天気予報は晴れなのに上空を覆う雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.31)
(アルツハイマー)

天気予報は晴れなのに上空を覆う雲。ちょっとだけ東の地平線が明るくなってきた。191031.jpg

岡発戸の丘の上、雲間に瞬時の日の出。すぐにまた雲に隠れて沼はグレイ一色。191031a.jpg

看板の先で潜水を繰り返すカンムリカイツブリを見ていたら、「中央学院大学の練習だ」と散歩の人。関東地区の選考会を突破して11月3日の全日本大学駅伝に出場するのだと。頑張れ中央学院大学。191031b.jpg



『自分がどこにいるのか分からなくなった』 (2019.10.31)
昨日午前中、「Rセンターに行くのはもうやめる」と言ってきた妻。「どうして?」と問えば「大勢の人がいるところには行きたくないし、委員や役員や当番はもう出来なくなったから」と言う。一人にしておいたらまた妄想の世界に入り込んでいた。十数年前に介護保険が適用されない高齢者を支援していた『さんきゅう会』や近隣センターを立ち上げた頃の古いボランティア活動を思い出したようだ。Rセンターに行くのは支援活動をしに行くのだと思い込んでいる。今迄も何度か同じ妄想で同じようなことを言ったことがあった。私が慌てふためくとかたくなになってますます妄想から抜け出せなくなるので、ケアマネージャが作ってくれた居宅サービス計画書などと妻の予定表を前に置き、「仕事をしに行くのじゃないの、あんたのリハビリをしに行くの。自分でも体操教室って言ってるでしょ。さんきゅう会や近隣センターにはずっと前から行っていないから心配ないよ」「そうか、体操教室か、それなら好きだ」と言って、段々現実の世界に戻ってきたようだった。「ここは我孫子だよね。NECの横を通って利根川の土手をシューッと行くとR、そこから山の方に行くとW園。やっとRが分かったよ」と言った。頭の中の地図に結びつけないとRやWの記憶にたどり着けないようだ。
昼食の用意が出来ても、予定表やカレンダー、居宅サービス計画書を前に一つずつ指で押しながら何かを確認している妻。「いま、自分がどこにいるのか分からなくなった。今日は何日? 何曜日?」「今日は30日、水曜日だよ」「今日はRに行く日だった?」「違う、Rに行くのは火木土だから昨日行ったし、明日も行くの」「昨日行った? 憶えてない」とやりとりしていて気がついた。カレンダーの同じ場所だけ何度も指で押していた。「それ、11月30日でしょ。10月30日は一番上の水曜日」と言うと、今朝の朝刊を持って来て「10月30日、水曜日だった」と言った。
8月末から9月に16日間入院して以来、急に思い出せないことが増えて来た。妄想の世界に入り込むことも多くなった。特に二度寝をして目が覚めたとき、自分がどこにいるか空間軸時間軸ともに記憶の起点が分からなくなって妄想の世界をさまよう妻。191031c.jpg

ヘッドライトに照らされた斜面林がシルエット

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.30)
(アルツハイマー)

家の外に出たら、10mも先が見えない程の濃霧。桃山公園の高台に立ったら、手賀沼どころか直ぐ下の市民農園跡すら見えない霧。下の道を車が通るとヘッドライトに照らされた斜面林がシルエットになって見えるだけ。191030.jpg

霧だからと遠くから来た人二人が三脚を立て、霧が晴れないとイライラした様子。散歩の途中に立ち寄った写真友だちと7時まで待ったが霧は晴れず、増尾から来たという年輩のカメラマン一人を残して帰宅。191030a.jpg


『薬の二度飲み防止をどうするか』 (2019.10.30)
昨日早朝、撮影に出掛ける前に妻の様子を見に行けば、「水は飲んだよ」と言っているのに全く減っていない。灯りを点けようとしたらリモートスイッチがない。1階に降り、食卓の上を見ると前夜用意し隠して置いた夜の薬の空袋があった。夕食後薬は飲ませたのに、私が隠して置いた翌日分の薬を探し出し二度も飲んでしまった。居間を見渡すと妻の寝室で行方不明になっていたリモートスイッチが玄関の鍵とココセコムの端末を入れた袋を置く場所にあった。その代わりに鍵と端末を入れた袋が見当たらない。Rセンターのお便り帳を入れる通い袋もない。昨夜私が寝る前、Rセンターへデイサービスに出掛けるために用意し、中に昼の薬も入れておいたのに。あちこち探し回ったら、Rに出掛ける時に使う手提げ袋の中に通い袋と鍵の袋があった。
睡眠不足になっていた私が先に寝て、最後のチェックをしなかったのが裏目になった。前夜寝付いた頃に妻に起こされて、リバスタッチパッチを貼ってくれと言われた。寝る前にリバスタッチパッチは貼ったのに。妻が持って来たリバスタッチパッチに書いた日付は翌日のものだった。「もう貼ってあるよ」と言ったら「分かった」と言って居間に入っていった。たぶん薬のことが気になっていて、私に気兼ねしたのだろう、私が薬を保管するあたりを自分で探し回ったらしい。翌日の薬は隠すように保管してあったのに、『夜』と書いた翌日用の薬を見付け飲んでしまったのだろう。起こされたとき、声だけ掛けてまた寝てしまった私だったが、起きてチェックしていたら間違いはなかったろうが、疲れてしまうとそれも厳しい。さて、薬の二度飲み防止をどうするか、これも悩ましい。
デイサービスに出掛ける前、リンゴ味の黒酢の水割りなどをいつもより大目に飲ませ、Rの迎えの車に乗って出掛けていった妻を見送った。191030b.jpg191030c.jpg

地上の灯りが雲を照らし水面に写って明るい沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.29)
(アルツハイマー)

地上の灯りが雲を照らし水面に写って明るい沼。早い出勤の車か、対岸にも直ぐ下の道にも車のライトが目立ち始める。191029.jpg

岡発戸新田に泳いで向かったコブハクチョウは三羽だけ、残った子どもはどこにいるか気になったら、泳いで行った親兄弟を追って飛んだ子ども4羽。191029a.jpg

久々に会ったシベリアンハスキー犬ジャック。二年半ほど前まで、まだ妻が手賀沼遊歩道を散歩していた頃、妻と遊んでくれた妻の友だち。191029b.jpg


『やっぱり水を飲ませる効果は大きい』 (2019.10.29)
昨日早朝、妻の様子を見に行くと、「私には子どもがいたの?」「二人いたよ」と娘たちの名前を言えば、「私の子どもかどうか思い出せない。どこに住んでるの?」「八王子と横浜」「結婚したの?」「結婚してるよ。孫たちだっているじゃないの」「さっきまで高校の頃に自転車で通った道のことを考えていた。そうしたら頭の中がごちゃごちゃになって、私には子どもがいたかどうかが気になった。頭の下半分はしっかりしていてしゃべれるが、上半分には仕切板があってよく見えないし、頭ががーんとしてる」と訴える。夜飲む水が沢山残っていた。寝る前も、トイレに起きたときも飲まなかったらしい。コップ一杯水を飲ませた。
近所の高台から手賀沼を撮って戻ると雨戸を開けていた妻。「子どもの名前を覚えているかい?」と言ったら「どうしてそんなこと聞くの」と言って二人の名前を正確に言った。「どこに住んでるの?」「八王子と横浜じゃないの」、「孫の名前は?」と問えばこれも正しく答え、怪訝そうな妻の顔。記憶は戻っていた。
朝食の支度をしていると、「二度寝して目が覚めたら目が回って歩きにくい」と言って二階から降りてきた。食卓に着いて、目の前にあったパンを食べ、スープを飲み、手を伸ばしてサラダを引き寄せ、一品ずつ黙々と食べていた。ソファーに腰掛けテレビみていた妻を残して洗濯をしていたら、「右のおしりがかゆくなって、ちょっとおしりを上げて掻いたらおしっこが出ちゃった」と言ってくる。初めてのことでかなりショックだったらしく、「なぜおしりを掻いただけで出ちゃうんだろう。何処かに行って、もしこうなったら困っちゃう」としきりに心配。通販で尿漏れパンツを発注したが納入には数日かかり、ケアマネージャのMさんに電話で相談し、紙製の介護パンツならどこでも売っていると聞き翌日配達のものも発注した。夕方になって発注したことを妻に話したら、「どうしてそんなのを買うの? 誰が使うの?」と。部屋の中に干してあったズボンとパンツ、靴下、タオルを黙って指さしたら、「なんでズボンを洗っちゃったの?」と、全く憶えていない様子。忘れてしまったなら、自信を失うこともなかろうとちょっと安心した気分。
夕食も済んで寝る頃になって、新聞折り込みの11月カレンダーにRセンター、W園、病院に行く予定を書き込んでくれと持ってくる。明日書くと言っても聞き分けがない。水を飲み足りなかった時は私を困らせてばかりいる妻になる。やっぱり水を飲ませる効果は大きい。191029c.jpg

岡発戸新田の釣堀前から出てきたボート

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.28)
(アルツハイマー)

