、朝起きたら雨戸を開けるようになった妻。昨日、私が撮影に出発するときはもう目覚めていて玄関まで私を見送りに来た。「今日はRに行く日だから早く起きた」と言っていたが、帰宅すると二度寝して雨戸は閉まったまま。やっと起きてきた妻はまるで別人。「今日は何曜日?」「木曜日、Rに行く日だよ」「Rってどこだった?」「利根川の傍」「そうか、Rにはずっと仕事に行っていたがもう行きたくない。もう仕事はできないもの」「大丈夫だよ。仕事に行くんじゃない、リハビリに行くんだから」と言えば黙りこくった。どうやら以前ボランティアで行っていた近隣センターKとRリハビリセンターを混同していたようだ。
朝食の支度を始めたら、自分のコップに口を開けたばかりのパックから牛乳を注ぎ、もう一本牛乳パックを取り出してまた開けようとした。慌てた私が大声で「開けちゃダメ」と言ったのにびっくりして手を止めた。
食卓の前に座ったら、涙を拭いていた妻。瞬時にその原因は不用意に発した私の大きな声だったと悟った。「一人でやってるの大変だと思ったから手伝おうとしたのに。何かやればわからなくて失敗するのが悲しい。どうしてこんなになったんだろう」と小声でつぶやく。たかが牛乳バック一本、どうして穏やかに言えなかったと後悔するいつものパターン。
朝食後にお化粧をして、Rから迎えに来た車に手を振りながら乗り込んだ笑顔を見てほっとした気分。
夕方妻の茶事の友から電話をいただいた。たぶん体調の具合を聞かれたのだろう、「あまりよくないの。頭の中に記憶はいっぱい残っているけど、記憶を探すのが難しくなったの。声を憶えている人のことは声を聞いたら思い出すけど、最近会った人とのことは思い出せない。会った人の顔を覚えるのが難しくなったから」と言っていた。191004c.jpg

お兄さんの前に集まってきたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.3)
(アルツハイマー)

お兄さんの前に集まってきたビッグ親子。ちょうどその頃東の地平線が赤く染まり、上空の薄雲も色づき始めた。191003.jpg

ラッキー親子が待つ下流へ向かう途中、大きな朝焼けになった。ラッキー親子の待つ場所まで行けば朝焼けは終わってしまいそう、途中の土手に登って朝焼けを撮る。191003a.jpg

ラッキー親子が待つ水門に辿り着けば、雲から出て浅間橋の上に登る太陽。今朝も来ていなかった子ども一羽。何事もなかったようにお兄さんに餌を貰った父さん母さんと子ども二羽。191003b.jpg


『男がやるといい加減で見ていられない』(2019.10.3)
朝から頭がすっきりしていると言っていた昨日朝、夜に飲むように用意した水はほとんど全部飲んであり、起きると早速雨戸を開けた妻。「きれいに咲いたね」と庭のヒガンバナを眺めていた。「昔、岩滑の裏山でお父さんが掘ってくれた球根が増えたんだよ」「東のお観音様の脇で? 私のお父さんが掘ってくれたの?」と言って、妻の実家の近辺の風景や、父母のこと、姉妹のことを思い出して語り始めた。語り始めるといつも同じストーリーになってしまう。
気分がいいから洗濯をすると言い出して、集めてきた洗濯物を洗濯機に入れて手が止まった。電源ボタンを指さすと「これだ」と言って押した。洗剤と柔軟剤を入れスタートボタンを押そうか押すまいか躊躇していたので、「それ」と言うと押して「動いた」と笑う。洗い上がった洗濯物をベランダまで運ぶと、「男がやるといい加減で見ていられない」と言って慣れた手つきで竿を吹いてから干し始めた。
予想外に時間が掛かり、遅い昼食を食べに近所のガストに行った。注文したのは前回と同じ野菜がたくさん入った湯麺とデザートに濃茶のゼリー。食後は毎度お馴染みの我孫子に来た頃の思い出を聞かされる。夜に飲むように用意した水を沢山飲んでくれたからだろう、一日穏やかで何かをやろうという意欲が見られた一日だった。191003c.jpg

子どもの鳴き声が聞こえたから下流から来る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.2)
(アルツハイマー)
五本松公園を過ぎると急に濃くなった霧。暗いからまだ来ていなかったビッグ親子、「子どもの鳴き声が聞こえたから下流から来る」とお兄さん。私の耳には聞こえなかったが、やがて下流から現れたビッグ親子。191002.jpg

濃霧の中で待っていたラッキー親子、今朝も子どもが一羽足りない。「チビはどこ?」とお兄さんが訊ねても、餌を早く欲しい父さんは首を伸ばして朝の挨拶を二度三度。「自分から出て行ったのか、親に追われたのか。事故や捕らえられたのなら親たちが訴えるからわかる」とお兄さん。191002a.jpg