岡発戸新田の釣堀前から出てきたボート、いつもの時間、いつもの二人が、いつものコースを辿って。191028.jpg

オオバンの群が岸辺に泳ぎ寄ったら、入れ替わるようにコガモが飛び立った。191028a.jpg

いつまでも暗い曇天の朝、帰ろうとする頃に雲間からほんの一瞬見えた太陽。191028b.jpg



『私との関係がごちゃごちゃになっちゃった』 (2019.10.28)
昨日早朝、ベッドに腰掛けていた妻、「子どもの遠足なのに水筒がない。何処に仕舞ったか忘れちゃった。遠足なのに何にも支度をしてなくて困っちゃった事ばかり考えていた。子どもはもう家にいないのにどうしてそんなこと考えたんだろう。私には子どもは二人いたよね」「二人いるよ」と答えたら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。しばらく話していると段々に目覚めたのか空想の世界から現実の世界に戻ってきた妻。
11時頃だったろうか、ソファに腰掛けていた妻に声を掛けたら、「ずっと昔のことを考えていた。まだ片倉台団地にいて子どもを育てていた頃のことを次々と思い出していた。六角橋の商店街や、東神奈川から電車に乗って大井町まで行った立会小学校に勤めていた頃の風景がどんどん出てきたの。昔はいろんなことをやって楽しい思い出がいっぱいあるって分かったら嬉しくなった」「今はどこにいるの? 片倉台団地? 立会小学校?」「もう我孫子に戻ったよ。外の景色を見たら我孫子だって分かったの」と言って立ち上がった。
12時30分頃長女が来た。興奮して大きな声で出迎えた妻、そして半泣きになった。長女が買ってきてくれた鮨の昼食、嬉しそうにとりとめのない話しを繰り返す妻。二人で妻の寝室に行き、季節が変わるからベッドの脇に並べておく衣類の入れ替えを妻の意見を聞きながらやってくれた長女。4時頃になると台所に降りてきて、冷蔵庫を開けてなにやら探している妻。「何を欲しいの?」と問えば、「Aは遠くから来ているから早く帰さなくては。何か食べさせなければならないから探してたの」と、娘に対する母親の思いやりの気持ちになっていた。
5時が過ぎ急いでバス停へ向かう長女、泣きべそ顔で姿が見えなくなるまで見送っていた妻。夕食後リバスタッチパッチを背中に貼ってやりながら、「Aが来てくれてよかったね」と言ったら、「いつ来たの?」「今日。Aがお昼ご飯に鮨を買ってきてくれたじゃないの」「Aは私の子?」「そうだよ」「忘れちゃった。頭が混乱してるから思い出せない。私との関係がごちゃごちゃになっちゃった」と。夜になって疲れてくると、娘や妻の姉妹などとの関係が分からなくなることがある。そう遠くない日に、「どちら様でしたでしょうか」と私が言われているシーンが脳裏をかすめた。191028c.jpg

ゼロポイントに着けばもう始まっていた朝焼け

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.27)
(アルツハイマー)

桃山公園のゼロポイントに着けばもう始まっていた朝焼け。淡いピンクが次第に濃い赤になりやがて色褪せる。やがて岡発戸の丘の上の雲間に瞬時の日の出。191027.jpg

雲間の太陽が隠れたら、うろこ模様に輝く雲。いつの間にか沼は灰色に。191027a.jpg

雲間から漏れる光に波立つ水面が白く輝き、コブハクチョウが一羽沼を渡る。191027b.jpg

今日は何かイベントがあるのか、ハス群生地の前を通って現れたボート二艘、曙橋へ向かうのかS字を描いて通り過ぎる。191027c.jpg


『不可解な妻の記憶のメカニズム』 (2019.10.27)
昨日早朝、朝の撮影に出掛ける前に妻の様子を見に行くと「今日は金曜日?」「今日は土曜日、Rセンターに行く日だよ」「泊まるの? 夕方帰ってくるの?」「火木土の土曜日だから日帰りでRに行く日」、やっとRの記憶に辿り着いたのか「利根川の横だよね」と安心した顔になる。
朝食を食べ終わってものんびりしているから、「もう支度をしなくちゃ」「今日はどこへ行くの?」「Rへデイサービス」「何時に迎えに来るの?」「9時」「じゃぁ、急がなくちゃ」と言って寝室に向かった妻。電話が鳴って応答しようとすると一瞬早く妻が応答、階段の下から「どこから電話?」「10分後に迎えに来るって」と言いながら、支度が終わって降りてくる。待ちきれないのか早々に玄関前に出てRの迎車がどちら側から来るか左右を覗いていた。車が来てドアが開くと振り返って手を振り乗り込んだ妻。慌ただしい朝のひとときだった。
妻帰宅40程前にケアマネージャのMさん来宅。私のブログを見たりショートステイ中の妻を見て急に症状が進行したと感じたことや、RセンターやW園で介護を受けていることとボランティアを行っていた頃の記憶がはっきりしなくなることがあるとMさんから聞いた。私も、妻の16日間の入院後、急に症状が進んだと感じていた。
妻が帰宅してMさんに挨拶、ショートステイの時に食堂でMさんに会ったこと、Rセンターの散歩の途中で出会ったことなどを話し始め、何度も同じ話しを繰り返した。じっと何度でも聞いてくれていたMさん。目の前にいるMさんの名前を思い出せなくて「あなた」と言う妻。どうしてもMさんの顔と名前を憶えられなくて、数ヶ月前に二人並んだ写真を撮らせてもらい居間と寝室に貼ってある。最近でも「Mさん」と言っても顔もMさんとの記憶にもたどり着けないが、Mさんと話していると幾つもの記憶にたどり着いている。何がMさんの記憶のインデックスになっているか不思議に思う。RとWの名前も取り違えることが多く、会話を聞いていると二つの施設が混濁しているように感じるが、自宅からR迄の道順と利根川の近くと言うことでRへの記憶に辿り着き、Rを起点とした道順からWへの記憶に辿り着く。妻の頭の中では二ヵ所の記憶ははっきり分かれていると妻は言う。不可解な妻の記憶のメカニズムだ。191027d.jpg

風が止んで赤く染まった沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.26)
(アルツハイマー)

近所の桃山公園の高台に立てば、地平線や雲の下側が赤く染まり始める。ブルーの沼を見て「風がなければ赤く染まるのになぁ」とぼやいた隣に三脚を立てた人。月が雲に飲み込まれ、風が止んで赤く染まった沼。途端に隣からシャッターの音。191026.jpg

岡発戸の丘から太陽が覗けば、水生植物園跡のケヤキやハス群生の枯れ葉が輝き始める。191026a.jpg

岸辺を泳いで通り過ぎたコブハクチョウ親子の子どもが一羽足りない。間もなく羽音がして、通り過ぎた親子を追うようにコブハクチョウの子一羽が岸辺に着水。191026b.jpg


『やっと一杯になったハンドタオルを入れる引出』 (2019.10.26)
昨日午後のすごい雨、北側の雨戸を打つ雨の音は凄まじく、何年ぶりかで洗面所脇のトイレに雨漏り。大きなポリ袋の口を開けてしずくを受け、一ヵ所の洗面器に流し込む仕掛けが出来た。さて手を洗おうとしたらハンドタオルがない。
使うときは洗面所の引出から出して使うハンドタオル。何度か洗濯したら底をつき、どこに保管したか思い出せない妻。一緒に探したら夏物を洗濯した時に一緒に収納した十枚ほど、ショートステイに持って行く鞄の中から7~8枚、洗濯後たたんだ場所近くの鏡台脇から5枚ほどが出て来る。やっと一杯になったハンドタオルを入れる引出。収納しながら、「洗濯が終わったらすぐここに入れなきゃダメだよね」と私を振り返って、私に教えているような口調。
アルツハイマー発症以前から、空きスペースが出来るとそこに何かを押し込んで収納する癖があった妻。それでも以前は収納場所を憶えていて必要になったときに取り出せた。最近は収納したものを探すのはもっぱら私の仕事。何度かの探しものの経験から私なりに得た極意は、最近何を取り出したかを考えればそこには新たな収納場所が出来たはずだから、最初に探すのはまずその場所から。もう一つは作戦的に作る空きスペース。手短に押し込める空きスペースを見付けることに長けた妻、まんまと私の作戦に乗ってくれる。そんなときは怒り以前に笑えてくる。アルツハイマーとの付き合いに見付ける楽しみの一つでもある。191026c.jpg

なぜか向こうを見ているように見えるネコの木

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.25)
(アルツハイマー)

暗い雨の朝、中々明るくならない沼風景。ネコの木の向こうに曙調整水門の水銀灯だけが雨の中に浮かぶ。なぜか向こうを見ているように見えるネコの木。191025.jpg

「飛び立つぞ」と横で雨の沼を見ていたMさんの声、気がついたらコブハクチョウ親子が飛び立つところ。191025a.jpg

明るくなるにつれ強く降り出した雨。見る見る雨に煙って消え始めた対岸。「こんな日は写真が撮れなくたって見ているだけでいいな」と手賀沼歴50年のMさん。191025b.jpg



『読んでいるときは何が書いてあるか分かるよ』 (2019.10.25)
デイサービスから帰ってきたら、ソファーに座って夕刊を読み始めた妻。読むと言うより文字を追っていると言った方が当たっているかもしれない。文字を追っている間は声を掛けても反応しにくい。「アイスキャンディーを買ってきたよ、食べるかい」と声を掛けたらこっちを向いて笑顔、「食べる」と手を出し一口かじった。
アルツハイマーを発症する以前から読書の量は多い方だったろうと思う。デイサービスに通うようになってからも本を持ち歩いていたが、途中まで読んで中断すると読んだことを忘れて、また最初から読み始めるようだった。ここ一年ほど、外出するときはいつも同じ本を持ち歩いているが読んでいる姿を見なくなった。
最近は新聞の文字を追うことに没頭するのが多くなった。「何が書いてあった?」と意地悪な質問をしたら、「忘れた」と言ってから、「でもね、読んでいるときは何が書いてあるか分かるよ。世の中、こうなっているんだって理解できてるよ。それに、字は忘れてないよ、ちゃんと読める」と言った。新聞の一面を食い入るように読んでいる妻は、もしかして文字を忘れていないことを確認しているのかと思うこともある。
アイスキャンディを一口食べて、新聞とにらめっこしていた妻に、「アイスキャンディが溶けちゃうよ」と声を掛けたら、また一口かじっておどけた仕草をして見せた。191025c.jpg

曇天の裾を淡く染めた日の出前

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.24)
(アルツハイマー)

曇天の裾を淡く染めた日の出前、岡発戸の丘から陽が昇る頃になったらスーッと消えた赤い空。191024.jpg

灰色の空の下に灰色の沼。今朝も釣堀前から出た来た小舟、道があるわけでもないのにいつも通りのルートで沼を渡る。191024a.jpg

岸沿いに次々出て来るカルガモとコガモ。いつの間にか沢山集まっていたコガモの群に吸い込まれたコガモ、飛び立って視界から消えたカルガモ。191024b.jpg


『動けなくなって「ちょっと来て」叫んだ妻』 (2019.10.24)
昨日の朝食前、私が洗濯機を始動するのを横から見ていた妻。洗剤を入れれば「そのくらいでいい」、柔軟剤を入れようとすれば「ちょっと見せて、うん、それでいい」と、私のやることをチェックしている。スタートボタンを押し、水が注入され動き出したら突然蓋を開ける。「どうしたの?」「水は入ってるね」と、私がやることを信用できないらしい。「止まったらあとは干すだけ、私がやるから触らないでね」と命令口調。洗濯機の操作方法を忘れて始動できなくなった者の言うことかと言いたくなった気持ちを押さえてその場を離れる。
パソコンに向かって朝撮った写真を整理していたら、「ちょっと来て」と妻の叫び声。干すものを二つの籠に入れ同時に階段を運び上げようと、一段ずつ籠を持ち上げていたが曲がり角にはまり込んで持ち上げられない。少し後ろにずらすことは考えず、ただ持ち上げようとするから持ち上げられない。ベランダまで私が運んだら、竿を拭き、ベランダの手すりを拭きながら「竿を拭いただけじゃダメ、風で揺れたら手すりの汚れが付いちゃうでしょ」と、長年の極意を伝授しているつもり。
乾いて取り込んだあとが要注意。妻の衣類は分かりやすいようにベッドの片側に分類して並べるが、私のもの、タオルや手ふきの小物は入れる場所を探し毎回変わる保管場所。見ていないとどこに保管したか探すのに一苦労。時には思いも寄らぬ場所に保管してある。
16日間の入院が終わってから洗濯が出来なくなったと思ったが、何が出来なくなったかを見ていたら、洗濯機の始動が出来なくなったことと洗ったものの保管場所が定まらなくなったこと。そこだけを見守って手伝えば、あとは見て見ぬ振りをしていればいい。妻に出来ることまで手を出せば不機嫌にさせるだけ。夕方になって、出来たことが嬉しかったのか、「今日は洗濯をしたよ」と得意げに語った妻。191024c.jpg

日の出の方向から上空へ放たれる光と陰

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.23)
(アルツハイマー)
久々にオレンジ色の地平線。日の出の方向から上空へ放たれる光と陰。191023.jpg

飛んできたコブハクチョウの親子、二手に分かれて着水し、母さんが向かう岸の方へ泳ぐ子どもたち。191023a.jpg

今朝も釣堀前から出てきて、対岸沿いにハス群生地の方に向かう小舟。191023b.jpg



『今日利根川を渡ったが何しに行ったの?』 (2019.10.23)
昨日早朝、妻の様子を見に行くと、「ここは我孫子でしょ、私はここにずっと住んでいた?」「そうだよ」「どこかへ行ったことがある? どこへ行った?」「私が天津に赴任したときに2ヶ月くらい来ていたし、翌年夏に友だちと天津に来て北京見物もしたよね。旅行では韓国、香港、タイ、ヨーロッパ旅行もしていたたし、最近では近くの病院に16日間入院したけど、ほとんどここに住んでいたよ」と答えた。しばらく無言が続き、「昔のことは思い出せたが入院のことは思い出せない。ずっと何処かに行っていたような気がする」と言った。
午後からJ総合医療センターへ検査結果を聴きに行く。「血液検査には異常はなく100点満点。CTの結果からがんの可能性は低い。膵臓に嚢胞があって、通常は嚢胞では膵炎は起こさないが膵炎になった。その点が気になるから、念には念を入れて超音波内視鏡による検査を行うか、あるいは12月初旬ころに外来で経過を見るかのどちらか。超音波内視鏡は膵臓により近い胃の中から診るが、胃カメラよりも所要時間は長くて30分くらい。カメラの太さも胃カメラの1.5倍くらいで飲み込むのが大変だから麻酔を使って眠ったようにする。どちらにしましょうか?」とG先生。「アルツハイマーなのでMRI検査がうまく出来なかったこともあり、超音波内視鏡による検査に耐えられるか心配」と私の意見を言うと先生も同じことを心配していた。12月初旬、先生が我孫子のY内科病院に来られるときに経過観察の診察をしてもらうことになる。Y内科病院のY先生にはG先生から手紙を出しておき、詳細はY内科病院から連絡を頂くことになった。「やっと安心できました」とお礼を言っていた妻、夕方になったら、「今日利根川を渡ったが何しに行ったの?」と検査結果を聞きに行ったことを思い出せなかった。191023c.jpg

斜面林の枝に止まっていたヒヨドリ一羽

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.22)
(アルツハイマー)

雨が上がって桃山公園の高台へ行ったら、犬の散歩仲間だろう人たちが出てきておしゃべりの輪、ヨガでもやっているのか傾いた姿勢でじっと動かない人。斜面林の枝に止まっていたヒヨドリ一羽。191022.jpg

高台の下に広がる市民農園跡に降りたら、沼の水位を下げたのだろういつもより長く見える埋立地の杭。カワウやカルガモが杭の上を占拠。191022a.jpg

カルガモもコガモもいない岸近くの水面、交互に潜水を繰り返すカイツブリ2羽。しばらく待ったが、獲物を咥えて浮上する姿は見られなかった。191022b.jpg


『想像の世界にいて何かにとらわれていた日』 (2019.10.22)
昨日朝、朝食の支度をしようと呼んだが返事がない妻、探したら茶室まがいの小部屋の窓際に蹲っていた。何をしているかと覗き込んだら雨戸の敷居にたまった土埃をミニ箒で払っていた。いつも雨戸の開閉をやっているのにどうして急に気になったのかと思い、「またお茶をやるの?」と訊ねたら、「別に予定はないけど、いつ誰が来るか分からないじゃない」と手を休めずに答えた。趣味だった茶事を思い出していたのか、家元の茶会に行ったときのことを語り始めた。そのうち現実に戻ったのか、「お茶はもうやめたんだよね」と言って立ち上がった。6月に、庭木の剪定をやってもらったときに草取りもしてもらってから、夏に大きな草を抜いただけの庭。落ち葉が吹きだまり、老いた二人を象徴するような庭になっていた。
明日は取手の病院に先日のCT検査の結果を聴きに行くと伝えたら、天気が気になってテレビの天気予報を何度も見ていた妻。見るたびに「また台風が来るって」と言ってため息。夕方親しかった友だちから電話をもらった。二つの台風が来るから心配だと、同じことを何度も繰り返し話していたようだ。電話が終わってからも、手賀沼の水位が上がったら沼の近くに住んでいる友は大丈夫か、デイサービスに行くRセンターは利根川の近くだが大丈夫か、ショートステイに行くW園は高台の下にあるから大丈夫か、私が写真を撮りに行く手賀川は危険ではないのかと、次々心配の種を探し出していたのはテレビで各地の洪水被害の画像を見ていたからだろう。夕食を食べながらぽつりと言った。「家にいれば水害は大丈夫だよね、ここは高台だから。でも手賀沼から風が吹いてきたら怖いね」と。
趣味だったお茶のこと、水害のこと、想像の世界にいて何かにとらわれていた日だった。191022c.jpg

地平線の色を映して赤く染まり始めた水面

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.21)
(アルツハイマー)

曇天の裾が赤く色づき始めても、風に波立つ水面は暗いブルー。岡発戸新田の突端が風を遮るあたりだけが地平線の色を映して赤く染まり始める。191021.jpg

明るくなれば埋立地の杭からサギが飛び立ち、どこからともなくカルガモなどが出てくる。聞こえにくくなった私の耳にも聞こえたコブハクチョウが飛んでくる羽音。先頭は母さんだろうか、後ろに子ども6羽を従えて沼上空を旋回し、市民農園跡の前あたりに着水した。191021a.jpg

船外機のエンジン音が聞こえ、岡発戸新田の釣堀前から出てきた二人乗りの小舟。ハス群生地の方へ向かって沼を横切る。191021b.jpg


『81歳になったせっかちな私の新たな修行』(2019.10.21)
今迄出来ていたことが段々出来なくなる妻。しばらく入院していた間に洗濯機の使い方を忘れてしまった。洗濯機に洗うものを入れ、あちこちのボタンを押すが始動させられない。横から手を出し始動させるとつまらなそうに居間に戻ってしまった。洗い上がって洗濯機から洗ったものを取り出そうとすると妻が来て、「シャツやズボン下など大きいもの、タオルや手ふき、靴下などの小物は取り出す時に分けておくの。干すとき楽でしょ」と言って、私を押しのけ取り出し始めた。あとは手慣れた手つきでピンチハンガーに吊り下げて洗濯は終了。
ふと気がついた。洗濯機を始動できなくなったから、もう洗濯は出来ないと私が代わって洗濯をするのではなく、仕事を分解しどの部分が出来ないのかを見極め、出来ないところだけを手伝い、出来るところは黙って見ていればいいのだと。こんな当たり前のことに気付かず、今まで出来なくなった仕事は妻から取り上げていた。
昨日朝から私なりの実験を始めた。ここ一年ほど早朝の撮影に出掛ける前に必要なものを食卓に並べていた。そうしないと食べきれない量の食品を冷蔵庫から出して盛りつけたり、ありったけの調味料が食卓に並んだり、何種類もの冷凍食品が取り出されていたり、私がそれを見付けて悲鳴を上げることが増えたからだった。
「一緒に朝食の支度をしよう」と妻を誘い、私が冷蔵庫の前に陣取る。「これを並べて」「これを盛りつけて」と、同時に複数のことを頼まずに取り出したものを妻に渡す。長年やり慣れたことだから手際よく並べたり盛りつけてくれる。妻が朝食の支度を出来なくなったのではなく、その過程で何が朝食に必要なのか、何を食べるのか、二人分の適量がどのくらいかの判断が出来なくなったり、目の前にあるものを認識できず見付けることが出来なくなったので、これを補ってやることで妻は朝食の支度を出来たという達成感を持てたようだ。食事中、「一緒にやったから楽しかった」と妻は言いい、食後には「私の仕事を取らないでね」と言って食器洗いを始めた。だが、これで解決というわけではない。私の持ち時間は有限、どこまで気長に妻のペースにつきあえるか。81歳になったせっかちな私の新たな修行であるような気がする。191021c.jpg

雲の向こうから差し込んでくる朝の光

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.20)
(アルツハイマー)