濃い霧の中から飛来し上流の岸に降りたアオサギ。カワウが来て漁を始め、オオバンやカルガモが残った餌に集まってきたら、小魚も集まっていると知っているようだ。191002b.jpg


『靴を履いたからもう何処かに置き忘れない』(2019.10.2)
朝起きて雨戸を開けたときはRセンターへデイサービスに行く積もりになっていたのに、朝食を食べ始めたら忘れてのんびりしている妻。支度開始のタイムリミットになって、「Rに行く日だよ」と言えば、「どうして事前に説明してくれなかったの」と不満げな表情。Rセンターから10分後に迎えに来るとの電話があって、ふと気がつけばつい先ほど昼の薬や連絡ノートを入れた通い袋がない。慌てて探し始めればベッドの上にある。つい声を荒げ「どうして持って来たの」と言えば「私だって私のことを書いてあるのを見たい」と。持ち物の手提げバッグと一緒に玄関に置き、玄関の鍵を置く場所を見たら鍵とココセコムの端末を入れた袋がない。バッグの中のものを全部出して調べたらバッグのポケットの一番下にあった。しばらくRセンターに行かなかったからか、今迄できていた出掛ける準備の手順を忘れてしまったらしい。
「靴を履いたからもう何処かに置き忘れない」と言って早めに靴を履いて玄関に腰を下ろした妻、手にはしっかりと通い袋と鍵の入った袋を握りしめていた。つい声を荒げて探し回った私に腹が立ったのか、私を見上げ「そんなに大事なものならあんたがずっと持っていればいい」と。
チャイムが鳴ってドアを開けたら迎えの人の姿、途端ににこやかな顔になってご挨拶。ドアの外に出ると通い袋と鍵を迎えの人に預けて車に向かった妻。いつも自分で鍵を掛けさせていたのは、間違いなく鍵を持って出たことの確認になるからだが、私が見ていたから鍵を掛けずにそのまま車に乗り込んだ。191002c.jpg

子どもが一羽足りないラッキー親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.30)
(アルツハイマー)

子どもが一羽足りないラッキー親子。いなくなったのは先日釣り糸が喉に絡んだ子。親に追い出されたのか、それともなにか事故でもあったのか、気になるラッキーの子。191001.jpg

トビが飛来し、架線に止まっていたコサギの直ぐ傍に止まれば、びっくりして間を開けて止まり直したコサギ。この騒動にパンを咥え一本手前の電柱近くに止まっていたハシブトカラスが飛び立ち、後を追っていったトビ。トビが来たのはハシブトガラスからパンを奪おうとしてか。191001a.jpg

浅間橋脇まで来ると対岸川下に日の出。薄雲を真っ赤に染め鉄塔に重なって登る。191001b.jpg


『新しいものはダメだね、みんな若い人向き』(2019.10.1)
入院中に居間の蛍光灯の組み込み基板が壊れ新しいLEDライトに取り換えた。退院して自宅に戻った妻は壁面のスイッチでオンオフしようとするが、一緒に並んでいる外壁の灯りやダウンライトのスイッチとの区別が付かなくなっていて、手当たり次第に押すから訳がわからなくなった。リモートスイッチを使わせようとしたが、日中教えても夜になるとリモートスイッチのあることを忘れてしまう。「壁のスイッチに触られるから迷う、リモートだけを使えるようにすれば迷わない」と妻が言うので、壁のスイッチにテープを貼って動かなくした。
昨日午後、何度かリモートスイッチの試し運転をしこれで大丈夫と得意顔だった妻。夕方になったら、「どうやって電気を付けるの?」と言って来た。私が指で細長い四角形を示したら、「あっ!」と言って居間に戻りリモートスイッチを手に持って眺めていた。日中には丸く大きなボタンを押して難なくON/OFFしていたのに、「眼鏡がないと使えないよ、字が書いてあるけど見えない」と眼鏡を取りに行った。「字を読まなくたって大丈夫、一番大きな丸の中のボタンを押すだけだ」と言ったら「ボタンがいっぱいあるのは紛らわしいよ」と一番大きなボタンを押して点灯しする。「新しいものはダメだね、みんな若い人向きにできてる」とひとくさり文句を聞かされる。以前から使っていた壁面に三つ並んでいるスイッチのどれを使うのかを忘れて混乱したことなどは棚に上げ、新しいものは若い人向きでダメだと力説する妻。
4ヶ月ほど前からテレビのリモートもうまく使えなくなった。今は電源のON/OFFだけ、チャンネルはどこが出ているのかあまり気にしないようだ。一番やさしいのは、以前と同じ見慣れた部屋、使い慣れた備品。できるだけ修理して同じものを使い、買い換えないことだと思った。191001c1.jpg