いつまでも暗い曇天の朝、膨らみきった風船のように薄くなった雲の向こうから差し込んでくる朝の光。191020.jpg

雲の隙間から陽光がこぼれ落ちたら、波立った水面が輝き、繋がれた小舟はシルエット。191020a.jpg

まだ晴れない霧の中、斜面林の枝に止まったヒヨドリ。1羽が飛び立ったら別のヒヨドリが来て止まったヒヨドリ好みの枝。191020b.jpg


『現実と妄想が混ざり合ってしまったとき』 (2019.10.20)
昨日夕方、玄関の鍵を開ける音がして、ドアが開くとW園のTさんに付き添われ戻って来た妻。「ただいま」とテンションが上がった声で入ってきた。Tさんが帰ろうとするとまた一緒に外に出て、Tさんの車が立ち去るのを見送っていた。一人になると、「ああ、疲れた」と言い、台所に来て「自分の家はいい。ほっとする」「もうどこにも行きたくない。RセンターもW園にも行くのはやめた」と言う。「どうして?」と問えば、「いやだから」「どうしていやなの?」「私がいやなものはいやなの」「何がいやなの?」「大きな部屋に大勢の人が詰め込まれ、今迄一緒だったグループから別なグループに入れられた。みんながそれぞれ勝手なことを話していたからさっぱり訳がわからない。みんなをまとめることなんか出来るはずがない」と。帰ってきて自宅はいいと感じたことから、自宅に留まる理由を探して妄想したのだろう。過去の教師やボランティアをやった記憶から、周りの人たちの会話を盛り上げようとしても入り込めず、自分の役割が果たせないと思っているのかもしれない。現実と妄想が混じり合ってしまったときはその話題から離れるしかない。「アイスキャンディか杏仁豆腐かゼリーのどれがいい?」「杏仁豆腐」との答えを引きだし、食卓に杏仁豆腐とスプーンを置いた。
ショートステイ利用生活状況のレポートの中にTさんが書いてくれた妻の生活状況、『顔なじみの方々と談笑されている姿も多く、また居室で持参されていた書類を見て「今日は何日?」「Rの運動会が・・・。」等悩まれており、その都度説明すると納得はされますが、数回繰り返しがありました。トイレや居室の場所は憶えられており、ご自身のペースで館内を歩いて好きな場所でお過ごしです。T』とあった。持参した書類とはRの月間予定表だろう、持ち帰った予定表の19日の欄に印刷してあった『運動会』はボールペンで塗りつぶしてあり、別の日の『お茶会』も同じように塗りつぶしてあった。出発前に自宅で運動会の支度をすると困らせたと同じように、予定表の『運動会』の文字を見るたびに思い出していたのだろう。数回繰り返して説明されその都度納得したようだが、それも10分後には忘れ、次ぎに『運動会』の文字を見たときはまた繰り返して悩んでいたのだろう。
今朝、目覚めたばかりの妻の様子を見に行ったら、「夕べはい色々なことを考えていたが、頭の中がごちゃごちゃになっていて訳がわからなくなっていた」「頭の上の方にいろんなこと、いろんな時のことがごちゃごちゃ詰まっていて、どれとどれを繋げればいいか分からなくなっていた。台所のことや洗濯は下の方にあるから困らない」と言っていた。191020c.jpg

ネコが座ってこっちを見ているような木

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.19)
(アルツハイマー)
5時に撮影に出掛けるように支度をしたが外はザアザア降り、小降りになったら行こうと待って7時50分先に桃山公園の高台へ。小雨の沼を撮っていると、20年前に近所に引っ越してきたというお姉さんに出会う。岡発戸新田の突端近く、ネコが座ってこっちを見ているような木を撮っていたら、「何を撮っているの?」と問われた。「ネコの木」と答えると少し間を置いて、「座ってこっちを見ているようだ。トトロのようにも見える」と。まだ子どものような心で風景を見ることが出来る人だ。191019.jpg

小降りになったからか、埋立地の杭にカワウ2羽が飛来し羽を広げ始めた。間もなく十数羽が次々飛来し杭に止まる。191019a.jpg

どこから出て来るのかカルガモ、泳いで来るもの、飛んでくるもの、杭の向こう側の水面に集まり始める。191019b.jpg


『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(3)』(2019.10.19)
2016年になって、正月に来た長女と次女の家族が帰ったあとは夫婦二人きりの生活に戻った。そのころから妻の様子が沈みがちになり、鬱的な症状が見られるようになった。1月中旬から市内のHクリニックで3回のカウンセリングを受けたら辛くなる症状は好転した。カウンセリング中に妻が訴えたのは、直近のことを忘れるようになったこと、言葉が出にくくなったこと、前年地域の住民活動を卒業し自分の時間を楽しむ積もりだったが、それまでひたすら走り続けた活動がなくなり寂しくなったこと、引きこもりがちで運動することも少なくなり足が衰えることが心配になったことなどだった。カウンセリングで先生は妻の話をしっかり受け止めるように聞いてくれ、アドバイスはあまり考えすぎず気楽に散歩することを奨められただけだった。
1月下旬、妻は実家の法事に持って行くお供えの菓子を買いに午後から柏に出掛けたが、買って持って行く菓子が中々決められなかったと夕方になって帰宅した。そのころ一緒に買い物に行くと、既にかごに入れたものを直後にまた入れようとしたり、既に買ってあったかどうかを私に確かめることが増えたことに私も気付いていた。
2月になると、肩が痛いと言いだしS整形外科医院に通い始め、立ち上がるとき足が震えると言い始めた。歩く姿を見て、足が弱くなってきたと思った。何度か足の血流や筋肉を診てもらったが、特に異常は見つからなかった。
6月になって、私の知らない間に一人でHクリニックを再訪、脳の画像診断を受けてきた。前年同クリニックで脳ドックを受診したときは末端の血管が細く血行が悪いと言われたが、今回のMRIでは改善されていて、脳の萎縮もないと言われたと妻から聞いた。ニセルゴリン錠5mg(脳動脈の血流をよくする薬)が処方されていた。前年のMRIの画像診断のDVDを自分のパソコンで開くことが出来て画像を見たが、どこに問題があったのか私に分かろうはずもなく、二度目のMRI健診ではどこが改善されていたと言われたのかも全く分からなかった。今に思えば、健診に私が付き添って詳しく説明を聞いておくべきだったと思う。191019c.jpg

小雨が降り出した桃山公園の高台

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.18)
(アルツハイマー)

小雨が降り出した桃山公園の高台。今日は二ヶ月に一度の順天堂での診察日、早く撮って帰らなくてはと傘を差して撮る。傘を差しじっと沼を眺めていたMさんもカメラを取り出しもせず帰り支度。191018.jpg

我孫子駅行きのバスを待つ頃には雨も上がり、時間通り来たバスに乗り込む。乗客はほとんどが仕事場への通勤者らしき人ばかり。191018a.jpg

8時に順天堂の受付、それでも採血の順番は165番目で17分待ち。心電図も10人待ちだったが直ぐ終わる。最近順天堂の待ち時間が改善され短縮したように感じる。191018b.jpg


『笑顔で振り返って手を振った妻』(2019.10.18)
昨日朝、妻の様子を見に行くとベッドに座ったまま、「今日はどこへ行くの?」「W園へ行ってお泊まり」「それじゃ急いで支度しなきゃ」「あの荷物は?」「あれ、やってあった。そうだ、運動会の支度のしなきゃ」と、またW園へのショートステイと運動会の結びつきの混乱再発。
ふと妻が持っていた紙を見るとそれはデイサービスに行くRセンターの月間予定表。17日、18日、19日に○をつけてありボールペンでW園と書いてあった。19日の欄には運動会とRセンターの行事が印刷されていたのをW園の行事と思い込んでいたようだ。RセンターとW園の名前を頻繁に取り違える妻は、話している内にどちらがどの名前か分からなくなる。名前の区別があやふやだから、Rセンターの月間予定表にW園の予定を書き込んでもおかしいとは思わなかったのだろう。妻の頭の中のイメージは、デイサービスは利根川の近くの建物、ショートステイはそこからたんぼ道を通って山側にある建物と、はっきり別なものと認識していることも分かった。いつもW園のことを言うとき、自宅からRセンターまでの道順を語り、Rセンターからたんぼ道を山側に行ったところと説明するのも名前では区別できないからと推測できる。
ショートステイに持って行く荷物には運動会用の衣類も入っているのだろう、鞄ははち切れそうに膨らみファスナーも閉まらない。運動会はショートステイでの行事ではないと分かったらしい妻、でも、自分が間違えたとは言いたくないのか荷物はそのまま持って行くと言う。W園からTさんが迎えに来てくれ、「あーら、可愛いスリッパ履いてるのね」と褒め、「寒くなったから厚手のものも入れておこうね」といいながら手際よく衣類などを入れ替えてくれた。入れ替えながら、「これがいいかな。これなら温かそうだね」と妻に話し掛けるから、妻は自分で持ち物を決めているような気分になっているようだ。
先ほどまでの苛立ちの表情は消え、迎えの車のステップに足を掛けたら、笑顔で振り返って手を振った妻。Tさんに支えられるようにして迎えの車に乗り込んだ。191018c.jpg

雲の薄いところからこぼれ落ちるように朝の光

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.17)
(アルツハイマー)

今朝も暗い曇天。やっと少し明るくなったら、雲の薄いところからこぼれ落ちるように朝の光。釣堀の生け簀だろうか、昨日から二つ出現。191017.jpg

雲が流れ、岡発戸の釣堀前の水面は吹き込む風に波立ち、雲間からこぼれ落ちる光で縞模様。繋がれた小舟の上には鳥のシルエット。191017a.jpg

やがて雲間はオレンジ色に染まり、岡発戸の斜面林の向こうに落ちる光芒。191017b.jpg



『スープを一口飲んで「美味しい」と言う』(2019.10.17)
昨日早朝から『朝食抜き』の張り紙を見て、「いつになったら食べてもいいの?」と二度ほど聞きに来た。私が朝食の準備を始めたら見たくないと二階へ上がり、ベッドに腰掛けてテレビを見ていた。予約したタクシーが来るのを待つ間も、何度となく「いつになったら食べてもいいの?」と言ってくる。「お腹の検査が終わったら帰りに外で食べようね」と言ったらやっと「いいね」と笑顔を見せた。
予約してあった腹部のCT撮影を終わっての帰路、近所のガストの前でタクシーから下車。店内に入り席に着くとしばらくメニューを眺め、注文したのは前回、前々回と同じデザート付きの野菜タンメン。私の料理が運ばれてくる前に、スープを一口飲んで「美味しい」と言った。「ここのタンメンは野菜がたくさん入っていてよかった」と話し、5分少々歩いて自宅に着いた。しばらくしたらどこで何を食べたか思い出せなくなっていた。「忘れちゃったの?」と言ったら、「食べてるときだけ美味しくて幸せならそれでいいの」と、ちょっと投げやりな返事。
夕方からショートステイに行く準備を始めたら、K近隣センターでお茶の会を一緒やっていた方が立ち寄ってくださり、しばらく玄関先で立ち話をして帰られた。戻ってくると、「あなたも一つ食べる?」と頂いた最中を持ってくる。頭の中はお茶の会のことでいっぱいなのか、しばらくお茶の会の思い出話をしていた。やっとショートステイに行く準備を再開したら、「運動会には何がいるんだろう」と呟きながらベッドの片側に並べた衣類の中から何かを探そうとしていた。「運動会なんかやらないよ」と言ったら、「あんた、知りもしないくせに。行くのは私よ」と苛ついた様子。どうしてショートステイと運動会がつながったのか思い当たることもなく、やりたいようにさせておいた。191017c.jpg

地上の灯りが雲を染め、沼を照らして明るい夜明

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.16)
(アルツハイマー)

地上の灯りが雲を染め、沼を照らして明るい夜明け。やがてあたりが明るくなれば、沼も空もグレー一色。191016.jpg

昨日ヒヨドリ数羽が賑やかに鳴いていた柿の木、今朝の撮影の帰り道に見付けたヒヨドリたちの宴の跡。よく見れば、食べかけの実にはアリやハエ。191016a.jpg

妻の腹部CT検査のためにタクシーで利根川を渡って取手へ。船取線から国道6号線に出るといつも以上の大渋滞、北新田が水没して農道を迂回することが出来なくなったからだと年配の運転手。車窓からちらりと見えた北新田と通行止めの看板。191016b.jpg


『迎車は右から来るか左から来るか分からない』(2019.10.16)
昨日朝、妻の様子を見に行くとベッドサイドテーブルの引出を開けすすり泣いていた。「どうしたの?」と訊ねたら、「なんでも出来ると思って目が覚めたら何も出来ない私だった。こんなはずじゃないと悲しくなって泣けてきたの。気が紛れるように引出の中を片付けていたの」と言った妻。まだ残っていた水をコップに注いで渡すと泣き止んで飲み始めた。
朝食後、Rへデイサービスに出掛ける支度を始めた妻。中々支度が終わらないから見に行けば、「寒いからズボン下をはこうと思ったが見つからない」とクローゼットの中を覗き込んでいた。春の終わり頃に長女が衣類の入れ替えをしてくれたが、妻が自分で置き場所を変えて分からなくなったのかと、私も一緒に探したが見つからない。買いに行こうと思うが、どんなものを買ったらいいか分からなくて困ってしまった私。長女に相談のメールを出し、夜になって長女から電話。妻はズボン下は使っていないと長女。妻が欲しいのは何なのか長女が聞き出してくれ、月末の休日に買ってきてくれることになった。下着と化粧品は私にとっては難問。
Rからの迎車が右から来るか左から来るか分からないと、玄関前の道路脇から左右を覗いていた妻、乗車口が自宅側になるようにいつも右から来ると説明しても、「それは分からない」と言って聞き入れようとしない。「今日は右から来た」と言って、元気よく迎車に乗り込んだ。191016c.jpg

じっと夜明けの沼を眺めていたMさん

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.15)
(アルツハイマー)

近所の桃山公園の高台に着くと、じっと夜明けの沼を眺めていたMさん、写真に切り取る四角の中を頭の中で吟味しているようだ。ここだと思った瞬間をフイルムに記録するのは昔の彼と変わっていない。今朝、ハッセルブラッドのシャッターを押したのは一回だけだった。手賀沼を撮り始めた頃、1000日以上撮影に同行させて貰って手賀沼の魅力を教えてくれたMさん。もしMさんと出会わなかったら、私は今手賀沼を撮っていなかっただろう。191015.jpg

岸辺から出てきたコブハクチョウ4羽、ハス群生地に向かって沼を渡り始めた。191015a.jpg

コブハクチョウが立ち去ったあとに、コガモだろう舞い降りてきた13羽。191015b.jpg


『モーニングショーを横目に朝食』(2019.10.15)
昨日朝、モーニングショーを横目に朝食を食べていた妻、「あっ!日本勝った、勝ってたんだよ日本が」と突然大きな声。前夜、寝ろと言っても言うことを聞かず試合終了までテレビを見ていたのに、そんなことはけろりと忘れて喜びの声。
台所に行くと、目に入った食品を摘まんで口にすることのある妻が気になった。16日はJ総合医療センターでの腹部CT検査、夕食以降検査まで水以外の飲食は出来ないから16日は朝食抜きだと話した。そのことが気になったらしく「今日は何日?」「明日は何曜日? どこへ行くの?」「明日のRセンターは迎えに来てくれるの?」「検査に行くときも迎えに来てくれるの?」「タクシーで行くなら一緒に行ってくれるの?」「いつまで食べていいの」と、予定表を片手に矢継ぎ早の質問。しばらくするとまた同じ質問。昼食後から寝るまでに同じ質問が5~6回、私も心配になってA4用紙に『16日は朝食抜き、検査まで水以外の飲食禁止』と書いて壁などに3枚貼ったら、いつまで食べてもいいの?」と質問。
15日はRにデイサービスで、16日はCT検査にJ総合医療センターへ、17日から二泊三日でW園へショートステイ。RとWの二つだけでも混乱するのに、検査まで加わって輪を掛けて混乱させてしまった。191015c.jpg

曇天だって雨だって日々表情が変わる沼

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.14)
(アルツハイマー)

日の出は見られそうにもない曇天の夜明け。同じ場所から撮っても、曇天だって雨だって日々表情が変わる沼。191014.jpg

ふと気がつけば雲間にちらりと見えた太陽。毎朝散歩で通りかかるおばさん、「今朝の日の出はなかったでしょう」「一瞬雲の間に見えたよ」と横に三脚を立てていたMさん。191014a.jpg

手賀川の方から飛んできたのだろう、まだ若いコブハクチョウが一羽ハス群生地に降りる。191014b.jpg


『洗っちゃダメ、私がやるんだから』(2019.10.14)
一昨日ショートステイから帰ってきて以来、台所、特に流し台のあたりにこだわるようになった妻。流し台の前に立つと何も考えなくてもやろうとすることがすっと出来ると嬉しそうだった。昨日の朝食後も昼食後も、私が食べ終わった食器を持って立ち上がると、「洗っちゃダメ、私がやるんだから。食器は流し台に置いといて」と言う。
食器を洗い始めて、「ねぇ、手がすっとスポンジのところに行くし、すっと洗剤のところに行く。どこに何があるかって考えなくたって出来る」と、大発見でもしたかのように私を呼ぶ。何も出来なくなったと自信を失いかけていたのが台所で再び自信を取り戻す何かを感じたようだ。
午前中、私が洗濯機を始動させ、洗い終わった頃に見に行けば二つの籠に洗い上がったものを取り出していた。私を振り返り得意げに言った。「洗濯機から出すときに分類しておけば干すときに楽だよ。あんたはみんなまぜこぜに一つの籠に出しているでしょ」と、私に手ほどきしているつもり。
せっかく取り戻した自信をまた失わなわせないように、やると言ったことは多少気になることがあっても見て見ぬ振りをして待つことにした。終わったとき、「ありがとうね」と言ったら、「嬉しいね、ありがとうって言って貰って。昔は言って欲しいときにだって知らん顔だったよ」と、ちくり一刺し。
夕食後、テレビでラグビーの日本対スコットランド戦を観戦。「遅くなるからもう寝よう」と言うと、「追い上げられてるんでしょ、心配じゃないの」とテレビの前から離れようとしない。試合終了、「勝ってよかったね」と言ってやっと立ち上がった。191014c.jpg

赤く染まった岡発戸の丘の上の雲

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.13)
(アルツハイマー)

目覚まし時計も携帯電話のアラームも全く気付かず、目が覚めたら5時15分。近所の桃山公園の高台に行けば懐かしい後ろ姿と大きなアルミ製の三脚。手賀沼撮影を始めた2001年から1000日間以上手賀沼撮影に連れて行って貰い、手賀沼のことを教えて貰ったMさん。三脚の上のハッセルブラッドも昔のまま。赤く染まった岡発戸の丘の上の雲、Mさんのレンズの先の雲をちょっと横にずらして撮る。191013.jpg

やがて薄雲の中に日の出。太陽の周りには三重の輪。妻と私の体調が戻るまでは手賀川での撮影はお休みにして、自宅近くのここから撮ることにしようと思う。191013a.jpg

帰ろうとすれば、ハス群生地から飛び立ったダイサギが沼上空を旋回し、高台の下の岸辺に飛来する。191013b.jpg


『何にも出来なくなったことが悲しいの』(2019.10.13)
検査入院して大腸スコープ検査、台風来襲に備えての準備に、四日間の妻ショートステイ中もゆっくり休めたのはT消化器病院での検査前の一日だけ。昨日午後3時半頃に帰る予定だった妻は、台風来襲もあってアメダスでの雲の切れ目を見て1時30分頃に帰宅。W園のTさんに付き添われ戻って来た妻は「楽しかった」と言ってにこにこ顔で玄関のドアを開けた。
代金の支払いを終わってTさんが車で出発するまで見送ってから居間のソファーへ。立ち上がって台所へ水を飲みに行った妻の独り言、「家はいいねぇ」「ほっとするけど、まだ自分の家じゃないみたい。でも、台所に行けば独りでに手を洗うことも出来るし、コップだって洗える。やっぱり自分の家だ」と言いながらソファーに戻ると急に泣きじゃくり、私に話し始めた。「Wにいたときはね、泣かなかったよ。みんなでいるときは笑って話していたよ。一人になると悲しかったよ。何にも出来なくなったことが悲しいの。さよなら公子さんだ」と言ったら両掌で顔を覆う。「アイスキャンディを食べようか」と言って冷凍庫から二本取り出して見せたら急ににこにこ顔になって、私と並んで食べた。
夕食が終わっても台風の番組を見ていて、早く寝かそうとするがその気になってくれない妻。東風から南風になると雨戸がガタゴト音を立て、何処からか漏れる風でカーテンが少し揺れた。立ち上がって雨戸の内側のガラス戸を開けて鍵をかけ直そうとする妻。慌てて止めたが、目を離すとガラス戸を閉め直そうとするので目を離せない。11時30分になってやっと寝る準備を始めた妻。妻の背中にアルツハイマーの薬・リバスタッチパッチを貼ることや夜間飲ませる水を用意することを忘れてしまった私。今朝になって慌ててリバスタッチパッチを貼り替え、水を飲ませた。いつもと違ったパターンで時間が経過すると、つい忘れてしまったのは私の加齢のせいだろう。191013c.jpg

まだ風もさほど強くない台風来襲の早朝

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.12)
(アルツハイマー)

数分間の通り雨が過ぎ去ったら、また止んだ雨。まだ風もさほど強くない台風来襲の早朝。近所の手賀沼公園に行き高台から沼を撮る。遊歩道脇の埋立地、杭の上に点々といつもより多いサギの数。揺れる葦やヒメガマの群落より居心地がいいのか。191012.jpg

誰もいなかった公園の広場、帰ろうとしたとき広場に出てきた犬を散歩させる老夫婦。191012a.jpg


『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(2)』(2019.10.12)
2015年になると、駅まで車で送って貰うとき、途中で「どこへ行くのだった?」と言うことが気になり始めた。本人も言葉が出にくくなったとの自覚があったようだ。後期高齢者の免許更新があったとき、長谷川式テストは24/30点、特に指摘事項はなかった。6月をもって近隣センターの役員や地域のまち作り協議会を卒業。以降、ネコを抱いてぼんやりしたり、寂しくなったと言っていたのが気になった。
8月末、道路脇から発進するとき前に止まっている車のミラーに軽く接触して小さな傷が付いたが、その車は納車された直後だった。パニックになって私に電話があり、駆けつけたら、いつもと違ってうろたえ、状況をうまく説明出来ない妻にびっくり。それを契機に市内のHクリニックでMRI撮影、コンピュータ断層診断を受けた。長谷川式テストは24/30点、血管が細いとの診断で脳の血管を広げ、脳の血流をよくして脳の働きを活発にする薬を処方された。
若年の頃から頭の中に描いている似たものの名称を混同することがあり、冷蔵庫と洗濯機の混同は子どもたちの語りぐさ。言葉が出にくいことを家族はあまり気にしていなかったが、秋になると道の説明などが相手に伝わりにくくなった。自分の頭の中に地図か風景景が浮かぶのか、宙を指さして「あっち、こっち」と説明することが増えた。冷蔵庫と洗濯機を言葉の上で混同しても、頭の中のイメージは間違っていないと妻は言っていた。
気になることがあるとそのことにかかり切り、そのことばかり言っているのが目立ち始め、気になることを中断して他のことを行えなくなってきた。自分の世界にいて他の人の話を聞いていなかったかのように、他の人の話を理解しにくくなって話しのすれ違いも起きるようになった。
家計の管理もアバウトになり年末から私に交替し、買い物にも一緒に行くようになった。足が痛くて座れず、長年続けていた茶道研究会や上位の先生のところに習いに通うのも休止した。191012b.jpg

検査入院したT消化器病院の窓から

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.11)
(アルツハイマー)

昨日から検査入院したT消化器病院。テレビを見るしかやることがなく、日中から惰眠を貪る。今朝は四時前には目が覚めてしまい、廊下の突き当たりのガラス窓から外を見ると、線路の向こうにかかり付けのY内科や薬局が見える。191011.jpg

部屋に戻ってもやることもなく、病室の天井を眺めていたらアルツハイマーの妻の初期症状の頃を思い出し、ノートに書き始めた。191011a.jpg


『回想 アルツハイマーの妻の初期症状(1)』(2019.10.11)
2013年の春頃だったろうか、当時妻は忙しさから苛ついているとしか思えなかったが、今思えば生活態度に変化があった。パソコンをWindowsXPからWindows7に変えた頃から操作に戸惑うようになった。Wordのソフトは同じバージョンを使っているのにどうして戸惑うのか不思議に思って操作を見ていると、以前のようにマニュアルを見るのを面倒がり自己流の操作をして混乱しているようだった。元々完璧に物事を行わないと気が済まない傾向はあったが、一旦作業を始めると際限なく続け、睡眠時間も不規則になった。また、近隣センターのイベントがあるときやお茶の会があるときは家庭内で怒りっぽくなった。特に顕著になったのは食事の用意を面倒だという不満が増え、その頃から昼食の用意は私がするようになった。
2014年になると数日前のことを忘れてしまうことが徐々に増加、買い物に出ても時間が掛かるようになり、買い忘れや重複して同じものを購入することが見られるようになった。その頃、長女夫婦と孫が来て外食に出掛けたとき、妻の物忘れが話題になり、長女から物忘れ外来もあるから一度受診したらと言われた。むっとして「私をぼけ扱いにするのか」と拒否したことがあった。物忘れが多くなったことを認めたがらずうまく取り繕っていたが、自分でも気になったのだろう家庭医のY内科で認知症のテストを受けたら結果は正常の点数だった。そのころ、妻は頻繁に膝から下がだるいと言っていた。

近所の桃山公園から朝の沼を見る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.10)
(アルツハイマー)

朝寝坊、手賀川まで撮影に行くには遅すぎて、近所の桃山公園から朝の沼を見る。191010.jpg

間違えたのだろう土浦ナンバーの軽自動車、遊歩道を苦労してバックし、藤棚の下を潜って戻る。191010a.jpg


『さすがプロ、鮮やかな話術と荷物の入れ替え』(2019.10.10)
昨日朝、手賀川へ撮影しに出掛ける前に妻の様子を見に部屋を覗くとまだ眠っていた。ベッドの脇にはWへショートステイに出掛けるつもりらしい荷物が二つ。昨夜自分で支度したらしい。飲み忘れたらしく水がいつもより多く残っていた。目が覚めた妻にコップ一杯水を飲ませたら、ショートステイに持って行く荷物を用意して寝たから水を飲むのを忘れたと言う。荷物の中に、前日洗ったばかりのタオルをありったけ入れてあったが、私が取り出すと不機嫌になるからTさんがチェックしてあるときに直して貰うようにそのままにしておく。
朝食中、「どうしてひとときにこんなにいろんな事があるの、どうして検査を何度も頼んできたの、どうして今日Wに行かなくてはならないの」と不満顔に言う。妻にしたら、私が矢継ぎ早に病院通いやショートステイをアレンジしたと思い込んでいるようだ。説明すれば不満を増幅させるだけ、黙ってショートステイに持って行く妻の薬を袋詰めしてその場をやり過ごした。
10時にTさんが迎えに来て、早速荷物をチェックしてくれ、「この帽子いいわね、可愛いよ。被って行く?」と言って帽子を取り出す。「タオル、沢山あるね。少し減らそうか」と言って大半を取り出し、パジャマや着替えの衣類などをチェックしてくれる。「寒くなるといけないから長袖のシャツも持って行こうね」と妻と一緒に妻のベッドの上に並べてあったものから必要なものを選んでバッグに入れてくれる。実に鮮やかな話術と荷物の入れ替え。さすがプロ、あれだけ私が苦しんだ荷物造りがあっという間に終わってしまった。妻は自分も一緒に荷物の入れ替えをしている気分か、Tさんと一緒に歩きニコニコしている。私からTさんに薬、薬手帳、薬の説明書、保険証類、ショートステイ申込書を渡したら、Tさんは「行ってきます」と言って妻を迎えの車に乗り込ませる。振り向きもしない妻。何があったかは忘れても、昨夜以来、私との間のいやな気分だけが残っているのか私によそよそしい態度で出掛けていった。あとに残ったのは昨夜つい言ってしまった語調の強い言葉と、言っても仕方のない説明をしたことを悔やむ気持ち。私にとっては貴重な四日間の休息の時、何もしないで寝ていよう。191010b.jpg191010c.jpg

ビッグ親子をよく見たら母さんがいない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.9)
(アルツハイマー)

未だ暗い中、「コブハクチョウが飛んだ。ビッグ父さんのようだ」とお兄さん。少し明るくなって土手を下って、ビッグ親子をよく見たら母さんがいない。飛んだのは父さんではなく母さんだった。追い出された子どもが戻ってきて、母さんが追い払いに飛んだのだろう。191009.jpg

バロン夫婦が餌を貰えば、集まってきたオオバンやカルガモに混じってバンが一羽。要領よくオオバンやカルガモの間をすり抜けて餌を食べ、早々に群れの中から出てきたバン。191009a.jpg

雲を染め、下水処理場の上に日の出。風があって波立つ川面はずブルーのまま。191009b.jpg


『ああ、疲れて眠い』(2019.10.9)
昨日の朝食前、洗濯をしようとして妻の洗濯するものを探しに行ったら、ベッドに腰掛けて半泣きの顔。「どうしたの? 何をしていたの?」と言ったら顔を両手で覆って泣き出す。「何をすればいいの、何をしたらいいのか分からなくなった」と泣きじゃくりながら呟いた。取手の病院へ検査を受けに行く時の着るものを探していて、途中からWへショートステイに行く支度をすることを考え訳がわからなくなっていたらしい。天気予報を見て着て行くものを選び、翌日ショートステイに行く持ち物はWのTさんが迎えに着た時に手伝ってくれるから心配ないと説明してやっと泣き止んだ。
朝食中、「今日はどこへ行く?」「取手の病院」「明日は?」「Wへお泊まり」とのやりとり、10分も経つとまた同じ質問。一つだけのことなら混乱しないが、二つのことがあると訳がわからなくなって不安になるようだ。同じやりとりが三度も四度も続くと忙しさに私もつい苛ついて返事をしてしまう。感情的な部分は敏感に反応し、いやな感情だけを引き摺って不機嫌になり、黙りこくる妻。またやってしまったかと自省の念だけが残る。
午後、タクシーで取手の病院へ。一回の受診で検査まで終わるかと思っていたら、発病以来のことを確認しながら問診、採血して1時間後に結果を評価して検査の説明を受ける。後日の腹部CT検査を受けること、結果説明を受けることの二つの予約を取って貰って、タクシーで帰宅。
夕食が終わって、「明日はどこに行くのだった?」「Wへ三泊四日のお泊まり」「何時に出発?」「10時にTさんが迎えに来てくれる」「そんな話し始めて聞いた。まだ全然支度してないじゃないの」「Tさんが迎えに来たとき手伝ってくれるから心配しないでね」「だって行くのは私でしょ、今から自分で支度するわよ」と席を立とうとする。呼び止めて、妻の背中にアルツハイマー薬を貼ったら、たまった疲れと眠さに堪えきれず眠りこけてしまった私。191009c.jpg

子どもが一羽足りない

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.8)
(アルツハイマー)

ビッグ親子が待つ水門前に着いたら未だ暗く小雨。お兄さんは既に着いていたが、明るくなるまで車で待って、親子の記録写真を撮ってからお兄さんが餌を与える。子どもが一羽足りない。親が追い出したのか、子どもから出て行ったのか。小雨の中、ラッキー親子、バロン夫婦の無事な姿も撮って早々に帰路へ。191008.jpg

曙調整水門に行ったら、雨の中朽ちた杭に止まっていたゴイサギ三羽。レンズを向けて数枚撮ったら飛び立った。191008a.jpg

ヒメガマの群落から数羽ずつ飛び立つサギ、思い思いの方向に飛び去る。191008b.jpg


『やっぱり水が足りなかったようだ』(2019.10.8)
昨日朝、撮影に出掛ける直前に妻がどれほど水を飲んだかチェック。「水を飲んだ?」と言えば、「飲んだ」と返事、だが前夜の食後に薬を飲むのにコップ一杯飲んでから用意した水は全く減っていなかった。とりあえずコップ一杯水を飲ませてから手賀沼撮影に出発。
帰宅して朝食、ぼんやりとジャムを塗ったパンだけを食べサラダやスープには手を着けようとしない。「他のものも食べて」と言うとサラダに箸を付けた。やっぱり水が足りなかったようだ。「今日は何処かに行くの?」と妻。「どこにも行かないけど、Wへショートステイに行く支度をする」「明日W行くの?」「明日は取手の病院に検査に行く。Wへ行くのはその次の日。でも、明日は忙しいから今日Wへお泊まりに行く支度をしておきたい」「明日はどこに行くの?」「取手の病院」「誰が診て貰うの?」「あんた。お腹が痛くて入院したときの原因を調べて貰うの」「入院した?」「16日間も入院したよ、救急車に乗って行ったでしょ」「知らないけど、まあいい。それで明日はどこに行くの?」「取手の病院」「明後日は?」「Wへ3泊4日のお泊まりに行く」「どうして?」「私が検査入院する間Wに泊まってきてね」「Wはどこにあった?」と。延々と自宅からRセンターまでの道を説明し、「Rから田んぼ道を山の方に行ったところがW」と言ったら、「Wならもう慣れたからいいよ」とやっと納得。自宅からR迄の道を説明し、RからWへの道を説明しないとWの記憶につながらない。
Wへのショートステイの支度を始めたら、申込書を自分で書くと言い出してまた混乱。Wへのショートステイでいつも面倒を見て下さるTさんに電話で相談。薬、薬手帳、保険証などを私が用意しておけば、あとは当日迎えに来たときTさんが手伝ってくださることになり、ほっと一息ついた私。191008c.jpg

水門の暗渠に入っていったラッキー親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.7)
(アルツハイマー)

お兄さんの車が来て土手の向こうに止まり餌の支度をしていたら、お兄さんを見に行こうとして水門の暗渠に入っていったラッキー親子。191007.jpg

上流のヒメガマの群落で夜を過ごしたサギの群が一斉に飛び立って下流へ飛ぶ。191007a.jpg

今朝もバロン夫婦の傍に来て漁をしたカンムリカイツブリ。いつも三匹ほどクチボソを食べれば川の真ん中へ離れて行くのに、今朝は7匹も獲物を捕るところを見せてくれた。191007b.jpg


『夕暮れ時の沼をじっと見ていた妻』(2019.10.7)
夕方妻と近所の桃山公園まで散歩に出かけた。沼を見下ろす高台に立ってじっと沼を眺めていた。東を指さして、「釣堀の先のビオトープの脇を通ってずっと行くと橋があって、みんなで体操をしてから戻って来た。西へ行くときは手賀沼公園まで行ってきたけど、あなたが一緒に行くと夕日を撮ると言って手賀大橋に寄るから日が沈んで戻ってくるから運動にならなかった」と15年から20年も前の思い出をしばらく語っていた。「我孫子は人生の中で一番長く住んだところだよね」「そうだね」「我孫子に来てよかった。手賀沼があるもの。来た頃は手賀沼は臭かった。市に浄化をお願いに行ったら県の管轄だから県に頼みなさいと言われて、何人かで柏まで陳情に行ったこともあった」と、何かをトリガーに眠っていた手賀沼の記憶に辿り着くと次々と思い出していた。帰り道で、「この辺が近隣センターの候補地になったことがあったけど、道路の計画がまだなくてダメだった。沢山の人と出会って活動したのは楽しかったけど、もうその人たちの名前も忘れて出てこない」と言ってから急に無口になった。
夕食を終わって、使い終わった食器を持って運んだ私に「洗わないで、私が洗う」と妻。数日前も食器を洗おうとしたら「私の仕事を取らないで」と言ったことがあった。朝夕の雨戸の開け閉め、洗濯物を干すことも自分の仕事だと思っている。妻の仕事には手を出さず、そっと見ていることにした。191007c.jpg

羽がのびで以前の威厳ある父さんの姿に戻る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.6)
(アルツハイマー)

お兄さんを待っていたラッキー親子、今朝は父さんも一緒。羽がのびて以前の威厳ある父さんの姿に戻った。191006.jpg

バロン夫婦が餌を貰い、オオバンやカルガモが集まったら、下流から泳いできたカンムリカイツブリ。バロン母さんに近寄り過ぎて、いつもはおとなしい母さんに睨まれ慌てて逃げた。191006a.jpg

バロン夫婦の周りで漁をしていたカンムリカイツブリ、小魚を捕ると直ぐ飲み込んでしまうが、尻尾の方を咥えていたので飲み込むのに時間が掛かりクチボソを咥えた写真が撮れた。三匹捕って食べたら対岸の方へ泳ぎ去った。191006b.jpg


『二日続けて水をよく飲んだ効果かな』(2019.10.6)
昨日の朝、手賀沼撮影から戻ると穏やかな表情で階段を下りてきた妻。「今日は何曜日?」「土曜日、Rへ行く日だよ」「火木土だから今日は行く日か」と言いながら雨戸を開け、テーブルの上に出しておいた食器を並べサラダなどを盛りつけていた。
いつになくのんびりと朝食を食べていた妻、ぼつぼつ出掛ける支度を始める時間。「美味しいかい?」と言えば目を細めて「美味しい」と。「もうそろそろ支度しようよ」「えっ! 今日はどこへ行くの?」「Rだよ」「日曜日じゃないの?」「土曜日だよ」「火木土・・・。急がなくっちゃ」と慌てて食べ終えて支度。Rから迎えの車が来る頃はまた穏やかな表情に戻って、元気よくデイサービスに出掛けた。
4時30分頃、Rから戻って来た妻、「今日はね、頭がすっきりしているの。昔のことを思い出そうとしたらいっぱい出てきた」と子ども時代のことを語り始めた。母の実家に疎開して来ていた母の妹のこと。その子どもたちと遊んで楽しかったこと。母の妹の夫がシベリヤ抑留から帰国し、仕事がなく道路工事をしていたこと。やがて公安庁に復職し東京の引き揚げ者住宅に住んでいたことなどを一気にしゃべって、「あの頃は国中が大変なときだったね」と。
夕方、妻の古くからの友が栗ご飯が出来たと持って来てくれた。しばらく二人で話していた。友が帰ったあと、「何を話していたの?」と訊ねるとしばらく考えて、「忘れた。今度会ったときに、この前何を話したか聞けばいいだけ」と言って笑った。夕食に栗ご飯をいただきながら、「誰が作ったの?」と、友からいただいたことも友が来てくれたことも思い出せなかった。
妻にとって穏やかな日になったのは、二日続けて水をよく飲んだ効果かなと思った。191006c.jpg

地平線から上空に放たれるオレンジの光

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.5)
(アルツハイマー)

雲一つない快晴の朝。オレンジ色に染まった地平線から上空に放たれるオレンジの光。191005.jpg

ラッキー父さんの姿が見えず、待っていたのは母さんと子ども二羽。父さんは進入者を追ってパトロール中なのだろう。191005a.jpg

今朝も来ていたカンムリカイツブリ、片羽が不自由でも潜水して漁をするのは上手。流れ出したコブハクチョウの餌に小魚が集まり、それがお目当てかバロン夫婦の傍で漁をする。目の前でクチボソを三匹も捕ったカンムリカイツブリ。191005b.jpg


『今日は風が強いから家の中に干した方がいい』(2019.10.5)
昨日朝は、前夜に用意した水を全部飲んだからかすっきりした様子で雨戸を開けた妻。「白いヒガンバナは萎んだが赤いのはまだきれい」としばらく眺めていた。妻の実家の裏山に咲くヒガンバナと重なったのだろうか。
朝食中に急に神妙な顔になって、「私はどこから来たの?」「どこからって、住んでいたところ?」「うん」「我孫子に来て37年、その前は横浜、その前が等々力、結婚したときが武蔵小山」「等々力が思い出せない」「A(長女)を産んだのが等々力の病院、近くのなおみ保育園に預けたろう」と言うとやっと手がかりを見付けたようだ。そこからは連鎖的に長女を保育園に預けて職場だった大井町の小学校に通ったことを思い出して語った。「頭の中で、どこが先に住んだところかごちゃごちゃになっていて分からなくなった」と言って話が終わった。
朝食後、私が洗い終わった洗濯物を洗濯機から取り出し運ぶと、「今日は風が強いから家の中に干した方がいい」と妻が室内に干し始める。その間に食器洗いをしようとすると「私の仕事を取らないで、やらないとどんどん出来ないことが増えちゃうから」といつになく活動的。
昼食後に私が散髪して帰宅すると、テレビの前にぼんやりしていた妻。「もうどこにも行きたくない、家のことだけをやっていたい」とぽつりと言った。「明日はRのデイサービスに行くだろう」と言うと「Rでは派遣で介護のお手伝いをしてきたが、もうやめなくっちゃならないから」と。話を聞いていると、もう15年か20年も前のことだったろう介護から漏れる高齢者への支援を行っていたボランティアの会を解散したときの悩みがRへデイサービスに通う現実のこととつながってしまったらしい。Rに出発するときの写真を見せ、仕事ではなく自分のリハビリのためだと説明して、近所の桃山公園へ散歩に連れ出した。高台から沼を眺めていた妻が「これからもRへ行くよ、元気にならなくちゃいけないから」と私に言った。やっと妄想から現実に戻ってくれたようだった。191005c.jpg

朝の光が漏れてくる東の空の雲の裂け目

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.4)
(アルツハイマー)

西の空からすっぽりと覆い被さっていた暗い雲、時々眼鏡に当たる雨粒。朝の光が漏れてくる東の空の雲の裂け目。191004.jpg

水門の前で待っていたビッグ親子、お兄さんが来て記録のビデオを回している前に集まり、お兄さんを迎えに岸へ上がって来た母さんがレンズを覗きに近寄る。191004a.jpg

バロン夫婦の傍に来ていたカンムリカイツブリ。お兄さんが「カン」と呼んだら背伸びするようにジャンプした。片羽を鉄砲で撃たれ、短くなった羽では飛べなくなった。191004b.jpg


『頭の中に記憶はいっぱい残っているけど』(2019.10.4)
少しずつ入院以前にやっていたことが回復し始めて、朝起きたら雨戸を開けるようになった妻。昨日、私が撮影に出発するときはもう目覚めていて玄関まで私を見送りに来た。「今日はRに行く日だから早く起きた」と言っていたが、帰宅すると二度寝して雨戸は閉まったまま。やっと起きてきた妻はまるで別人。「今日は何曜日?」「木曜日、Rに行く日だよ」「Rってどこだった?」「利根川の傍」「そうか、Rにはずっと仕事に行っていたがもう行きたくない。もう仕事はできないもの」「大丈夫だよ。仕事に行くんじゃない、リハビリに行くんだから」と言えば黙りこくった。どうやら以前ボランティアで行っていた近隣センターKとRリハビリセンターを混同していたようだ。
朝食の支度を始めたら、自分のコップに口を開けたばかりのパックから牛乳を注ぎ、もう一本牛乳パックを取り出してまた開けようとした。慌てた私が大声で「開けちゃダメ」と言ったのにびっくりして手を止めた。
食卓の前に座ったら、涙を拭いていた妻。瞬時にその原因は不用意に発した私の大きな声だったと悟った。「一人でやってるの大変だと思ったから手伝おうとしたのに。何かやればわからなくて失敗するのが悲しい。どうしてこんなになったんだろう」と小声でつぶやく。たかが牛乳バック一本、どうして穏やかに言えなかったと後悔するいつものパターン。
朝食後にお化粧をして、Rから迎えに来た車に手を振りながら乗り込んだ笑顔を見てほっとした気分。
夕方妻の茶事の友から電話をいただいた。たぶん体調の具合を聞かれたのだろう、「あまりよくないの。頭の中に記憶はいっぱい残っているけど、記憶を探すのが難しくなったの。声を憶えている人のことは声を聞いたら思い出すけど、最近会った人とのことは思い出せない。会った人の顔を覚えるのが難しくなったから」と言っていた。191004c.jpg

お兄さんの前に集まってきたビッグ親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.3)
(アルツハイマー)

お兄さんの前に集まってきたビッグ親子。ちょうどその頃東の地平線が赤く染まり、上空の薄雲も色づき始めた。191003.jpg

ラッキー親子が待つ下流へ向かう途中、大きな朝焼けになった。ラッキー親子の待つ場所まで行けば朝焼けは終わってしまいそう、途中の土手に登って朝焼けを撮る。191003a.jpg

ラッキー親子が待つ水門に辿り着けば、雲から出て浅間橋の上に登る太陽。今朝も来ていなかった子ども一羽。何事もなかったようにお兄さんに餌を貰った父さん母さんと子ども二羽。191003b.jpg


『男がやるといい加減で見ていられない』(2019.10.3)
朝から頭がすっきりしていると言っていた昨日朝、夜に飲むように用意した水はほとんど全部飲んであり、起きると早速雨戸を開けた妻。「きれいに咲いたね」と庭のヒガンバナを眺めていた。「昔、岩滑の裏山でお父さんが掘ってくれた球根が増えたんだよ」「東のお観音様の脇で? 私のお父さんが掘ってくれたの?」と言って、妻の実家の近辺の風景や、父母のこと、姉妹のことを思い出して語り始めた。語り始めるといつも同じストーリーになってしまう。
気分がいいから洗濯をすると言い出して、集めてきた洗濯物を洗濯機に入れて手が止まった。電源ボタンを指さすと「これだ」と言って押した。洗剤と柔軟剤を入れスタートボタンを押そうか押すまいか躊躇していたので、「それ」と言うと押して「動いた」と笑う。洗い上がった洗濯物をベランダまで運ぶと、「男がやるといい加減で見ていられない」と言って慣れた手つきで竿を吹いてから干し始めた。
予想外に時間が掛かり、遅い昼食を食べに近所のガストに行った。注文したのは前回と同じ野菜がたくさん入った湯麺とデザートに濃茶のゼリー。食後は毎度お馴染みの我孫子に来た頃の思い出を聞かされる。夜に飲むように用意した水を沢山飲んでくれたからだろう、一日穏やかで何かをやろうという意欲が見られた一日だった。191003c.jpg

子どもの鳴き声が聞こえたから下流から来る

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.10.2)
(アルツハイマー)
五本松公園を過ぎると急に濃くなった霧。暗いからまだ来ていなかったビッグ親子、「子どもの鳴き声が聞こえたから下流から来る」とお兄さん。私の耳には聞こえなかったが、やがて下流から現れたビッグ親子。191002.jpg

濃霧の中で待っていたラッキー親子、今朝も子どもが一羽足りない。「チビはどこ?」とお兄さんが訊ねても、餌を早く欲しい父さんは首を伸ばして朝の挨拶を二度三度。「自分から出て行ったのか、親に追われたのか。事故や捕らえられたのなら親たちが訴えるからわかる」とお兄さん。191002a.jpg

濃い霧の中から飛来し上流の岸に降りたアオサギ。カワウが来て漁を始め、オオバンやカルガモが残った餌に集まってきたら、小魚も集まっていると知っているようだ。191002b.jpg


『靴を履いたからもう何処かに置き忘れない』(2019.10.2)
朝起きて雨戸を開けたときはRセンターへデイサービスに行く積もりになっていたのに、朝食を食べ始めたら忘れてのんびりしている妻。支度開始のタイムリミットになって、「Rに行く日だよ」と言えば、「どうして事前に説明してくれなかったの」と不満げな表情。Rセンターから10分後に迎えに来るとの電話があって、ふと気がつけばつい先ほど昼の薬や連絡ノートを入れた通い袋がない。慌てて探し始めればベッドの上にある。つい声を荒げ「どうして持って来たの」と言えば「私だって私のことを書いてあるのを見たい」と。持ち物の手提げバッグと一緒に玄関に置き、玄関の鍵を置く場所を見たら鍵とココセコムの端末を入れた袋がない。バッグの中のものを全部出して調べたらバッグのポケットの一番下にあった。しばらくRセンターに行かなかったからか、今迄できていた出掛ける準備の手順を忘れてしまったらしい。
「靴を履いたからもう何処かに置き忘れない」と言って早めに靴を履いて玄関に腰を下ろした妻、手にはしっかりと通い袋と鍵の入った袋を握りしめていた。つい声を荒げて探し回った私に腹が立ったのか、私を見上げ「そんなに大事なものならあんたがずっと持っていればいい」と。
チャイムが鳴ってドアを開けたら迎えの人の姿、途端ににこやかな顔になってご挨拶。ドアの外に出ると通い袋と鍵を迎えの人に預けて車に向かった妻。いつも自分で鍵を掛けさせていたのは、間違いなく鍵を持って出たことの確認になるからだが、私が見ていたから鍵を掛けずにそのまま車に乗り込んだ。191002c.jpg

子どもが一羽足りないラッキー親子

撮影ノート『手賀沼有情』 (2019.9.30)
(アルツハイマー)

子どもが一羽足りないラッキー親子。いなくなったのは先日釣り糸が喉に絡んだ子。親に追い出されたのか、それともなにか事故でもあったのか、気になるラッキーの子。191001.jpg

トビが飛来し、架線に止まっていたコサギの直ぐ傍に止まれば、びっくりして間を開けて止まり直したコサギ。この騒動にパンを咥え一本手前の電柱近くに止まっていたハシブトカラスが飛び立ち、後を追っていったトビ。トビが来たのはハシブトガラスからパンを奪おうとしてか。191001a.jpg

浅間橋脇まで来ると対岸川下に日の出。薄雲を真っ赤に染め鉄塔に重なって登る。191001b.jpg


『新しいものはダメだね、みんな若い人向き』(2019.10.1)
入院中に居間の蛍光灯の組み込み基板が壊れ新しいLEDライトに取り換えた。退院して自宅に戻った妻は壁面のスイッチでオンオフしようとするが、一緒に並んでいる外壁の灯りやダウンライトのスイッチとの区別が付かなくなっていて、手当たり次第に押すから訳がわからなくなった。リモートスイッチを使わせようとしたが、日中教えても夜になるとリモートスイッチのあることを忘れてしまう。「壁のスイッチに触られるから迷う、リモートだけを使えるようにすれば迷わない」と妻が言うので、壁のスイッチにテープを貼って動かなくした。
昨日午後、何度かリモートスイッチの試し運転をしこれで大丈夫と得意顔だった妻。夕方になったら、「どうやって電気を付けるの?」と言って来た。私が指で細長い四角形を示したら、「あっ!」と言って居間に戻りリモートスイッチを手に持って眺めていた。日中には丸く大きなボタンを押して難なくON/OFFしていたのに、「眼鏡がないと使えないよ、字が書いてあるけど見えない」と眼鏡を取りに行った。「字を読まなくたって大丈夫、一番大きな丸の中のボタンを押すだけだ」と言ったら「ボタンがいっぱいあるのは紛らわしいよ」と一番大きなボタンを押して点灯しする。「新しいものはダメだね、みんな若い人向きにできてる」とひとくさり文句を聞かされる。以前から使っていた壁面に三つ並んでいるスイッチのどれを使うのかを忘れて混乱したことなどは棚に上げ、新しいものは若い人向きでダメだと力説する妻。
4ヶ月ほど前からテレビのリモートもうまく使えなくなった。今は電源のON/OFFだけ、チャンネルはどこが出ているのかあまり気にしないようだ。一番やさしいのは、以前と同じ見慣れた部屋、使い慣れた備品。できるだけ修理して同じものを使い、買い換えないことだと思った。191001c1.jpg